おかげさまで創業満22周年
2月1日。水曜日。ドンッ、ドンッという地響きのような音で目が覚めた。まだ午前10時前。へえ、マイクがパティオや通路の地ならしをしているのかなあと思いつつ、うとうと。時おりガーッとコンプレッサの音がして目が覚めて、静かになったと思ってうとうとしたら、またドシン、ドシン。窓がピリピリ、棚のものがカタカタ。とうとう11時過ぎに起きてしまった。外は絶好の工事日和・・・。
キッチンへ下りて行って、びっくり仰天。裏口のポーチの遮蔽壁がない。手すりもない。ドアを開けてそっとのぞいて見たら、階段までなくなっている。もちろん、ポーチの階段の改修はプロジェクトに入っていたんだけど、何で今?マイクが連れてきた2人息子のひとりが初めてなので、まず「これ、スコット」と紹介。最初に来たのは物静かなキャメロン君、次に来たのは農業の勉強をしていると言うアンドルー君。で、今日はアンドルー君とスコット君か。親父の指揮で黙々とシャベルを振るって土方仕事をするけっこうイケメンの息子が(少なくとも)3人。いやあ、チーム・フィリップスは金メダルものだねえ。
目を細めていたら、「ちょっとアイデアがあるんだけどね」とマイク。階段の方向を90度変えて、家の壁沿いにパティオに着地するようにしたら、そこから唯一残した池の石壁に沿ってガレージまで続く道のデザインがすっきりする。あはは、ポーチの階段、元は壁沿いに付いていたのを、池と滝を作ったときにガレージへのアクセスが不便になったもので、90度方向転換したのだった。つまり、また元の配置に戻るってこと。今日のカレシはちゃんと話を聞いて、ちゃんと質問をして、玄関から裏庭に回って実際に歩いてみて、「その方が合理的だと思う。じゃ、そうしよう」と賛同。ほ~ら、冷静に考えて合理的に話をすれば、普通の人は「何だ、こいつは」なんて思わないし、互いに聞く耳を持って話をすれば、たいていのことはうまく行くものなのよね。嫌なやつだと思われたくないという思考が先に立ってヘンな防衛線を張ってしまうと、自分が思っていることは言葉にしないで相手に推察させようとしがち。でも、相手は読心術者ではないから気持は通わない。けっこういるみたいだけどね、そういうおんぶに抱っこ式でコミュニケーションしようとして、わかってくれない、理解力がない、気遣いできないと相手の方を非難する人。ま、一種の責任転嫁なんだろうけど・・・。
早くも2012年は最初の月が過ぎ去って、2月1日の今日はワタシのフリーランス在宅ビジネスの創業記念日で、満22年。今日から23年目が始まる。早いもんだなあ。「家にいてできる仕事だから」と言うカレシに背中を押されるようにして旗揚げしたんだけど、1990年2月1日のあの日、出勤するカレシを送り出して静かな家の中で、ひとり設備投資第1号のマックの前に座ったワタシ、う~ん、どんなことを考えていたんだろうな。寒い日だったような気がするな。独り立ちはしてみたものの、いったいいつまで潰れずに続くのか、どれだけ長く続けられるのか、どれだけ仕事が入ってくるのか、急に仕事が来なくなったらどうするのか・・・そんなことまでは想像もできなかったような気がするけど、今となっては覚えていない。いったい、続けられなくなったとき、ありは続かなかったとき、どうするつもりだったのか。ふ~ん、リスク管理もへったくれもあったもんじゃないな、んっとに・・・。
それでも延々と22年もやって来られたのは、自分を「翻訳家」じゃなくて、翻訳と言うサービスを売る「ビジネスウーマン」だと自負していたからかもしれないな。フリーランスの在宅稼業というのは、カレシが期待したように家事の合間にちょこちょこっとやれるもんじゃない。キャリアとして生計は立てるなら、仕事の手が空いたときに家事や育児をするくらいでないと長くは続かない。両立できないと愚痴るよりも前にお客の方がいなくなってしまうのが現実で、主婦の小遣い稼ぎのアルバイト気分でやっていたら、どんなに才能があっても長くは続かないと思う。まあ、ワタシの場合は、英語が口達者だったのと、どんな仕事が来ても怖いもの知らずの強心臓でがっぷり四つに組んだのと、早くに「納期」は絶対だということを肝に銘じたことがプラスに働いたのだと思う。
カレシとのことや、倒産する前に自主清算するつもりでいながらその3日前まで何食わぬ顔で仕事を送って来て1万4千ドルの不良債権を残して逃げた客のことや、まあ、何かといろいろとあったけど、常に安定しない売上の22年間の累計は155万ドル。あのまま秘書稼業を続けていたらたぶん5、60万ドルがせいぜいだったと思うから、大学卒の「学歴」なしで飛び込んだワタシとしては、たいしたもんじゃないの、とほめてもいいかもしれないな。でも、ワタシにとっては稼ぎの多寡よりも、人との関わり方を学べたことが何にも代え難い報酬だと思う。まぶしいくらいな学歴や肩書き、職歴のクライアントや同僚がわんさといる中を犬かき泳ぎで溺れずにここまで来られたのは、そういう人たちとの出会いがあったおかげなんだけど、それも突き詰めて考えると、動機が何であれワタシの背中をごり押ししたカレシの「けがの功名」ってことになるかなあ。
ま、人生ってほんとにフォレスト・ガンプのチョコレートの箱のようなもんだな。箱の蓋のイラストはきれいでおいしそうだけど、開けてみないと実際にどんなものかわからないし、食べてみないとどんな味がするのかわからない。ワタシのはいろんな味がして、それぞれにおいしかったと言えるだろうと思う。やっぱり運が良いんだろうな。さて、もののついでということもあるから、いっそのこと切りのいい満25周年まで突っ走ってみる・・・?
