リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2008年12月~その2

2008年12月31日 | 昔語り(2006~2013)
ADDの上はなんていうの?

12月16日。今日も寒い。ますます寒くなる。目が覚めたのはお昼。外には大小4台ものトラックが止まっていて、マンホールを開けて歩道のテントの中からなにやら作業中。あはあ、ワタシもカレシもぜんぜん目が覚めなかった。数人も人がいる仕事なのかどうかはわからないけど、flag personという、片側に「停止」、裏に「徐行」と書いた標識を持って交通整理する人はもっこもこに着こんで、がっちりとマフラーを巻いて、それでも丸くなって寒そう。気温は正午でマイナス3度・・・。

カレシが今夜の教材の準備を終えるのを待って、買い物におでかけ。カレシが「ついでにリサイクルデポに寄って行こう」というから、何ヵ月も貯めてあったリサイクルごみを集めて、後ろの座席に積んで、いざ、出発・・・というときになって、助手席側のドアがしまっていない。ああああ!案の定、キーを回しても車はうんともすんとも言わない。最後に使ったのは日曜日。カレシに代わってワタシが運転してきて、ワタシを先に下ろしてガレージに入れたのはカレシだった。ははあ、ドアをきちんと閉めなかったのはカレシ。前もその前もそうだったなあ。

さっそくトヨタの24時間サービスに電話してSOS発信。「30分ほどかかります」とのことで、待つことが苦手のカレシはトラックは大丈夫かなあとそっちの方へ行ってしまったから、ワタシは家の中に戻って物見櫓で見張り。30分経って、カレシが「来ない!」とふくれ出した。この天気ではトウトラックは大忙しでしょ。もういちどトヨタのサービスに電話して(猫なで声で)「先ほどお願いしたんですが・・・」。電話を切って「あと五分で来る!」 あれ、うちの前を大きなトウトラックが通って行くけど。「キーをよこせ!」 はいはい。

「この天気だからみんな忙しいんだよな」とガレージへ飛んで行ったカレシ、ものの1分もしないうちに「キーがない!」と駆け込んできた。あのさぁ、さっきよこせというからあげたじゃないの。ポケットにないの?「探したけど、ない!」 やれやれ。トウトラックを待たせておくわけに行かないから、予備のキーを渡そうとハンドバッグを開けたら、「あった、あった!」ポケットの底にぐしゃぐしゃ突っ込んであったティッシュの下にあったとか。そっか、またしても「中途半端の君」、ポケットの底まで手を突っ込まなかったんだ。やれやれ、さすがのワタシも堪忍袋の緒が切れる一歩寸前。んっとに、やりっ放しに中途半端って、あんた、ADD?

やっとのことでほんの数分先のリサイクルデポへ。エンジンをかけたままにしたおくはずが、着いたとたんにあっさりと切ってしまった。あわててかけ直そうとしたけど、車はだんまり。し~らない。やりっ放しに中途半端に上の空、ときたら、もうADDよりずっと上を行ってるかも・・・。

幸いなことに場所は市の清掃部の作業場。業務用のトラックを回してきてエンジンをかけてくれたけど、買い物は時間切れで中止。あのですねえ、人さまのやっていることにばっかり気を取られていないで、もうちょっとは自分のことに注意を向けられないもんでしょうかねえ・・・。

メタボ車もダイエット?

12月17日。雪、雪、雪。クリスマスシーズンなもので、ラジオまで「Let it snow. Let it snow. Let it snow」。外の電力会社の作業は、きのう暗くなってからも続いていたから、雪を予想して急いで完了させたのか、それとも、雪が降っているから「やめた」ということなのか、だあれもいない。飲料水の配達も、ごみの収集も、郵便配達も、ちゃんとやっているのに。どっちにしても静かでいい。雪に音を吸収されて、ピ~ンと引き締まるような静寂がすばらしい。ああ、これが冬ってものなんだ、という感じがして、子供の頃に母が編んでくれた毛糸の長靴下を履いていたことや、寝るときに足元に湯たんぽをいれてもらったことが、なんか唐突に浮かんでくる。このまま寒気が続いて、日曜日にまた雪が降って、うまく行けば(あるいは、へたをすると)クリスマスまで雪が残るかもしれないそうな。へえ。まあ、どこへも行かないでいいから、たまにはホワイトクリスマスも悪くないなあ。

モールまで旅行の書類を取りに行くついでに、郵便局で客先向けのカレンダーやクリスマスカードを出し、スーパーで緊急のものだけ買い出し。野菜はたっぷるあるけど、フリーザーの肉類が底をつきかけて、このままでは数日で「ふだん着」の食材がなくなってしまう。、雪の閉じ込められて「グルメ食材」の在庫を食べ尽くしたなんて、変な話だけど、今日はとりあえずということにした。幹線道路は塩と砂をまいてあるので、運転には支障なし。「臨時休暇」にした人も多いのか、交通量もぐんと少ないから、ふだんより楽々。だけど、ガレージに入れるのにひと苦労。「エンジンをふかしすぎると逆にタイヤが空回りするから、アクセルは軽く踏むのだ」というカレシ先生の指導で、ワタシが運転、カレシが押し役で、いちにのさんで、やっとバックでイン。エコーみたいな小さい車だからできる芸当。車のドア、ちゃ~んと閉めたよね?

クライスラーが北米に30ある工場を全部1ヵ月も停止するんだそうな。GMもフォードも青息吐息。トヨタもホンダも減産というから、近代工業の花形みたいだった自動車産業も厳冬の時代に入ったのかな。だけど、ある意味、自業自得のような面があることは否定できないと思う。なにしろ、好景気をいいことに、でっかい図体で燃費も悪い「メタボ車」ばっかり作ってたんだもの。乗る人間が肥満体になったから車も肥満体になったのかどうかしらないけど、ビッグスリーの車はとにかくデブのなだ。住宅地の道路では、両側に駐車していたらすれ違うこともできない。昔はこんなことはなかったから、まちがいなく車の方が太ってしまったんだろうな。まあ、買うほうも車で自己表現するようなところがあって、メタボ車で「タフなやつ」を誇示していたら、この夏の原油価格高騰。燃費なんか気にせずにひたすら太ってきたアメリカ車は売れ行きがぱったり。つまり、この世界的不況が
始まる前からとっくに青息吐息になっていたってことなんで、今さら「物乞い」ってのもなんだかなあと思うけど、何十万人が一斉に失業というのも経済にはちょっとばかりショックが強すぎるだろうから、そのへんが難しいところ。

それに引きかえ、やっぱり日本メーカーは北米生産のモデルでも経済性は抜群。我が家のエコー(トヨタ)なんか、タンク半分の20リットルでシアトルまで行って帰ってきたもんなあ。給油するのは年に5回がせいぜい。さすがにタコマ(トヨタ)はトラックだからもっとガソリンを使うけど、なにしろ週に2回くらいしか走らないから、買ってそろそろ1年というのにまだ1000キロも走っていない。給油なんかまだ3回くらいで、燃費の不経済性を使わないことでカバーしているような感じで、それでもビッグスリーのメタボ車だったらとってもこうは行かないだろうなあ。(トヨタはテキサスに作ったトラック工場の稼動開始を延期したそうだけ。)まあ、考えてみたら、思わぬところでみんな環境にやさしくなって来たというところかな。だったら、そんなに悪いことでもないかもしれないんだけど・・・も。

地球温暖化って、ほんと?

