リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2008年6月~その1

2008年06月16日 | 昔語り(2006~2013)
おいしいものは命の素

6月1日。今日から6月。北海道はいい季節だったなあ。バンクーバーも気温はちょっと下がったけど、初夏の感。きのうはディナーで満腹したもので、真夜中のランチをスキップしたら、そろそろ寝るかという頃になって、二人とも空きっ腹になってしまった。じゃあ、ちょっとチーズかなんかつまんで・・・と言いながら、結局はカクテルにチーズとパテとクラッカー。ついでにカレシ製のココナツアイスクリームで仕上げ。それで、さあ、寝るかとなったのが午前4時半。空全体が何となく明るみを帯びて、東の空は夜明け色。昼間の青空とは光が違うし、夜空の青さでもない、なんともデリケートな透き通った色合いにしばし見とれた。

きのうの土曜日はワタシがレストランを決める番。選んだのはキツラノにある「Gastropod」。ネーミングがおもしろい。ストレートに訳せば「腹足類」で、巻き貝やカタツムリの類。フランス料理とアジアの食材を融合させたウェストコーストコンテンポラリー。シェフは台湾生まれのカナダ育ちだそうな。店の装飾はすっきり、あっさりした「ミニマリスト」スタイル。メニューもいたって品数の少ないミニマリスト。バーボンサワーにショウガのリキュールを加えたカクテルを飲みながら、カレシは生牡蠣の前菜、メインはビーフのハンガーステーキ。ワタシは「牛のタンとスイートブレッドのテリーヌ」の前菜と、同じメインコース。

牛のべろと胸腺・・・カレシは「またゲテモノ食い」という顔をするからおかしい。ゲテモノじゃなくてデリカシー。(出てきたテリーヌはすごくおいしかった。)ハンガーステーキは牛の横隔膜あたりの肉で、これもちょうどよく柔らかくなっていて美味!ワタシがデザートに選んだのは「オリーブ油のケーキ」。どうもめずらしいものの誘惑には勝てないのがワタシ。出てきたのは、オリーブ油を使ったケーキ地にニンジンのムースを重ねて、上に黒コショウの入ったソルベをのせたもの。お皿にさっと引いたキャラメルソースはコショウと黒ゴマの味がして、甘さを抑えたケーキにぴったり。うわっと思うほどおいしかった。

帰りにグルメスーパーに寄って買ったシャンテレルとぜんまい。そこで昨日の今日ということで、今夜のディナーメニューは、バッファローのサーロインステーキにポートワインのリダクション、シャンテレルのバターソテーと蒸したぜんまい。ワインはバコノワール。このブドウ、ひとクセもふたクセもあるもんで、取り合わせが難しい。残っていたポートが少しだったので、このワインを足してリダクションを作る。何せ二人分を作るのにかなりの量がいるけど、酸味を丸めるのに砂糖を少し入れたら、かなりこってり味のソースができた。バッファローの肉はビーフに比べてきめが細かい。ハーブとコショウだけを振りかけてグリル。白いお皿において、周りにさっとソースを流して、つけあわせをちょっと気取って盛り付けたら、おお、これなら「極楽とんぼ亭」もちょっとしたレストランに引けを取らないぞ~(は自賛しすぎかも)。ふむ、レストラン「Heavenly Dragonfly」なんてのも悪くないかなあ。

おいしいものをおいしいと楽しんで食べられるのはしあわせ。ああ、おいしいなあと感歎したその感動はしばらくほかほかと続いてくれる。○○はどこそこのでなくちゃ、なんてわかったようなことは言うまい。ワタシがおいしい!と思うものは値段にかかわらずおいしいし、まずいものは高かろうか安かろうがまずい。とどのつまりは、食道楽は自分の舌の判断が頼り。東京のビザハットの「もちポテ明太子ピザ」とやらがおいしいという人にとっては、それは最高のごちそうに違いない。人間、食べないと死ぬから、死ぬ瞬間まで食べ続けなければならないんだもん。せっかく食べるなら、自分がおいしいと思うものを食べられるのがシアワセに決まってるよなあ。

幽霊の正体は?

6月2日。夕方になって小さい飛び込み仕事があったけど、今日はヒマ。シーツを夏用のものに取り替えて洗濯。ついでに冬の間毛布の上にかけているアフガンも洗濯。あまり毛糸で鉤針編みしたカラフルなお手製。25年は経っているかなあ。ワタシにだって鉤針編みとか手編みとか刺繍とかやっていたときもあったのだ。物持ちのいいカレシは今でもあの頃に編んだセーターをときどき着ている。もの心のついた頃から母がいつもしていたように、夕食の後片付けが終わった後にせっせと愛しい人のセーターを編んでいた奥さんの?気持を、カレシはわかっていたのか、いなかったのか。もう・・・。

最近夜遅くなるとベースメントの外、玄関のポーチの下あたりで何かごそごそという音が聞こえていた。ちょうどワタシのデスクの位置だから、足元に何かがいるようで気味が悪い。カレシがポーチに出ると音は止まるけど、動物の姿はないし、去年スカンクに穴を掘られたところは合板を釘で打ちつけて石を置いたままだし、他にも掘り返した跡が見つからない。新築したときに埋め戻しをする前に支柱を立ててポーチを載せてしまったので、下にはかなりの空間ができたはず。もぐらかなあ。それにしても幽霊映画じゃあるまいし・・・と、二人とも首を傾げるばかり。

今夜もまたごそごそ、がさがさ。ポーチの上を大きな足音を立てて行ったり来たりしていたカレシが思いついて、スカンクの穴とは反対側の端を調べたら、あ~あ、2つも穴が開いている。ネズミにしては大きすぎるし、スカンクにしては小さすぎ。いったい何のケダモノなんだ。まあ、そんなことを考えているヒマにと、庭中にごろごろとある石をいくつも運んできて懐中電灯を頼りに穴を塞ぎ、合板の切れっ端を被せて、大きな石で重石をかけた。その後はしんとしているところを見ると、穴の主はカレシの足音に驚いて逃げたんだろう。ざまあみろ。戻って来たって入れないからね!

