遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



 

........ わたしも 以前から そう感じていたので

町田 樹 さんに 賛成です。

スポーツで 極限の努力 極限の美しさを 見せてもらった ときたしかに 

感動する ことは あるのですが それは 与えられるというものではない

と思います。...... フィジカルなのだけれど そこに 魂の輝きを見るとき

わたしは 震えます。たとえば 浅田真央さんには それが ありました。

ゆえに バッシングされたのだろうと 案じています。

ひとは それぞれです。熱狂したい 共有したい もありですね。

また スポーツは 他の娯楽とおなじに 権力者にとって とても便利な

アイテムなのだと 冷静に見る目線も大事でしょう。

アスリートが「感動を与えたい」という違和感──元フィギュアスケーター・町田樹がいま伝えたいこと #ニュースその後(Yahoo!ニュース オリジナル 特集)

アスリートが「感動を与えたい」という違和感──元フィギュアスケーター・町田樹がいま伝えたいこと #ニュースその後(Yahoo!ニュース オリジナル 特集)

「しかし、いつしか『氷上の哲学者』というメディアにつくられたイメージが独り歩きし、違和感を覚えるようになったのも事実です。一度ついたイメージはデジタルタトゥーの...

Yahoo!ニュース

 

以下抜粋

「アスリートがいなければスポーツ文化は成り立ちません。これは確かですが、

その一方でアスリートのほかにも、競技団体で働く人、用具を製造する人、施設整備に

関わる人、さらに観戦してくれる人たちがいて、初めて競技が振興できているわけですから、

そういう人たちに対して『与える』という上から目線での発言には違和感を抱いていました

そして本来、感動するか否かは受け手に委ねられているものです。Aさんは感動しても、

Bさんは感動しないことだって普通にあり得ます。

それはフィギュアでも同じです。

『感動を与える』という表現は、あたかもアスリートがベストなパフォーマンスを発揮すれば、

誰もが喜ぶと一方的に『感動』を押しつけている印象を受けます。

スポーツは無批判に『良いもの』とされ、皆が感動するだろうと思い込むことの傲慢さみたい

なものを、現役時代から感じていました」



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