12月18日。ええっと、今日は冬日の何日目だっけ?初日はてんやわんやでも、みんなけっこう慣れて来るとみえて、天気予報でもニュースでもジョークのひとつやふたつが出てくる。おまけに先週は突然の季節外れの春の陽気だったというトロントも大雪ということで「ざ~まみろ」。

延期に次ぐ延期だった肉類の買出しにやっと出かけた。道路は塩で白っぽい。めったに雪が降らないバンクーバーには「除雪車」なんて便利なものがないもので、もっぱら雪が降り始めたらほぼ24時間体制で塩まきをやる。それで間に合わないときにやっと鼻先に除雪プラウを付けたダンプカーの登場とあいなる。大学に近いあたりは海に突き出しているせいか、南斜面の側でもうちのあたりよりは気温が低い。それでも、主要道路を使っていれば交通は「平常通り」。

モールにあるのとは別のスーパーで、まず魚のセクション。今日はマヒマヒがあった。珍しいものがあるとつい買ってしまうのがワタシの癖。次にラム、ビーフ、ポーク、チキンと肉のセクションを順に見て、ファミリーパックをどんどん仕入れる。ホリデイ用にレバーのパテを作ってみようと、チキンのレバーを仕入れた。次にフリーザーのセクションに回って、魚の側で久しぶりにお目にかかったオレンジラフィー。骨魚みたいなごっついご面相に反して白身は飛び切り上品。それから肉の側に回って、クリスマスのメインコースになるコーニッシュヘン。おや、いっしょに丸焼き用のキジをおいてある。北上川のほとりのホテルの窓から雉が川べりを歩いているのを見たことがあるけど、こうやって手にとって見ると、へえ、思っていたより小さい鳥なん。まあ初めてだから、とりあえず1キロちょっとの一番小さいのを買った。(クリスマスはこっちの方がいいかなあ・・・?)

カレシはあちこちに山と積んであるチョコレートやボンボンを仕入れる係を勝手に引き受けて、いろいろと買い込んで来た。それから、サフロンオイルを作るんだと本物のサフロン。スパイスのびんの中にパラフィン紙に包んだようなものが入っている。げっ、これで12ドル?代用のアメリカサフロンなら1ドルもしないけど、まっ、クリスマスだからいいってことにするか。ついでに、10キロ入りの融雪用の塩を買って、チェックアウトしたら、レジの人が「冬ごもりの準備は万端というところですねえ」と笑っていた。そう、まるで氷河時代の到来みたいだもんね。地球温暖化なんて誰かの空想じゃないのかなあ・・・

帰り着いたら、肉類を場所をとるトレイから外してパッケージし直して、フリーザーの中を整理して、全部収めるのに1時間半。フリーザーの中はマイナス二桁。手が真っ赤になって、温まってからも少々はれぼったい。(さてはしもやけ?)庭の池も氷が張って、夜だからモノクロになって、よけいに寒そう。今夜はマイナス9度だって・・・

冬来たりなば・・・

12月19日。日本は週末で、久しぶりに仕事のない週末。来週は祝日があるそうだから、うまく行けば、このままクリスマスまで仕事なしで行って、そのまま週末を過ぎたら日本は仕事納め。うまく行けば、新年の仕事始めまでず~っと仕事なしで行けるかも。うまく行けば、の話だけど、あんがい今年はうまく行く予感(もっとも、仕事に関してはワタシの予感はよく外れるけど・・・)。

カレシはクリスマスの日にごちそうを作りながら聞くんだと、ジャズのクリスマスミュージックをせっせとネットからダウンロードして「自分だけ」のCD制作に忙しい。奏者やスタイルによってまったく趣が違うのがおもしろい。自由に発想して生み出されたものを人がそれぞれに自由に「いいなあ」とか「なんだ、これ」と感じるのが芸術だもんね。「Art」の語源はラテン語の「ars」で「技」や「術」、「知識」のこと。カタカナで盛んに使われる「テクノロジー」も元を質せば「art」を意味する古代ギリシャ語の「tekhne」。要するに、artというのは(良くも悪くも)人間が生み出してきた技であり、術であり、知恵であり、知識。それをみんなひっくるめて「学び」なんだろう。

今夜はバンクーバー交響楽団のコンサート。曲目はモーツァルトのディヴェルティメントとメンデルスゾーンのシンフォニア第9番、そしてヴィヴァルディの「四季」。この冷え込みではイブニングドレスだと凍死しかねないもので、セーターにジーンズにブーツという、180度大転換の極端な選択。市内のどこよりも寒い大学構内の、ガラス張りの近代的なホールだから、こんな天気では肩丸出しのドレスなど着ていたら、いかに基礎体温が高めの肉食人種でも鳥肌が立ってしまう。だけど、せっかくだから、スワロフスキーのクリスタルで埋めた八分音符のブローチでおしゃれ。カレシが結婚してから25年で初めて自分で選んでプレゼントしてくれたアクセサリーという、由緒?ある大事な、大事な宝もの。

年末コンサートの恒例になった「四季」は年ごとにリーダーが違うので、解釈が違い、スタイルが違い、雰囲気がまったく違うのが楽しみのひとつ。ワタシが好きなのは「夏」と「冬」。「夏」はローラーコースターのような、急転直下で襲ってくる息詰まる嵐が好き。「冬」はピン、ピンと、氷の結晶がひとつ、またひとつと、触手を伸ばすように水面を覆って行く、あの「きりきりと締め付ける寒さ」の感触がたまらないし、その後の軒下のつららからぽつん、ぽつんと水が滴り落ちるような、「冬来たりなば、春遠からじ」の感触の心地よさもいい。今年のリーダー(バイオリニスト)はイギリスから来たダンカン・リッデル。ちょっとずんぐり型のおじさんだけど、おお、すごいエネルギッシュな演奏。最後の小節を弾き切ったとき、一瞬ホールはし~ん。ステージのミュージシャンは一瞬
「ン?」という顔。そこへ突如として拍手の嵐で、お客は総立ちになった。Standing ovationは最高の賛辞。すばらしい演奏にみんな魔法にかかっていたんだろうなあ。こんなことはめったにない、それくらいパワーのある演奏だった。

さて、真夜中の気温はマイナス10度。土曜日が今回の寒波のピークらしい。日曜日はまた雪模様で、火曜日は雨交じりの荒れ模様になるかもしれないとか。やれやれ。まあ、あしたこそはクリスマスツリーを飾らなくちゃ・・・

心待ちにする楽しみ

12月20日。土曜日の朝。最低気温はマイナス15度だったそうで、40何年ぶりとか。裏庭の池も滝の落ちるところを除いてほぼ全面的に氷が張った。滝も流れてはいるんだけど、びっしりと張った彫刻のような氷に覆われて水は見えない。ウィスラーへ行く途中のスコーミッシュの手前にあるシャノン滝が何年ぶりかで凍ってしまったそうな。水量の多い豪快な滝だから、さぞかし壮観だろうなあ。アイスクライマーが押しかけているらしい。ロッククライミングよりもスリルがありそうな・・・。