ひと騒動が終わって、どこかにぶつけたのか擦りむけたカレシの腕の手当てをして、二人とも何となく落ち着かない気分。そうだよなあ。たとえ動物だとわかっていても、正体不明の「侵入者」というのは気分のいいものではない。もっと恒久的な対策を考えないとだめだなあ、きっと。ポーチの周囲にもっと深く板を差し込んで、石を敷き詰めて、ちょっとくらい掘っても穴が開かないようにするしかないかなあ。大仕事だ、こりゃ。自然があるのはいいけれど、自然と共存もいいけれど、少なくともここは都会なんだけどなあ・・・

固定資産税の中身

6月3日。雨しょぼしょぼ。正午の気温は摂氏10度。おいおい、今は6月じゃないの?いつものように遅刻だ~と言いながら教室に出かけるカレシ、、「ジャケットは時間がないからいらないや」と飛び出したものの、ゲートまで行かないうちに「寒い!」と回れ右。改めてジャケットを着こんで出かけて行った。ワタシのほうは業務関連の郵便物を送るのに郵便局までおでかけ。土地っ子には傘をさすか、ささないかの微妙な雨。だけど、封筒が濡れるから傘をさすことにして、半袖のTシャツの上に毛糸のフーディーを羽織って出発。でも、半分も行かないうちに鼻の頭が汗びっしょり。汗を拭くのに傘がじゃま。ああ、バンクーバーの雨、濡れて行こうって粋がっていたほうがよかったかも・・・

カレシと落ち合ってどっさり野菜を買って帰って来たら、市役所から固定資産税の通知が来ていた。日本のように所得ベースの市民税がないから、固定資産税は市の主要財源。不動産ブームで土地の評価額が高騰したおかげで税金もうなぎ上りなんだけど、支払猶予の契約更新の用紙も入っている。所有者が60歳になると、固定資産税を州が立て替え払いしてくれる制度がある。つまり、年々増えて行く借金のようなものだけど、単利なので今後20年分くらい先まで積み上げても、家を売って返済してまだ余りあるはずと推算して、カレシが州政府と契約を結んだ。今年で3年目。「借金」の総額は今約5千ドルくらい。

BC州には持ち家に対する交付金の制度があって、現在の額は一律570ドル。だけど、その年に65才以上のオーナーにはさらに積み増しがあって、合計で845ドル。暦年中に65才以上の人と書いてあるから、おお、カレシも今年から該当する。(共同名義でも、どちらか一方が該当すれば適用される。)しめしめ。これで交付金の額だけ固定資産税が減るわけで、300ドル足らずでもなんだか得した気分。それでも、今年の固定資産税は正味2394.86ドル。その明細を読んでみると、これがまたおもしろい。

まず、学校税が989.92ドル。評価をする機関の手数料が40.48ドル。地方自治体の借入れ機関の分が13セント。(上下水道を管理運営する)バンクーバー地方行政区への納付金が43.57ドル。公共輸送機関への納付金が222.57ドル。バンクーバー市の一般市税が1267.19ドル。ごみの収集は120リットル容器で81ドルで、リサイクル料金18ドル。下水道料金が179ドル。水道料金が361ドル。刈った芝生や剪定した枝などの収集に37ドル。しめて3239.86ドルなり。持ち家であればこれから、今年は845ドルの交付金を引いて、税額は2394.86ドルというわけ。

子供がなくても学校税を取られるのは社会責任を果たすためにはしょうがない。バスは利用しないけど公共輸送の納付金を取られるのは道路整備も管轄のうちだから。(公共輸送機関への納付金は電気料金にもついてくる。昔は電気会社が電気トロリーを運行していたからってわけではないだろうけど。)ごみ収集料金は市に申請した容器のサイズで決まる。我が家は下から2番目に小さい120リットルで、年間料金約8500円が安いのかどうかはわからない。リサイクル料金はゴミと同じ日にリサイクル品も収集するのでその料金。回収品は売却するので、その分安い。庭のゴミは、我が家は一応120リットル容器があることになっているけど、実はカレシが自分でコンポストを作るのでもらってない。料金はそれでもちゃんと取られるのが決まりだそうな。

水道料金はメーター制度がないもので、1年中じゃんじゃん使って約38000円。最近は人口が増えて、使い放題だと水不足になるので、夏の間は芝生の散水は週2回決められた時間内に制限されている。メーターをつけて使用量に対して料金を徴収しようと言う案は出ても、なぜか「コストが高すぎる」という理由でボツになるから不思議。そりゃ、各戸にメーターを付けるとしたらものすごいお金がかかるだろうけど、水道料が固定資産税に入っていて目に見えないから「タダ」という錯覚で無駄使いをするわけで、隔月でも請求書が来るようになれば、少しは節約するようになると思うんだけど、お役所の考えることはほんとに摩訶不思議。去年の長期ストで節約した分で税率引き上げを抑えるとかなんとかいっていたから、まあ、こんなもんなんだろうなあ・・・

殺意の向くところ

6月4日。今日のアサヒコムにぞっとする見出しがある。『夫に殺意を抱くとき...見えないDV、受けてませんか』。 見えないDVというのは、精神的な暴力、いわゆるモラルハラスメントのこと。どうも「モラハラ」と端折られていささか軽くなってしまった感じがしないわけでもないけど、身体的な暴力以上に陰湿な、いわば「いびり殺し」のようなものだ。人目につかないだけに怖い。DV人間は家の外で極めていい評判を得ていることが多いから、相談しても信じてもらえず、へたをすれば「あんたに(も)非がある」と責められて、孤立無援に絶望し、「この人がいなくなれば、ワタシはやっと呼吸ができる」と思うまでに追い詰められてしまう。

記事の中の女性たちの夫のように、カレシも些細なことで怒り出し、繰り返し心ないことを言っては「冗談がわからないのか」と笑った。交差点の真ん中に車ごと置き去りにされたこともあった。家の外で起こるワタシの支配の及ばないことでも怒られるから、ひとりで家にいても何度も外を見てはカレシが怒りはしないかとびくびくするようになった。けんかになれば、夜中でも何でもワタシが謝るまで何時間も怒鳴られた。恋愛ごっこを巡るげんかで頬を平手打ちされて首を痛めこともあった。階段の途中に座り込んで通せんぼするカレシの横をすり抜けようとして突き落とされたこともあった。家の中を無言でつけ回されたこともあった。逃げ出して執拗に追いかけられ、パトカーに救助してもらったこともあった。あげくの果てに「○○はお前が何を言っているか全然わからないと言っている」と、言葉が通じないから外へ出ても助けは期待できないぞと暗に脅されもした。(この国の言葉を解するのが職業なのに・・・)

そんなカレシに対して「殺意」といえる恐ろしい感情を抱いたことはなかったと断言できる。けれど、どこかで誰かに絡んで事件に遭ってくれないか、無謀運転をして事故に遭ってくれないか・・・死んでくれたら胸いっぱいに深呼吸できるのに、という気持がふとわいたことは確かだと思う。それなのに帰りが遅いと心配でいてもたってもいられない。そんな自分の心の明と暗のせめぎあいに負けて、崖っぷちを踏み越えてしまったのか、最後は自分では記憶がないけれども発作的に自殺を図ってしまったらしい。死のうと思った自覚がないから、そのときの絶望感がカレシへの殺意となって噴き出した可能性がなかったとは言い切れない。たまたまひとりだったから殺意が自分自身に向いたというだけ・・・