同じ餅でも鏡餅とあんころ餅では大違い
2月2日。木曜日。工事の音で目が覚めることを想定して少し早めに寝たのに、工事よりも早い午前8時に道路清掃車の轟音で目が覚めてしまった。お化け掃除機に四輪を付けたようなものだから、まず音がすごい。それをのろのろ運転で走らせるから、轟音がいつまで経っても遠ざからない。これまで1年に2度、3度来るか来ないかだったのに、今年に入ってからたぶんこれで4度目か5度目。我が家の外の道路に週一で掃除機をかけている勘定になるけど、なんで?(今日は午後にも一往復して行った。ほんとに、なんで?)この調子だと、道路に落としたせんべいを拾ってそのまま食べられるくらいにきれいになるかも。ひょっとしたら、道路にゴミひとつ落ちていても気になってイライラするような人が市の衛生部に採用されたとか・・・?
やっと静かになって少しまともに眠れて、11時に起床。いつのまにか道路わきに砂利が配達されていて、アンドルーとスコットがシャベルで手押し車に移しては裏庭に運んで、通路に敷いていた。敷き固めた砂の上に雑草を通さないためのシートを敷き、その上に砂利を敷き詰めて行く。カレシが何年も自分でやる、やると言っていた作業だけど、見ていたらひとりで午後のひとときを使ってちゃっちゃとできるようなものじゃない。そのカレシ曰く、「自分でやらなくてよかったなあ」。午後にマイクがパティオに敷くコンクリートのスラブを持って登場。ここも砂の上に雑草除けシートを広げて、30センチ四方のダークグレイのスラブを、水準器を使いながらきっちりと敷き詰める作業。後でスラブの間に細かな砂を掃き込んで固定するんだそうな。カレシがパティオを作ってくれると約束したのはもう数年も前だったけど、実現しなかったわけがわかるような気がする。スラブをおけばいいってものじゃないのだ。ま、やっぱり餅は餅屋ということ・・・。
さて、今年度からカレシが経理を担当してくれることになって、ワタシが買ったままインストールせずにいた経理のソフトを自分のコンピュータに入れて、ワタシ会社の経理課ができた。毎月でもさしたる出入りのない微細ビジネスだけど、それでも会計処理はけっこうめんどうくさい。めんどうくさいから、ついつい帳簿付けをさぼっては売上税申告のときに数字がない!と慌てることになる。12月31日終了の2011事業年度はまったく帳簿をつけていないから自分でも呆れ果てるけど、そういうめんどうなことを月末に売上税の四半期申告の期限が迫ってカリカリしていたワタシを見かねた?カレシがやってくれるというので、これ幸いの渡りに船と俗に言う「靴の箱」に放り込んでおいたレシートやら請求書やらをハイッ・・・と思ったら、勘定科目表を設定するのに、何がどこへ入って、どこから出るのかといちいち聞いてくる。請求は売上と売掛金、入金したら銀行と売掛金、クレジットカードでオフィス用品を買ったら経費と買掛金、請求が来て払ったら銀行と買掛金・・・。
だけど、だけど、なんで?昔ベニスの商人が考案したというこの複式記帳法って世界の常識じゃなかったっけ?で、借方と貸方の帳尻が合うと貸借対照表というのが出てきて、ついでに損益計算書というのが出て、ビジネスが困るくらい儲かっているのか、赤インクの中に沈没しかけているのかがわかる、と。あのさ、アナタって、経済学と会計学の学位と会計士の資格を持っているんじゃなかったっけ・・・?カレシ、にっこりして曰く、「会計(accounting)と簿記(bookkeeping)は畑が違うんだ。ボクは会計士(accountant)であって簿記係(bookkeeper)じゃないから、帳簿のつけ方なんて大学で習ったけど覚えてないよ」。ふ~ん、餅は餅屋だと思ったけど、同じ餅でも鏡餅とあんころ餅の違いがあるってことか。
そうか、会計士だからって金勘定ができるってわけじゃないのか。つまり、簿記係は会社(自分)のお金の出入りを知っているけど、会計士は人さまのお金の使い方にああだこうだと意見をするのが仕事だから、必ずしも自分のお金の出入りを管理できているわけではないということか。それで、カレシも我が家の経理をワタシに丸投げしたわけか。なるほど。でも、たまには監査のひとつもやらないと、明朗会計かどうか(あんころ餅にちゃんとあんこが入っているかどうか)わからないと思うけど、いいの・・・?
