リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2013年2月~その2

2013年02月21日 | 昔語り(2006~2013)
今日は靴を履いて歩行テスト

2月12日。火曜日。やっぱり正午過ぎに起床。ゆうべは寝酒もあまり飲まず、肴も少しだけにしたんだけどな。まあ、目覚ましなしで寝るときの睡眠時間はお酒の量とはあまり関係がなさそうではあるけど、ちょっとおなかの具合が良くなかったので自重。もっとも、自重するなら飲まないのがいいんだろうけど、お酒の棚のあるところへグラスを持って行って、1杯だけ注いでおかわりりなしというのがワタシ流の「自重」・・・。

きのうは夕食の後で突発的におなかの具合が乱調。真夜中のランチの頃までにはどうにか落ち着いたものの、かなり調子が悪かった。サルサに入っていた劇辛とうがらし(セラーノというメキシコの濃い緑色の唐辛子)のせいじゃないかと思うな。辛いのが苦手というのではなくて、何気なく食べたもので青天の霹靂みたいな乱調を来たす「不耐性」とかいう、あれ。今までにあったのはビーツのジュースとアヴォカドで、アヴォカドは普通に食べていて問題がなかなったので不意打ちもいいところ。ビーツは火を通せば問題ないし、アヴォカドも茶さじ1杯くらいの量なら大丈夫とわかったけど、今度は青唐辛子か。それでも、おいしいもの大好きのワタシには食物アレルギーだけはない(らしい)からラッキーだよね。

今日はどうやら普通に戻ったので、トートバッグを担いでモールへ出かけた。クロッグで大丈夫だったので、普通に靴を履いて歩いても大丈夫かどうかを運動をかねて試してみようというわけ。ワタシの靴はカレシとおそろいのNew Balanceのウォーキングシューズ。一見してごっつい「どた靴」風だけど、ベルクロ式なので、空港で脱がされるときに便利で、気に入っている。靴を履いても痛くない。歩き始めても痛くない。いいね!ボタンがあったら押したいところだな。まずはお掃除料を払うためのキャッシュを出しに銀行へ。入り口で女性がフォーチュンクッキーを配っていた。中国正月だからかな。バレンタインが近いから、チョコレートの方がうれしいんだけどなあ。ま、クッキーをトートバッグにぽんと入れて、次は郵便局で私書箱から溢れた郵便物を引き取って、ベイの地下売り場へ降りて行って、空になった炭酸カートリッジを新しいのと交換して、エスカレータで上がって来たら、あら、クリニークではボーナスタイム。

化粧品をいくつか買って、ついでに防犯装置のリモートの電池を買いにエレクトロニクスの店に立ち寄ったら、レジでさんざん待たされた挙句に「今追加で7ドル払っておくと切れたときに無料で交換」といういつものspiel(セールストーク)。わかってるの。この電池が切れる頃には無料交換のことなどすっかり忘れていると思ってるんでしょ。で、別の店で普通に買ってくれればおたくは丸々7ドルのもうけ。今どきは交換に来たら店がなくなっていたなんてこともあるし、その手は食わなの何とか。今はどうか知らないけど、昔はよくあったな、保証延長保険ってのが。カレシのVCRがよく壊れるので、地元で名の通った店で新品を買ったときに、価格の3割近い30ドルだかで保証を延長したことがあったけど、1年の保証期間中に修理1回、延長期間中に(修理不能で)新品との取替え2回。日本の有名ブランドだけど、製造は中国だった。日本製を売っていた頃はそんな簡単には壊れないし、値段も高かったから、保証延長保険は売る方の丸もうけだっただろうけど、その店、倒産して、今はないなあ。

トートバッグが重くなったので、「カレシ」タクシーを呼んで酒屋で落ち合うことに。ラッシュが始まる時間だけど、マティニを飲もうにも肝心のジンを切らしていたので、カレシもふたつ返事でお迎えサービス。ワタシもそろっとレミを補給して、今日のお出かけはおしまい。約1時間半歩いても足は大丈夫だったし、靴を脱いでもうずうず痛まなかったので、「歩行実験」も成功というところ。帰って来て、トートバッグの中身を出したら、あらまあ、銀行でもらったフォーチュンクッキーは袋の中でこっぱ微塵。せっかくの幸運を(あったとしたらの話だけど)逃したかな・・・?

