警察小説の名手、横山秀夫の7年ぶりの大長編『64』(ロクヨン)(文藝春秋)は噂にたがわぬ大傑作。年末恒例のミステリーベストテンでは、「このミス」も週刊文春も宮部みゆき「ソロモンの偽証」を押さえて今年度のトップ。「半落ち」や「クライマーズ・ハイ」などの傑作を超えて、横山秀夫の(今までの)最高傑作。最近はハードカバーをあまり買わないんだけど、この本は1900円出しても十分以上に報われる。ただ一つの欠点は「読んだら止められない」ということで、647頁、1541枚もあるので、絶対に一日では読み終わらない。だから忙しい人は年末まで読まない方がいいかもしれない。僕も昨日はパソコンも見ずに、ずっと深夜まで読み続けてしまった。
さて題名の「64」とは、たった7日しかなかった昭和64年のことである。平成になる直前の1月5日、D県で起こった「翔子ちゃん誘拐事件」。子どもは殺され、身代金も取られてしまうという大失態にも関わらず、未だに容疑者逮捕に至らず時効が翌年に近づいている。という設定だから、これは2003年時点を舞台にしている。(殺人の時効は現在は撤廃されているが、当時は15年だった。)D県警にとって忘れることのできないこの屈辱を、内部では「ロクヨン」と呼び表していた。ところが今になって、警察庁長官が来県し被害者宅を訪れるという。一方、この誘拐事件には謎の部分があるようで、その実態は「幸田メモ」に書かれているというのだが、そういうものは果たして実在するのか。幸田というのは当時第一班として被害者宅に詰めながら事件後すぐに退職した警察官のことらしい。何か事件捜査にはミスがあったのか。それは何故今まで知られずにいるのか。そして今、中央から長官視察が組まれた真の狙いは何か。
というのが主筋で、それを「三上広報官」を主人公にして描いて行く。よく知られているように、横山秀夫は1979年から1991年まで群馬県の上毛新聞社で新聞記者をしていた。D県警シリーズという作品を初め、今までいろいろの作品を書いているが、刑事だけでなく鑑識や看守など警察内部の様々な部署を描いてきた。記者時代にはちょうど85年の日航機事故に遭遇、その経験をもとにした「クライマーズ・ハイ」も書いている。しかし、警察組織と新聞記者の接点になる「広報官」という存在は今まで取り上げられなかった。多くの警察小説でもそうだと思う。この「広報官」の設定は実にうまく効いている。「三上」という広報官は、実に屈折に富む人物で、4つの問題を抱えながら納得のいかない人事をこなしている。広報官を拝命して広報のあり方も大きく変えたいと思っているのだが、警察内部でも記者クラブとの関係もうまく行かなくなってくる。今まで刑事部で捜査にあたってきたが、自分でも「本籍は刑事部」と思い、いずれ捜査の現場に戻りたい。しかし、刑事部からは「警務に身を売った」とみなされ、事件の中身を教えるとマスコミに漏れるだけだと何も情報が入らない。キャリア組の上司は、何も知らなければリークの危険もなく、言われただけでいいのだと通告される。初めはキャリアの上司に屈せず改革を進めていたが、私的なことから上司に弱みを見せてしまう。娘が家出してしまったのだ。本庁につてのあるキャリアの警務部長は、すぐに本庁に写真をファックスし、全国の警察官が気を付ける態勢を作ってくれるのである。自分だけなら上司に屈せず地方の派出所に飛ばされてもいいが、娘が突然戻ってきたときのために今の家に住み続けるしかないと思えば、組織の中で仕事していかなくてならない。
こうして刑事部、上司、新聞記者と腹背に敵を受けながら、娘の問題を抱え妻との関係も難しく…と様々な葛藤を抱えながら生きているのが、広報官三上である。広報室の3人の部下、かつての刑事仲間、当時の捜査員でありながら辞めてしまった科警研のメンバー、様々な点景の人物が実によく描かれている。また警察の実名発表問題、新聞社内部の様々な対立状況、親子や夫婦の関係、東京と地方など実に多くの問題が出てきて考えさせられる。一つの鍵は、「鬼瓦と呼ばれるほど無骨な剣道部出身の三上」を「県警一の美人婦警」と令名の高かった美那子」がなぜ結婚相手に選んだのか。その結果生まれた娘は、美人母ではなく父親に似てしまって…。
しかしやっぱり問題は「ロクヨン」。最後の最後に、怒涛の展開であれよあれよのジェットコースター状態になる。そこは書かない方がいいと思うけど、いや伏線の回収ぶりに驚くしかない。この後のさらなる大混乱を前に筆を置くのもいい。横山秀夫は「半落ち」に泣かされたが、警察捜査小説の短編なんかなど少し満足できないことも多かった。最近の警察小説は大盛況だが、キャリアの陰謀とか内部対立が多い。それもいいけど、マスコミの存在や犯罪被害者、家族のあり方などを入れるだけで視点はずいぶん広がるのだと感心した。現代日本を考えるためにも読みがいのある本だった。