英語の勉強が重要なのはわかっちゃいるけど・・・
2月3日。金曜日。今日はやかましい道路清掃車も来なかったし、マイクと息子たちも資材調達の寄り道で午前11時過ぎまで来なかったので、きのうの寝不足を少し取り戻した感じがする。起きたところでマイクたちが登場して、20分ほどで建材屋のトラックがれんがサイズの敷石と階段を作る木材をクレーンで歩道に下ろして行った。今日もいい天気の工事日和。
今日はまずちょっと小さめの英日の仕事をひとつ片付けてから、月曜日にねじ込まれた(と言うよりは、例によってワタシがつい食指を動かしてねじ込んでしまったんだけど)に取りかかる。これもなぜか裁判関係の書類だけど、内容はもっと人間味があっていい。月曜日からはまた先週までやっていた大きな仕事の(もっと大きい)第2弾と格闘しなければならないから、ぐずぐずしていたらまたぎりぎりになってしまいかねないもの。やれやれ。ストレッチのために立ったときに窓から裏庭をのぞいたら、息子たちが土方仕事をしているそばで、マイクがポーチの階段を作っていた。電動の鋸で2本の桁にジグザグと切り目を入れて、ポーチに取り付け、踏み板を取り付けるだけの簡単なものだけど、踏み板の奥行きを古いのより深くしてくれたので安全性もアップ。材料にヒノキの親戚のレッドシーダー(米杉)の心材に近いところを使ったので、ほんのり赤みがあって、ヒノキのようないい香りが漂ってくる。ピカピカの階段、歩くのがもったいないような・・・。
英日の仕事は小さい割には難しい単語がぞろぞろ出てくるから、最近愛用しているオンラインの辞書のやっかいになる。日本語を検索しているときは出て来ないので気がつかなかったけど、英語の単語を入れると、横の広告が並んでいるところにその単語の「学習レベルの目安」というのが出て来て、これがなかなかおもしろい。「レベル」を表す数字があって、その下に「学校」、「大学入試」、「英検」、「TOEICスコア」の各レベルが出て来る。試しにたまたま目に付いた「remainder」という単語を入力したら、「レベル」は7、「学校」は大学以上の水準、「大学入試」は最難関大対策レベル、「英検」は準1級以上合格に覚えておきたい単語、「TOEICスコア」は730以上取得に覚えておきたい単語、と出てきた。へえ、おもしろいと思って、もうひとつ原稿にあった「resumption」という単語を入れてみたら、レベル11で「英検1級以上合格に覚えておきたい単語」だって。え、英検て「1級」より上があったっけ?
まあ、じきに飽きて仕事に戻ったけど、誰がレベルを決めたんだろうな。お試しに入力した単語はどっちもちょっとかしこまってはいるけど、ニュースなんか聞いているとけっこう普通に使われているから、さっぱりピンと来ない・・・と思っていて、ふと気がついた。これ、日本で「ある試験のある級に合格するための目安」ということじゃないの。つまりは「お受験英語」の一種かな。ということは、英検は2級の試験を受けるんだから、TOEICは600点を目指しているから、どっちの単語も覚えていなくてもいいという理屈にならないのかな。要するに、「どこまでやればいいんだ?」という、まあ、力の出し惜しみのための目安のようなものか。そうなったら、せっかく勉強するエネルギーがもったいないような・・・。
そういえば、先週だったか日本の新聞に、文科省の教育政策の研究機関が中学3年生に英語学習について調査をした結果が出ていた。それによると、「どちらかというと」を含めて85%が「英語の学習が大切」と答えたそうで、「英語を学習すれば好きな仕事につくことに役立つと思うか」という質問には「どちらかというと」を含めると70%が肯定的で、2003年にやった前回の調査よりも23ポイントも増えていたとか。ほお、いいことじゃないの・・・と思ったら、英語が好きと答えたのは22%、どちらかと言えば好きと答えたのは30%。さらに、「将来、英語の勉強を生かした仕事をしたい」と答えたのはたったの11%で、逆に実に43%が「生かした仕事をしたくない」と答えたそうな。読売英語版では、「グローバル時代で英語学習の重要性はよくわかっているけど、英語の勉強をしたくないのか、するのがめんどうくさいのでしょう」と研究者がコメントしていた。なるほど、「わかっちゃいるけどめんどくさい」ということか。
でも、海外の大学への留学は激減しているそうだけど、町かどの語学学校にはまだまだ英語留学の日本人がけっこう来ているらしい。英語を話せたら、もっといい仕事につけるかもしれないと思って来る人が多いんじゃないのかなあ。特に近頃は求人の条件にTOEICのスコアが何点以上というのも増えているという話だし、「英語を使う仕事なんかしたくない」なんて言ってていいのかな。東京の大きな本屋には英検やTOEICの受験対策の本がずら~っと並んでいて、立ち読みしている人たちもずら~っと並んでいたけど、あれは中学校のときに「めんどくさ~い」といってまじめに英語の勉強をしなかったツケが回って来た人たちなのかな。「やれない、やらない、やりたくない」は後で高くつくということだと思うから、学校でちゃんとやっておいても、少なくとも損にはならないと思うんだけどなあ。
人間、どんなときでも息抜きはしないと
2月5日。日曜日。今日もいい天気で、(夜は冷えるけど)気温は右肩上がり。何だか厳寒のヨーロッパや日本に申し訳ないような。ワタシはよく眠れたけど、カレシは鼻水が出て、咳が出て、よく眠れなかったとぼやくこと、ぼやくこと。(でも、鼻水にイライラしてもむずからない努力はしているような感じだから、ありがと・・・。)ひょっとしたら風邪かなあ。インフルエンザの予防注射はしたんだし、特に蔓延しているというニュースもないから、風邪だとしてもただの鼻かぜだろうと思うけど。