赤ちゃんの目

2月13日。書箱を借りている郵便局はリテール郵便局なので、パスポートや証明書などの写真も撮ってくれる。

今日の「モデル」は赤ちゃん。白い背景幕の真ん中になるように、若いお母さんに高々と抱き上げられて、赤ちゃんはご機嫌そのもの。4ヵ月くらいかな。思わず頬ずりしたくなるようなかわいい笑い顔。

きょろきょろと周りを見渡しているその目の何と生き生きと輝いていること。あの年頃は見るもの、聞くもの、あらゆるものが好奇心の的で、何もかも「あれは何だろう?」

あれは何だろう。あっちのは何かな。動くのかな。音がするのかな。さわってみたいな。きらきらした赤ちゃんの目がそう言っている。先入観も、偏見も一切ない純粋無垢で、無限の好奇心。

その赤ちゃんが大きくなって学校へ行き、やがて社会人になり、年を重ねて行くにつれて、あの好奇心の輝きが目から消えていくのはどうしてなんだろう。誰でも無限の可能性を持って生まれて来たはずなのに。その可能性を探求する駆動力が好奇心なのに。

「名前は何と言うんですか?」
「ハドソンです」
「は~い、ハドソンく~ん、こっちを見て~」

ぱちり!

あの笑顔そのものがハドソン君の未来でありますように。

ウマいものもほどほどに食べるのがいちばんおいしい

2月13日。水曜日。午前11時50分に目覚まし。シーラとヴァルが来るので、さっさと起きて朝食。ゆっくりとコーヒーを楽しみながら、ローカルのテレビ番組雑誌に連載のヒスター先生の医療コラムを読む。今週のトピックはコーヒー。健康記事で悪玉にされたり、善玉として賞賛されたりと評価がくるくる変わるけど、いつも飲む人は飲まない人に比べて口腔がんのリスクが低いという話。でも、だからといってがぶがぶ飲めばいいってもんじゃないだろうと思うけどな。何であれ「ほどほどに」がやっぱり一番だと思う。

ラスベガスの「Heart Attack Grill」(文字通り「心臓まひグリル」)というレストランの非公式の「顔」だった客が心臓まひで死んだというニュースがあって、その店の「トリプルバイパスバーガー」は6000カロリー。うぇ~、聞いただけで千カロリーくらいの胸焼けがしそう。去年も食べていた客が心臓発作を起こして危うく死にかけたとか。店のキャッチが「Taste worth dying for(死んでもいいくらいウマい)」だそうで、けっこう繁盛しているらしい。見ただけで気が遠くなりそうな3段構えのハンバーガーを、ほんとに死んでもいいくらいウマいから食べるのか、それともbragging rights(「ドヤ顔権」とでも訳しておくか)が欲しくて食べるのか。どっちにしても、そういう怖いもの見たさはほどほどにしておかなきゃ。死んで花実が咲くものかというじゃないの。

ハンバーガーそのものは特に不健康というわけでもないけど、特大サイズのフライ、特大サイズのこってりミルクシェイクや特大コーラを合わせるとタイヘンなカロリーになる。ニューヨークではブルームバーグ市長のお達しとかでファストフードレストランやチェーンレストランのメニューにカロリーが書いてあったけど、そういうところで人気のメニューはどれも高カロリーで、食べたいけど、う~ん、カロリーが高いからやめとこうかなあ。でも食べたい・・・と悶々。ケベック州発祥の「プーティーン」。フライドポテトに固める前のチーズをどっさり載せて、グレヴィーをどろ~っとかけたもので、カナダの代表的料理だと書いてあったりするけど、西部ではあまり見かけなかったのが、近頃急にファストフードチェーンの人気アイテムになっていて、どこにでもある。このプーティーンもすごくおいしそうで食指が動くんだけど、小サイズでも700カロリーはあるそうだから、う~ん、ど~しよう・・・。

日本でも「高カロリー」が売り物の肝だめしみたいなアイテムがあるらしい。700何カロリーというコンビニのデザートの記事があったし、在日英語人のサイトに東京で「2千カロリーのカレー」を(ランチタイムに)発売したカレー屋があって若い人で賑わっていると言う動画が載っていたことがある。好奇心で見たら、巨大なお皿半分にご飯がどで~ん、もう半分にカレーがどろ~ん。(あまり実が入っているようには見えなかったな。)食べている人はかなり一生懸命の顔だった。日本のカレーは大好きなんだけど、なにしろルーがものすごい高カロリーで超高塩分なのがつらいところ。つい「ふぐは食べたし、命は惜しし」の心境になってしまう。(たま~に誘惑に負けて食べるけど・・・。)

健康食扱いの日本食だけど、まぐろの大トロや脂をちりばめた和牛は(豚の脂身ではそれほど感じないのに)ワタシの舌には「脂」を食べているように感じる。カロリーもかなり高そうに見えるけど、日本でそういう脂身が受けるのは、あんがい野菜や魚介類を常食して来た日本人の生理的な欲求なのかもしれないな。だって菜食と動物食ではエネルギーの質がまったく違うもの。でも、何を食べるにしても、ほどほどにしておくのがやっぱり一番の美食的楽しみ方ということになるのかな。

