文政11年3月中旬・色川三中「家事志」
土浦市史史料『家事志 色川三中日記』第二巻をもとに、気になった一部の大意を現代語にしたものです。
文政11年3月11日(朔)(1828年)
雨。風もあって天気は悪いが、従業員の与市と共に谷田部(妻の実家)に出かける。道のほとりの桜ははや散り始めており、雨中落花といった様子。昼前に知人(宅三郎)宅により酒を飲み、夕方妻の実家に着く。酒を出されたので、夜中まで飲む。
#色川三中 #家事志
(コメント)
土浦から谷田部(妻の実家)に向けて、春の雨の中を進みます。旧暦3月、桜は早くも散り始めています。谷田部に着いた後は宴会。だいぶお酒を飲んでいますね。明日の体調、大丈夫でしょうか。
文政11年3月12日(1828年)
飲みすぎて二日酔い。与市も同様。昼前まで寝てしまった。起きたら、妻の実家では酒を出してくれたので、また飲む。帰り道、知人(宅三郎)と共に土浦へ。宅三郎は土浦で婿入りするのだ。目出度いので、帰宅後も酒。
#色川三中 #家事志
(コメント)
昨日夜中まで酒を飲んでいましたから、案の定二日酔い。三中だけでなく、従業員の与市もです。起きたら迎え酒。婿入りする宅三郎を連れて土浦に帰って、また酒。三中には珍しく宴会続きです。
文政11年3月13日(1828年)雨
土浦で婿入りする宅三郎を町の人に紹介しに、羽織袴で出かけた。
#色川三中 #家事志
(コメント)
昨日土浦に着いた宅三郎を町の人に紹介するため、雨の中、正装(羽織袴)で一緒に出かけています。三中は27歳(数え)なのですが、当時は20代でも家の当主となれば、このような役割を果たすことが求められていたのでしょう。
文政11年3月14日(1828年)
朝、親友の間原と隣主人、宅三郎のお祝いに来る。結婚した両家と共に酒を飲む。皆、興にのる。夕方にようやく散開。
#色川三中 #家事志
(コメント)
宅三郎(谷田部から土浦へ婿入り)のお祝いイベントは、今日が最高潮。両家が揃っているところをみると、結婚披露宴に当たるような日なのでしょうか。朝から三々五々集まり、夕方まで。形式は現代とはだいぶ違いますが、お祝いをする心は変わりません。
文政11年3月15日(1828年) 雨
入江氏が町役人を終えられたので、退職のお祝いに金二朱とわり酒一升を持っていかせた。夕方、隣主人と共に入江氏に挨拶。
#色川三中 #家事志
(コメント)
入江氏は土浦の町役人を務めていましたが、3月上旬に終え、子息の郷助が同役を引き継いでいます(3月3日条)。宅三郎のお祝いイベントが一段落したからでしょうか、本日お祝いを贈り、挨拶に赴いています。
文政11年3月3日(1828年)快晴
— 断感ろーれんす (@tk23956) March 2, 2023
・細井氏が本日帰った。帰り際に、別れを惜しむ歌を詠み交わした。
・入江氏が町方の役を免ぜられ、子息の郷助殿が同役を仰せつけられた。#色川三中 #家事志
文政11年3 月16日(1828年)
妻子を土浦に連れてきた与兵衛の為に、高砂屋清左衛門宛に引請証文を書いた。
(引請証文の要約)
この度、与兵衛は妻子を引取り、土浦の中城町の奥井吉右衛門殿の長屋(高砂屋所有)を借りましたが、私たち(三中と叔父の利兵衛)が身元を引き受けます。
#色川三中 #家事志
(コメント)
妻子を連れてきた与兵衛の為の身元引受書。原文は長く、御公儀の御法度は勿論のこと当町の規則も守らせます、本人に問題があれば我々が足を運んで解決します、仏教徒に間違いありません、寺の請状は我々の方で保管していますから、必要ならばお見せします等と書いています。
文政11年3月17日(1828年)雨
釜屋伊右衛門から「13歳になる子どもを従業員にどうか」との書状が届いた。従業員はほしいが、この間初五郎(11歳)を雇って失敗したので、どうするか…。
#色川三中 #家事志
(コメント)
薬種商の事業は順調で、人手が足りないようです。知り合いから、13歳の子どもを紹介できるとの手紙が届きました。つい3ヶ月前ほど従業員をほしがって11歳の初五郎を雇って失敗しており(12月22日条)、今回どうするつもりでしょうか。
文政10年12月22日(1827年)雨
— 断感ろーれんす (@tk23956) December 21, 2022
本日初五郎を鹿島に帰す予定であったが、雨のため延期。初五郎は11歳なのに、おねしょをするので、うちで使うことができない。#色川三中 #家事志
文政11年3月18日(1828年)
母が江戸に行くという話しは出ていたのだが、明日から行くことになった。昔、母が江戸見物に行ったときは、貸座敷を借りたり、今日は大平だ、今日は中条だとご馳走を食べ歩いたという。今回は地味な江戸行となる予定。
#色川三中 #家事志
(コメント)
色川家も昔は羽振りが良かったときがあるようで、母親は江戸に遊びに行き、かなりお金を使ったことがあるようです。グルメスポットの食べ歩きのことが記録されています。
文政11年3月19日(1828年)
母が江戸に向けて出立。利助が同行。今回の小遣いは金2両・銭800文とのこと。母親は以前は毎日芝居を見て、歌舞音曲を楽しみ、江戸から籠を乗り継いで土浦まで帰ってきたらしい。今回は慎ましい江戸行にならざるを得まい。
#色川三中 #家事志
(コメント)
三中の母親の以前の江戸での散財はすごかったようです。毎日芝居を見て、歌舞音曲に親しみ、帰りは全て籠で帰ってきた由。
江戸は一大消費地であり、現代よりももっと地方の人の憧れの的だったのかもしれません。
文政11年3月20日(1828年)
#色川三中 #家事志
(編集より)本日、三中先生は休筆です。