2022年12月の訃報、日本人編。映画監督の吉田喜重を別に書いた。他の人では、俳優・歌手などの芸能関係者がかなり多かったので次に回したい。今回は主に芸術、学問などに関わって「本を書いた人」を取り上げる。まず建築家の磯崎新(いそざき・あらた)。12月28日に死去、91歳。名前はずいぶん前から聞いていたが、建築のことはよく知らなかった。訃報を聞いてから、こういう人だったのかと深く感じるところがあった。建築のノーベル賞と言われるプリツカー賞を2019年に受賞したが、磯崎は79年の賞設立から10年ほどは審査側にいたため受賞が遅れたと言われる。下の画像は受賞時に共同設計した施設の前で。
(磯崎新、背景はトリノのパラアイスホッケー施設)
磯崎新は70年代以降の「ポストモダン」と呼ばれた動きの中心にいた。1983年の「つくばセンタービル」がポストモダン建築の代表作と言われる。そういう知識も今回知ったことだけど、80年代以降の東京では都庁舎を初め、東京芸術劇場、江戸東京博物館、現代美術館、国際フォーラムなど巨大施設が次々と作られた。磯崎はこれらの建築を批判していたのである。お城のような都庁(91年完工)は師にあたる丹下健三の後期代表作と言われるが、磯崎はあえて低層の都庁舎プランで86年のコンペに臨んだという。発注元の東京都が「首都のランドマークとなる高層ビル」を求めていたので、落選覚悟の思想的行動である。「権力の象徴」みたいな高層を嫌い、4棟建てのビルの中に市民が自由に出入りできる巨大広場を作るという設計だったという。
(つくばセンタービル)
大分生まれで、早く父母を失ったが、苦労して東大に進んで丹下健三に学んだ。1963年に丹下健三研究室を辞め独立。初期作品には九州の建築が多い。「大分県立大分図書館(現アートプラザ)」「北九州市立図書館」「北九州市立美術館」などである。その後、国内、世界各地に多くの作品が残されている。自分が見ているのは、「利賀山房」「利賀村野外劇場」「東京グローブ座」「水戸芸術館」などである。著書に『建築の解体』『建築家探し』など多数。『磯崎新建築評論集』全8巻(岩波)にまとめられている。岩波書店から84年に創刊された雑誌「へるめす」の編集同人は、磯崎新、大江健三郎、大岡信、武満徹、中村雄二郎、山口昌男だったが、これで大江以外は皆物故したことになる。時間の流れを感じる。
(北九州市立美術館 本館・アネックス)
思想史家の渡辺京二が12月25日に死去、92歳。熊本で65年に雑誌「熊本風土記」を創刊、後に石牟礼道子の『苦界浄土』の原稿を掲載した。石牟礼の要請で「水俣病を告発する会」を結成して患者を支援した。石牟礼道子の文学的同志として最後まで支えたことで知られる。その間、98年に『逝きし日の面影』(和辻哲郎賞)で近代日本を江戸時代の目から相対化した。この本が評判になって、21世紀に出した『黒船前夜 ロシア・アイヌ・日本の三国志』(大佛次郎賞)、『バテレンの世紀』(読売文学賞)など大きく評価されるようになった。僕は持っているけど、それらは読んでいない。むしろ70年代に出た『小さきものの死 渡辺京二評論集』(1975)、『評伝 宮崎滔天』(1976)、『神風連とその時代』(1977)、『北一輝』(1978)などが刺激的で再評価が必要だろう。いずれも「近代」を問い直す志を持った書で、初志を一貫させたのではないかと思う。
(渡辺京二)
元「話の特集」編集者の矢崎泰久(やざき・やすひさ)が12月30日に死去、89歳。80年代には非常に有名人だったけれど、「話の特集」が95年に休刊しているからか小さな訃報だった。65年に発刊した「話の特集」は和田誠、永六輔、伊丹十三など各方面の多彩な才能を集めた自由な雑誌作りが評判になった。これらの人がエッセイストとして評価を得たのは、この雑誌の存在が大きかった。70年代後半には「革新」陣営に一石を投じる「革新自由連合」を設立した。中山千夏が参議院議員に当選(80年)したときは、公設秘書を務めた。様々な集会などで何度も話を聞いているが、晩年は恵まれなかったらしい。著書に『編集後記』『「話の特集」と仲間たち』など多数。永六輔、中山千夏との共著も数多い。
(矢崎泰久)