バレンタイン昨日今日

2月14日。木曜日。小雨模様。バレンタインデイ。昼間のテレビニュースはさしずめ「バレンタイン特集」。

オンラインデーティング(出会い系)やマッチメーキング(婚活系)が花盛りのデジタル時代だけど、何かのアンケートによると、オンラインやバーなどで未来のバレンタインに出会ったのはそれぞれ数パーセント。

オンラインサイトを通じてのお相手探しはカタログショッピング化しているという話。つまり、スペックありきということか。ちょっとした欠陥があったらさっさと返品して別の商品を探す・・・と。もちろん、掘り出し物もあるだろうけど。

職場での出会いは14%だったか、15%だったか。ワタシが勤めていた会計事務所には将来有望な若い見習いクンたちがたっくさんいたけど、ほとんどは大学で出会った奥さんか恋人がいた。それもなぜかほとんどが看護師や教師。伝統的に特定の学部の間で男女交流があったらしい。事務職の女性と結婚したケースはなかった。(独身の子が少なかったこともあるけど。)女性の会計士の卵たちは聡明な美人ぞろい。中国系で南米生まれのロッタは香港系の億万長者のイケメン息子に熱烈求愛されて、彼女のオフィスはいつも大きな花束の山で足の踏み場もないくらいだったな。

でも、一番多いのはやっぱり家族や友達のつながりでの出会いで、30%近い。昔ながらの健康的なパートナー選びもまだまだ廃れてはいないと言うこと。

カレシとワタシの出会いは切手蒐集がご縁。1969年3月だったから、もう44年。切手集めはとっくに忘れてしまったけど、まあ何とかまだ一緒。いい老夫婦になろうね。

ハッピーバレンタイン!

バレンタインはお弁当

だけど、カレシは英語教室ダブルヘッダーの日。普通に朝食をして、普通に送り出して、今日が期限の仕事を済ませて、キッチンへ。恋人たちのディナーラッシュが過ぎたら久々に食事に行こうと決めていたので、カレシはワタシの企みには気づいていない・・・。

今日のメニュー:
 バレンタイン弁当
 白米ご飯、豚肉のしょうが焼き、鶏ももの中華風から揚げ、
 ほうれん草のゴマ炒め入り卵焼き、魚シューマイ、蒸しインゲン)
 豆腐とわかめの味噌汁

[写真] 昔カレシが勤め人だった頃の弁当箱。お弁当はカレシだけだったので同じものが2つない。それでも幸いに2つ残っていた。どちらも日本へ行ったときに東急ハンズで買ったもの。ちょっとなつかしい・・・。

[写真] カレシの弁当箱は二段式。なぜか蓋の上に「A foreign-style pear」と書いてある。

[写真] ワタシのは一番良く使った透明なポリカーボネートの箱。

午後の教室を終えて帰って来たカレシが昼寝をしている間に、38歳になるサンヨー電気釜でご飯を炊いて、鶏を挙げて、豚肉とたまねぎと針しょうがを炒めて醤油で味付け。ほうれん草をごま油で炒めて黒ゴマを混ぜ、卵1個でだし巻き風の卵焼き。フレンチインゲンは半分の長さに切ってさっと蒸して、魚シューマイは冷凍食品を電子レンジでチン。味噌汁を作って、2つのお弁当箱にうまく詰めて、ご飯には白ゴマをぱらぱら。かっこよく割り箸も添えて、ごは~ん!

テーブルに着いたカレシの前にうやうやしくお盆を置いたら、「おっ、ベントーだ。エキベンだ~」と一気に目が覚めた様子。覚えてる、この2つのお弁当箱?「え、これ、ボクのベントーボックス?」そう、アナタが毎日持っていた弁当箱。どんなに夜なべをしても毎日早起きして作った愛妻弁当だったのに、感謝も忘れてよそ見なんかしちゃって、もうっ。(でも、毎日おいしかったと電話してくれたよね。)あのですね、この先、この「おうち鉄道」は終着駅まで途中下車なしですから、お忘れなく・・・。

じゃあ、夜の部に、行ってらっしゃ~い!

考えれば考えるほど・・・

2月15日。金曜日。正午過ぎに起床。空がまぶしいくらい明るい。ポーチの温度計は10度。春うらら・・・。よく眠ったはずなのに、なんとなく寝たりない気分で、やたらと大きなあくびが出る。あ、春眠は暁を覚えずというんだっけ。年齢を重ねるに従って、体がこの季節の変わり目というのに敏感になるらしい。春眠は暁どころか午後の日差しも覚えず。

