尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

レイモン・ラディゲを読む

2019年05月19日 22時54分02秒 | 〃 (外国文学)
 フランス文学を相変わらず読んでいて、レイモン・ラディゲ(1903~1923、Raymond Radiguet)を初めて読んだ。わずか20歳で死んだが、残した2作「肉体の悪魔」「ドルジェル伯の舞踏会」で永遠に読まれ続ける伝説の作家である。若い時は何となく敬遠してたんだけど、今でも生き生きとした同時代小説であることにビックリ。「夭逝」「神話」「奇跡」と言った言葉がこれほど似合う作家は他に思いつかない。

 今読んでも、素晴らしく面白くて、今でも衝撃的だった。「ドルジェル伯」を先に読んだんだけど、ここでは発表順に「肉体の悪魔」から。翻訳も数多いが、最近よく買ってる光文社新訳文庫の中条省平訳。この小説は「早熟」の恋愛小説として知られている。何しろ主人公の「」は小説の始まりで15歳。相手役の「マルト」は19歳である。しかもマルトは婚約中で、すぐに結婚する。夫のジャックは兵士で第一次世界大戦に従軍している。出征中の兵士の妻の「姦通小説」って、あまりにも大胆不敵。それも男の方がずっと年下なんて、すごい設定だ。しかし、これはラディゲの実体験なのである。ホントはラディゲ14歳で、相手のアリスは10歳年上の24歳というんだから、現実の方がぶっ飛んでいる。

 そんな状態で学校はどうなるんだというと、ラディゲ本人も小説内の「僕」も途中で(日本で言えば高校一年で)退学している。そのまま詩を書いたりしてコクトーなど文学仲間に認められ、大戦後のパリ文壇の周囲で暮らしたのである。「肉体の悪魔」は16歳で書き始め、18歳で書き終え、1923年20歳で出版された。背徳的な内容に批判も多かったようだが、文学賞も取って認められた。親もいるしお金もない二人が一体どうやって会い続けるのか。それは小説の読みどころでもあるが、なかなかスリリングである。そして二人はまさに「肉体」の愛に取り憑かれてゆく。ちゃんと性的に結ばれた描写もあるし、その後も夜に彼女の部屋を訪ねている。避妊手段がある時代じゃなく、マルトは妊娠する。

 およそ30年後の1954年、フランソワーズ・サガンは18歳で「悲しみよこんにちは」が世界的ベストセラーになった。でもこれは父親の愛人をめぐる物語で、自分の恋愛じゃない。マルグリット・デュラスは1984年に70歳で書いた「愛人」でゴンクール賞を受けた。これは15歳の少女がインドシナで華僑の青年と性的に結ばれる物語だが、内容はともかく著者はすでに老大家だった。それを思うと内容も作者も「肉体の悪魔」が飛び抜けている。しかしこの小説は若々しい青春小説と言うよりも、フランス伝統の恋愛心理小説の系譜にある。心理描写は見事で、古典的完成度を示している。驚いてしまうしかない。今でも新鮮で面白い。恐るべき才能だ。

 「ドルジェル伯の舞踏会」はラディゲが20歳で腸チフスで亡くなった後で出版された。小説は完成していて、最初の校正も終わっていた。しかし最終稿完成前に亡くなって、友人のコクトーらが手を入れたものが出版されたという。それと別に20部だけ作られたラディゲ校正版を元にした本が近年になって出版された。それを本邦初訳したのが渋谷豊訳の光文社古典新訳文庫である。どこに違いがあるかはよく判らないけど、これもまた「恐るべき才能」を存分に示した傑作だ。恋愛小説といっても、「赤と黒」など多くの小説は恋愛を通して時代や社会を描く。ラディゲにはそこが不満で、「純粋な恋愛小説」というものを書いてみたいと思ったという。それが「ドルジェル伯の舞踏会」である。

 批評家のチボーデがこの小説をチェスに例えて、「象牙の駒と駒がぶつかる乾いた音」が聞こえると評したと解説に出ているが、それは本当である。まさに名言で、読み終わると確かにそんな気がする。(ちなみにすごく長い解説が付いてて、この小説に関して詳しく理解できる。)青年貴族フランソワとドルジェル伯夫妻、およびその周辺の人物の心理だけを微細に描くが、決してつまらないということがない。チェスというか、むしろカーリングかもしれないが、投じたストーンがぶつかり合って意外に動き、ストーンが微妙に動いてしまう。そのことで次の一投にも変化が生じる。その心理戦が細かく描かれてゆく。チェスや将棋はコマどうしをぶつけるわけじゃないから、「心理的カーリング」の方が適当かな。

 この「ドルジェル伯の舞踏会」は日本にも大きな影響を与えてきた。堀辰雄「聖家族」大岡昇平「武蔵野夫人」などだが、これらは面白いけれども失敗作だろう。だから御本家も読まずに来たが、フランスという風土、および第一次大戦後というパリで「失われた世代」のアメリカ人作家たちがうごめいていた時代、そういう背景の下では、この究極の心理小説が成立するのである。話が浮かないで現実味も感じられる。「肉体の悪魔」の若き疾走を取るか、「ドルジェル伯の舞踏会」の硬質な恋愛ゲームを取るか。難しいところだが、とにかく今も面白いのでビックリ。ラディゲという天才を生んだフランス文学はさすがに奥が深い。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「大仙古墳」(伝仁徳天皇陵... | トップ | 大雪山黒岳からトムラウシへ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

〃 (外国文学)」カテゴリの最新記事