久しぶりにベーコンと卵でしっかり腹ごしらえをして、クリスマスツリーを飾る作業に取り掛かる。まずは玄関下の納戸からツリーを出すんだけど、ごちゃごちゃと詰め込んである段ボール箱を出さなくてはならない。例年のことなんだけど、腰をかがめての重い箱類の出し入れはちょっときつい。それでも、2メートル近いツリーを立てて、新調したLEDのライトを3本つないでぐるぐる巻きつけて、飾りをつける準備が完了。大きな段ボール箱にいっぱい、いったい何百個あるのかしらないけど、今年の新入りはシルクドソレイユのCORTEOのおみやげ。ガラス玉の中に実際にショーで使った衣装の切れ端がいろいろと入っている。(シドニーやシンガポールには年中観光土産のクリスマス飾りを売っているところがあるのかなあ。)

久しぶりにディナーにお出かけする予定が、また大雪注意報が出ているおかげで意欲が萎えてしまった。しょうがないから、今夜は「極楽とんぼ亭」でサタデイナイトスペシャル。どこかの国のおっかない飛び道具みたいだけど、ぶっつけ本番で何が飛び出すかわからないところは似たようなものかもね。朝食後にフリーザーから出しておいた材料は、5センチ角の鮭、10センチ足らずのちいさなイカ2杯、雉の胸肉。クリスマスツリーを飾りながら、ぼちぼちとメニューを考える。鼻歌のひとつも出てくる冬の日。これもまた楽しからずや。

やっとツリーも飾り終わって、カードもほぼ出し終わって、どうやらクリスマスを待ちかねるような気分になってきた。子供のときに両親はいろんな季節の行事を経験させてくれた。羽織の着いた着物を着てかしこまったお正月も味わいがあったけど、やっぱり何といっても心が浮き立って大好きだったのはクリスマスだった。家族でデパートに行くたびに「触らないで、見るだけ!」と母に言われ続けた「欲しいおもちゃ」のどれかがプレゼントとして登場したように思う。「欲しい」と意思表示しておけば、そのどれかをクリスマスにサンタクロースが持って来てくれると思っていたからこそ、「触るな」と言われて、けっこうおとなしく眺めるだけで満足していたのかなあ。子供のときの「何かをわくわくしながら心待ちにする」という経験が大人になってからの「待つ楽しみ」になったように思う。何でもかんでも「今すぐ」のナノ秒世代にはわからない楽しみかもしれないなあ。

日曜日は冬至。西洋のカレンダーには「立冬」がないから、冬至が公式の冬の始まりなんだけど、もう「冬」をたっぷりと満喫したような気がするなあ。真夜中に近いポーチの気温はマイナス5度。ゆうべと比べると寒気が緩んで来たような感じ。予報通りにまた雪が降り出した。また10センチくらいは積もるそうだけど、今年は久しぶりにホワイトクリスマスになるかな?

常識外れの料理人

12月21日。いやあ、壊れたレコードかエンドレステープかと思うくらい、「雪」。これはもう20センチではきかない。寒気はかなり緩んだようで、温室はヒーター1個で間に合うようになった。日本の方は月曜なのに静かなもので、日曜日と祝日の間だから休みなのかなと思ったら、そうではないらしい。ま、そんな規則があったら、ハッピーマンデイどころか四連休も大幅増で、いくら残業しても仕事が追いつかなくなってしまうよね(そうでなくても、みんなが深夜まで残業しなければならないわけがいまいちわからないけど・・・)。東京ではもうすぐ仕事納めだというのに、気温が20度近くあったんだそうな。もぅ~、それって、ぜったい、ふこ~へ~!

今日は目が覚めたときから喉が痛い。あくびをするのも痛いし、飲み込むのも痛い。な~んとなくざわついた気分で、「風邪かなあ」という感じがするけど、どうせ引くんだったら、今のうちに引いておいて、大旅行までに回復した方が得策なので、ここは「ま、いいか」。ワタシは子供の頃から病気慣れしているのかどうか、具合が悪くてもむずかったりしないから、看護しやすいはずなんだけど、カレシの方がおたおたするから困る。これくらいのことでで死にゃしないってば~。

さて、静かなうちに事務処理をやってしまおうと、まず請求書7枚ほど書いて送って、シドニー会議の参加登録をして、前夜祭のシドニー湾ディナークルーズのチケットを注文して、アメリカと地元の翻訳協会の来年の会費を払って・・・だけど、地元の協会は1年おきの継続教育のレポートの年で、仕事一辺倒のワタシはどんなに頭をがんばっても最低ポイントに遠く及ばない。どうしよう。困ったねえ。「フリーランス20年」の年季の方がものを言うことが多いから。いっそのこと自主退会しようかなあ。ま、あと10日でポイントが足りなければどっちみち退会なんだけど・・・。

とりあえず、「ま、いいか」ということにして、今日は鶏のレバーでパテを作ってみた。玉ねぎ、にんにく、ベイリーフと一緒に炒めたレバーを、こしょう、ナツメグ、シナモン、ポートワイン、醤油を混ぜてフードプロセッサでペーストにする。おお、なかなか乙な味だ。カレシもちょっと指先にとって味見して、「うん、うまい」。初めてにしては花丸かな。テリーヌの型に詰めて、チキンスープとバルサミコ酢のアスピックを流して、冷めたら冷蔵庫へ。ゼラチンの分量が心配だったけど、無事プリンプリンに固まってくれた。クリスマスのご馳走の準備は進むけど、その分「今日のご飯」の方がなおざりで、今日は牛のひき肉とフードプロセッサで挽いたイタリアンソーセージを混ぜてミートボールにして、残っていたトマトのパサタをどぼっとかけて、オーブン焼きしたものをパスタと合わせただけの超いい加減料理。ミートボールスパゲッティならぬ、名づけて「Spaghetti with screwballs(常識はずれのスパゲッティ)」。ソーセージのスパイスが効いて、かなりイケるできだったから、「料理」っておもしろい。さて、クリスマスイブにはバゲットを焼くのを忘れないようにしなくちゃ・・・

それにしても、雪は1日中降って、まだ飽きずに降っている。この調子だと、カナダ全国がホワイトクリスマスになる可能性が高いそうな。宇宙ステーションから、地図の形に真っ白なカナダが見えるのかなあ。国を挙げてのホワイトクリスマスは1971年以来のことだそうだけど、なにしろ日本の27倍も広い土地が真っ白になったらさぞかし壮観だろうなあ。まあ、森林地帯まで真っ白に見えるかどうかは疑問だけど、宇宙から眺めてみたい気がする。サンタクロースのそりが飛んで行くのが見えたりして・・・。

