リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

また1年の終わりが来て、自分に残されている時間を考えてみる

2022年01月01日 | 日々の風の吹くまま


12月31日(金曜日)。☀☀🌤。おおみそか。午前8時15分、2021年最後の日の出。日本では一足先にもう新年か。(クルーズがキャンセルにならなければ、私たちもオーストラリアのシドニーの港で、恒例の打ち上げ花火を見て2022年の年明けを祝ったところだなあ・・・。)けさのバルコニーの気温はまだマイナスだったけど、日中はプラス。どうやら1週間居座った大寒波は除夜の鐘のナンバー109になるらしい。ただし、新年はプラスの気温と雪と雨と風で始まるそうで、初日の出は見られそうにない。もっとも、いつも真夜中と共に周囲のあちこちで上がる花火を眺めながら、シャンペン(今年はカヴァとカレシが決定)で乾杯して、しっかり新しい年になってから寝るので、初日の出を見逃すことの方が多いけど。

それにしても、今年はいつの間にか過ぎたような気がする。かなりの波乱の年だったかと思うけど、はっきり思い出せる我が家のイベントは、キッチンとバスルーム2つの全面改装で、物流の混乱や遅延のおかげで1月の下旬から3ヵ月半「工事現場」で暮らしていたこと、10月にやっとクルーズと念願のカルカソンヌの観光に行けたこと、コロナの波をかいくぐってArts Clubの夏のシリーズやADCのディナーやパーティに行って親しい仲間と再会できたこと。クルーズはPCR検査やら抗原検査やら何かと煩雑ではあったけど、船の上では乗客が定員の半分以下しかいなかったし、コロナ対策が行き届いていたので、不安感はなくて、久々にのんびりできた感じ。帰って来たときはワクチン接種と検査陰性の証明書があれば2週間の自主隔離が免除されていたから、すぐに日常生活に戻れて、時差ぼけがちょっと長引いた程度。オミクロンの急な拡散が始まって、また規制が強化され始めたのは、帰国してひと月も経たないうちだから、ほんっとに信じられないような幸運なタイミングだったな。

でもそれ以外は、毎日何をやっていたんだか、記憶がところどころ虫食いになっているような、アルバムのあちこちから写真が剥がれてなくなっているような感じで、あまりよく覚えていない。たぶん毎日が前の日と同じという単調な日々だったんだろうな。たしかに、外に出るのはカレシとの日課のウォーキングと2日か3日おきの食料品や生活用品の買い出しくらい。あとは芝居の翻訳も小説もさっぱり進んでいないし、ミニチュアも、7月にログキャビンを完成させた後は次のプロジェクトを選んで材料を広げたまま放置状態。コロナで日常が激変したのが去年の春だったから、もう1年半以上。目に見えないストレスが知らず知らずのうちに沈殿して、鬱っぽくなっていたとは思えないけど、明日は、次は、というやる気が萎んで来ていたのかもしれないな。人生の時間があとどれくらい残されているのかと思いをはせるような年になって、これではまずいなあ。

コロナに盗まれた2年というかけがえのない時間そのものは取り戻すことはできないとしても、人生という「旅」の遅れは取り戻せるんじゃないかと思う。来年は74歳。ワタシに残っている時間は15年か、20年か。若いときからの夢がたくさんあるワタシ、そんなんで足りるのかな。来年79歳になるカレシとの「2人の時間」はあとどれだけあるのかな。いつまでもこんな風にだらだらとしているわけには行かないと思うと、何だか「時間」と言うものが愛おしく見えて来た。焦らずに1年、1年を大事にするのが、限られた時間だからこその楽しみ方なのかもしれない。年が明けたら、まじめに「1年の計」に思いを巡らせてみようか。2021年も残すところあと2時間、もうあちこちで花火が上がっているのが見えるけど、ちょっと急ぎ過ぎじゃない?


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