それにしてもヨーロッパに居座っている大雪と寒波は桁外れに異常だな。東欧ではホームレスの人たちの凍死が多い。寒波の日本ではホームレスの人たちはどうしているんだろうな。河川敷や公園に青いテントが点々と見えたし、新宿の高層ビルに囲まれた公園の中を夜通ったら、昼間にはひとつもなかった青いテントがたくさんあってびっくりした。あの人たちはどうやって皇居のお堀に氷が張るような厳しい寒さをしのいでいるんだろうな。キリスト教社会で教会がよくやるように、たくさんあるお寺や神社が広々とした本堂や本殿を開放して、ホームレスの人たちが寝られるところを提供するということはないのかなあ。もしかしたら、ホームレスだと凍死しているのが見つかってもニュースにはならないのかな。だから、迷惑というレベルの問題ではあっても、社会問題とは思われないのかもしれない。Out of sight, out of mindということで・・・。
バンクーバーにもホームレスの人たちがたくさんいて、寒くなると市や福祉団体がやっている臨時シェルターや教会に収容する。特に寒波が来たときは、警察官や福祉団体の人たちがホームレス人口の多い区域を回ってシェルターに行くよう勧めて歩くんだけど、頑として拒否する人も多いらしい。理由はいろいろだけど、強制収容するわけには行かないので、そうできるような市条例を(左翼会派の市議会が)作ろうとしたら、「反貧困活動家」たちが、拒否する人を強制的にシェルターに連行するのは「拉致だ、人権侵害だ」と抗議したもので、条例案は結局そのままになってしまったらしい。いくら凍死させないための人道的処置であっても、成人である本人の意思に反して強制的にシェルターに引きずって行くのは、その人の自己決定権の侵害、人権蹂躙だというのはたしかに正論だけど、もしもそうやって拒否したホームレスの人が凍死したら、人権云々を掲げて反対した連中が、今度は警察や市や市民が見殺しにしたと、義憤やるかたなしとばかりにテレビカメラに向かって社会を糾弾する。いったい何をどうしろといいたいんだろうな、この手の「活動家」って。
さて、きのうは今日午後4時が期限の仕事があったのに、久しぶりのコンサートに行ってしまった。どうしようかと迷ったけど、月曜日からまた1ヵ月は雪崩の中に閉じ込められるから、ここで息抜きしておかなきゃと思って、仕事を放り出しておでかけ。テーマはロシア音楽。前半の3曲目はアレンスキーによるチャイコフスキーのテーマの変奏曲だったけど、ちょっと趣向を変えてバイオリンとビオラの奏者を全員立たせて演奏。普通は椅子に座っているから、弓の動きがきれいに揃って見えるけど、全身が自由になったら演奏スタイルの個性が出て来て、見ているだけでもおもしろい。直立不動のままの人、体が左右に揺れる人、前後に揺れる人、渦巻き型に揺れる人がいて、弓の方向もばらばら。でも、元々うっとりするような曲の表現上の「ひだ」が豊かになったように感じられて、ますますうっとりして聞き入ってしまった。
後半は『ピーターと狼』。近々ある子供コンサートで、大きなホールいっぱいの「教育ママにいやいや連れて来られた」子供たちの前で演奏するんだそうで、マエストロはナレーションを担当。「そのリハーサルのつもりです」とやって笑わせて、まずは登場人物と楽器の説明。副指揮者がオーケストラを指揮する中、小鳥はフルート、アヒルはオーボエ、ピーターは弦楽器、猫はクラリネット、おじいさんはバスーンで、「こわ~い狼」はフレンチホルン等々。マエストロがなかなかの役者なもので、みんないつの間にか絵本を読み聞かせてもらっていた頃の子供に戻ったような気分。これだったら、クラシックコンサートなんかや~だよ~とふくれっつらで座っている子供たちが相手でもぜったいに大丈夫だよ、マエストロ。
久しぶりのコンサートを満喫して、すっかり楽しくなって帰ってきたら午後11時ちょっと前。ずいぶんと気持が高揚したと見えて、ランチの後で放り出した仕事にかかったら、猛烈な勢いで、しかも楽々と進んだから自分でもびっくり。今日の納期には余裕で仕上がってしまった。『ピーターと狼』のロンドン初演は第二次大戦中のドイツ軍による空爆が続いていたときだったそうだけど、大人は戦争をしていても子供たちには楽しい時間を与えなければということだったらしい。うん、どんな非常事態が起こっていても、どんなに多忙であっても、人間は息抜きが必要なんであって、たとえ束の間であっても「楽しいなあ」とか「気持がいいなあ」と感じることでがんじがらめになっている心が自由になったら、難局を乗り越えられるだけの余裕ができるということかな。
なぜか急に風邪引きが2人
2月6日。月曜日。ゆうべは風邪気味のカレシとゆ~っくりとお風呂で温まって寝たもので、目が覚めたらなんともう午後1時。揃って9時間も眠った勘定で、カレシは一度だけ咳で目が覚めたけど、おととし東京から持ち帰った浅田飴が効いてすぐに眠りに戻ったとか。それでも、「キミがひどく咳き込んでいるときの辛さがよくわかったよ」とのことで、なんで今頃になってという感じもしないではないけど、人の痛みがわかるというのは人間の器に余裕があるということだと思うから、カレシも心にちょっぴり余裕ができたのかなあ。だったらいいね、少し生きやすくなるから。