雪と格闘した1日

12月22日。やっと雪が止んだ!止んだことは止んだけど、どこもかしこも雪、雪、雪。前に降った分と合わせると30センチをゆうに超えていそう。広いカナダの西から東まで大雪と寒波だそうで、どこの空港もこの忙しい帰省シーズにキャンセルと遅延の続出。バンクーバー空港でも国内線の4、5時間の遅れはざらで、予定の便をキャンセルされて、もう2日も空港に寝泊りして乗れる便を待っている人たちもいるそうな。ほぼ40年ぶりの異常気象ということだけど、あさってはまた雪の予報が出ているから、このままでは空港でクリスマスを迎えてしまう人もいるかもしれないなあ。

そんなてんやわんやの状態なのに、注文してあった1年分のグルメ食材を取りに行くことになっていたので、大きな通りなら除雪されているだろうと高をくくって予定通りに出かけることにした。とりあえず、念のためにトランクにシャベルを積んで、ガレージのドアを開けたら、ブーツがすっぽり埋まる雪。やっぱり30センチ以上ある。車体の底よりも高そうだけど・・・。別のシャベルを持ち出して、ガレージ前だけ雪かきして、出発。出るのはOK。右に曲がって道路に出るのもOK。おお、何とかなりそうだ、と左に曲がって大通りを目指そうとしたところで、あ~らら。にっちもさっちも行かなくなった。前から車が来る。おいおい、とっても無理だよ。運転していた人が降りてきて、前からエコーを押してくれて、自分の車が通れるだけのスペースを空けて通っていった。やれやれ。エコーは相変わらずタイヤの空回りだけど、ワタシの後押しで何とか前進に成功。カレシはそのままどんどん行ってしまう。お~い!

レーンの反対側から入ってきた車が半分ほど来て、バックしようとして見事に立ち往生。降りてきたのは四軒隣のアントン。携帯で息子に応援を要請。そこへ同じ方向からカレシのエコーが姿を見せて、レーンに曲がろうとしたところで立ち往生。し~らない。アントンの息子のジェヴァンがシャベルを持って出てきた。おお、しばらく見ないうちに、まあなんとかっこいい高校生に!でも、見惚れているときじゃない。まず、カレシとジェヴァンが二人がかりでアントンの車を押して何とかガレージ入り。うは、ゴムの焼けるようないやな臭いがする。次はうちのエコーの番。アントンとジェヴァンにガレージの前まで押してもらって、そのまま前向きでイン。(勢い良く入ったので積んであった半樽のプランターに衝突したけど、ま、いっか。)アントン親子とクリスマスの挨拶を交わして、さて、当初のおでかけはどうしよう?

「散歩代わりに歩いて行こう」というカレシの鶴の一声で、おでかけに再トライ。どうみても片道3キロ以上ありそうだけど、久しぶりに気温が0度まで上がって手袋のいらない陽気だから、運動代わりにいいか。除雪をしていないところでずぼっと雪に埋まり、車道を歩けばわだちの跡に足を取られるから、ほんとうにいい運動。大きな通りに出て、二輪車も二本足も同じことと自転車専用レーンを歩けば、通り過ぎる車に雪水を引っ掛けられる。汗だくになっての行軍で1時間かかって川べりのビジネス団地にあるオフィスに着いた。川面は上流から流れてきた「流氷」がいっぱい。

注文品を二つのバックパックに詰めてもらって、また3キロ半の行軍。日が傾いて冷えてきたので、道路が凍り始めて危ない。それでも、二人ともけっこう重い荷物を背負って1時間ほどで無事に家に着いた。二人とも60代という年を考えたら、この徹底して歩きにくい雪道を転ぶことなく7キロ近い道を2時間で往復できたのは大したもんだよなあ、とお互いに称賛。おまけに、大汗をかいたおかげで、ワタシの引きかけの風邪も跡形もなく吹き飛んでしまった。もっとも、二人とも立ったり座ったりするたびに、あ、あ、あ・・・。明日は二人ともきっとコチコチだろうなあ。まあ、今夜はゆっくりと熱いお風呂につかろうね。

雪、もういいです・・・

12月23日。テレビのニュースによると火曜日現在のバンクーバーの積雪量は約45センチとか。バンクーバーでは10年ぶりのホワイトクリスマス。窓から見る風景も、出かけないですむ限りは、まるでクリスマスカードの絵のように幻想的。こんなに雪深いのは1971年1月以来だそうな。その頃のワタシは札幌にいた。その年だったか別の年だったか忘れたけど、さっぽろ雪まつりの開会の日、朝から抜けるような青空だったのがランチタイムの頃から急に雪が降り出し、どんどん雪が積もっていくのが見ていてわかるくらいにひたすら降った。夕方までの数時間でたぶん50~60センチは積もっただろうか。札幌のまさに青天の霹靂のドカ雪は石狩湾低気圧という特殊な現象が元凶だそうで、とにかく体験して見ないとわからないようなフツーじゃない降り方をする。あの時はバスが止まって、家まで2時間以上かけて歩いた記憶がある。雪まつりの開会式も中止だったような・・・

バンクーバーでは、トロリーバスが架線に雪と氷がついてダウンしまくっているらしいし、坂道を登れずに立ち往生するバスも多いそうだし、果敢に道路に出てくる自動車も、スリップ事故に追突事故に立ち往生。はやく言えば、市内の交通はマヒ状態。事故車を牽引するトウトラックの運転手が、「四輪駆動だから大丈夫という勘違いドライバーが多すぎる。雪と泥はまったく別ものなのに」と言っていた。そういえば、きのう車道を歩いていてすれ違ったSUVは、若いドライバーが(おそらくはいつもと同じ要領で)携帯を耳に当てて片手運転していた。雪道なんかで車の後部がスリップして左右に振れるのを「fishtail」というけど、普通のスピードで走り去った車はメタボなお尻を左右にふりふり。ふむ、どっかで事故ってなければいいけど、あいつ。

でも、この天気で最大の被害を被っているのは命がけのクリスマス商戦をやっている小売業だろう。幹線道路は除雪・融雪しても、横道で車が立ち往生して幹線道路まで出られない。我が家のあたりは徒歩で行ける距離にショッピングモールがあるから、バックパックを背負って買出しに行けるけど、郊外では車がなければそれもひと苦労だろう。書き入れ時に悪戦苦闘しているというのに、この雪で客足が減ってはまさに泣き面に蜂。航空会社も帰省シーズンのピークに飛行機を飛ばせず、おまけに空港で足止めを食った客たちに恨まれて、踏んだり蹴ったり。地球温暖化というのは世界中がいっせいに暑くなるような印象だけど、実は「気候変動」という方が正確なんだそうな。気候変動の特徴は嵐のような異常気象がますます異常になるということだから、この大雪もその兆候なのかもしれない。あるいは、単に周期的な一時期ということで、人生のある時期に不況に出くわすのを同じようなことかもしれないなあ。どっちなんだろう。

予報どおりにまた盛大に雪が降っている。今、カナダで一番雪が積もっている都市はどこだろう?実はなんとビクトリアなんだそうな。いつもイースターを待たずに咲き始めたすいせんの花を数えて、全国に「春一番乗り」を宣言するビクトリアが、首都オタワを2センチの差で抑えて全国トップ。なんと北極よりも1センチも多いそうな(って、ほんとうかどうかしらないけど)。プレゼントの配達に来たサンタが「なんでここにこんなに雪があるんだ~」とびっくりするだろうなあ。だけど、いざ雪が降るときは本気になって降るのがビクトリア。二人が住んでいた1980年の1月も40センチ以上も積もって、その中をワタシはホンダのシビックのお尻をふりふり買い物に出かけていた。まだ若かったあの頃は、雪道の運転は初めてだったから怖いもの知らずだったんだなあ。今になって思い出すと冷や汗が出るけど、あの頃は「今どきの若いもん」のひとりだったのだ。ふむ、人さまのことは言えないなあ・・・

クリスマスは全国津々浦々ホワイトクリスマス。でも、週末のバンクーバーは雨の予報。おお、このままで雪かきをしないですみそうだ。(北海道では「雪はね」と言っていたっけなあ。)さて、お次は融雪洪水のニュースの番・・・?