でも、お客さんにどっさりとバレンタインデイのプレゼント(仕事)をもらってしまったもので、うらうらとした気分に浸っているわけにはいかない。たまたま日本は金曜日で、納期はどれも「月曜日の朝」の置きみやげ仕事。人使いが荒いなあ、日本。でも、予算消化の季節で、「じゃ、これもついでにやっておくか」という翻訳注文が集中する地獄の3月が目前に迫っているから、そろそろ地獄の釜の蓋が開き始めているのかもしれない。仕事は文系でビジネス系でパスワード付の「ひそひそ文書」。こういうのはわりとのぞき見願望を満足させてくれるから、「ガン見」(すごい表現!)しながらやると仕事が速い。でも、まず資料探しとググッているうちによそ見。仕事とは関係のないことをつらつらと考えて、早くも脱線・・・。

Dichotomyは「ダイコトミー」か「ディコトミー」か。カタカナで「どう書くか」だけでもすでに二通りあるのに、この単語の日本語版、英和辞書で調べてみると、文系、理系をとりまぜていったいどれだけあるのやら。まあ、理系はそれぞれの分野でのdichotomousな現象を(たぶん元から)日本語で表したものが多いから、日本語に訳すときはその分野での「正しい」用語を見つければいい。英語に訳すときは、分野が何であれ用語辞典を見れば「dichotomy」・・・。でも、文系はそう簡単には行かない。

論理学用語では「二分法」。「二項対立」という訳語もある。つまり、物事を2つの対立的な概念に分ける論法・・・だそうな。日本語にはそういうdichotomousな漢字2つの単語が多い。思いつくままを挙げてみると:

明暗、強弱、善悪、可否、愛憎、賛否、生死、優劣、貧富、真偽、上下、高低、有無、自他、正邪、軽重、動静、安危、尊卑・・・など等々。

日本語的には「単語」なんだろうけど、英語だとひとつの単語(a word)では表せないから、訳を英語文にうまく収めるのはけっこう難しい。翻訳者泣かせでもある。英語やフランス語ではひとつの単語に訳せないということは、文字の間に何かがあるってことじゃないのか。意味の相反する2つの文字の間にあるのは、本当に「対立」なのか。それとも、文字の間には中黒(・)が隠されているのか。隠されているとしたら、それは「and」なのか、それとも「or」なのか。あるいは、文字の間に空間的な広がりがあるのか。たとえば、「明――――――暗」という感じのスペクトラムのようなものがあるのか。それとも、何もないのか・・・。

ひとつだけワタシにわかることは、dichotomyというのは「物事を2つの対立的な概念に分ける」ことであるけど、その根底には「一方が存在して初めて他方も存在し得る」という概念があること。「明るさ」があるから「暗さ」がわかる。この世に「明るさ」がなければ「暗い」と感じることもないわけで、「明暗」という対照的な事象は存在し得ない。じゃあ、明暗のない宇宙があるとしたら、どんな感じかな。「――――――」的なもやもやした存在なのかな。(聖書はそんなようなことを言ってるな。)それが人間に当てはめてみると、「他人」がいるからこそ「自分」も存在し得るということになるけど、もやもやするのは「自他」の概念が確立していないからなのか、あるいは「自」と「他」の間の「――――――」を把握できないからなのか。

考えるほどに深みにはまってしまって、仕事の方はどうなるの?

くしゃみとしゃっくりとげっぷ

2月16日。ねじり鉢巻で1日中がんばったかいがあって、仕事、ファイル4件をまとめて完了。これであしたの日曜日は休み。しばしの間、ワタシ北向き、カレシ南向き(つまり背中合わせ)で、ゲームをしたり、ネットサーフィンをしたり・・・。

AHHHH-CHOOOO!!!

カレシの盛大なくしゃみ。くしゃみの大きさは生まれつき決まっているという説がある。ワタシも女としてはかなり大きいけど、カレシのはもっと大きい。

意識、ちゃんとしている、アナタ?
「何とか・・・」(Ahhh-Chooo!)

きゃっきゃと笑ったら、今度はワタシがヒック。(しゃっくりが出やすいたち・・・。)
「あ、しゃっくりだ。止めてやる」
やめてよ~。(ヒック)
「一発で止まるから、やらせて」
いやだ~。ノーサンキュー(ヒック)!
「いや、止めてやる」(Hic)
あっ、しゃっくり!止めてあげようか?
「げっぷだってば。げっぷ!」
しゃっくりに聞こえたよ~。
「Burrrrrp!ほら!」

カレシのげっぷはまるでオンデマンド(おならもかなあ・・・)。ワタシなんかケポッと小さなげっぷをするにもひとしきり苦悶するのに。そういえば、カレシのしゃっくりって、聞いたことがないなあ。

「Ahhh-Chooo!ふは~」
Bless you!(くしゃみをしたはずみに魂が抜けてしまうといけないから、「神のご加護があらんことを」。)ね、魂、ちゃんとある?
「何とか・・・」

ワタシのしゃっくり、いつのまにか止まったみたい。カレシのくしゃみも止まったみたい。めでたし、めでたし。まあ、家の中では二人っきりだから、いい年をして、いつまでもこうやっておちゃらけていられるんだよね。そろそろ寝酒の時間だよ。

わたしの耳は何の耳?