天体写真家として世界的に知られた藤井旭(ふじい・あきら)が12月28日に死去、81歳。アマチュアの天体写真家として20代から世界的に知られた存在で、400冊にもなる著書で天体観測の楽しさを広めた。1969年に私設の天文台「白河天体観測所」を開設、所長には愛犬のチロが就任した。チロは81年に死に84年に刊行した著書『星になったチロ』は、課題図書に選ばれるなど大きな反響を呼んだ。天文台は東日本大震災と原発事故の被害により2011年に閉鎖された。2019年度日本天文学会天文教育普及賞。そう言えば、昔から藤井旭と名の付いた本をいっぱい見た記憶が蘇ったが、天文学者なんだと思い込んでいた。
(藤井旭)(『星になったチロ』)
歌人、短歌史研究で知られた篠弘が12月12日に死去、89歳。短歌結社「まひる野」代表で、元日本文芸家協会理事長、現代歌人協会理事長、日本現代詩歌文学館長(岩手県北上市)なども務めた。と言っても、僕は短歌界には暗く名前を聞いても特にイメージが湧かない。短歌では多くの賞を受賞しているが、それと同時に短歌の歴史研究でも知られたという。2020年の『戦争と歌人たち ここも抵抗があった』が注目された。ところでこの人の本職は小学館で百科事典を編集したことだった。『ジャポニカ』シリーズで大いに当てて取締役に就任した。
(篠弘)
・樋口覚、11月24日没、74歳。文芸評論家、歌人。05年『書物合戦』で芸術選奨文部科学大臣賞。
・岳宏一郎、1日没、84歳。歴史小説家、作品に『群雲、関ケ原へ』など。
・岩成達也、9日没、89歳。詩人。『フレベヴリィ・ヒツポポウタムスの唄』で高見順賞など。大和銀行常務も務めた。
・北博昭、23日没、80歳。現代史研究家。二・二六事件の史料発掘に務めたことで知られる。著書に『二・二六事件全検証』など。
・鈴木嘉吉、16日没、93歳。元奈良文化財研究所長。平城宮跡の大極殿、朱雀門、薬師寺東塔などの再建、解体修理などの指導にあたった。
・篠田浩一郎、25日没、94歳。フランス文学者、東京外大名誉教授。当初は19世紀フランス文学を専門としたが、やがてロラン・バルトなどの影響を取り入れ、記号論などを駆使した文学評論を行った。一般書も多く翻訳も数多い。著書に『中世への旅 歴史の深層をたずねて』、『空間のコスモロジー』、『小説はいかに書かれたか 『破戒』から『死霊』まで』(岩波新書:、『都市の記号論』、『ロラン・バルト 世界の解読』など多数。翻訳には ポール・ニザン『アデン・アラビア』、ミシュレ『魔女』、ロラン・バルト『サド、フーリエ、ロヨラ』など。60年代後半から80年代にかけて思想的にも大きな影響を与えた。
(磯崎新、背景はトリノのパラアイスホッケー施設)
磯崎新は70年代以降の「ポストモダン」と呼ばれた動きの中心にいた。1983年の「つくばセンタービル」がポストモダン建築の代表作と言われる。そういう知識も今回知ったことだけど、80年代以降の東京では都庁舎を初め、東京芸術劇場、江戸東京博物館、現代美術館、国際フォーラムなど巨大施設が次々と作られた。磯崎はこれらの建築を批判していたのである。お城のような都庁(91年完工)は師にあたる丹下健三の後期代表作と言われるが、磯崎はあえて低層の都庁舎プランで86年のコンペに臨んだという。発注元の東京都が「首都のランドマークとなる高層ビル」を求めていたので、落選覚悟の思想的行動である。「権力の象徴」みたいな高層を嫌い、4棟建てのビルの中に市民が自由に出入りできる巨大広場を作るという設計だったという。
(つくばセンタービル)
大分生まれで、早く父母を失ったが、苦労して東大に進んで丹下健三に学んだ。1963年に丹下健三研究室を辞め独立。初期作品には九州の建築が多い。「大分県立大分図書館(現アートプラザ)」「北九州市立図書館」「北九州市立美術館」などである。その後、国内、世界各地に多くの作品が残されている。自分が見ているのは、「利賀山房」「利賀村野外劇場」「東京グローブ座」「水戸芸術館」などである。著書に『建築の解体』『建築家探し』など多数。『磯崎新建築評論集』全8巻(岩波)にまとめられている。岩波書店から84年に創刊された雑誌「へるめす」の編集同人は、磯崎新、大江健三郎、大岡信、武満徹、中村雄二郎、山口昌男だったが、これで大江以外は皆物故したことになる。時間の流れを感じる。
(北九州市立美術館 本館・アネックス)