気持を伝え合うためにあるはずの言葉を陰湿に脅しの手段にして相手の人格を殺すのが精神的DV。見えないDVで受けた「見えない傷」を癒すことは並大抵のことではない。その過程で高いところが好きだったはずのワタシが高所恐怖症になった。犬が向かってくると絶叫して凍りつくようになった。背後で突然大きな音がするとパニックが起きるようになった。そういった後遺症はほぼ2年続けたカウンセリングで消えたし、今ではカレシと一緒にいて心地良いと思えるようになったけど、今でも突然の大きな音やテレビの画面にクロースアップされる顔は苦手だし、罵声と怒声ばかりのアクション映画は見られない。「あなたが怖いと思ったら、それは暴力です」 この言葉をみんなが心に留めておいてくれたら・・・

外国人と異国人はどう違う

6月5日。日本各地は早い入梅で、おまけになんだか早すぎる台風シーズンのようだけど、バンクーバーもなんとなく梅雨のような。といっても、道産子のワタシは梅雨なんて知らない。小学校の社会科や理科の教科書にカタツムリのイラストつきで梅雨の話が書いてあったけど、子供心にピンとこなかったのも確か。未だに梅雨=アジサイとかたつむりのイメージがある。それにしても寒い。今日の気温は摂氏9度。「ちょっと涼しすぎやしません?カレンダー、めくりました?」とマザーネイチャーにメールしてみたいような天気だ。とうとうニュースまで「春はどうしちゃったの?」だって、6月に最高気温ひと桁はないよなあ。後2週間で夏至。正式に「夏」が始まるというのに、順調に育っていたトマトは大むくれ。きゅうりの芽はブルブル。カレシはやきもき。今年は冷夏だったりして・・・。

日本の最高裁判所大法廷が、現行の国籍法の条項は違憲であるとして、日本人の父と外国籍の母の間に生まれた婚外子に日本国籍を認めたという。あったりまえでしょうが。うん、あたりまえなんだけど、それが通らないのが戸籍や国籍に関して徹底して束縛的でよそ者嫌いの日本の法律。20年くらい前までは、子供に日本国籍を伝えられたのは父親だけ。カレシは外国籍だから、たとえワタシに子供が生まれても日本国籍を持たせることはできなかった。要するに、紅毛人のところなんぞに嫁に行くような女は「勘当」だと言っていたようなもので、このあたりもワタシが迷わずに日本国籍を手放した要因だった。

逆にいえば、父親が日本国籍でさえあれば母親はどこの国の馬の骨でもよかったわけで、まさに「腹は借りもの」の思想そのまんま。今は母親が日本国籍であれば子供は大人になるまで日本国籍を持てる。たとえ父親がどこの国の馬の骨であろうとも、母親が父親と結婚していようといなかろうと、父親が認知しようがしなかろうが問題なし。まあ、「種は借りもの」になったような感じだけど、それにしても男だけが「結婚」を出生後に認知した子に国籍を与える条件に課されているのは、どういう了見なんだろうなあ。300日の嫡出推定規定と同じように男尊女卑の「無責任オジサンの政治」なのかもしれないなあ。でも、数万人はいるといわれる日本男児の「落としだね」が日本人として認められるのは大きな前進だと思う。だって、それが男の「責任の取りかた」ってもんじゃないの。

遠くから他人の目で眺めていると、日本の顔がいろいろ違って見えてくる。それが素顔なのかどうかはわからないけれど、日本人として日本の日常生活を送っていたらまず見えなかっただろうと思うこともけっこう多い。よくマスコミなどで日本人をxenophobic(排外的)と評しているのを見るけど、たしかに日本は「礼儀正しい、親切」といった外向きの印象とは裏腹に、中に入ると法律も社会制度も異国人には冷たい。でも、それが異人種に対する差別なのかと言うとちょっと違うように思う。日本では人や物に対する態度がランキングによって決まるところがある。日本語自体が上下関係を表すようにできているから、自分との相対的な位置関係を確かめなければ口を開けないようなところがある。お互いに猜疑の目で見るようなもので、だから自分をsize upしているはずの「他人」がうざったい。それが異人種なら、「外」国人と呼ばれるように究極の「他人」ということになり、付き合うメリットがなければ排除していいという無意識が働くのだろう。異人種母の婚外子の日本国籍否定もそこから来ていると思う。日本人との子供を持つ異人種母の大多数はアジア人で、異人種父の大多数は欧米人だろう。つまり、ランキング意識が日本の法律や制度にも刷り込まれているってことなんだと思う。

チャンチャカ、ピッピ

6月6日。金曜日。雨がちで、正午の気温は摂氏8度。4月初めごろの気温みたい。なんでこう寒いんだろうなあ。でも週間予報は風向きが変わったようで、どうやら少しは暖まるらしい。乞うご期待ってところだけど。

またまた日本で翻訳報酬に対する源泉徴収の問題が起きている。日本の税務当局の側に統一された見解がないことが根本原因なんだけど、まあ、税務署は税金を取り立てるのが仕事だから、何が何であれ、とりあえず取れる方向に議論を持って行こうとするらしい。実務翻訳なんていうのは文芸翻訳や出版翻訳と違って単なる「役務の提供」にすぎないのに、それを翻訳原稿が著作権のあるものだからというだけで、翻訳原稿に「二次著作権」とやらが生じ、その納品は著作物の譲渡に相当するから、翻訳料金は版権料であり、源泉徴収の対象であるとぬかす。経済大国日本政府のふところ具合は厳しいと見えて、何とか解釈をこじつけてでも何がしかを徴収したいんだろう。ワタシに著作権が生じるんだったら、翻訳原稿の隅っこにでもちゃんとワタシの名前を入れてくれなきゃ。でなかったら、翻訳を一番高い値段をつけてくれるところに売ってもいいかな。だって、ワタシに著作権があるなら、ワタシが誰にそれを売ろうと勝手でしょうが。たとえ、買い手が発注元の競争相手だったとしてもね。だけど、そうなったら翻訳者は産業スパイに狙われるかもしれない。それは怖いなあ。まあ、ワタシの方は日本政府に納めた税金を外国税額控除で相殺できるから、さしたる経済的不利益はないんだけど、ああ、めんどうなこっちゃ。

読売小町で家電についているよけいなお世話の機能を愚痴を読んでいて目が点々になった。どうやら、何にでも音楽による「お知らせ機能」が付いてくるらしい。聞くところによると、ディッシュウォッシャーから、洗濯機、炊飯器、電子レンジ、冷蔵庫・・・。ピピッとやるくらいなら便利でいいかもしれないけど、携帯の着信音(楽)なみのメロディのオンパレードらしい。そうでなくたって、日本全国津々浦々どこへ行ってもあのぶりっ子ぶったやたらと甘ったるい声が、親切に、親切に、親切に一挙手一投足を誘導してくれる。まるで三才児をつれて歩いているママみたいだけど、それが家電にまで波及して、家庭に不協和音をまき散らしているってことかなあ。

日本には「ほめ殺し」という言葉があるけど、これは親切の押し売りによる「情けのかけ殺し」。どうやらPL法にびびった企業が、火の粉がかからないようにと注意に注意を重ねたあげくに「過保護/過干渉ママ」症状を起こして、それが過保護に慣れ切った日本人もさすがに「大きなお世話!」と言いたくなるほどの氾濫になったというところらしい。だって、食器を洗い終わるたびに「チャンチャカチャンチャカ」と好きでもないメロディを流されたらたまったもんじゃないもん。うるせぇ!と蹴っ飛ばして壊してしまうかもしれない。(そうすれば、買い替えになりそうだけど、あ、さては・・・?)

