尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

ルーマニア映画「エリザのために」

2017年02月19日 21時05分43秒 |  〃  (新作外国映画)
 映画を見て感動に涙するのも悪くはないけど、最近は感泣を売り物にする映画が多すぎる。映画を見ても、感動というよりもイラつきを覚えるような映画も大切にしないといけない。そういう映画を紹介したいと思う。ルーマニア映画「エリザのために」は、そんな映画の典型。ルーマニア映画を代表するクリスティアン・ムンジウ監督(1968~)の2016年作品。昨年のカンヌ映画祭監督賞受賞。

 ムンジウ監督作品は前にも見てるが、カンヌ映画祭受賞というだけあって、確かな演出の力でどんどん見てしまう。僕はヨーロッパの小国の映画が昔から好きで、北欧や東欧の映画をかなり見ている。ルーマニア映画は少ないけど、何本か見ている。この「エリザのために」は、現代のルーマニアを扱っているが、数年前に見た「私の、息子」のちょうど反対のような映画になっている。

 「私の、息子」(ベルリン映画祭金熊賞、2013)は、交通事故を起こした息子の罪をもみ消そうと奔走する母親の医師を描いていた。一方、「エリザのために」の方は医師の父が娘のために奔走する。父はルーマニアに絶望していて、娘をロンドンに留学させたい。そのために大切な卒業試験の前日、学校の門前で何者かに襲われる。娘のショックは大きく、翌日の試験がうまく行くかどうか。そこで父は学校に、警察に…とどんどん掛け合って「特別扱い」を求めていく。

 彼の家庭はうまく行ってなくて、実は当日も愛人のところで事件を知る。父親は1989年のチャウシェスク政権崩壊後に帰国した世代。ルーマニア再建に尽力したいと帰国したのに、思いは報われなかった。だから、娘は何とかして外国へ行かせたい。せっかく優秀な成績を残してきたのに、こんな事件で台無しにされてたまるか。本人のせいではないんだから、特別措置があってもいいはずだ。

 そう思っているのである。知人らしい警察署長から副市長が移植心臓を求めている、順番で配慮できないかと言われる。副市長に接触して何とかするというと、今度は試験の点数を変えてくれるという有力者を紹介される。こうして、娘のために「不正の連鎖」に追い込まれていく。だけど、その姿勢はかえってエリザからは疎ましく思われている。当日も学校正門より前で車を降りていた。父は愛人宅に行くため、その方が良かった。だけど、実は娘の方も付き合っている男と朝会う約束をしていた。不正をしてまで外国へ行くより、今付き合っている男と一緒にいたいという気持ちも捨てきれない…。

 一人娘を愛していない父親は世界中に誰もいないだろう。この父の行為も、一つ一つは理解可能なんだけど、だんだんどうしようもない現実にがんじがらめになっていく。その様子が実にリアルに描かれている。特に非難するわけでもないんだけど、ずっと見つめていく中で「深みにはまる」という言葉がリアルに描かれる。「コネ」というものは世界中であるだろう。もちろん日本にもある。だけど、日本では一応公的な数字は動かせないだろう。例えば、センター試験の結果は後から変えられないと思っているはずである。ところがルーマニアではコネで不正が可能なのか。

 ルーマニア社会の実態を告発しているんだろうけど、映画でも後半には副市長を捜査する検察官が登場する。ルーマニアにはそういう不正があるのかもしれないが、それを告発する映画を作る自由がある。これは非常に大事なことで、昔アメリカでベトナム戦争を告発する映画がたくさん作られたが、それからアメリカの新しい文化が起こっていった。ここまで自国の不正を告発する映画をアジアやアフリカで作れる国がどれほどあるだろう。ルーマニア映画はいろいろな映画祭で最近よく受賞している。チャウシェスク独裁からEU加盟まで、30年の間に社会が様変わりしたルーマニアだけに、あちこちに矛盾と不正が残っているのだろう。だけど、このような映画を作る新世代が登場している。

 クリスティアン・ムンジウは、2007年の「4カ月、3週と2日」でカンヌ映画祭パルムドールを取った。チャウシェスク時代の妊娠中絶事情を扱った映画で、恐ろしく暗い映画だけど、これが最高傑作だと思う。2012年の「汚れなき祈り」もカンヌで脚本賞、女優賞を取った。これは信仰を扱って、僕にはよく判らない映画だった。カンヌが発見した監督と言っていいけど、手腕は確かである。やはりカンヌで評価が高いミヒャエル・ハネケやダルデンヌ兄弟の映画作りに似た感じもある。ただ、ルーマニアの国情がテーマだけに、日本では一般受けしないだろう。
 
 父ロメオを演じるアドリアン・ティティエニは、「私の、息子」でも父親役をしていた。ルーマニアの俳優である。娘エリザはマリア・ドラグシという女優で、ハネケの「白いリボン」で聖職者の娘だった人という。そう言われると思い出すが、なかなか有望な若手女優として注目すべき存在。ルーマニアに関心がある人は少ないかもしれないが、僕はこういう映画がちゃんと公開されるのは大事だと思う。世界事情を知るためにも見る価値がある。東京では新宿シネマ・カリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町で上映中。
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