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文政11年1月上旬・色川三中「家事志」

2023年01月12日 | 色川三中
文政11年1月上旬・色川三中「家事志」

土浦市史史料『家事志 色川三中日記』第二巻をもとに、気になった一部の大意を現代語にしたものです。

文政11年1月1日(正月朔)(1828年)
年末から具合が悪くて寝てばかり。しかし、新年を迎え、風も静か天気も良し。病も癒えて調子も良くなった。外は昨年降り積もった雪がそのまま。その雪がほの明るい。艶やかなる優しさにあふれているよう。
#色川三中 #家事志
(コメント)
あけましておめでとうございます。三中も27歳(数え)になりました。天気もよく、昨年来の降り積もった雪もほのかにあたりを照らしています。伏せっていたこともあって、三中もセンチメンタルな気持ちになっているようです(珍しい!)。

文政11年1月2日(1828年)晴
今年は子(ねずみ)年。知り合い(色川庄右衛門)からつがいの白鼠をもらう。正月から目出度い。従業員の佐助が興にのって詠んだ狂歌を書き留めておこう。
初春に宝持ち込む福鼠
 首も手足も尾も白きかな
#色川三中 #家事志
(コメント)
文政11年はネズミ年。それに因んで、三中は知人から白鼠をもらっています。従業員の佐助はお調子ものだけあって(昨年10月7日条参照)、当意即妙な狂歌を詠んでいます。歌の巧拙はともかく、江戸時代のお正月の目出度い雰囲気が、現代にも伝わってくるようなエピソードです。


文政11年1月3日(1828年)
今日は体調不良で寝る。昨日、一昨日と無理したからか。明日から行商で出張予定だった。仕方ない。漢方薬は売り物だが、非常手段だ。自己流で処方。効果あって夜には体調回復。
#色川三中 #家事志
(コメント)
元日には「病も癒えた」といっていましたが、無理がたたって再び寝込まざるを得ないことに。やむをえず漢方薬を服用。三中は薬種商ですから、漢方薬は手元にありますが、高価なものであるため、気楽には薬を服用できません。

文政11年1月4日(1828年)
今日から行商で出張の予定なれど延期。静養に務める。昨日はかなり体調ヤバかったが、本日は回復傾向。入浴して月代を剃り、髪を結う。漢方薬を飲んでおいて良かった。我ながら神処方!
#色川三中 #家事志
(コメント)
服用した漢方薬が効き、今日は普通に過ごすことができたようです。
現代でも非常に優れている様子を神といいますが(例:神対応)、江戸時代でもそのような語法があったようです。原文では「我が術を加ひて其功神というべし」と書かれていました。

文政11年1月5日(1828年)晴れて風あり
行商に出発。昨日出発の予定だったが、様子を見ておいてよかった。今日は体調は悪くない。同行者は与兵衛。先月店を辞めるといっていたが、思いとどまってくれた。いつもどおり初日は安食(茨城県かすみがうら市)泊。
#色川三中 #家事志

土浦市 to 安食の道祖神

土浦市 to 安食の道祖神


(コメント)
前回の行商は7月17日~7月30日であり、5ヶ月ぶりの行商。同行者は与兵衛。与兵衛は先月辞めるといっていましたが(12月23日条)、仕事を続けることになったようです。三中にとっても経験のある与兵衛が働き続けてくれるのはホッとしたことでしょう。


文政11年1月6日(1828年)
<行商中>今日は、安食(かすみがうら市)から高浜(石岡市高浜)まで。泊まったのは元従業員の江橋さんのお宅。大歓迎される。
#色川三中 #家事志
(コメント)
今回の宿泊先は高浜(現石岡市高浜)。元従業員であった江橋さんのお宅にお邪魔しています。江戸時代は宿場以外では宿がないので、出張でも個人宅に泊まるほかはありません。江橋さんは三中を歓待しており、三中の機嫌も上々です

安食の道祖神 to 高浜

安食の道祖神 to 高浜



文政11年1月7日(1828年)曇
<行商中>高浜(石岡市高浜)を出発して、玉造(現かすみがうら市玉造)で泊。昨日と同様、玉造でも歓迎していただいた。
#色川三中 #家事志
(コメント)
玉造宿(かすみがうら市玉造)では行商の度に宿泊しているので、定宿にしているところがあるようです。昨日も歓迎されておりましたが、玉造でも歓待されています。

高浜 to 行方市役所玉造庁舎

高浜 to 行方市役所玉造庁舎



文政11年1月8日(1828年)晴
<行商中>昨日と同じく玉造(かすみがうら市玉造)に泊まる。
#色川三中 #家事志
(コメント)
玉造宿に連泊。この周辺に客(医師)が増えたからでしょうか。行商中は日記は簡潔な記載が多くなります。それだけ一生懸命医師を回り、薬を売り込んでいるのでしょう。どの医師を回ったかについては日記には記載がありません。別に記録していると思われます。

文政11年1月9日(1828年)晴
<行商中>玉造を出発して、鉾田へ(鉾田市鉾田)。同所泊。途中、櫛引の原(鉾田市串挽)を歩く。景色いとよし。富士山と筑波山とが並んで聳えている。蛇(青大将)が右方から道にでてきた。きっとこれは吉兆。
#色川三中 #家事志
(コメント)
本日の行商では富士山と筑波山の両方を見ることができました。冬で空気が澄んでおり、富士山までよく見えたものと思われます。蛇がでてくることが当時は吉兆と考えられていたのでしょうか。今回の営業もうまくいっており、ご機嫌の三中です。

玉造 to 鉾田駅(バス)

玉造 to 鉾田駅(バス)



文政11年1月10日(1828年)曇
<行商中>鉾田を出発して、梶山宿で泊(鉾田市梶山)。
#色川三中 #家事志

鉾田駅(バス) to 梶山

鉾田駅(バス) to 梶山


(コメント)
梶山(鉾田市梶山)は北浦湖畔にあります。北浦は霞ケ浦という湖の一部。三中の住む土浦も水運で栄えており、三中の行商も水運のネットワークを使っていたように思われます。
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