繊細な美意識を誇る国にしては、周囲の音や視覚に対する美意識がお粗末に見えるけど、ほんとうに繊細なのは一部の芸術家だけで、庶民の美的感覚ってのはこんなもんなのかなあ。侘び寂の神秘の国でビーピー、チャンチャカ、シャカシャカ、チンチンと無機質の騒音が鳴り響き、「言わずともわかる」が究極のコミュニケーションとされる国で人生の背景が違う人とは分かり合えないと嘆き、そのくせ言葉も文化の背景も違う「オトモダチ」を追い求めて「言葉の壁なんか」という。この矛盾。まあ、そこが日本はおもしろい国だなあ、「美しい国日本」の包み紙をはがして箱の中をのぞいてみたいなあと、大いに気をそそられるところなんだけど。

天子様のぜんそく

6月7日。明治初期に書かれた『開化問答』と言う本に、こういうが一文があるそうな。「このごろ天子様は喘息をおわずらいなさる。なにゆえというに、しきにりゼイゼイとおっしゃる」。天子様にあらずとも、まつりごとを掌るものは地球上のどこでも昔から喘息体質に生まれついているらしい。おりしも時は花粉症の季節。ほんとにしきりとゼイゼイと苦しそうなこと。

こと税金の話となると駄洒落もあまりおもしろくないけど、おおむねどこでも春は税金の季節でもある。確定申告の明細確認が来てみたら、2007年度分の所得税の追加納税分をオンラインで、しかも納付期限内にちゃんと払ったのに、とりあえず「2008年度事前分割納税の口座残高より振り替えました」と書いてある。頼みもしないのに勝手に振り替えておいて、(3ヵ月ごとに納める)事前分割納税の口座が「滞納」になっている可能性があるから、チェックして不足分を振り込みなさい、だと。頼みもしないのに、去年の所得税が二重払いで今年の前納分が不足。おいおい・・・

去年は小切手で送金したら、処理のタイミングのズレかどうか知らないけど、歳入庁から送られて来た明細を見たら2ドルとなんとかセントの利子が付いて来て目を白黒。たかだか2ドル(2百円ちょっと)で税務署に苦情を言うものめんどうだし、と51セントの切手を貼って2ドルなにがしの小切手を送ったら、しばらくして同じ額が「還付」されて来た。滞納ではなかったので利子はいりませんでしたってことなんだけど、なら初めからよけいな切手代を使わせるなっちゅうの!そこで、また忘れた頃に修正した明細をよこすんだろうと高をくくってほうっておいた。

そこへ持ち上がったのが、翻訳料を巡る源泉徴収の問題。それでクライアントとメールのやりとりをしているうちに、今度は去年の遺産処分を巡る税金の問題が持ち上がった。二度はあることは三度あるというわけで、こっちはあたふた、あふあふ。ほったらかしてあった確定申告の明細が急に気にかかって来て、あわてて金曜日の営業?時間が終わらないうちに、と歳入庁のトールフリー番号にかけてみた。ああ、めんどうくさい自動応答システム。はいはい、「1」を押して、次は、えっと、何番が該当するのか、メニューをもう一回「読み上げて」もらって・・・う~ん、わからない。そういうときは「*」を押せというから、はい「*」をポン。しばしクラシック音楽をゆ~ったりと聞かされて、やっと生身の人間に到達できた!

名前と住所と社会保険番号を言ったら、セキュリティのために本人を確認したいから「所得額」を読み上げてくれという。まあ、かなりフレンドリーな女性の声だからしょうがない。一番上の合計所得を読み上げて、そこでやっと「何かご用でしょうか」という質問。や~れやれ。かくかくしかじかで「二重払い」になった税金はどうなるのかと聞いたら、「ご心配なく、ちゃんと今年分の前納扱いになっています」だと。なんのことはない、税金の口座番号は社会保険番号。支払のルートは別でも入る口座はおんなじってことだったのだ。なあんだ。ま、金曜日の午後遅くということで税務署もひまだったのか、しばし関係ないおしゃべりをして、去年の2ドルとなにがしの顛末を話したら「それはないわよねえ」と爆笑。あのぉ・・・。ま、こっちもつられて笑って、「ありがとう。楽しい週末を~。じゃあね~」みたいな感じで一件落着。

さて、残る問題は2つ。こっちはどっちも後方支援しかできないからもどかしい。それにしても、まったくもって天子様の喘息ゼイゼイはうるさいことよ。いい薬はないのかなあ。

いるようでいない人たち

6月8日。なんだかこの頃日本では立て続けにおどろおどろしい事件が起きるなあ。人を殺して、遺棄の便ばかり考えて簡単に小さく切断してしまうなんてのは、人間を人間として見ていないというか、それよりも前に相手が生身の人間であるという認識さえすっぽり欠如してしまっているように見える。

無差別殺人なんてその最たるもので、根底にある理屈はテロリストの理屈と何ら変わらない。そもそも他人が嫌い。坊主憎けりゃの延長で、心の奥底にどろどろとわだかまっている恨みや怒りをその他人に向ける。元から他人を別個の人格を持つ人間として見ていないから、きっと自分の厄を背負って消えてくれる「流し雛」かなんかだくらいに思っているんだろう。いったいどこでどうしてそうなってしまったのか。バンザイ攻撃じゃあるまいし、そっとひとりで死ねないのは、よほど「自分の存在を見せつけたい」という欲求が鬱積しているからだろうか。そんなやつに道連れにされるのはほんとうにたまったもんじゃない。

今年何度目かの事件が起きたのは秋葉原。欧米のどのメディアにも「エレクトロニクスやコンピュータのソフト、アニメやゲーム、そしてオタク文化の中心として若者に人気」と書いてある。たかがまだ25才の分際で「生きるのに疲れた」と抜かすこの男はどういう理由で秋葉原を選んだのだろう。どうして渋谷や新宿ではなく、秋葉原じゃなければならなかったんだろう。わざわざ東京を横断して秋葉原まで行った理由はなんだろう。歩行者天国をやっていたから?渋谷も新宿も池袋も、若い人たちがどっと出ていただろうに。動機が何であれ、犯人は秋葉原を選んだ。