記憶に持続するクリスマス

12月24日。クリスマスイヴ。積雪量は1971年を超えて、とうとう1964年以来ということになってしまった。木に囲まれて降雪量が少なめの前庭でさえ、ものさしを突っ込んでみたら15インチ(38センチ)。塀の外は50センチ近くありそうで、徒歩でも無理、と買い物に出るのをあきらめて、篭城作戦。エアカナダは中短距離のフライトをほぼ全面的にキャンセル。ほんとに雪に降り込められたよう。それでも家の中から眺めていて気分が滅入らないのはクリスマスだからか・・・

毎年カードを送ってくれる小学校時代の同級生が高校の同窓会でいっしょになった小学校の同級生3人と撮った写真を送ってくれた。うわ~なつかしい~!商売をしている人、大学教授になった人、お医者さんになった人。3人ともみんないいおじさんになってるなあ。だって、みんなそれぞれ卒業して50年近い人生を歩んで来て還暦を迎えたんだもんね。卒業50周年のクラス会をやろうという話まで飛び出したらしい。ワタシ、絶対に行く、行く!

Merry Christmas to you all!

ホワイトクリスマス

12月25日。おだやかな、静かなクリスマス。1週間以上も続いた寒気がすっかり緩んだらしくて、積もった雪のきめがかなり粗くなっているのがわかる。でも、まだ銀世界。ときどきジェット機の音がするところを見ると、空港も機能を取り戻しつつあるらしい。でも、結局クリスマスに帰省しそびれた人は相当な数だろう。聞くところによると、札幌は吹雪で、かなりのフライトがキャンセルになったとか。向こうも年末の帰省ラッシュで忙しいだろうに、わかる、わかる。

カレシは朝食もそこそこにアイスクリームを作り始めた。まず、チョコレートを溶かして、ざっと刻んだしょうがの砂糖漬けをひとかけらずつにチョコレートでコーティングして、クッキーシートに並べる作業。溶けたチョコレートは(あたりまえだけど)熱い。なのに、味見をするつもりでひょいと指先を突っ込むから、アチチ。水で冷やして事なきを得たけど・・・。残ったチョコレートを少し冷やして混ぜチョコレートのアイスクリームに、チョコレートジンジャーをさくさくと混ぜ込んでフリーザーへ。なんかすごいグルメアイスクリームになりそうだけど、今日はデザートまで行けるかな?

キッチンが空いたところで、クリスマスディナーの準備にかかる。大雪のおかげで、今年はぶっつけ本番度はいつもより高いかなあ。今年はオードブルを冷製と温製の2種類に分けて、メインはコーニッシュヘン。フリーザーから出してあった食材を前に、冷蔵庫を何度もごそごそかき回してはああしようか、こうしようか。冷製は元々作らなくてもいいものばかりだから、午前4時半に焼き上がったバゲットを薄くスライスして、トーストして添えるだけ。温製のほうはそうはいかない。それでも、少量ずつなんだけど、かなりの量になるので、毎年恒例のオニオンスープは大晦日のメニューに回した。頃あいを見計らってメインコースをオーブンに入れ、そこまでの汚れものを朝の食器といっしょに食洗機に入れてオン。しばし胃を休める。

金曜日に入っている日本はあと1時間ほどで仕事納め。こっちの仕事も安全地帯に入って、いよいよ休みが取れるかと思いきや、大小2つのおきみやげは、年明け仕事始めのいの一番が納期。みんながそれくらい効率よく仕事をしたら、不況なんか何のそのだろうにねえ。ま、週が明けたらぼちぼちやるとするか・・・。

雨が降ってきたぞ~

12月26日。クリスマスの翌日はボクシングデイの祝日。発祥地のイギリスではそれなりに有意義な日だったんだけど、カナダのは「消費至上主義」の祝い行事みたいなもので、エレクトロニクスの店などはあっと驚く大安売りをするもので、まだクリスマスが終わらないうちから行列ができる。最近は有名ブランドの店も加わって大にぎわい。またまた朝から雪が降りしきる天気だというのに、不景気もなんのその、あるいは不景気だからこそ大安売りを狙うのか、えらい賑わいだったらしい。

いつもながら我が家はテレビのニュースを見て、悪天候を冒して夜中から並ぶ消費者の心理をあれこれ分析してみるけど、どうも毎年恒例の「大安売り」だからという客が多いんじゃないかという気がする。要するに特別に欲しいものを安く買うというよりは、「こんだけ安く買ったぞ」というところに意義があるらしいような感じがするから、消費者心理と言うのはおもしろい。売る方だって格好の期末の在庫一掃セールだろうし、特にモデルチェンジの激しいエレクトロニクスは、赤字覚悟でも在庫から消えてほしい商品も多いはず。ま、すぐに旧弊になる商品を一掃できる売り手も、とにかく超格安で買える消費者も、双方ハッピーなんだからいうことなしだけど、消費文化を象徴するような日である。

ワタシもカレシも食べ疲れというわけでもないけど、ボクシングデイはごろごろして過ごすのがいつものパターン。卵を使い切って、カレシの野菜もほぼ底をついたし、牛乳もあと2日分くらいになった。主食の食材はフリーザーにいっぱいだから、食べるだけならまだしばらくは篭城して高楊枝でいられるんだけど、明日かあさってあたりは何とかして必要最低限の食料を買いに出なければならないだろうなあ。蓄えが少なくなって来るのはやっぱり気になるもので、いつもよりは心なしか使い方を手加減していたりするから、極楽とんぼ「生活者」としての年季が入ってるなあと自分で感心する。まあ、戦中と戦後の「モノ不足時代」を生きた亡き母がいつもいろんなものを備蓄していたけど、ワタシもその母の娘だから、ふだんからそれなりの買い置きをする習癖はすでにあるんだけど・・・。

