尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

フェミニズム映画の傑作、「ガールズ」

2018年12月17日 22時40分21秒 |  〃  (旧作外国映画)
 最近新作映画を見る時間がなかなか取れない。旧作は時々見てるけど、国立映画アーカイブのスウェーデン映画特集をかなり見ている。スウェーデン映画と言えば、映画ファンはまずイングマル・ベルイマン監督を思いうかべるだろう。あるいは同名だけど英語表記で定着しているイングリッド・バーグマンもスウェーデン生まれ。あるいはリンドグレーンの児童文学の映画化、21世紀で一番面白かったミステリー「ミレニアム」の映画化などもある。

 今回はスウェーデン映画の知られざる名作が多数上映される。ヨーロッパの「小国」の映画は、フランスやイタリアなどと違った面白さがあって、昔からよく見ている。去年のチェコ映画も面白かったけど、スウェーデン映画にも発見が多い。特に16日に上映された3本の映画は、どれも「女性映画」として歴史的な重みがあった。それぞれもう一回上映があるが、都合で見れないので頑張って11時の会から3本連続で見た。特に3本目の「ガールズ」について書くが、先に他の2本も簡単に。

 まず「娘とヒヤシンス」(1950)。監督のハッセ・エークマンは日本では全然紹介されていないが、ベルイマンの「牢獄」に映画監督役で出演していた。監督夫人エーヴァ・ヘンニングが演じる女性ダグマルが冒頭で自殺してしまう。その理由は何だろうかと隣人の作家夫妻が探っていく。その構造が「市民ケーン」的と解説にある。とにかく中身も画面もこれほど暗い映画も珍しい。最後に観客に明かされる真相は、1950年の映画とは思えない先駆性でアッと驚く。完成度はとても高く、スウェーデン映画の最重要作品の一つとあるのもうなづける。

 1949年の「母というだけ」はアルフ・シューベリ監督作品。アルフ・シェーベルイという表記で「令嬢ジュリー」「もだえ」が日本公開されている。ベルイマンの師としても知られている。この映画は農村地帯で日雇いで働く下層の娘リーアが結婚、出産の中で生きてゆく姿を描いている。ある日裸で水浴びしているところを皆に見られ、恋人に振られて思わず別の男と付き合って妊娠する。その後の望まざる苦しい人生を丹念に追ってゆく。日本でも農村女性を描く映画(例えば「荷車の歌」)があるが、フォトジェニックな画面と自己を貫こうとする女性像が印象的。

 3本目はマイ・セッテリング監督(1925~1994)の「ガールズ」。これは監督がスウェーデンで18年も映画を作れなくなった「呪われた映画」らしいが、今見ると素晴らしい先見性に圧倒される大傑作フェミニズム映画だった。マイ・セッテリング(Mai Zetterling)は、ウィキペディアでは「マイ・セッタリング」で出ている。非常に人気のある女優だったようで、その点については「スウェーデン映画のスター10」というHPに「マイ・セッテリング」の記事があり、非常に役だった。
 (ガールズ)
 ベルイマン映画で世界に知られている女優3人が出ている。ビビ・アンデション(野いちご)、ハリエット・アンデション(鏡の中にあるごとく)、グンネル・リンドブロム(処女の泉)で、3人を中心にしてギリシャ喜劇のアリストパネス「女の平和」を上演しようとしてる。これは男たちの戦争を止めさせるため女たちが「セックス・ストライキ」をするという話だが、それを現代風に演出してスウェーデン中を巡業する。その成り行きを通して、女優たちの実生活上の問題や政治的話題等を風刺やシュルレアリズム的な自由な発想で描いている。
 (マイ・セッテリング)
 白黒の素晴らしい画面で、それは60年代末に日本で作られたATG映画を思わせる。実験精神、政治性、劇中劇的なメタ映画など今見ても新鮮な演出で、そういう「判りにくい映画」が嫌いでウェルメイドな映画を求める人には不満が大きいだろう。女と男、その権力関係、「女の不満」と反乱などがシネエッセイ的に語られ、スウェーデン社会の保守性が暴かれる。「過激な風刺性は、当時の批評家と観客の反感を買い」と解説に書かれている。まさにその点が今も新鮮なところで、この傑作が当時は理解できなかったのである。

 ほぼ同じ頃、ゴダールの「ウィークエンド」、大島渚の「絞死刑」、ピーター・ブルックの「マラー/サド」などが作られた。その前衛精神や風刺性において、「ガールズ」は決して負けていない。世界的に女性監督の映画は当時は非常に少なかった。フランスのアニエス・ヴァルダだけが突出していた。チェコのヒティロヴァ「ひなぎく」(1966)もガーリーな映画としてやがてカルト化するが、フェミニズム的なマニフェスト映画ではない。

 スウェーデンでは「私は好奇心の強い女」(ヴィルゴット・シェーマン)が1966年に作られ世界的に話題となった。数年前に完全版を見たが、今になるとその風刺性も性描写も衝撃性を失っている。しかし、「ガールズ」は今見ても新しい感じだ。それは「女の平和」の意義が今だ失われてない状況にあるということでもある。恐るべき映画が知られずにいたものだと思う。60年代末を代表する傑作の一本ではないか。「ガールズ」は12月19日(水)19時、「母というだけ」は12月18日(火)15時、「娘とヒヤシンス」は21日(金)15時に上映がある。
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