ちょうど2ヶ月前、ワタシはつくばへ行くために秋葉原の駅にいた。エクスプレスの乗り場まで降りる途中で場所を間違えたのではないかと不安になって、いったん地上まで戻った。新宿駅の雑踏の中で感じる心もとなさとはまったく違った、なんだか無機質な雰囲気に対する漠然とした不安と言ってよかったかもしれない。あの無機質さは電車の中でも感じたけど、不気味だ。周りにあれだけ人がいるのに、まるで誰もいないような感じ。ひたすら携帯の画面を見るか、眠ったふりをするか、そうでなければ口をへの字にして、遠いどこかを睨んでいて、たまたま目が合ったら、まるで領海侵犯をした敵国船か何かのように怖い形相で睨む。体はそこにいるけど心はそこにいない。自分がそうだから、きっと他人もそう見えるのだろう。みんなもぬけの殻。

アニメもゲームもマンガも、キャラはみんな同じような顔つきで同じような髪型で同じような怖い目つき。ゲームは殺すか殺されるか、それもナノ秒での決断を迫られる。セックスを誇張した体に五才児の顔をくっつけたような「美少女」を崇めて悦に入っている男たちなどは、カナダだったら周囲からpedophile(小児愛者)ではないのかと疑いの目で見られそうだけど、日本ではサブカルとしてもてはやされる。コスプレにしても、メイドカフェとやらにしても、幼児帰りの「つもり遊び」のようにしか見えないんだけど、若者のサブカルファッションともてはやされ、世界中に「発信」されて、似たような若者たちを引き付ける。そういった雰囲気がワタシには「無機質」と感じられて、ふと不安になったのかもしれない。鎮魂・・・

変、変、変・・・

6月9日。片目だけそっと開けたら、ああ、また薄暗い。午前11時20分でこの暗さ。また雨かあ。雨ならまた寒いだろうなあ。起きて出して、玄関の窓に貼り付けてある温度計を見たら、うわ摂氏8度!6月だよ、6月。テレビの天気予報は1月のJanuaryに6月のJuneをかけて「Junuary」としゃれてみたりしているけど、それはよけいに寒いよ~

秋葉原の事件は地元の新聞にはほとんど載らなかった。テレビのニュースも、その他の海外ニュースといった程度の扱いで、せいぜい30秒。犯人が掲示板に携帯で予告?を書き込みしていたということの方に関心があるような感じだった。(携帯メールはまだ日本ほど普及していないので珍しいと思ったのかどうかはわからないけど。)それでなくても、ガソリンは値上がりするばかりだし、アフガニスタンではまたカナダ兵が戦死したし、現職のサリヴァン市長が今秋の市長選に向けての候補指名争いで負けたし、世界中で地震、竜巻、洪水と自然は荒れ狂っているし・・・

だけど、毎日新聞の英語版に「Getting back to normal」というキャプションで載っている写真を見て、なんだかまた考えてしまった。「平常に戻りつつある」ということだけど、写真はメイドのコスチュームの若い女の子が3人。幼稚園児が持つようなかばんをかけているけど、お世辞にも幼げでかわいいとはいいがたい。説明によると、勤め先のメイドカフェのビラ配りをやっているんだそうな。まあ、それが仕事なんだろうから、いくら殺戮の事件のあった翌日でも「自粛します」というわけにはいかないのはわかるけど、あれが幼児愛だのエロゲーだのというオタク文化が栄える秋葉原の顔なんだ。あの国はどっかがおかしくなっている。

ほんとうに、何かが致命的なくらいにおかしい・・・と考えてしまうワタシのほうがおかしいのかなあ。

新幕藩体制

6月10日。雨がちでまだ寒いけど、どうやら週末に向けて暖かくなる予想。そうでなきゃ。だって、あと10日ほどで夏なんだから。今朝は9時ごろにニューヨークから電話があったらしい。朝の9時なんて夜中も同然で、この頃は朝方が一番睡眠が深いらしく、8時くらいを過ぎると、電話がなったくらいでは目が覚めない。ボイスメールを聞いたら、明朝東部時間午前9時までの仕事があるという。え、西部時間では午前6時。こっちにとっては寝入りばなみたいなもの。ご冗談でしょ。丁重にお断りして、楽しみにしていた、科学と哲学をごっちゃまぜにしたような仕事の段取り。大きめだけど、思いきり「実務」の仕事の後にはこういう仕事はなによりの息抜きで、ちょっぴり右肩下がりだったやる気もVの字になるからうれしい。

秋葉原の事件については、犯人の掲示板への書き込みが次々と報道される。育った家庭でもいろいろあったんだろうし、カメラの放列にさらされて「謝罪」した両親もいろいろと思いが入り乱れているだろう。だけど、あそこまで行ったら、日本のマスコミによる「謝罪シーン」の演出も、視聴者受けする儀式という一線を越えてしまっているように思う。日本では江戸時代に「連座制」という刑罰があって、凶悪事件があると家族までが一緒に処刑されたんだそうな。治安が良かったのはそのせいだったという話もある。あの謝罪シーンの写真を見て、ひょっとしたら「連座制」はまだ生きているのではないかという気がした。

いや、連座制だけではなくて、封建時代のさまざまな不条理が形を変えて残っているような気がする。明治に声高に叫ばれた「和魂洋才」はそういうことだったんだ。日本人の精神や思想、思考を失うことなく、西洋の学問と技術を学ぶ・・・まさに西洋思想と技術の「いいとこどり」。都合のいいところだけを取り入れて、都合が悪いところは「大和魂」で抑えつけたということだろう。ようするに、民主主義の近代国家の包み紙を剥がして、箱を開けたら「因循姑息」のちょんまげ頭が入っていたってことか。どうりで、民主主義だ、平等だ、人権だと教えて来たはずなのにさっぱり定着していないわけだ。

秋葉原事件の犯人は「派遣労働者」だったそうな。日本の「派遣」は、休暇などの臨時の欠員を埋めるこっちの派遣とは性質が違うらしい。企業が責任を負わずにお気楽に人員を増減できるように作られた道具としか考えられない。なのに、大学を出て直行で派遣会社に「就職」する学生もけっこういるらしい。企業が正社員を雇わないからしかたなくなのか、雇用形態の「選択肢」として定着してしまったのかは、わからない。バイト気分で気楽でいいと言う人もいるだろうし、どっちみち不安定なら中小企業の正社員よりは大企業の派遣社員と言う人もいるだろう。いずれにしても、企業にとってはこんなに便利なものはない。うわべは「企業は人」と言うけど、どうやら「人材」は「資材」であるらしい。アメリカの企業はすぐにレイオフや解雇をするけど日本の企業はそんな無情なことはしないと言う。そりゃそうだろう。初めから昔の年季奉公と同じようなつもりでいるんだから。