思想史家の渡辺京二が12月25日に死去、92歳。熊本で65年に雑誌「熊本風土記」を創刊、後に石牟礼道子の『苦界浄土』の原稿を掲載した。石牟礼の要請で「水俣病を告発する会」を結成して患者を支援した。石牟礼道子の文学的同志として最後まで支えたことで知られる。その間、98年に『逝きし日の面影』(和辻哲郎賞)で近代日本を江戸時代の目から相対化した。この本が評判になって、21世紀に出した『黒船前夜 ロシア・アイヌ・日本の三国志』(大佛次郎賞)、『バテレンの世紀』(読売文学賞)など大きく評価されるようになった。僕は持っているけど、それらは読んでいない。むしろ70年代に出た『小さきものの死 渡辺京二評論集』(1975)、『評伝 宮崎滔天』(1976)、『神風連とその時代』(1977)、『北一輝』(1978)などが刺激的で再評価が必要だろう。いずれも「近代」を問い直す志を持った書で、初志を一貫させたのではないかと思う。
(渡辺京二)
元「話の特集」編集者の矢崎泰久(やざき・やすひさ)が12月30日に死去、89歳。80年代には非常に有名人だったけれど、「話の特集」が95年に休刊しているからか小さな訃報だった。65年に発刊した「話の特集」は和田誠、永六輔、伊丹十三など各方面の多彩な才能を集めた自由な雑誌作りが評判になった。これらの人がエッセイストとして評価を得たのは、この雑誌の存在が大きかった。70年代後半には「革新」陣営に一石を投じる「革新自由連合」を設立した。中山千夏が参議院議員に当選(80年)したときは、公設秘書を務めた。様々な集会などで何度も話を聞いているが、晩年は恵まれなかったらしい。著書に『編集後記』『「話の特集」と仲間たち』など多数。永六輔、中山千夏との共著も数多い。
(矢崎泰久)
天体写真家として世界的に知られた藤井旭(ふじい・あきら)が12月28日に死去、81歳。アマチュアの天体写真家として20代から世界的に知られた存在で、400冊にもなる著書で天体観測の楽しさを広めた。1969年に私設の天文台「白河天体観測所」を開設、所長には愛犬のチロが就任した。チロは81年に死に84年に刊行した著書『星になったチロ』は、課題図書に選ばれるなど大きな反響を呼んだ。天文台は東日本大震災と原発事故の被害により2011年に閉鎖された。2019年度日本天文学会天文教育普及賞。そう言えば、昔から藤井旭と名の付いた本をいっぱい見た記憶が蘇ったが、天文学者なんだと思い込んでいた。
(藤井旭)(『星になったチロ』)
歌人、短歌史研究で知られた篠弘が12月12日に死去、89歳。短歌結社「まひる野」代表で、元日本文芸家協会理事長、現代歌人協会理事長、日本現代詩歌文学館長(岩手県北上市)なども務めた。と言っても、僕は短歌界には暗く名前を聞いても特にイメージが湧かない。短歌では多くの賞を受賞しているが、それと同時に短歌の歴史研究でも知られたという。2020年の『戦争と歌人たち ここも抵抗があった』が注目された。ところでこの人の本職は小学館で百科事典を編集したことだった。『ジャポニカ』シリーズで大いに当てて取締役に就任した。
(篠弘)
・樋口覚、11月24日没、74歳。文芸評論家、歌人。05年『書物合戦』で芸術選奨文部科学大臣賞。
・岳宏一郎、1日没、84歳。歴史小説家、作品に『群雲、関ケ原へ』など。
・岩成達也、9日没、89歳。詩人。『フレベヴリィ・ヒツポポウタムスの唄』で高見順賞など。大和銀行常務も務めた。
・北博昭、23日没、80歳。現代史研究家。二・二六事件の史料発掘に務めたことで知られる。著書に『二・二六事件全検証』など。
・鈴木嘉吉、16日没、93歳。元奈良文化財研究所長。平城宮跡の大極殿、朱雀門、薬師寺東塔などの再建、解体修理などの指導にあたった。
・篠田浩一郎、25日没、94歳。フランス文学者、東京外大名誉教授。当初は19世紀フランス文学を専門としたが、やがてロラン・バルトなどの影響を取り入れ、記号論などを駆使した文学評論を行った。一般書も多く翻訳も数多い。著書に『中世への旅 歴史の深層をたずねて』、『空間のコスモロジー』、『小説はいかに書かれたか 『破戒』から『死霊』まで』(岩波新書:、『都市の記号論』、『ロラン・バルト 世界の解読』など多数。翻訳には ポール・ニザン『アデン・アラビア』、ミシュレ『魔女』、ロラン・バルト『サド、フーリエ、ロヨラ』など。60年代後半から80年代にかけて思想的にも大きな影響を与えた。