だけど、今日もいい天気で、ポーチの温度計は12度なのに外は静か。マイクはまだ来ていないのか、それとも予定が変わったのか。裏庭の改修工事はあと2、3日で95%くらい終わりそうな感じだけど、週の後半はまた天気が崩れるとの予報だから微妙だな。と思っていたら、マイクから「風邪を引いた」とのメール。ありゃ。「子供が学校から持って来るんだよ」。あら、キャメロン、アンドルー、スコットの他に、まだ学校に行っている子供もいるの?へえ、マイクは子福者なんだ。ま、それはともかく今日は仕事は休み。お大事にメールを送っておいた。カレシと同時に風邪って、ひょっとして共通の感染源かなと思ったけど、ウイルスをやり取りするほど近くで過ごしたわけじゃないから、まあ、ふつうに風邪が流行っているってことか。
朝食が終わったらもう午後2時。ぐずぐずしていると夕食のしたくの時間になってしまう。今日から2週間の予定の仕事にかかる前に、電気料金、電話料金、ワタシの経費用のクレジットカードの支払。隔月で請求される電気料金は11月半ばから2ヵ月の1日あたりの消費量が87kWhで、去年の同じ期間の103kWhよりぐんと少ないのに、請求額は去年より多い。「向こう何年間で合計十何パーセントの値上げ」ということで、いつの間にかじわじわと上がって行く仕組みになっている。ま、うちは夜型の生活だし、暖房を含めてすべて電気で、おまけに冬は温室の暖房があるから高いんだけど。でも、使用量データが自動的に送信されるという「スマートメーター」を付けて行ったんだから、夜間料金とか深夜料金といった使用時間帯に合わせた料金体系にできるだろうと思うんだけど、そうなったら夜行性生活の我が家の電気料金はぐんと安くなるのになあ。ま、使ったものは払うっきゃないのはわかっているけど・・・。
支払のついでにちょこっとネットショッピングして(七分袖のTシャツばかり9枚)、裁判関係の仕事にかかる。今度のはスキャンした文書なので文字数はカウントできないけど、クライアントの推定では原稿用紙換算で100枚。とすると2万語くらいかなあ。でも、何しろページが真っ黒に見えるくらい漢字だらけの文書だし(英語の単語数が増える)、例によって「もっと直訳」の注文どおりにやったら3万語くらい行ってしまいそうだなあ。3万語を2週間でやるのはかなりきつい。でも、1枚目をやったところで、どうやらその先何十ページは元々英語の文書だったものを日本語に訳したものらしいとわかった。つまり、英語の原本がどこかにあるということだけど、ま、ことがことなので発注元は相手方に「原文をください」なんて言えるわけがないし、日本語が読めないから翻訳させるわけで、元が英語だということも知らないんだろうな。まあ、いわゆる「逆翻訳」というのは翻訳者にはけっこうおもしろくて、直訳に近いほど原文が訳文から透けて見えるから、用語さえ押さえれば意外に楽だったりする。英語の原文とワタシの英訳を比べてみることができないのがちょっと残念であるけど。
今夜のランチは、鼻づまりがして、声がおかしなカレシのためにスロークッカーで作る「何ちゃらサムゲタン風」チキンスープ。ママのチキンスープというのはユダヤ系の「コンフォートフード」(一種の「おふくろの味」かな)だそうだけど、これは高麗人参を入れてアジア風。だけど、たまたま冷蔵庫の引き出しにあった玄米の「モチ」を切って、トースターオーブンで少し膨らませてから入れてみたら・・・あちゃ、モチは跡形もなくなって、とろとろのスープになってしまった。あらあら。まあ、体が温まりそうでいいんだけども・・・。
わが子を殺して被害者を装える親
2月7日。火曜日。今日もいい天気。早寝したのに、外が静かなものでつい正午まで寝てしまった。マイクは今日も休み。明日あたりからまた何日か雨の予報なのを気にしていたけど、風邪が1日で完治するわけがないからしょうがない。カレシは鼻づまりが治ったけど、今度はドナルド・ダックが風邪を引いたようなかすれ声。声、出なくなるのかな。ここはあまりしゃべらないで喉の養生をした方がいいんじゃないのかな。(あんがい静かで仕事がはかどるかも・・・と、イジワルなことを考えるワタシ。)
朝食後のコーヒーを飲みながら開いた今週のMaclean’sには、オンタリオ州でのアフガン人移民家族の「名誉の殺人裁判」の特集記事。アフガニスタン、ドバイ、カナダと移動して来た一家の背景に始まって、事件に至るまでの数ヵ月は公表された事件の記録や裁判での何十人もの証人の証言から、刻々と日を追う形に組み、事件後の捜査の詳細や尋問での受け答え、検視医の報告などを、雑誌の半分くらいを割いて詳しく総括している。少女たちが何度もいろいろな機関に助けを求めたのに、制度の欠陥や判断の誤りが重なって、自由の国カナダは「自己決定権」を含めてその自由を享受しようとした彼女たちを救うことができなかった。裁判で検察側の証人として出廷した親族たちは今、一族やアフガン人社会から村八分に会っていて、身の危険さえ感じるという。ワタシは、父親と長男の揺るぎのない「歪んだ名誉観」に、読んでいるうちに恐怖で体が震えて止まらなかった。
裁判長が「冷血な殺人者」と評した父親は、沈んでいた車から娘たちの遺体が発見されたときに、テレビカメラに向かって愛児を失って悲しみにくれる親を演じて見せた。容疑がかけられた後もくるくると変わる嘘の数々。最後までその嘘が通じると思っていたふしがあると言うくだりで、あるジャーナリストが「真実は明かさずに相手が期待していることを言う文化なんです」と言っていたのを思い出した。(そのときは漠然とあの地域も「空気を読む」文化なんだなあと思っただけだったけど。)常に風景が変化する砂漠から生まれる文化なのかもしれない。そういう風景の中には「絶対的な真実」なんて存在し得ないのかもしれない。真実が存在しないから、根本的に「他人の目に映る自分」でしか自分の人間としての価値を測ることができないのかもしれない。よくわからないけど、わからないでもないような気もする。それも何だか怖い・・・。