角度を変えれば、江戸時代の幕府と藩が官僚と企業に置き換えられただけのようにも見える。かっての○○藩が○○株式会社になっただけで、家老も下っ端サムライも相変わらず「お家大事」。企業は家族なんて甘いことを言われて、残業、残業と一心に「お家」に仕える。だから、日本のサラリーマン社会は「総母子家庭社会」になってしまっている。何百万という子供たちが事実上の父なし子になって、しかも安定した収入と引き替えに夫を奪われた母たちの全精力を注がれて育つわけで、官僚政治に守られて家族的な経営を標榜する企業が実は家族を崩壊させ、溺愛という形の虐待を生み、少子化を加速し、未来に夢の持てない若者たちを生んだ元凶だと言えそうだ。これが二十世紀の新幕藩体制・・・

点心の朝ごはん

6月11日。昼近くに起きて、コーヒーだけ飲んで、カレシの英語教室の生徒さんとのランチに出かけた。みんなレベルが上がってビギナーの人が入りにくくなったので、いったん「修了」ということにしたら、お別れのランチということになった。みんな中国系だからお決まりのdim sum。「点心」の広東語読みらしい。飲茶とどう違うのかよくわからないけど、今日の朝食は広東式の点心。広東系の生徒さんばかり6人。「Golden Swan」という名のレストランは週の中日というのに昼間から大入り。どのテーブルも数人のグループが囲んでいて、いやあ、にぎやかなこと。どこへ行っても中国人のバイタリティはものすごい。

テーブルの間を回っているカートから次々と料理を取っては、「はい、これ、おいしいよ」、「これ、食べたことある?」と、みんなしてどんどん取り分けてくれるので、ワタシの前の小皿はたちまち山盛り。おいしいという評判で週末には長蛇の列ができる人気レストランと聞いて、ワタシは張り切ってパクパク・・・といいたいところだけど、ツルツルした長くて重い中華箸はいつものように非協力的。ほぼ握り箸に近いフォームなもので、「あ~ら、先生の方がずっとお上手ねえ」と笑いながらフォークをもらってくれて、「今度はもっと食べられるでしょ~」とまたどんどん取り分けてくれる。どれもすごくおいしかったけど、こんなに朝食を詰め込まれた胃袋の方はさぞかしびっくりしたことだろうなあ。

点心は中国のどこでもあるらしいけど、生徒さんたちは広東のが「一番よ!」と声をそろえて言う。うん、「食は広州にあり」というもんね。上海のはおいしくない、どこそこのはつまらない、どこそこのは辛いと、なんだか点心の品評会。上海の人は広東料理をどう思うのか聞いてみたら、「おいしくないと言う」んだそうな。あはは、郷土料理の味自慢はどこへ行っても同じってことなんだ。特に上海と香港は日本なら大阪と東京のようなライバル同士なのだろう。さしずめ、あっさり気味の広東料理は浪速料理、上海は江戸前ってところかなあ。食い気満々のワタシは広東料理も上海料理も四川料理も好きだけど、アジアの料理はどこのでもおいしいと思う。日本料理だって、トージョーさんの「オマカセ」で出てくる料理はうなるほどおいしいと思うもの。

たらふくもはちきれるほど食べて帰って来たら、お隣さんからボイスメール。保険が切れたまま家の前に駐車してあった車に罰金250ドルのチケットと48時間以内に動かさないと撤去するという警告が貼ってあったんだそうな。カレシも古いトラックを保険を更新せずにそのまま路上駐車してあるから、気をつけた方がいいよというメッセージ。カレシはさっそく見に行ったけど、こっちはまだ無事。だけど、保険なしで駐車しておくと「廃棄物」と見なされて、気づいた人が持って行っても盗難にはならないんだそうな。カレシは「誰かが持って行ってくれたら、こっちは処分の手間が省けていい」とすました顔だけど、まあ盗もうにもエンジンがかからないから盗まれる心配はない。ほんとのところは、誰も家の外に車を止められないようにこのまま置いておきたいんだけど、罰金250ドルはやっぱり痛い。てなわけで、また腎臓財団に寄付して持って行ってもらおうということになった。やれやれ、やっと・・・

テレビをつけたら、バンクーバー水族館で生まれ育ったシロイルカのQilaに赤ちゃんが誕生して、母子とも健全というグッドニュース。体重50キロ、身長150センチ。ママのそばを泳ぎながらちゃんとお乳を飲んでいるそうな。今度も元気に育ちますように。

アイスホッケーのカナックスの人気選手トレヴァー・リンデンが引退を発表。ドラフトから十何年かなあ。いい選手というだけじゃなくて、選手組合の委員長をしたり、率先して慈善活動をしたりで人望がある。一時トレードされたときはファンが怒った。さっそく、市の道路に名前をつけよう、いやアリーナの名前を変えよう、と街中がわいわい。「トレヴァーを市長に!」という声も大きい。この秋に立候補したら圧勝は確実だけど、まあ、これからいろんなことで経験を積んで、いつかは政界に出てくるかもしれないなあ。背番号16番がいなくなるのはさびしいけど、う~ん、リンデン市長っていい感じだなあ。

ポンコツトラックが消えた

6月12日。木曜日。かなり暖かくなった。今日はカレシの英語教室の一応の最終日。夏の会話教室が始まるまでの3週間はカレシのバケーションということになる。やりたいこと、やるべきことのリストは長いけど、どれだけできるかはまったくもって(カレシの)お天気まかせ。裏庭のパティオ、5年目にして完成するかな?果たして、冷たいマティニを片手に水音を聞きながら夕涼みする夢はかなうのか?

カレシが出かけている間にお隣さんから電話。必要なサイズのソケットレンチが見あたらないので、あったら貸してくれという。ふむ、ワタシ、ソケットレンチなんて持ってたかなあ。うちの「工作室」はもう何年もすごいことになってるからなあ。とにかく来てもらって、探してもらうことにした。お隣さん曰く、「見つからないと新しいのを買うんで、いろんなものがいくつもあるけど、いつも肝心のものはないんだよねえ」。あはは、ワタシも見つからないとめんどうだとばかりに新しいのを買うもので、どんな道具がどれだけあるかわからない。おまけに整理整頓ゼロなもんでどこに何があるのかもわからないと来ている、とあちこちをかき回しながら、同病相哀れむみたいな会話。