さて題名の「64」とは、たった7日しかなかった昭和64年のことである。平成になる直前の1月5日、D県で起こった「翔子ちゃん誘拐事件」。子どもは殺され、身代金も取られてしまうという大失態にも関わらず、未だに容疑者逮捕に至らず時効が翌年に近づいている。という設定だから、これは2003年時点を舞台にしている。(殺人の時効は現在は撤廃されているが、当時は15年だった。)D県警にとって忘れることのできないこの屈辱を、内部では「ロクヨン」と呼び表していた。ところが今になって、警察庁長官が来県し被害者宅を訪れるという。一方、この誘拐事件には謎の部分があるようで、その実態は「幸田メモ」に書かれているというのだが、そういうものは果たして実在するのか。幸田というのは当時第一班として被害者宅に詰めながら事件後すぐに退職した警察官のことらしい。何か事件捜査にはミスがあったのか。それは何故今まで知られずにいるのか。そして今、中央から長官視察が組まれた真の狙いは何か。
というのが主筋で、それを「三上広報官」を主人公にして描いて行く。よく知られているように、横山秀夫は1979年から1991年まで群馬県の上毛新聞社で新聞記者をしていた。D県警シリーズという作品を初め、今までいろいろの作品を書いているが、刑事だけでなく鑑識や看守など警察内部の様々な部署を描いてきた。記者時代にはちょうど85年の日航機事故に遭遇、その経験をもとにした「クライマーズ・ハイ」も書いている。しかし、警察組織と新聞記者の接点になる「広報官」という存在は今まで取り上げられなかった。多くの警察小説でもそうだと思う。この「広報官」の設定は実にうまく効いている。「三上」という広報官は、実に屈折に富む人物で、4つの問題を抱えながら納得のいかない人事をこなしている。広報官を拝命して広報のあり方も大きく変えたいと思っているのだが、警察内部でも記者クラブとの関係もうまく行かなくなってくる。今まで刑事部で捜査にあたってきたが、自分でも「本籍は刑事部」と思い、いずれ捜査の現場に戻りたい。しかし、刑事部からは「警務に身を売った」とみなされ、事件の中身を教えるとマスコミに漏れるだけだと何も情報が入らない。キャリア組の上司は、何も知らなければリークの危険もなく、言われただけでいいのだと通告される。初めはキャリアの上司に屈せず改革を進めていたが、私的なことから上司に弱みを見せてしまう。娘が家出してしまったのだ。本庁につてのあるキャリアの警務部長は、すぐに本庁に写真をファックスし、全国の警察官が気を付ける態勢を作ってくれるのである。自分だけなら上司に屈せず地方の派出所に飛ばされてもいいが、娘が突然戻ってきたときのために今の家に住み続けるしかないと思えば、組織の中で仕事していかなくてならない。
こうして刑事部、上司、新聞記者と腹背に敵を受けながら、娘の問題を抱え妻との関係も難しく…と様々な葛藤を抱えながら生きているのが、広報官三上である。広報室の3人の部下、かつての刑事仲間、当時の捜査員でありながら辞めてしまった科警研のメンバー、様々な点景の人物が実によく描かれている。また警察の実名発表問題、新聞社内部の様々な対立状況、親子や夫婦の関係、東京と地方など実に多くの問題が出てきて考えさせられる。一つの鍵は、「鬼瓦と呼ばれるほど無骨な剣道部出身の三上」を「県警一の美人婦警」と令名の高かった美那子」がなぜ結婚相手に選んだのか。その結果生まれた娘は、美人母ではなく父親に似てしまって…。
しかしやっぱり問題は「ロクヨン」。最後の最後に、怒涛の展開であれよあれよのジェットコースター状態になる。そこは書かない方がいいと思うけど、いや伏線の回収ぶりに驚くしかない。この後のさらなる大混乱を前に筆を置くのもいい。横山秀夫は「半落ち」に泣かされたが、警察捜査小説の短編なんかなど少し満足できないことも多かった。最近の警察小説は大盛況だが、キャリアの陰謀とか内部対立が多い。それもいいけど、マスコミの存在や犯罪被害者、家族のあり方などを入れるだけで視点はずいぶん広がるのだと感心した。現代日本を考えるためにも読みがいのある本だった。
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