文政13年3月上旬・色川三中「家事志」
土浦市史史料『家事志 色川三中日記』をもとに、気になった一部を現代語訳したものです。
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文政13年3月朔日(1日)(1830年)
曇
#色川三中 #家事志
(コメント)
本日は天気の記載のみです。
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文政13年3月2日(1830年)晴
名主の入江郷助殿が来た。大坂の牛肉を買ったとのことで、分けてもらった。
塩漬け500匁(1.875kg)
味噌漬け500匁(1.875kg)
合計一貫匁
代金は金一分。
#色川三中 #家事志
(コメント)
日本人は、明治時代以前は牛肉をたべる習慣はなく、明治天皇が初めて牛肉を食べたとするネット情報もありますが、それは誤りであることが分かる記事。大坂から送ってもらっているので、関東産のものはなかったのかもしれません。
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〈詳訳〉
・今日は牛肉と、讃岐(佐土州)産の蒼朮(そうじゅつ/オケラの根)が手に入った。江戸の白木屋からの船が土浦に着いた。
・四つ時、入江郷助殿(名主)が来られ、大坂から牛肉を取り寄せたが食べてみないかと言われたので、従業員を使いに出して入江から牛肉を購入。
塩漬け500匁(1.875kg)
味噌漬け500匁(1.875kg)
合計1貫匁
代金は金一分。
牛肉は木原行蔵様と川口に送った。
・手に入れた佐土州産の蒼朮は約600匁(2.25kg)。色は唐産(中国産)のものよりやや薄く、中に含む脂が唐産より多い。芳香しく馥郁。味は辛甘であり、ほろ苦さも持つ。口に含むと独特の余韻が舌に残り、少し噛むだけで体が温まるような効能を即座に感じられる。
この蒼朮は粉にすると、まるで白粉を塗るように滑らかに仕上がる。その粉成りの速さや豊富さは、唐産のものと比べても類を見ないほどである。香りや品質が優れている。
後日、この蒼朮をさまざまな病に試して、その効能を記録しようと思う。これほどの良品が我が国で採れることを知り、喜びに耐えない。驚きと感動に心が躍り、思わず喜びを記しておくことにした。
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文政13年3月3日(1830年)曇
大枝清兵衛殿が来られた。
#色川三中 #家事志
(コメント)
大枝清兵衛は、江戸の薬種問屋。取引先の色川家を折りをみて訪れており、直近では11月に土浦に来て色川家に泊まっています(文政12年11月23日条)。マメに顔を合わせることが、営業活動の基本ですね。
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文政13年3月4日(1830年)晴
以前に書き記した「蜘蛛病考」について、大野氏から尋ねられた。江戸の方から問合せがあったとのこと。
#色川三中 #家事志
(コメント)
蜘蛛を吐き続ける女性について三中は、日向医師にアドバイスをして、女性を治しました。「蜘蛛病考」という論稿を作成して土浦藩の大野様に提出したことがあります(文政11年9月19日条)。そのことが江戸でも反響を呼んだようです。
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〈その他の記事〉
・庄蔵を従業員として雇う。
証文の人主は安右衛門、請人は義兵衛。
給金は二両二分。二分を前貸しした。
寺は神龍寺。
・本日、入江惣益の講の二回目が行われた。
・今日、与兵衛が谷田部から土浦に戻って来た。子どもが疱瘡にかかって帰っていた。
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文政13年3月5日(1830年)
昨日、伊勢屋から、「祖父の五十回忌を行うので、四つ時に茶を差し上げたい」との話しあり。本日、九ツころ伊勢屋に行く。
#色川三中 #家事志
(コメント)
五十回忌についての記事です。法事というと飲酒飲食というイメージがありますが、四つ時(午前10時)にお茶というので、今の法事とはだいぶ違うようです。
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文政13年3月6日(1830年)雨
朝、東覚寺(等覚寺)へ参詣す。百銅をお供え。
#色川三中 #家事志
(コメント)
色川家の菩提寺は神龍寺であり、日記にも頻繁に登場しますが、等覚寺もよく登場します。同寺は現在も土浦にあり(土浦市大手町)、境内には国指定重要文化財の同鐘があります。
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文政13年3月7日(1830年) 雨
以前書いた「蜘蛛病考」を、大野様(土浦藩家臣)よりの要請で、校正し、「破網治験」と改名。大野様に贈呈した。
#色川三中 #家事志
(コメント)