2月17日。日曜日。起床午前11時40分。外はくらくらしすなくらいにまぶしい。下り坂の予報なんてもったいないな。バスルームで身支度をしていたら、キッチンから朝食の用意をしていたカレシの「何てこった~」というあわてた声。何をやらかしたんかいなと思って、急いで下りてみたら、コーヒーメーカーの周りをペーパータオルでせっせと拭いている。カウンターの上はちょっとしたコーヒーの洪水。「他のことに忙しくて、ポットをセットしないでスイッチを入れてしまった」。ははあ、何かに気をとられちゃったのね・・・。

あっちもこっちも溢れたお湯と一緒にフィルターから流れ出したコーヒーの粉だらけ。「挽きたてだったのに」とカレシ。それでも、とりあえず後始末を完了して、コーヒーをセットし直して、朝食。コーヒーの粉が乾いたところで、テーブルのパンのくずやら何やら、キッチン中のカウンターのごみを盛大に床に払い落として、ルンバ君にご登場願った。いす(2脚)をリビングに移して、2ヵ所にバーチャルウォールをセットして、ボタンをポンとやるだけで、ピッポッパーンと出動。こういうときにはほんとに頼りになるね、キミは。(どうして「ルンバちゃん」じゃなくて「ルンバ君」なのかなあ・・・。)

キッチンの床掃除が終わったところで、ささって着替えて、買出し用のトートバッグを持っておでかけ。カレシは郊外の園芸センターへ。ワタシは途中で降ろしてもらってHマートへ。大きなスーパーなんだけど、日曜日の午後とあってけっこう込んでいる。まずは野菜から。台湾キャベツ、貝割れ、大豆もやし、ごぼう、長ネギ、にら、大根、しめじ、金柑。そこから魚と肉の売り場に進んで、薄切りの牛肉と豚肉(1キロくらいのパック)、刺身用の大西洋サケ、冷凍のビンナガまぐろ、ほっけ、さば、アサリの剥き身、ポンパーノ。冷蔵品の棚に回って、寝酒の肴になる魚肉ソーセージ、しらたき、ミックス山菜、カレシの好きな白キムチ(2リットル入り!)。乾物の類はうどん、そうめん、八穀米、ジョンのミックス、パン粉、たらこスパゲッティ、味の素の「豆腐チゲの素」、めんつゆにごましゃぶソース。冷凍食品はおでんのパック、醤油ラーメン、からし明太子、なると、加ト吉のたこ焼き(50個入り)。ついでに「おかずコーナー」で茎わかめのごま油漬けと海草サラダ。カートが重くなったので、カレシに電話してからレジへ。しめて296ドル。レシートの長さ、ほぼ60センチ。お迎えのカレシは目をむくだろうけど、これで当分は食いっぱぐれる心配はないよね。

Hマートはアメリカ東部で創業して、アメリカ、カナダ各地で展開している韓国系スーパーで、韓国から輸入した食材と並んで名の通った日本の食材も豊富にある。(品揃え、値段ともに零細な日本食品店は太刀打ちできないけど、日本人移民が絶対的に少ないからしかたがないな。)今日はひとりなので、(ハングルは読めないから)漢字のラベルのものをじっくりと見て歩いたら、味の素、キッコーマン、ミツカン、明星、S&B、ハウス、グリコ、キューピー、永谷園、紀文・・・。米売り場にはいろいろな韓国米に混じって「ひとめぼれ」、「こしひかり」の文字。ただし、最近の出回って来たカリフォルニア米だけど、古くからの「錦米」や「田牧米」、「国宝ローズ」も健在。麺類も日本のうどん、そば、そうめんが何種類もある。味噌もあるし、醤油も酢もとんかつソースもあるし、キューピーマヨネーズだってある。

だから、カートを押して歩いていると日本語も聞こえて来る。店内放送もほとんどの人の会話も韓国語なので、日本語ならすぐにキャッチできると思うんだけど、なぜかワタシの耳はすぐには日本語だとわからないらしくて、韓国語だと思っていたら日本語だったり、日本語かな?と思ったら韓国語だったり。2つの言語を聞き分けられないのはもちろん意識して聞いていないせいもあるかもしれないけど、耳から入って来る日本語を瞬時に日本語と検知できなくなったのはもうずいぶん前からだったような気もする。それよりも、日本語が耳から入ってくる機会がほとんどなくなってしまった。声に出して話すこともあまりないなあ。もしかして1年に何回と片手で数えるくらいかもしれない。これじゃあ耳も声帯も錆び付くわけだ・・・。

アドレナリンは仕事の必需品

2月18日。月曜日。小雨のち曇りの模様。目が覚めたらもう午後12時40分!まずい。(今どき風には「やばい」というのかな。)今日は飛び込みの置きみやげ仕事があるんだった。

のんびりと真夜中のランチを済ませて、ひと遊びする気分でベースメントのオフィスに戻ったら、あら、赤い「緊急事態」マーク付きの仕事メール!