夜になって、うんざりするほど続いた雪が急に雨に変わった。今度は大雨警報。ドアを開けて外を見たら、じゃぼじゃぼ降っている。やれやれ。ラジオを聞いていると、幹線道路ではあちこちに巨大な水たまりができて車が通れないらしい。雨を含んだ雪の重みでスーパーなどの屋根が陥没したそうだし、バス停のシェルターの屋根が潰れそうになっているともいう。予報通りに40ミリもの雨が40センチも積もった雪を一気に溶かしたら、いったいどんなことになるやら。ラジオでは道路の雨水排水口の除雪を呼びかけている。すっぽり雪に埋もれた状態では雪解け水の行き場がない。家の構造によってはベースメントに浸水するところもあるだろうなあ。家の前の道路と裏のレーンにあるはずだけど・・・と、シャベルを持って出て行ったカレシ。まず排水口を見つけて、雪をかき分けて、水を誘導する水路?を作っておいたそうな。早く買い物に行きやすくなるといいけ
どなあ・・・

たわごとの言い納め1

12月27日。篭城5日目。予想されたほど気温は上がらず、大雨も降らなかったらしい。それでもポーチの温度計は針が何とかプラスの側にあるから、この調子が続けば積もった雪も少しは解けてくれそうだけど、週間予報を見ると元旦あたりからまた怪しげなアイコン。今年の残る何日かが買出しの機会ということかな。軽すぎるエコーは雪が消えるまで冬眠してもらうことにして、カレシは路上駐車で埋まったままのトラックの掘り出し作業。隣のパットはその隣のヘレンの家のデッキが潰れないように除雪作業。(ヘレンは独身の女医さんで、現在カナダ軍予備役軍医としてアフガニスタンに従軍中。)そこへアントンの車が月曜日と同じところでまた立ち往生して、救援に駆けつけたパットとカレシと、あら、「男の井戸端会議」・・・

力仕事はカレシに任せて小町を見ていたら、大学院の試験に落ちたという21才の大学生が「自分に不満だらけで苦しい」と相談しながら、どうもアドバイスには聞く耳持たずで、「ボクは一番でなきゃいやなの!」と駄々をこねていた。これから視野を、知識を、世界を広げて、人生を開拓して行くはずの若さで「一番の勝ち組」になることに人生目標が凍り付いているらしい。一見素直そうな態度だけど、他人に挑みかかるような、蔑むような視線が露骨で、人に「どうしたらいいでしょう」と聞いておいてそれはないだろうと、読んでいるうちに背筋が冷えて来た。仮想的有能感と失敗したことへのプライドの疼きや自己への不安感の板ばさみになっているのかなあ。でも、自分を肯定できないうちは難しいだろうし、まず肯定すべき「自分」というものがなければどうにもならないもんなあ。困ったねえ・・・

小町ではたくさんの悩める子羊たちが草を食んでいるけど、義母と義姉の顔だちが生理的に嫌で会食が憂鬱だという女性がいる。不細工どころか「普通の範疇に入る顔」だそうだけど、とにかく「生理的に」受け付けられなくて、まともに顔も見られず、食欲も減退するんだそうな。うはあ、本人は理屈ぬきで吐き気がするほど嫌なんだろうけど、人さまの生まれつきの顔をそんなふうに拒絶できてしまう心理はワタシには想像できないなあ。男と女の仲ならありえるかもしれないけど、やっぱり「成人性人見知り症候群」と言えるくらい異常じゃないかと思うけど、同情されているところを見ると、日本にはそういう大人が増えているのかもしれないな。この人はしまいに義母に似たらと思うと怖くて子供を生めないと言っているけど、ふむ、さすがの日本政府も少子化にこんな原因もあるとは考えたこともないだろうなあ。

小町その他の掲示板を見ていてときどき「ん?」と思うのが、「ワタシのような人っていますか」というトピック。悩みごとの一部始終をこと細かに書いて「ワタシのような人」って、「人それぞれ」が常套句の世の中でそうそう見つかるとは思えないんだけど、なんだか「自分探し」をしているようにも聞こえる。同じような悩みを持つ人とか同じような経験をした人というのなら、「同病相哀れむ」という言葉があるくらいで、何か役に立つ知恵を分かち合えるかもしれないけど、「ワタシ」と同じような人を見つけてどうするんだろう。まあ、友達や恋人についても、過去や現在の環境が違う、生活水準が違う、趣味が違う、価値観が違う・・・話が通じないから疲れる、めんどう、疎遠にしたいと、自分と「同じ」でないと交流を維持できない若い人たちが多いようだから、「ワタシのような人」を探し求めるのもその流れかもしれない。だけどなあ、もしもドッペルゲンガーが現れたらどうする・・・?

それにしても、今どきの若い日本人はとびきりのさびしがり屋らしいのに、他人については「生理的に受け付けられない」とか、「違和感がある」とか、「気が合わない」とか、総じて拒食症ならぬ「拒人症」みたいに見える。たぶんTQCの管理が痒くないところにまで行き届いた「飼育室」で、蝶よ花よと三つ星級の白手袋サービスで育てられたんだろうな。だから、外からの空気をそよと感じただけでふにゃ~と萎れてしまうらしい。昔は体力のない都会の子供を「もやしっ子」と言ったけど、今どきは精神的にもひょろひょろにやせ細った「もやしっ子」がはびこっているんだろう。やっぱり「成人性人見知り症候群」が蔓延しつつあるんじゃないのかなあ。それにしては、「何もかもが違う」の見本みたいな国際結婚にはなぜか違和感がないらしいけど、ま、それもちょっと
陽が陰っただけでへたっと萎れる花が多いらしい。こりゃ、もっと肥やしをやらなきゃ・・・

たわごとの言い納め2

12月28日。気温はプラス4度。やっとのことでトラックで買い出しに行って来た。クリスマスの四連休最後の日曜日でモールの駐車場はいっぱいと予想して向かいに路上駐車。雪が山になっているから、助手席側は降りるのがひと仕事。道路を渡るのも足元が滑ってひと仕事。大量の買い物を持って帰るのもひと仕事。一度には運べないから、ワタシが駐車場の端でカートの番をして、カレシがまず持てるだけ持って二往復。それから25セントが入ったカートを放置して、二人で残りを運んだ。やれやれ。でも、必需品はいつもの倍を仕入れたから、これでまた篭城しても当面は大丈夫・・・

小町で目に付いたトピック:「人生が順調にいく人といかない人の違いは?」 まぶしいほど「順風満帆」の人がいる一方で、見ていて切ないほど次々と不幸に遭遇する人もいるのはたしか。でも、誰かが書き込んでいたように、一生を平均したら「幸と不幸は同じ数」と言えるだろうな。若いうちに辛酸をなめる人がいて、人生の後半で壁に突き当たる人がいて、どっちの方がいいとは言えないし、その時々の対応も人それぞれ。「うまく行く運勢」があるのかと聞かれても、それはその人々のその時々になってみないとわからないから、まさに永遠の謎。

でも、人生にうまく行くときと行かないときはあっても、「順調な人生」というのはたぶんないと思う。人生がひとつの「航海」であれば、ひとたび出帆したら、大海は大波、小波、風波、横波、三角波。風だって順風と逆風がいつどっちに変わるかわからないし、大嵐も来るし、ときには凪というにっちもさっちも行かない状態にだって出くわすだろう。難破しないために、風を見て帆を操り、星空を見て方角を知り、六分儀で船(自分)の位置をはかり、目を凝らして水平線の向こうに陸地を探る・・・まあ、ロマンチックに言うならば、人間はいつも「大航海時代」を生きているってことかなあ。