今度の事件で、これから異文化に盲目的に寛容であることを善しとする、いわゆる「多重文化主義」に疑問を持つ人たちが増えるかもしれない。カナダ人であるということの意味を改めて問う人たちもいるだろう。この国には、どこから見たって普通のカナダ人で、カナダ人であることに誇りを持ちながら、民族のアイデンティティや誇りもしっかり持ち続けている人たちはたくさんいる。おりしもバンクーバーでは移民異文化や宗教に根ざした家庭内暴力の芽を最悪の事態に至る前に摘み取ってしまうにはどうしたらよいかという会議が開かれていて、ここでは「名誉の殺人」を「報復の殺人」と呼んでいた。まさに。男の専制支配に反旗を翻した、つまり男の(内弁慶的)プライドを傷つけた女への「報復」以外の何ものでもないと思う。たまたまそういう器の小さい人間たちが「不変」というもののないところで多数を占めたことで、そういう民族の価値観ができ上がったのかもしれない。だけどなあ、文化だの宗教だのと偉そうなことをいうけど、世界中どこにでもいるモラハラ、DV人間と変わらないじゃないの。人間としての器、ちっこいよ、ほんとに。
それにしても、どうしても、どうしても、どうしても理解できないのは、実の子供を自分の手で殺した親が、子供の行方がわからなくなった、一刻も早く無事で帰って来て欲しいとメディアの前で涙を流して見せられる心理。どうしてそんなことができるのか。日本でも前に何度もあったし、つい最近もあった。カナダでもあった。アメリカでもあった。ヨーロッパでもあるだろう。世界のどこでも同じことが起きる。いったい誰を、何を欺こうとしているんだろうな、あの人たち・・・。
幸せを2倍にするためにひたすらがんばる
2月8日。水曜日。正午に起きたら、予報通りの雨。カレシの声はだいぶ平常に戻ったけど、今度はワタシの鼻がむずむずする。し~らない。でもまあ、座業だから、風邪のひとつやふたつくらい何とかなるでしょ。だけど、一日ほとんど座りっぱなしでキーを叩いていたもので、背中が痛くなって来た。少しストレッチしなきゃ、と思い切り腕を伸ばしたら、ああ、二の腕も痛い・・・。
この2日ほど新しい方のPCとネットブックを新しいプリンタに接続しようとあれこれやっていたカレシ、どうやら成功したようで、「テクニシャンに出張してもらわないで済んだ」と鼻高々の顔。デスクの配置換えをした後に設定しようとしたときにどうしてもうまく行かなくて、癇癪を起こしたあげくにドライバをアンインストールしてしまっていたのを、思い直して(仕事に没頭しているワタシの後ろで)ごそごそ。難航したらしいけど、HPのサイトで調べたりしてやっと成功。これで4台のコンピュータ全部がひとつのプリンタを共用できるようになって、めでたし、めでたし。
と、思ったら、今度はスライドやネガをデジタル化するキカイをいじり始めた。何年か前のクリスマスにプレゼントしたものだけど、「そのうちに・・・」と使わずにいた。10年以上もボランティアでやってきた英語教室を「諸般の事情」で無期休講にしたところなので、手持ちぶさたになったのかな。我が家の旅行の写真はなぜかほとんどがスライドで、デジカメになるまでの20年分くらいあるんだけど、プロジェクタを処分してしまってからはいくつもの段ボール箱に入ったままになっていた。それをデジタル化しようというわけだけど、古いものは劣化が進んでいて、Photoshopで修正しなればならないとか。
スライドからプリントした写真のアルバムが見つかったと言って見せてくれたのが20年近く前の旅行の写真。「キミはちっとも変わってないねえ」。(おせじぃ~。)「ボクなんか、腹が出ちゃって」。う~ん、今のアナタの方が渋くていい男だと思うけどなあ(おせじぃ・・・なんかじゃないよ)。でも、なつかしいなあ。一緒の旅行の思い出が記憶からすっぽりと抜け落ちてしまったのはもう10年以上も前になる。自分ひとりのことはよく覚えているのに、2人一緒にどこへ行って何を見たのかは思い出せなくて、カレシが話題にしても覚えていないとしか答えられないのが辛かった。最近は断片的ばイメージを思い出すこともあるようになったけど、こうやって古い写真やスライドを見たら、2人の「楽しい思い出」が一気に蘇るかもしれないなあ。
仕事戦線は、ニューヨークから「今の仕事の後の予定はどうか」というメールが来て、ぎょぎょっ。このプロジェクト、仕事がわんさかわんさか入って来ているんだそうな。3月の半ばまで仕事、仕事で「生活する」時間もないと返事をしたら、「3月半ばまでダメだなんてすごく悲しいよ」と来た。どうやらこのコーディネータ氏、その頃を狙って仕事を送り込むつもりでいるらしい。カレシ曰く、「気に入られたんだよ。覚悟した方がいいぞ~」。まあ、仕事があってこそのフリーランス自営業なんだけど、この調子だと写真を見て思い出にひたる暇も、ブログでのんきにぼやいている暇もないかもしれないなあ。
カレシ曰く、「キミが好きでやっていて、やりがいを感じているんだったら、ボクは応援するよ」。でもなあ、こういうクランチタイムになると、ほんとに好きでやっているのかどうかわからなくなることもある。ま、一番確かなのは、お金は好きだってことくらいかな。そう、お金では幸せは買えないけど、今の幸せを2倍にしてくれるってね。引退してからの2人一緒の幸せを2倍にするつもりで、ここはとにかく、ひたすらがんばる!