発信時刻は日本時間で月曜日午後5時。納品期限は火曜日の午前9時。そのとき、太平洋のこっち側では月曜日の午前1時。てことは、期限は同じ月曜日の午後4時。その6時間の間に寝て、起きて、朝ごはんを食べて、仕事をやっつけるということで、なんともまあ忙しない話だけど、そういうのをついつい「よっしゃ~」と引き受けてしまうのが極楽とんぼのワタシ。

フリーランスでやっていると、よくあるなあ、こういうの。ワタシのINBOXに「朝イチでお願いしま~す」なんて仕事を投げ込んでおいて、ご当人たちは飲み会なんてことはないだろうな。ま、翻訳会社のコーディネータさんの仕事がどんなに大変かよく知っているから、たぶん飲み会どころじゃないだろうな。

案の定、メールがあわただしく行き交って、期限を延ばしたり、「いや、やっぱりだめ」と早くなったりで、「それでは」となった頃には日本はもう夜の7時過ぎ。フリーランス稼業もタイヘンだけど、お客サマが神サマになって威張りまくっている日本では働くこと自体がタイヘンそう。サラリーマンが気楽な稼業だったのはそんなに昔の話なのか・・・。

コーヒーカップを片手にオフィスにかけつけて、コンピュータを立ち上げて、ファイルを開いて、パカパカパカと仕事。なんか日本の働きにくい世相が垣間見えるような、ちょっと気の滅入りそうな内容だけど、そんなところに思いを馳せている暇はないのだ。ひたすらパカパカパカパカとキーを叩いて、早くなった期限よりも早く仕上げて、それっと送って、おしまいっ。気分、爽快。(引退したら、こんなアドレナリンが噴出しまくりのエキサイティングな場面はなくなるのかなあ。)

ああ、おなか、すいた~。ご飯にしようっと。

ぶんぶと言うてうるさきはヘリコプターペアレント

2月19日。最近テレビのニュースや新聞の記事で、カナダでも子供への過干渉が度を越した親たちの存在が社会問題になっているという話を聞いた。大学を卒業した子供の就職面接について来たり、給料の交渉をする母親、父親がいて、人事担当者を驚かせているとか。学校での授業に注文をつけ、成績を細かくチェックし、はては勉強の手伝いをする親が増えているんだそうな。そして、ついには子供のキャリアの舵取りまで始めたということらしい。専門家はこれからそういう光景が「あたりまえ」になると警鐘を鳴らしているという話だった。

いつも子供の頭の上を旋回しているから名づけて「ヘリコプターペアレント」。そういう親の下で過保護で育つ子供は「バブルラップキッズ」と呼ばれる。バブルラップは壊れものなどを包むあのつぶつぶのシートのこと。このヘリコプターペアレントという言葉ができてもう20年以上になるから、最初の頃のバブルラップキッズは大学生か社会人になる年頃で、親はちょうど「X世代」の年代かな。X世代(Generation X)はほぼ20年続いたベビーブームの後に生まれ、人生のあちこちで元気なブーマー世代の後塵を拝して来たちょっぴり不運で、不安神経症的で、被害妄想的な、ある意味で失われた世代。自分の子供には、という感情はわからないでもない。

でも、ヘリコプターペアレントの下で育った子供たちは青年期になってうつ病を発症することが多いということだっ。無理もないよ。ごく小さいときからあれはダメ、それは危ない、これはこうしてと、鵜の目鷹の目の親の視点で危険を吟味されて、本人の意思に関係なく「安全な」人生のお膳立てをされていたら、おとなだって抑うつ状態になる。してやまるで親におもちゃのように私物化されて育って、自我に目覚める思春期にその基盤を見いだせなかった、自分の存在感まであやふやになってしまうかもしれない。そうなったらもう甘やかしの域を超えて、虐待に近いよに思う。(心理学の本にも書いてあったな。溺愛は虐待に等しい、と。)

それにしても、どこかで聞いた話だなあと思ったら、そうそう、子供のお勉強、お受験、習い事とお世話をしては些細なことで学校や役所にクレームをつけ、大学生になれば講義にも口出しをし、就職活動では会社説明会に同し、はては面接に付き添い、いそいそと入社式に現れて、子供に代わって「具合が悪いので休みます」と連絡を入れ母親たちの話をつい最近どこかの新聞の記事で読んだけど、あれはアメリカじゃなくて日本で起きている話。モンターペアレント、略して「モンペ」と呼ばれる日本の親たちのこと。親バカを通り過ぎて、今や少子化社会で子供を武器にして徘徊する怪物。思わず炎を吐きながら東京を踏みつけにしてのし歩くゴジラを連想してしまった。