結局ソケットドライバーはあったけどレンチはない模様。それからしばらくポーチの陽だまりで世間話をしていたらカレシがご帰館。市がお隣さんの車に貼っていったでっかいオレンジ色の警告のことをおもしろおかしく話していて、カレシがトラックを寄付するんだけどすぐ取りに来るかどうかが問題、いったら、お隣さんが「それなら今すぐに買い取って持って行ってくれる人がいる」。とにかく引き取ってくれるならただでやってもいいと言っていたら、30分もしないうちにその「買い手」が登場した。いくら?100ドルでいい。買った、と1分足らずで商談成立。まずバッテリを取り替えなくちゃと、道具箱を持って来てバッテリを外したのはいいけど、キーを道具箱に入れ、その道具箱を中に置いたままフードを閉め、ドアをロックしてしまったらしい。金庫にあったスペアキーを渡してのひと騒動の後、頭金だと25ドルを置いてバッテリを持って行った。カレシ曰、く「気が変わらないうちにってことかなあ」。うん、なにしろ走行距離13万キロの半トントラックがたったの100ドルなんてめったにない掘り出し物の大バーゲン。

けっこう近くに住んでいるんだそうで、買い手氏は使えるバッテリを持って、ついでに所有権移転の届出書類まで持参で戻って来た。この手際の良さからすると、たぶんポンコツを買って、修理、転売しては何がしかを稼いでいるらしい。カレシが保険証書片手に書類に記入している間、バッテリの取り付け。しばらくしてエンジンの轟音!お隣さんが「何でも修理屋」と言った通りだ。家に入って来た買い手氏は慣れた調子で書類に住所氏名、買取価格を書きこんで署名。はい、残りの75ドル。これ売買は完了で、さよならしたはずが、すぐにブザーが鳴って、「燃料ゲージがおかしい。ガソリンが満タンだった」。あれ、もうクレーム?と思いきや、何とガソリン代だと別に25ドルを置いていったから、さすがのカレシも目を白黒。根っから律儀なのか、何なのか・・・

保険が切れてから1ヵ月半。カレシがのら~りくら~りと処分方法を思案していたポンコツトラックが、買い手が現れてからわずか1時間半で姿を消してしまった。後に残った125ドルを見て、カレシ曰く、「おい、あした牡蠣を食べにいこうや」。うん、そうしよ~

勝負弁当はどんな味?

6月13日。今日は13日の金曜日。いわゆるバッドラックデイということだけど、今年は1回だけ。来年は何と3回もあるんだって。てことは、今年は運の悪い日がたった1日と少ないってことは、それだけ運がいい方だということになるのかなあ。それで肝心の今日はどうなのかなあ。カレシが朝食後早々にパン焼きをセットしてしまったので、時間的に牡蠣を食べに行く話はお流れ。まあ、あしたはシルクドゥソレイユのCorteoを見に行くし、その後のディナーの予約もしてあるから、今日はわざわざお出かけしなくてもいいんだけど。どうも、きのうはトラックの一件が急にうわ~っと進んでしまったもので、なんとなく拍子抜けというか、二人とも気分がだら~んとしている。まあ、13日の金曜日だし、ごろごろしていようか。

大学の担当アドバイザーが変わったということで、新しいアドバイザーのジーンさんから近況チェックの電話。はあ、まだ全然レポートを出してない。仕事が忙しすぎて、読むものはみんな読み終わったけど、レポートを書く作業がアイドリング状態。まあ、通信制大学なもんで、あちらにとっては聞きなれた言いわけだから、ふむふむと聞き流してくれる。8月の半ばが修了期限なので、その前に「延長」を申請するつもりだけど、と言ったら「ぜひそうした方がいい。グッドラック」と。はあ、そういわれたらやめられない。じゃないの。ここはひとつ、心を入れ替えて取っ組んでみようか、やっぱり。(どうも日本から帰ってきて以来いろいろと考えることがあって、ちょっぴり気迷いムードが漂っているような・・・)

小町のタイトルを眺めていたら、「勝負お弁当」という言葉に出くわした。そういえば、このごろは「勝負何とか」という言葉が目に付くようになったけど、いったい何のことじゃいな。ゲームに関係したことかと思って、ちょっとググって見たら勝負服。ふむ、やっぱり戦闘服に身を包んで、勇猛果敢に怪物と戦っているイメージだなあ。だけど、勝負お弁当って?勝負といいながら弁当に「お」がついていてちぐはぐなところが愛嬌なんだけど、いったいどんなお弁当なんだろうと思ったら、彼氏とのおでかけに持っていくお弁当のことらしい。え、恋人と食べるお弁当に「勝負」って、すごい意気込み。そこでちょっとググってみたら、「勝負弁当」が続々。夫の弁当も子供の弁当も、毎朝早起きして、張り切って必勝鉢巻姿で作るから「勝負弁当」なのかなあ。で、「勝って来いよ」と送り出される・・・?

他に日本語サイトでよく見かけるのが「グッズ」。商品や品物を意味する英語のgoodsがカタカナ語化されたものだろうけど、日本語としては妙にくぐもった感じで、おまけに「グズ」や「クズ」と韻が合うもので、語感としてははなはだよろしくない。まあ、今どきの日本人には違和感がないんだろうから、いいけれど。それはともかく、思いついて「勝負グッズ」で検索してみたら、ある、ある。「愛されモテ子の勝負グッズ」なんてすごいのもあった。だけど、勝負って「勝ち」と「負け」を決めることでしょうが。つまりは、勝ち犬と負け犬の区別をつけようってことでしょうが。そこのあたりがいかにも日本的な「二分法」なんだろうなあ。英語には日本語の「勝負」にぴったりと当てはまる単語がない。というのも、戦いは勝つか負けるかではなくて、勝つことが狙いで、勝たなかった結果が「負け」。だから「負けるが勝ち」という負け犬の遠吠えのような発想は出て来ないんだろう。でも、日本語の「勝負」はそういう関係じゃないような。

それにしても、「勝負弁当」ってどんなお弁当なのかなあ。美醜に敏感な人たちだから、よもや「どか弁」じゃないだろうとは思うけど。愛されモテ子ちゃんの「勝負グッズ」ってどれだけパンチ力があるんだろうなあ。並み居る男たちをノックアウトするくらいかなあ。「勝負ネイル」なって、どんな爪かなあと想像するだけでちょっぴり怖い。だけど、みんなすごい気合が入っているんだなあ。格差社会だから、落ちこぼれないようにいつも緊張していなくてはならないからかなあ。エネルギー満々のはずの若い人たちまでが「疲れた、疲れた」とこぼすのはそのせいなんだろうか。だけど、人間は太古の昔から個人差ってものがあって、その寄せ集めの世界は格差社会。それでも、「差こそあれ、根本的価値は同じだ」ということで社会が機能して来たんだと思うけどなあ。なによりも、勝負弁当を持たされるよりも、肩の力を抜かせてもらった方がよっぽどうれしいんじゃないかと思うんだけど。

