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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

原節子の追悼上映

2016年01月23日 00時47分47秒 |  〃  (旧作日本映画)
 池袋の新文芸坐の「原節子追悼上映」を夕方から見たので、この追悼特集の話。

 小津映画をいっぱいやってるけど、今回はパス。今日は戦前の「河内山宗俊」と「新しき土」(日独版)を見た。「新しき土」は1936年に公開された日独合作映画で、山岳映画の巨匠アーノルド・ファンクが監督した。伊丹万作も監督に加わり、製作は複雑な経過をたどるが、1936年の「日独防共協定」時代の紛れもない国策映画である。細かい筋立ては書く必要もないと思う映画で、例えば四方田犬彦「原節子と李香蘭」に詳しく触れられている。昔も何回かフィルムセンターで上映されたが、近年修復されて恵比須の東京都写真美術館でロードショーされた。しかし、その時に見逃して実は初めて見た。無理して見に行くこともないかなと思ったのだが、案の定余りのつまらなさにウトウトしてしまう展開だった。
(「新しき土」)
 ところが、原節子の登場シーンだけが、輝くばかりに美しい。1920年生まれの原節子16歳の撮影である。こういうことが映画史の中には何度かある。イングリッド・バーグマンのスウェーデン時代のフィルムとか。そういう伝説的な美しさが原節子にあるのは間違いない。後半の火山への登山シーンは多分焼岳だろうと思って、確認したらやはりそうだった。上高地から登る山で、1915年に噴火して大正池を作った火山だ。ラストは「満州」と字幕が出るのに日本語字幕がないのはどうしてだろう。結局「満洲移民」の話だったのだ。日本は人口が多すぎると宣伝され、日本兵に守られた機械化農業シーンで終わる。「開拓」と言いつつ中国人農民から取り上げた土地を武装して耕作したのである。典型的な国策映画で、ドイツから見た日本像を「つくられた幻想」として提示している。

 この映画に原節子が抜てきされたのは、ファンク監督が「河内山宗俊」(こうちやま・そうしゅん)の撮影風景を見たからだという。山中貞雄監督の数少ない残った映画だが、フィルム状態が非常に悪く、前に見た時はよく聞き取れなかったが今回はとても面白かった。話自体を判っていたから、セリフの聞き取りに割くエネルギーが少なくて済んだことが大きい。それに原節子追悼だから、原節子を特に見ていることになる。これがまた演技というほどでもないのだが、存在自体の可憐さが際立っている。山中貞雄は天才監督と言われながら日中戦争で戦病死した日本映画史の伝説的監督。

 成瀬巳喜男の「山の音」は原作(川端康成)も映画もどうも好きになれないけど、主要登場人物に僕と同じ名前が出ている。珍しいという意味では久松静児監督「路傍の石」(1960)と熊谷久虎監督の「智恵子抄」(1957)。それぞれ違う監督の映画の方が有名で、これらの映画を見る機会が少ない。珍しいという意味では、丸山誠治監督の「慕情の人」(1961)と「女ごころ」(1959)という作品もある。引退も近くなった1960年前後の作品は小津映画以外ほとんど見る機会がないので貴重。

 稲垣浩「ふんどし医者」(1960)は、何だろうという題名だが、江戸時代末に長崎で学びながら、大井川の渡しのある島田宿で田舎医者になった森繁久彌の話。その妻が原節子でばくち好きという不思議な役柄を楽しく演じている。森繁は賭けず、妻のばくちを見ているのが趣味。負けが込むと自分の着物をカタにして、ふんどし一丁で帰る。不思議な設定だけど、ヴェネツィア映画祭グランプリ、アカデミー外国語映画賞を獲得の名匠稲垣監督だけに、しっかりした演出がさえる佳作だった。同時上映の「大番」は、原節子は憧れのお姫様的な脇役だが、株で儲ける風雲児ギューちゃんを加東大介が演じる痛快作。最近再評価されている獅子文六原作を面白く映画化している。
(「ふんどし医者」)

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115本出ていますが (さすらい日乗)
2016-01-23 08:48:54
原節子は、人気女優だったので結構いろんな作品に出ていて、115本なのですが、たった6本しか出ていない小津安二郎作品で記憶されているのは、やはりすごいことだと思います。

個人的には、稲垣浩監督の『ふんどし医者』のばくち好きな、明け透けの女性というのが、ある意味で会田昌江の実像に近いのではないかと思っています。

『新しき土』は、ほとんどトンデモ映画ですが、この訪欧の時、義兄の熊谷久虎が同行しているのが、「問題」の始まりだと私は思うのです、ただこのとき、彼女はまだ10代ですから何もなかったと思うのですが。
41歳での引退も、義兄とのことがばれるのを恐れたからだと思っていますが、その意味では彼女は非常に偉い人だったと感心しています。
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