以下 抜粋
日本人が大事にしてきた教えのお話です。 以前、熊本の幣立神宮で正式参拝をさせてもらったときに、
神主さんがこんな話をしてくれました。 「日本人が大事にしてきた叡智である『神道』には、あるもの
がないんです。他の宗教だったら考えられない、決定的なものがない。なんだと思いますか?」
「教えがない」んだそうです。 教えがない宗教なんて、他に考えられます?
でも、教えがないから相手を裁かないし、ケンカせずに相手に合わすことができるんです。
教えがないということは、教えを守らなかったときに落ちる地獄もないということ。 地獄がないから、
誰かに救ってもらうべく救世主も必要ないのです。 日本人は救世主を待たなくてもひとりひとりが
内なる叡智とつながっていけると考えていたのです。 教えはない。救世主もいない。そんなの宗教じゃない(笑)
そう、宗教じゃないんです。 「神道」は宗教ではなく、日本人の「生活」だったんです。
「では、教えがないかわりに、何があったと思いますか?」 神主さんの話にはまだ続きがありました。
「美しいか、美しくないかで判断する感性があったんです」 これが答えでした。
「その行為は美しいのか?」 これが日本人の生活(神道)の本質だったわけです。 _______
_______ 火薬で爆発させる技術が日本に伝わったとき、日本人はそれを「花火」に使った。