なぜか 気になって一週間前の観劇の帰り チケットを買ってきたのだけれど.....おもしろかった、よかった、同じ芝居とは思えないほど!!
これだから 芝居はおもしろい。別の芝居を三回観るより 同じ芝居を三回見るほうが見になることがある。角度とか位置とか変えてみると余計おもしろい。今日は左から観た。正面から見るより立体的に見える。
ステージと客席をあわせた全体が舞台になっている。客席でせりふのやりとり 通路が花道になったりする。それが とてもはっきりわかった。彩の国劇場の大ホールは決して広くはない。だがステージの奥行きはひろい。そこを知り尽くした蜷川さんの構成だった。今日は歌もよかった、思いをつたえたい、そこが歌になっている。
語っているうちにうねりのように歌になる。月影先生の尾崎一蓮・演劇への想い 速水さんのマヤへの想い、歌子さんのマヤのヘレンに寄せる想い マヤと亜由美さんの演劇という道への想いが切々と伝わってくる.....それぞれの役者 主役も脇もその他大勢にも見せ場が用意されている。蜷川さんの役者への目線はやさしい。前回にくらべて今日の観客は観客そのものが劇に出演、参加しているという状況をたのしんでいた。
前回とせりふとか微妙に違ってもいた。今日はマヤと亜由美さんの演技の差が見えた。この芝居のメッセージ....演劇とはなにか、なにができるか....昇華作用、カタルシス ひとがひとに手をさしのべることなどもしっかり立ち上がっていた。こうして3週間? ひとつの芝居をつづけられること、練り上げてゆけることがうらやましくもあった。地元の劇団でせいぜい三度、語りにおいたってはたった一度の勝負がほとんどだ。演目によっては、後にも先にも生涯一度で終わってしまうものもある。
芝居はハーモニーである。その日の観客 その日のコンディション 裏方さんや出演者たちのコンビネーション.....今日はほんとうによかった。客席にさざなみのような笑いが幾度もあがった。.......感じたのはわたしだけではなかった証拠に 前回 ひとりもいなかったチケット売り場に 終演後、残りの上演日のチケットを求めるひとたちが行列していた。.......いい芝居をすればお客はかならずきてくれる。
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