風邪の特効薬は仕事とホットラム
2月12日。日曜日。相変わらずぐずぐずした天気。でも、起きてみたら、きのうよりは少し調子が良いような。見事にカレシからもらってしまった風邪。カレシは声が出なくなりかけたけど、かなり急速に回復中。ワタシも同じように軽く済むかもしれないと思っていたら、咳が出てきて胸がぜいぜい。とうとう軽い気管支炎の様相になってきた。やれやれ。それでも、どよんと重い頭やしきりとざわざわする背中から注意を逸らすつもりでひたすら仕事に没頭していたら、いつの間にか予定より先に進んでしまったから、我ながら呆れる。おかげで、今日1日は予定外の休養日。木曜日は1日わきめもふらずに仕事をしていたら、夕食後のコーヒーがマグに半分しかなくて、コーヒーメーカーが頓死したことが判明。なんでこんなときに!と思うけど、こんなときに限って何かが起きることになっているらしい。翌日の朝食のコーヒーはエスプレッソを入れて、ミルクを泡立ててカプチーノ・・・と思ったら、あら、泡立て用のポットでいくらやっても泡が立ってくれない。どうも乳脂肪1%のミルクでは泡が立たないことになっているらしい。おかげで朝のコーヒーは予定外のラテに。仕事が思ったより進んでいると言うことで、何となく園芸センター行きを予定していた金曜日の午後は、まず新しいコーヒーメーカーの調達ということになった。同じデパートだからということで、ついでに使い切った炭酸水メーカーのカートリッジも取り替えてもらう。さらに同じデパートだからついでのついでに切らしているワタシの化粧品も買おう。
その前に郵便局の私書箱からたまった郵便を引き取ったら、デパートの封筒。差出人が「社長」の名前になっていたのでピンと来てその場で開けたら、やっぱり。20ドルの割引カードが入っていた。(買い物をする前にチェックしてよかったねえ。)その足でデパートの地下に下りて行って、並んでいるコーヒーメーカーを見る。つや消しステンレスのクイジナートがやっぱりいいけど、12カップは大き過ぎ。フィルターは昔のドリップ用のよう三角のではなくてバスケット型じゃなければダメ。たくさん並んで入るけど実はさして選択肢がないのに、行ったり来たりしてああだこうだ。結局、コーヒーミルも磨り減って来たからということで、10カップのバスケット型フィルター使用、保温ポット使用で、コーヒーミルが付いているのを買った。豆と水をセットしておけば、自動的に豆を挽いて、コーヒーを入れてくれるから、挽き立てのコーヒーもこれ以上の挽き立てはない。
炭酸のカートリッジ2本を新しいのに交換して、クリニークのカウンターに行ったら、ボーナスタイムだって。いつものナイトクリームを2個買ったら、顔なじみになったリビーが伝票を2枚持って来て、「別々にお勘定したからボーナスパックは2つね」と思わせぶりなひそひそ声。お、うれしいね。いつもバッグやワタシが使わないアイシャドウや口紅はシーラとヴァルにあげるので、2つあると助かるの。(で、シーラは孫娘に、ヴァルは息子のガールフレンドにあげるらしい。)レシートと一緒に渡されたのが今度は25ドルの割引券。月末まで有効だから、何を買おうかなあ。
買い物の途中で園芸センターには行かないことにしたんだけど、結局金曜日のラッシュの中を隣町の園芸センターまでトラックを走らせ、重さが50キロくらいありそうなピートモスの巨大パックと、パーライトとバミキュライトの一番大きい袋。カレシは池を埋め立てた後の新しい菜園の準備を始めたくてうずうずしているらしい。金曜日の夕食は出かける前にスロークッカーにセットしておいたビーフカレー。日本のカレーはやっぱり日本のご飯で食べなきゃとストウブのポットでご飯を炊いて、2人して汗をかきながらたらふく食べた。(日本のカレーは盛大に食べなきゃおいしくないもの。)1人分にもならないくらい残ったカレーは夜のランチのカレーそうめんに化けた。