それでも、いろいろな意見を総合してみると「うまく行く人」の特徴みたいなものがなんとなく見えて来る。「前向き(ポジティブ)」、「自分に自信がある」、「心が強い」、「人間が好き」、「住めば都型」、「ストレス許容度(鈍感力)が高い」、「柔軟」等など。逆に言えば、人生がうまく行かないという人は、どっちかというとおおむね後ろ向き(ネガティブ)で、自信がなくて、心が弱くて、人間嫌い、環境の変化に適応できず、ちょっとしたことがストレスになって、おまけに「理想」への思い込みが強いのだろう。だけど、人間は「できない」と思ったらそこで行き止まりだし、「失敗したくない」と思ったら新しいことには挑戦できないし、「人間嫌い」だったら凪で無風状態の大海を漂うようなものだと思う。人生がうまく行くかどうかは、どれだけ経験から学んで、いかに生かすかにかかっているのかもしれない。「苦労は若いうちに買ってでもせよ」と言われるのそういう意味なんだろうなあ。

前向きと言うのはうまく行かなかったことにこだわならいとうことだろうし、自分に自信を持つというのは自分を肯定することであって、決して傲慢な「自信家」になることではない。こだわらなければ柔軟に舵を取れるし、自分を肯定することができれば、他人と比べなくても良くなるから、新しい環境に適応しやすくなるだろうし、どんな人間でも相手にできるだろうし、順風をキャッチしやすくなるだろう。そうなったらストレスだってプラスのエネルギーになるんじゃないかと思うんだけどなあ。

じゃあ、ワタシの人生はうまく行っているのかというと、60年の人生にはそれなりに幸も不幸もいろいろあって、決して「順調」と言えるものではなかったけど、「うまく行った」とは言えると思う。若いうちに「幸」が多かったから、後になって「不幸」が来たのかもしれないけど、どうやら、適当に楽観的で割とへこたれない方らしいし、その時々に「運」も作用していたとしても、少なくともそれを「運」で終わらせない努力はしたから、沈没せずに大波を乗り切ったんだと思う。だって、いくらワタシだって、いい気になって盲めっぽう飛び回っていたら、壁や立ち木にガツンと衝突してしまう。実際にそうやって衝突して痛い思いをしたから、有視界飛行であっても持っている「計器」をみんなめいっぱい使ったほうがいいと学んだわけだけど。

たわごとの言い納め3

12月29日。四連休明けの月曜日は雨と風。雪が混じってみたり、日が差してみたり、突如あられになったり。マザーネイチャーよ、ちょっとどうかしちゃってるのとちゃうの?まあ、天上から見渡して、我が子の人類はとっくにちょっとどころかかなりどうかしちゃってるのを見たら、無理もないか。今度は年が明けるまで篭城になりそうだから、きのう調達した兵糧に次いで今日は酒蔵の手当て。夜遅くなら交通量は少ないと踏んでトラックを出したけど、冷え込んで堅雪になっているもので、道路の中央にできた2本の「レール」に乗るまでが大変。おまけにどの車も斜め駐車で1台しか通れないから、対向車が来ないことを祈るばかり。さんざん苦労して幹線道路まで出たら、今度は融雪水が凍りついてつるつる。やれやれ。あ~あ、早く「普通のバンクーバーの冬」に戻らないかなあ・・・。

今日から大晦日までは「平常営業」だから、ワタシもたわごとをほどほどにして仕事を再開した方がいいんだけど、納期はもちろん正月明け。今から来年のことをやってもなあと、あきもせずにたわごとばっかりぶつぶついってる。だって、何が言いたいんだかさっぱり要領を得ない文書を相手に脳みそを絞っているよりは、やっぱりぶつぶつとたわごとをほざいているほうがおもしろい。何を言いたいのかわからない要領の悪い文章でも自分のたわごとだから自分ではわかっているわけだしね。こうやってだらだらしていると、毎日が暇な暮らしもいいなあという気になってくる・・・と言いたいところをぐっと抑えて、まじめに仕事をしたほうがいいよねえ、ほんとは。

カナダでの初就職は1977年の秋だったから、一時的な転居で1年ほどの失業期間があったことを勘案すると「主婦兼業歴」は30年ということか。ママも義妹もカレシの友達の奥さんたちも、みんな当然のように仕事を持っていたから、「この国ではそうなってるんだ」と思って働き始めて、そのまま30年経ったわけだけど、今どきの日本では結婚が決まると働き続けるか、専業主婦になるか頭を悩ませるらしい。選択肢が限られていた時代から見ると羨ましい話だけど、国際結婚して夫に働けと言われて「思いやりがない」と憤懣やるかたない撫子たちも多いところをみると、平成の女性は「男は稼いで妻子を養ってなんぼのもの」と思っているらしい。「変われば変わるほど何も変わらない」というけど、浦島さんもびっくり仰天の変わりようの日本も本質的には何も変わっていないってことかな。「働く主婦」と思うから疲れるのかもしれないし、元からバイタリティそのものがないのかもしれない。どっちでも夫婦のライフスタイルに合う選択をすればいいのに思うんだけど、そこが日本人、「専業主婦」対「兼業主婦」に分かれて延々と「どっちがエライ」論議・・・。

日本語に「主婦」という言葉が登場したのは明治時代の終わり頃らしい。平成時代も20年を超えようと言う今からみたら、前の前の前のもう相当な大昔の時代。でも、主婦の全盛時代は高度経済成長下の「一億総中流化時代」だったんじゃないかと思う。男は企業戦士として昼夜を別たず日本経済のために働き、女は家庭(銃後)を守って子供(未来の企業戦士)を生み育てる・・・なんだ戦争中の思想そのままみたい。カメレオンは外の色は変えても、中身は元のカメレオン・・・と。

日曜日のジャパンタイムズに、東京都の人口が来年中に1300万人を突破しそうだという記事があった。予想より5年も早いペースとか。国の人口が減少傾向なのに巨大都市の人口がどんどん増えるって、東京はすべてを吸い込むブラックホールなのかな。おまけに「東京人に非ずんば人に非ず」と、人も企業も一流でありたいがためにこぞって東京を目指し、地方経済は崩壊寸前。就職先がなくなって、ますます東京に人が流れる。中国で起きた「盲流現象」は日本ではとうの昔から「出稼ぎ」と言う名で起きていたけど、出稼ぎの人たちには帰る家があった。これからは製造業が集まる地方で「余剰人員」になって失業した帰る家のない人たちも仕事への期待をかけて東京に向かうだろうなあ。でも、別の新聞には派遣やフリーターの収入では東京では生活できないという記事があった。人が集まれば住宅や物資への需要も増えて値段も上がる。超低所得層は「庶民
の暮らし」からさえ押し出されて底辺化される。東京にリオやジャカルタにあるような巨大なスラムが出現しないと言い切れるんだろうか。