いろんな記事を読み比べてみると、「ヘリコプターペアレント」は捜索救助ヘリで、「モンスターペアレント」は攻撃ヘリという印象かな。子供への「危険」を察知する、前者はさっと降下して子供を救出するのに対して、後者は「危険」に攻撃をかける。社会の仕組みや風潮も違うから、違いが大きいのは当然だと思うけど、どっちにしても、子供のためというよりは、「親として完璧な自分」としての自己肯定や自己顕示の道具にしているような感じ。だから子離れができない、というよりはあんがい子供を手放したくないのかもしれない。そうやって親に手作りのアクセサリーのように育てられた子供は、自分で見て考える「分析力」を培うことができず、社会に出てキャリアや結婚や人間関係で遭遇するちょっとした違いや問題に自力で対処できるだけのヒューマンスキルを身につけずに「成人」になるんだろうな。

子供は成長の過程で乗り越えるハードルとして同性の親を反旗を翻すことが多いようだけど、その点からすると、保護・過干渉の親が父親なら女の子が、母親なら男の子が「何もできない」おとなに育つという勘定になるのかな。長時間労働があたりまえの日本では父親不在の家庭が多そうで、つまり男の子は乗り越えるべき父親が身近にいない。一方、女の子には母親がいつもべったり。こういう状況で、もしも親がモンスターペアレントだったらどうなるのか。ワタシが思うに、父親が普通に家に帰って来ない家庭では、男の子はママにひたすら服従の優しい「マザコン」で、女の子はママそっくりの「モンスターワイフ」になるんじゃないのかな。

そういうモンペママにそっくりなモンスターワイフ、あるいはヘリコプターワイフが、小町横町にはたくさん棲息しているらしい。「育児ってタイヘンなんだから、家事や育児を平等に負担してね。お願いしたことはちゃんとあたしの基準に合わせてやってね。ああ、どうしてちゃんとできないの?だらしがない。マナーがなってない。気が利かない。ああっ、手を洗わないであたしの赤ちゃんに触らないでって言ったでしょっ」。(ボク、おうちに帰りたくない・・・。)夫婦は対等の関係だと言いながら相手を子供扱いにしているような過干渉ぶりは、妻子を養う気概に溢れた頼もしくて完璧な夫に育てようと言うことかな。でも、ヘリコプターペアレントが世界中に広まっているなら、やがてバブルラップキッズが家庭を持つようになると、今度は「ヘリコプターワイフ」が新しい現象として話題になるかもしれないな。昔は亭主をお尻の下に敷いたもんだけど、今は頭の上をぶんぶん・・・。

春はいろいろな季節

2月19日。火曜日。今日は比較的まともに「午前中」に起きた。外はまぶしい。道路向かいの大きな桜の木も、心なしか枝につぶつぶが付いて来ているように見える。いつも花が早い方だから、3月に入ったらぽつぽつと花を開くかな。この木が開花したら、道路が見える限り遠くまでピンク色に染まる日も早い。

朝食後、ワタシはしばしの読書。カレシは好天を待ちかねたように外へ出て行った。温室の北側の床に作ったプランターが冬でもレタスやほうれん草、からし菜といった新鮮な葉っぱものを摘み菜として収穫するほどの大成功だったもので、反対側の床にも作ることにしたらしい。改装工事の余りものの材木やら防水シートを持ち出して、ガレージの中で作業をしているけど、前からカレシなりに準備してあったとみえて、あれはどこだ、これはどこだと聞いて来ない。カレシの温室はポリカーボネート製のかまぼこ型で、幅が約2.5メートル、長さ約5メートルあるので、床置きのプランターもかなり大きいものを作れる。もちろん入れる土の量も相当なものだけど、これが昼の間に蓄積した熱を夜の間に放出して、ある程度の節電になるという効果もあって一石二鳥。

今日は仕事がないので、のんびりと州政府予算の発表を読む。去年はすごい大赤字だったのが、一転して黒字ってのは、何だかちょっと眉唾ものだなあ。法人税と年収15万ドル(1500万円)以上の高所得者の所得税が少し上がるくらいで、後は政府保有の資産を売却したり、歳出を大幅に削減したり、公務員を1200人レイオフしたりして帳尻を合わせるらしいけど、やっぱり何だか眉唾ものだな。まあ、5月に迫った総選挙では与党が99%負けることになっているから、最後まで責任を持たなくてもいいやという破れかぶれのいたちの最後っ屁予算だったりしてね。その予算だって、たった4議席の過半数では、何がどう転んで否決ということになるかわからない。左巻きの新民主党はワタシの支持政党じゃないけど、何だか今回はチャンスをやってもいいかなあと言う気分にさえなる。