「蜘蛛病考」について江戸から問合せがあったことから(3月4日条)、三中は早速校正を行い、名前も「破網治験」と改名して大野様(土浦藩家臣)に贈呈。後に国学者として名を残す三中もこの当時は新進気鋭の本草学者でした。
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文政13年3月8日(1830年)
三中先生、本日は休筆です(10日再開)。
#色川三中 #家事志
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文政13年3月9日(1830年)
三中先生、本日は休筆です(明日再開)。
#色川三中 #家事志
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文政13年3月10日(1830年)雨
大坂堂嶋の大和屋金三郎殿に、昨年頼んでおいた牛肉が届いた。江州(近江国)の彦根あたりで入手したものを、飛脚の都合でやむを得ず味噌漬けに加工し、初便の飛脚で送ってくれたとの手紙が添えられていた。
#色川三中 #家事志
(コメント)
三中が、昨冬には大坂に依頼していた牛肉が届きました。つい先日入江氏から牛肉を分けてもらったばかりです(3月2日条)。
「彦根あたりで入手」とあるのは、彦根藩が江戸時代、公式に牛の屠殺が唯一認められていた藩だからという理由でしょう。
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〈詳訳〉
・下男の庄兵衛は悴の金治が病気のため宿下りした。
・上田養伯老が在(地方)へ引越されたとの噂である。上田老には売掛金が十両ほどあり、また畑のこともあるので、下男の庄蔵を行かせた。
・利兵衛殿に金談のため笠間へ行ってもらった。
・大坂堂嶋の大和屋金三郎殿に、昨年頼んでおいた牛肉が届いた。先日入江氏からもらった牛肉は、大坂で土浦藩の知人である藤木様に依頼した備前産の肉とのことである。
(大和屋金三郎殿書状)
生牛肉は伏見町の薬店に聞いてみましたが、手に入らないとのことでした。枠の作次郎は伏見町の隣町に住んでおり、懇意にしている者も多いので、そちらも当たってみましたが、やはり手に入りませんでした。
あちこち尋ねているうちに、江州(近江国)の彦根あたりだと手に入ることもあると聞きました。
幸いにも知り合いの者が彦根方面に掛取りに行く予定がありましたので、お願いをしましたら、首尾よく牛肉を手に入れることができました(私はその間、三田というところに掛取りに行っておりました)。
是非とも寒中のうちにお送りしたいと思いつつも、飛脚(配送業者)の都合でやむを得ず味噌漬けに加工し、本日出発した初便の飛脚に託しました。
一 牛肉といっても、薬用となるのは"鞍下" といわれる特別な部分に限ったものであるとのことです。そのあたりの事情にはお詳しいかと存じます。
一 私の体調につきご心配をおかけしているようですが、どうやら中風というわけでもなさそうです。
一 昨冬以来、暖かい日が続き、冬なのにまだ雪を見ることがありません。氷が張ることも稀でございます。今日の天候は、まるで二月の初午頃のような気候に見受けられます。
一 昨冬の中頃、当地で切支丹(キリシタン)への処分が行われました。一昨年に逮捕され、同類についても順次取り調べが進められているところです。その首謀者は「貢」という名の女で、土御門家の配下にあり、もとは嶋原(島原)の浪人から教えを受けて伝法し、人々を惑わせて仲間を増やしたようです。同類も多数発覚し、全員が磔(はりつけ)の刑となりました。また、その仲間で死罪を免れた者については、女房や子供たちも含めて永牢(終身刑)となる者が相当数おりました。
この事件は以前に申し上げた大塩平八郎殿のご担当です。この件の吟味は、大変なご苦労があったようで、関東(幕府)からも特別な称賛の書状が届けられたと聞いております。この件に関してはさまざまな興味深い話もあるのですが、忌むべき宗教の話ゆえ、文面では詳細を省略いたします。
大塩平八郎殿のご担当するものとして、京の都で寺院二ヵ所が破却となり、当地でも寺十六ヵ所が退院、追放、押込などの処分を受けたとのことです。近年では珍しい事件でございます。
一 この3月から4月頃にかけて加州様(加賀藩)の米が出回り、北国の米が34万から35万俵余りが入荷しているため、米に困ることはなくなりました。しかし、在方(地方)からの米はまったく出ておりません。昨年秋の凶作の影響で、地方の米価は値上がりし、諸家(武家)の年貢米の払い分を除いて売りに出る米はありません。
そのため、万が一、今年の秋の収穫が半分にでもなれば、予想外の事態に陥るでしょう。金儲けはさておき、日々食べ続けるための備蓄米を用意するよう心がけるのが良いかと思われます。
現在、米の相場は1石あたりおおよそ68~69匁から72~73匁ほどとなっており、江戸へ送るにはかなり引き合う値段となっていますので、今後は追々、米が港へ送られてくることと思われます。
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