やっぱり少しばかり気合を入れなおしてぼちぼちと仕事をしようかな・・・

たわごとの言い納め-終

12月30日。日本は大晦日の夜で、2008年も残すところ数時間だけど、こっちはまだ丸々24時間残っている。いつも日付変更線のこっちと向こうで仕事のやりとりをしているのに、カレンダーの変わり目だけはやっぱり少しばかり「ん?」という感じ。カレンダーのなかった頃は、まあ、地球が丸いと言うこともわかってなかったから、みんなそれぞれの居場所でそれぞれの行く年を送り、来る年を迎えていたはず。太陽暦が普及するまでは、地球のあちこちでそれぞれに特別な意義を持った「新年」が祝われていたんだから。近代の新年は人間が地球上に勝手に作った「時間帯」で、まるでドミノを倒して行くように、次々と明けて行く。イームズ風の映像にしてみたらおもしろいだろうな。

今年もいろんな「新日本語」を覚えた。ビジネス文書の「ら抜き言葉」は日常茶飯事になって来たけど、最近初めて「さ入れ言葉」にお目にかかった。昭和時代の旧日本語を母語とするワタシの耳には、「ら抜き」はただ間が抜けて聞こえる程度に慣れたものの、「さ入れ」はさすがに「は?」という感じがする。敬語のつもりで使っているらしいけど、響きががいかにもぎごちない。日本語に限らず、言語は常に変化する生き物だからしかたがないとしても、どんどん「新日本語」に変化してくると、言語業のワタシは追いつくのが大変。おまけに自分の日本語の自信が揺らいでくるから困る。取得した外国語の能力は母語を超えられないのが真実だとすれば、母語である日本語が低下すれば、「主言語」になっている英語も低下するってことになるじゃないの。いわゆるセミリンガルになるようなもので、それじゃあ商売上がったり・・・

新日本語で笑ったのが「おねだり」。子供にまで「お願いする」という媚びた表現はいやらしいけど、これは今どき女性のしたたかさが現れていると思う。どうも、セレブ雑誌がイケてるコはダーリンに高価なプレゼントをかわいく要求すべしと読者に刷り込みしているらしい。はて、「おねだり」といえばかわいく聞こえるから、男は鼻の下を伸ばしてブランド品を買ってくれるということなのか、あるいは幼い子供が親を試すように「愛しているなら買ってくれる」と相手のふところと器を試そうと言うことなのか。昔の江戸の大奥では、床の中で将軍様におねだりするのは「幕府を傾けかねない」と、きつくご法度だったそうですが・・・。

「仮想的有能感」という言葉もローカルの掲示板を読むのに役立つ新日本語。まあ、人間には誰でも自分が他人より「上」と思うことで自信を持とうとする心理がある。でも、この仮想的有能感というのは、「自分以外はみんなバカ」と他人を見下すことで自尊心を保とうということらしいから、かなりネガティブな感情なんだろう。ローカルの日本語掲示板で、自らカナダに来ることを選んだはずなのに期待外れが大きかったのか、カナダは何もかもいい加減で、遅れていて、後進国で、カナダ人の人間性はひどいもんだとこき下ろし、それに比べて日本はエライ(=自分は日本人だからエライ)と礼賛する人たちの心理にこの仮想的有能感が全開になって出ている。昔、日本人の精神年齢は12歳と言った、かのマッカーサー元帥が見たら何歳と評するかなあ・・・?

つい最近は「カナダ嫌い。みんな死んでしまえばいいのに」と書き込んだのがいた。日本人向けの日本語の掲示板にそんなことを書いて何の意味があるのか疑問だけど、日本語だからこそ言いたい放題を書き込めるんで、英語掲示板でカナダ人相手にやれといってもやらないだろう。でも、カナダの公安諜報機関に日本語に堪能なスタッフがいるかもしれないから、秋葉原事件のこともあるし、「テロリスト」と一緒にされないように気をつけたほうがいいかもね。もっとも、なぜかこの手のトピックが決まって日本人同士での互いのあら探しやバカ呼ばわりのこき下ろし合戦になって終わるところを見ると、カナダへの実害はなさそう。野次馬の目で読めばエンターテインメントだし、本人たちも「日本」という金魚鉢の中で気分すっきり、と言うことならいいんじゃないのかな。まあ、いつまで実体のない自信を振りかざしていられるかは本人しだいなんだし・・・

日本は紅白歌合戦が盛り上がっている頃かな。ワタシもたわごとはこの辺で言い納めにして、まじめに仕事モードに切り替えよう・・・

おおつごもり雑感

12月31日。大晦日。予報に反して日が差している。この分では12月の降雪量89.7センチの記録を更新するのは難しいだろうな。あと7ミリのところまで降ったそうなのに、残念と言うべきか、やれやれと安堵すべきか。テレビのニュースは世界各地の新年の花火の映像が盛りだくさんで、年越しのシャンペンを抜かないうちからなんとなく正月気分。あんがい、子供がいないと自分の老いに鈍感なのと同じで、家族を連れて訪ねてくる子供がいないから、年を取るにつれてこういう年中行事は意味を失って行くものなのかもしれない。まあ、ご馳走を作って食べるいい口実ではあるけど。ということで、とりあえずロゼのシャンペンを冷蔵庫に入れておく。

還暦を迎えたワタシにとっては2008年もまずは穏やかな1年として無事に過ぎていった。カレシ火山の大爆発から丸10年経って、荒れた山腹もすっかり新しい森に覆われたというところかな。10年ぶりの日本は「異郷」として楽しんできたと思うけど、カナダが居場所になってからの年月の方が長くなる一方だから、それもありだなあと自分流に納得がいった。カレシも65才になって「senior citizen」、通称「シニア」と呼ばれる年齢層に入った。日本語は「高齢者」という訳を当てているけど、「中年後期」とか「熟年」といった方がふさわしいくらい元気な世代。日本語の「熟年」の定義はよく知らないけど、日本ほど細かく年齢層を分けないから、当人が感じる「精神年齢」でいいってことにしよう。カレシは組合年金に公的年金が2つ加わって、30%もの収入増で左団扇。現役のワタシが「百年に一度の大不況」の大波をかぶったら、ぬくぬくと養ってもらうぞ~

農耕文化では正月は農閑期の最中だから、特に何日もかけて「遊びだめ」をする習慣ができたのかもしれない。でも、子供の頃には「正月早々に○○すると・・・」と、三が日の行動でその1年の結果が決まってしまうようなことを言われて、少々おっちょこちょいだったワタシはお正月早々から失敗をやらかさないようにと、なんとなく緊張した気分で過ごしたような記憶がある。だからそんな足かせのないクリスマスの方が楽しめたもので、未だにクリスマスが好きなんだろうな。まあ、フリーランス稼業になってみたら、盆暮れも正月もなければ週休2日制なんてものもない。一種の狩猟文化に飛び込んだようなものだから、「正月早々からねじり鉢巻で仕事」というのは「1年間仕事にあぶれない」という幸先のいいことなのかもしれないなあ。

たわごとのおまけにおもしろい誤変換の娯解釈2つ。

短期(短気)な性格 - 何を始めてもすぐに辞めてしまう性格
自給(時給) - フリーランス稼業の所得

さて、2009年は今どのあたりまで来ているのかなあ・・・