選挙と言えば、次の連邦総選挙では議席の数が増えると言う話。カナダでは国勢調査の結果を元にして、選挙区の線引きをし直すことになっていて、人口の増減に合わせて、連邦議会も州議会もそれぞれに各選挙区の人口がほぼ同じになるように、分割したり、統合したり、境界線を移動したりする。国勢調査は5年ごとにあるから、選挙区の境界線はけっこうひんぱんに変わるわけで、長い間日本で違憲だとして法廷で争われているような「1票の重みの格差」といった問題は起こらない。国民の1票の重みが地域によって大きく違うと言う不公平は民主主義に反することだから、誰よりも選挙民が黙っていないと思うな。日本だって国勢調査をやっているんだから、選挙区の境界の見直しくらいできそうなもんだけど、たぶんいろいろに利権が絡むんだろうな。

不公平是正といえば、ブリティッシュコロンビア州では3月18日から「家族法」の改正法が施行されて、同棲カップルにも別れるときに法律婚と同じ財産分与の権利ができる。カナダではほとんどの州で税制や社会保障の上で法律婚、事実婚、同性婚の区別が取り払われたけど、改正法では「2年」以上「同棲」したカップルにもその間に取得した資産や相手所有の資産の値上がり益を半分請求する権利が認められる。おそらく2年が2人の関係が続くかどうかの平均的な節目ということだろうけど、男は同棲を相手の「オーディション」と考え、女は相手との「結婚へのステップ」と考える傾向があるという調査もあるから、デート市場はおもしろいことになりそうだな。(イジワルなおばちゃんだこと・・・。)

でも、結婚せずに事実婚の配偶者として永住権を申請する場合への影響はどうなんだろうな。カナダでは、1年間継続して「夫婦同然」の生活をすると事実婚のカップルとして、カナダ側のパートナーがスポンサーになって「家族」カテゴリーで永住権申請ができるので、相当数の日本人が利用しているらしい。だけど、1年の同棲を経て永住権を申請しようとすると、書類の準備やスポンサーの申請や何やらで手続きに1年くらいかかってしまう。つまり、BC州で申請すると、永住権が取れる頃には財産分与を受ける権利ができるわけで、そうなると同棲相手のスポンサーになることを躊躇する人が出てくることも考えられるな。まあ、どこまでの関係なのかが試されるようなもので、こっちの婚活市場もおもしろいことになりそうな気がするな。春は恋の花が爛漫の季節だけど・・・。

差し向かいのお風呂も乙なもの

2月20日。水曜日。目を覚ましたら正午直前。きのうはあんなにいい天気だったのに、今日は雨。週末まで雨。ま、春の雨は滋養の雨・・・。

きのうは力仕事をやりすぎたカレシ、体中が痛いと言いながらギクシャクと起床。ゆうべは久しぶりに2人でお風呂に入って、背中の汗をごしごし落としてあげたのにな。いつもはさっさとシャワーで済ませることが多いけど、たまには2人で熱いお湯に浸かるのもいいもんだ。

西洋風呂は基本がおひとり様の「個浴」だから、伝統的なバスタブはすごく浅くてまるで腰湯みたいな感じになる。でも、ジャクジーが小型化されてバスタブに組み込まれるようになって、それまではどれも同じに見えたバスタブのデザインが多様化して来た。中には寝室の中に据え付けるハリウッド映画みたいなのもある。ベッドインの前にロマンチックで贅沢なカップルの時間というところか・・・。

実は、我が家にはジャクジー付のバグタブがあったんだけど、ひとり用だし、ジェット噴流にもまれている時間もなかったので、めったに使うことがなくて、宝の持ち腐れ状態。そこで、改装のときに「ジャクジーもムードライトも不要。2人で入れる大きなバスタブ!」と注文。(お風呂の中で色が変わるムードライトって・・・。)元の場所に置けるサイズを探し回って、1人用だけど2人が向かい合って入れる幅があって、座って肩まで浸かれる深さがあって、端が背もたれのように傾斜していないものを見つけて来た。

深さに合わせてデッキの枠を作り直して、重くなるので下にセメントを流して、給湯タンクもひと回り大きい(250L)のに変えて、けっこう工費がかかったけど、ディマースイッチで照明をちょっと落として、テレビからもコンピュータからも離れて、背中を流し合って、のんびりと差し向かいでおしゃべりするもの乙なもの。ワインの一杯もあったらもっといいかなあ。いや、そんなものがなくても、ゆったりとしたクオリティタイムは2人でお風呂に浸かるだけでいいんだよね。