ちょっと天国まで・・・

6月14日。ずいぶん前にチケットを買ったシルクドゥソレイユのCorteo。それだけ首を長くして待つ価値がある。すばらしい。シルクのショーはひととき現実の世界を忘れるためにある。道化師が自分のお葬式を見ているという設定。天使(道具係をかねている)が天井からふわりと降りて来たり、にぎやかな葬送の列がステージを行ったり来たり。道化の出番が多いので笑いっぱなし。シルクのショーは空中を人が舞っているという感じで、人間の体の限界をここまでプッシュできるんだなあと感心する。最初の頃のショーは旧ソ連のサーカス系統の演目が多かったけど、最近のはどうも「体操系」のが多くなって来たみたいで、古代ギリシャ人が見たら感動するかもしれないなあ。

休憩時間にラウンジに戻って、ギフトショップをぶらぶら。Corteoのテーマで背中に天使の羽の絵が描かれたTシャツが気に入ったけど、う~ん、ワタシのサイズがない。たくさんぶら下がっているクリスマスの飾りみたいなボールは「コスチュームボール」という。シルクで出演者が着る衣装は洗濯が激しいから何週間ももたない。そのお払い箱になった衣装を小さく切って、シークィンやプログラムの切れ端などといっしょにガラスの玉に入れたものなので、ひとつひとつデザインが違う。見ているうちに欲しくなって、とうとうひとつ買ってしまった。ついでに目に付いた縞模様の裾に縦に「Dare to Dream」とプリントしたTシャツが気に入って、たまたまワタシのサイズが一番前にかかっていたもので、レジを打ち終える前に追加。「クリスマスツリーにはもうかけるところがないぞ」とカレシ。な~に、だ~いじょ~ぶ。

午後のショーが終わったらシルクの会場に近いお気に入りレストランでディナー。だけど、道路が一方通行なもので、結局フォルスクリークをぐるっと回って、来るときに渡った橋を渡りなおすはめになった。おかげで予約の時間には少し遅れたけど、「先にシルク行く予定で、正確な終演時間がわからないから遅れるかも」と言ってあったので、20分くらい遅れたけど大丈夫だった。名前を言うと「ショーはいかがでしたか」と聞くので、「すてきでした」。メニューとワインリストを持ってきたサーバーのトレヴァーさんも開口一番に「シルクはどうでした?」と聞くので「すばらしかった」。どこかにメモしてあったのか、それとも今日は、午後の公演が終わったら、William Tellが近いからついでにお食事を、という予約がいくつも入っているのか、それとも、遠くからショーに来た人たちがレストランのあるホテルに泊まっているのか。まあ、いかにもさりげないところがうまい。

ショーの前にラウンジでワインを飲んでスナックを食べて、休憩時間にはまたワインを飲んでデザートを食べて、それでまたしっかりとディナーを食べたものでおなかがいっぱい。お天気も良かったし、とっても良い土曜日だった。さあ、あしたからはもちっとまじめに仕事をしなきゃ・・・

マニュアルを捨てられる?

6月15日。どうやら初夏らしい陽気になった日曜日。カレシは外へ出て庭仕事。ワタシは飛び込みの小さな仕事。プレゼンテーションだけど、ちょっぴりポエティックなところがいい。こっちもポエティックなフィーリングを出そうとちょっと自由に訳してみる。このあたりが実務翻訳何でも屋の醍醐味というところかもしれない。四角四面の契約書から華やな夢をぶち上げる広告まで、何が飛び込んでくるかわからない。弁護士になってみたり、ゴマすりおじさんになってみたり、白衣の科学者になってみたり、はてはコピーライターを気取ってみたりの七変化。それなりに言葉遣いが違うから、なんだか役者になったような気がしてくる。これで楽しくないわけがない。

大事件から1週間が経って、秋葉原は歩行者天国が中止になったそうな。物まね犯罪が起きないという保証はないけれど、ちょっと臆病な感じもしなくはない。こういう「誰でもよかった」という無差別な犯罪について「器物破壊化殺人」と表現する学者がいるけど、メディアには携帯依存、劣等感、挫折感、疎外感、孤独感といった言葉が踊っている。いい子を演じ続けて、気がついたら自分がいなかったということか。犯罪にはつながらなかったけどカレシの行状にも「誰でもよかった」という一面がなかったわけではない。携帯やネットの普及でコミュニケーションの空間が広がったように言われるけど、匿名掲示板には、「話を聞かされるのがいや、引く、疲れる」と、コミュニケーションを拒否する現代日本人がたくさんいる。

これを拒食症にならって「拒聞症」とでも言うのかもしれないけど、それでも「話の合う友だち」は欲しい。同じ背景、同じ環境、同じ年代、同じ趣味、同じ問題・・・まるで「自分」を探しているように見える。でも、何ギガバイトかの空間にいるのは文字だけの「匿名キャラ」。同じように「自分の存在を肯定してもらいたい」人たち。いくら仲間うちのネット語を共有したところでどこまで心のふれあいを感じられるんだろう。そうするうちに人を人と感じられなくなるほどに疎外感が深まって行くのだろう。必死になればなるほど孤独がつのってどんどん悪循環の深みに落ちて行くしくみなのかもしれない。現実世界にいない自分は結局はどこにもいないということなんだけど、仮想空間はいろんな錯覚を生む危ないところでもある。

どこでどうしてそうなったのか。80年代後半のバブル経済とその崩壊が大きな役割を演じたことはまず間違いないだろう。日本流TQCの隆盛にコンピュータの普及による情報化のかけ声が重なって、あの時代には何もかもが「マニュアル化」されていったような観がある。マニュアルには結果の均質化を図る狙いもある。つまり「誰がやっても結果は同じ」が目標だから、みんながマニュアル通りにやっていれば、同じ結果が出るしくみ。モノを作るのであればその方がいいんだけど、そのマニュアル化TQCを人間にまで拡大して均質化しようとしたのが当時もてはやされた「日本型経営システム」じゃなかっただろうか。自分で考えるということは自我の発達につながるから、その自我を組織の和を乱す「エゴ」として危険視する社会を動かすものにとってはマニュアル化は願ってもない統制手段だったろう。

だけど、日本のマニュアル化はその頃に始まったものではなさそうに思う。高度成長時代の核家族化で隆盛した「育児書」こそがその出発点だったのではないだろうか。マニュアルの通りにものごとが運ぶというのはすばらしく整然としていて、日本人の繊細な「秩序感」にぴったりのイメージだろう。マニュアル通りの結果さえ出ていれば安心していられるところも日本人向きなのかもしれない。逆に、マニュアルの通りに行かないとパニック状態に陥りやすいのも、失敗すれば「自己責任」と突っぱねられる非寛容な社会なればこそだろう。生まれてこのかたマニュアルで育って来た世代には、自分がいるようでどこにもいないような八方ふさがりは耐えられないほど孤独だろう。だけど、マニュアルを捨てるだけの勇気はあるんだろうか。


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