尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

佐伯祐三と中村彝-落合散歩①

2016年05月16日 23時01分21秒 | 東京関東散歩
 東京都新宿区に落合という場所がある。山手線で目白や高田馬場の西側に広がる地域である。何で落合かというと、「妙正寺川」と「神田川」が落ち合う場所だからだという。(今は暗渠になって合流地点は判らない。)山手線の目白と高田馬場を右辺に取り、地下鉄大江戸線の落合南長崎駅と地下鉄東西線落合駅を結ぶ線を左辺に取る方形が、大体今回歩いた落合という地域になる。

 その地域の真ん中を妙正寺川西武新宿線が通っている。南の方に神田川が流れる。妙正寺川は杉並区の妙正寺池から、神田川は武蔵野市の井の頭池から流れる川である。妙正寺川の南北で地形が大きく異なり、北側の台地地帯が川に向って下っている。だから、坂道だらけの町で、東京東部に住む自分には珍しい風景だが、これもまあ東京らしい風景ということになる。

 ということで、地形の説明から始めてしまったけど、この地域は案外文化的に重要な地域だと知った。緑も多く、新宿や池袋からすぐ近くなのに(10分程度)、公園や寺社も多い。まだ散歩コースとしては、それほど知られていないと思うから、歩いてみたいと思う。まずは近代日本の有名な画家、佐伯祐三と中村彝のアトリエ記念館を訪ねてみたい。

 佐伯祐三アトリエ記念館は、佐伯祐三と夫人の佐伯米子が使っていた場所を新宿区が整備して2010年に開館した。(入場無料)実物ではないけれど、佐伯が設計したというアトリエが再建されている。奥の建物は佐伯の頃のままだという。中には佐伯の絵の複製などが展示されている。
     
 西武新宿線下落合駅を降りて、妙正寺川と新目白通りを渡ると、聖母坂通りがある。ずっと登っていくと、カトリック系の「聖母病院」と関連の福祉施設などが並んでいる。聖母病院は建物も面白いんだけど、病院を通り過ぎて少しいくと、佐伯祐三アトリエ記念館の案内が出てくる。狭い道に家が建ち並んでいる地域で、聖母坂通りから行かないと行きつくのは難しい。 

 佐伯祐三(1898~1928)はパリに学び、パリを描き、パリで客死した。パリの画家という印象が強いが、短い日本での活動はここ下落合でなされた。1921年に佐伯は池田米子と結婚し、1922年に下落合にアトリエを構えた。まだ豊多摩郡落合村と言っていた時代である。しかし、1923年にパリへ向かった。1926年に一時帰国し、1927年には再び渡仏する。そして1928年に死んだ。だから、佐伯祐三がここで創作に励んだ時間は短い。ここで書かれた落合村の風景を見ると、今と違って郊外の風景である。その時代の絵を少し載せておく。こんな感じ。
   
 何となく、パリの郊外を思わせないでもない。アトリエ一帯は公園になっていて、今は新緑も深い。緑の中に埋まっている感じの小さな施設である。土日を除けば訪れる人も少ない感じ。こんな場所があったのか。絵の好きな人はもちろん、格好の散歩コースではないかと思う。(下の写真の3枚目は聖母病院。2枚目のアトリエ内部は他のサイトから引用したもの。)
  
 もう一つ、下落合に新宿区立のアトリエ記念館がある。「中村彝アトリエ記念館」(入場無料)。中村彝(つね)は1887年に茨城県に生まれ、陸軍軍人を目指したものの結核のため断念し、画家を志した。1911年に新宿中村屋の裏に身を寄せ、いわゆる「中村屋サロン」の一員となった。しかし、相馬愛蔵、黒光夫妻の長女俊子との恋愛を反対され中村屋を去った。俊子はのちにインドの独立運動家ラス・ビハリ・ボースと結婚したことで有名である。そして、1916年に下落合にアトリエを新築したのである。悪化する肺結核と闘いながら作品制作を続けたものの、1924年に37歳で没した。
   
 写真で見ると、郊外にある洋風の一軒家という感じだが、実は住宅街のど真ん中。日常的な風景の中を歩いていると、突然記念館が出てくるのでビックリする。昔の映画に出てくるような、郊外の瀟洒な小さな家という感じである。佐伯祐三は聖母坂の西だが、中村彝は東である。場所は目白駅から行く方が近い。目白通りを歩いて、下落合三丁目の信号で左折し、少し歩いていくと案内が出てくる。そのあたり一帯を「アートの小路」と称しているが、まあそこまでの感じではない。

 家の中はアトリエの再現になっているが、他に展示室もある。佐伯祐三より広い感じ。中村彝はずいぶん昔に亡くなっているわけだが、この場所はその後もアトリエとして使われてきたという。近年になって新宿区が中村彝の時代を再現した施設を復元し、2013年に開館した。どちらも新しい施設なので、知らない人も多いだろう。僕も最近になるまで知らなかった。中には中村彝の代表作「エロシェンコ像」(重要文化財)などの複製がある。写真の1枚目は「エロシェンコ像」。2枚目は「少女」で相馬俊子をモデルにしている。また記念館の真ん前に落合に住んだ文化人の地図が出ていた。画家では安井曽太郎松本竣介などの名も見られる。近代美術史に残る地域だったのである。
  
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