このあたりまではまだ元気いっぱいで、風邪のひとつやふたつなんてと粋がっていたんだけど、きのうの土曜日がたぶんピークだったのかな。頭はどよ~ん、耳の下はしくしく、体中がざわざわ、胸はぜいぜい、はれぼったい目はしょぼしょぼ。時々深呼吸しないと苦しくて、深呼吸すると盛大に咳が出る。でも、仕事はがんばったかいがあって、予定の2日くらい先まで進行。さすがにぐったりした気分になって、カレシが作ってくれたホットラムを飲んで、熱いお風呂で身体を温めて、バタンキューと寝てしまった。カレシのホットラムはラム酒とレモン、蜂蜜、シナモンを熱いお湯で割ったもの。ラムの代わりにブランディでもいいし、シナモンの代わりにナツメグやクローブを入れることもある。風邪を引いたときに熱々を飲んで寝ると、そこらへんの風邪薬よりも効き目がある。うん、今夜はホットブランディにしてもらって、風邪ウィルスにダメ押しするか・・・。
ちょっとリッチな気分のおうちバレンタイン
2月14日。火曜日。早くに猛烈な頭痛で目が覚めた。どうやら風邪の頭痛ではなくて、頚椎の古傷を傷めたときの頭痛。もう30年近くも前にベッドの中でくしゃみだったか咳をしたはずみに第二頚椎がずれて、元に位置に戻してもらうまで気が狂いそうな頭痛と吐き気に悩まされた。あれは何年後かの卵巣膿腫が破れたときの急性腹症の痛みなど足下にも及ばないくらいの過酷な痛みだったな。たぶん夜中に咳き込んだときにまたちょっとギクッとやったんだろうけど、頭痛は仕事の邪魔なので、買い置きのタイレノルのチューブを見たら、あら、有効期限2012年1月。中には10錠そっくり残っている。念のために買い置きして使わないでいるうちに期限切れ・・・薬いらずはいいことなのかもしれないけど。ま、ホットパックで温めてみるか。
今日はマイクが早めに来て通路に敷石を並べる作業の残りを急いでいた。「僕も息子もデートがあるから早く上がろうと思ってね」と。早々、今日はバレンタインデーだもんね。午後4時にはプロジェクトが95%くらい終わった感じ。あとはトレリスをつけて、階段に手すりをつけて、電気屋のロウルが来て小さな電気工事をしたら「竣工」。でも、おかげで何年も約束手形のままだったワタシのパティオができた。[写真]
裏口から階段を下りてすぐで、ちょうど小さいテーブルといすが置ける大きさ。頭上には照明があるから夜でも使える。階段下の桜の木はまだひょろひょろだけど、大きくなればキッチンの窓のグリーンカーテンになる。ま、いよいよこの夏は冷たいマティニのグラスを傾けながらの夕涼みができるかな。滝の水音を聞きながらのつもりだったのが肝心の滝がなくなってしまったけど、新しい菜園にイチゴを植えたら、もぎ立てをつまみながらデザートワイン・・・なんてね。[写真]
その菜園、今はまだ掘り起こした土の山だけど、「耕作面積」は一挙に3倍以上。左下の「岩」の反対側にある野放図な高山植物ガーデンを前庭にうつせば、菜園の面積はさらに広がる。トウモロコシだって植えられそう。塀に立てかけてあるトレリスを温室とガレージの前につけたら庭の工事は終わり。トレリスはパティオから見ると温室やガレージの目隠しになるし、菜園の端で日当たりがいいからきゅうりや豆類の栽培に使えて一石二鳥。カレシの胸算用は膨らむ一方で、ウォール街の「投機話」に似ていなくもないけど、ま、我が家は、カレシ、育てる人、ワタシ、料理する人・・・。
で、今日はバレンタイン。レストランはどこもバレンタイン・スペシャルで予約が1ヵ月以上前に埋まっているのが普通だし、予約をして行ったとしても流れ作業的な雰囲気でちっともロマンチックな気分になれない。ということで、バレンタインのおでかけはこの日じゃなければダメという恋人たちに席を譲って、レストランが「平常」に戻る週末に遅ればせでゆっくりやることにした。その代わり、冷蔵庫とフリーザーをかき回して寄せ集めた材料で思いつくまま「極楽とんぼ航空」の機内食ディナー。四角い揚げに鶏もものひき肉を詰めて蒸し、いっしょに蒸した豆腐にはイクラとめんたいこ。エビとイカのチリソース炒め。たけのこ、しいたけ、なるとの煮もの、ねぎとアサリの吸い物にうなぎの蒲焼ご飯。コース料理と違って、一斉にしあげるタイミングが難しいな。[写真]
仕事の追い込みに戻る前のひととき、今夜はテレビをつけないで、カレシがCDに焼いた懐かしい50年代のロックを聴きながら、ファーストクラスの空の旅を想像してちょっとリッチな気分。食後はスーパーで買って来たチョコレートの箱を開けて、ハッピー・バレンタイン!