尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「今市事件」有罪判決への疑問

2016年04月13日 23時06分02秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 4月8日(金)に宇都宮地裁で、「栃木女児殺害事件」(ここでは「今市事件」と呼ぶことにしたい)に対し、有罪判決が出された。刑期は無期懲役である。判決はもともと3月31日に予定されていた。それが突然に延期された。弁護側は無罪を主張して激しく争っていたから、評議がまとまらないのか、無罪判決が出るのではないかなどという観測もあったと思う。日本の裁判報道には珍しく、被告・弁護側の主張もかなり紹介されていたように思った。  

 ところが、裁判員裁判で自白の信用性が認められ有罪判決が出たことで、マスコミの批判がほとんどない状態になった。僕には疑問が多い判決だと思うので、あえて批判的に検証しておきたいと思う。裁判員を務めた人の発言によると、「難しい判断」だが「録画が判断材料」になったという。それは問題なのではないだろうか。「自白」だけでは有罪に出来ないと憲法で定められている。

 この判決を第三者が批判する場合、でも「録画を見ていないだろう」と言われるに違いない。その録画に「迫真性」があるというが、それを見ていないものには判断ができない。だから、国民から選ばれた裁判員が判断したことに合理性があるというのも一つの考えだろう。だけど、僕は判断の前提となる「証拠の手続き」に問題があると思う。それは他の裁判にも影響すると思うから、書いておきたい。

 まず「録画の問題」。裁判というものは、検察側が有罪を立証し、それに対して弁護側が反証するという仕組みで行われる。だから、取り調べ過程の録画をどのように立証に使おうが検察側の裁量だという考え方もあるだろう。実際、取り調べすべての録画を裁判で検証していたら、裁判員裁判は成り立たない。何時間たっても終わらないから、誰も引き受けられない。そこで今回は「7時間超」に編集されたものが法廷で再生された。だけど、それは「検察側が編集したもの」である。

 本当は全部で80時間余りになるという。これを時系列に沿ってきちんと検証したら、自白の強要や変遷などが明らかになる可能性はないのか。もちろん、全部見れば、取り調べに問題はなかったということになるのかもしれない。それは判らない。だが、フェアではない感じがする。この時間の長さからすると、立証に使うには編集が必要である。だから、検察が編集して裁判員に見せたのは当然だと思うが、同時にすべての録画を弁護側に開示しない限り、録画を立証に使うのはアンフェアなのではないだろうか。弁護側も開示された録画を反証に使えない限り、「録画に迫真性がある」と判断してはいけないように思うのである。

 冤罪事件では「取り調べ段階で認めていた事件」(公判では否認)ばかりではなく、「公判中も認めていた事件」さえ存在する。富山県で起きた「氷見事件」は最近の例として有名である。裁判で有罪を認め、すでに懲役刑を終えていた人が実は無実で、真犯人が現れたことで再審無罪となった事件である。他にも一審で認めていた事件はかなりある。「無実」であっても裁判で無罪を勝ち取ろうと闘える人ばかりではないのである。完全に取り調べ側に「屈服」していた時点だけを「録画」で示す。それでは、取り調べの適正化を目的に行われる「取り調べの可視化」が、逆に検察側にのみ有利な材料を与えることになってしまう。録画は検察側だけのものではなく、被告・弁護側のものでもあるはずだ。

 次に「Nシステム」の通行記録の問題である。通常は明らかにしない、というか設置の法的根拠もはっきりしない「Nシステム」。どこに設置されているか明らかにしてしまうと、すり抜けも可能になるから、今までは裁判に使わなかった。(捜査には使っても。)今回は「直接証拠がない」ということで、状況証拠の一つとして通行記録が提出された。それによると、深夜の1時50分(鹿沼インター通り)と2時20分(国道123号)に宇都宮駅周辺で茨城県方向への通行があった。そして、同地点を逆方向に朝の6時12分と6時39分に通行している。また、両地点に近い国道121号で、朝の6時27分に通行記録がある。ところで、これは何なのだろうか。宇都宮市の中心部だけである。この間に遺体の発見現場である茨城県常陸大宮市に行って、戻ってきたのだという可能性は確かにある。だけど、それは何の証拠もないことである。何故なら、犯人がそのルートを使ったかどうか不明だからである。

 今書いた時間はいつの事かというと、2005年12月2日の話である。被害女児は、前日の12月1日、下校中に行方が判らなくなった。場所は当時の今市市(今は合併して日光市)である。被告の当時の住所は出てないから判らないが、Nシステム記録が立証に使われたのだから、宇都宮市内の中心部近くにあったのだろう。だから、そもそも事件を起こすには、12月1日に宇都宮から今市方面に出かけないといけない。1日の夕刻にNシステムに記録があれば、検察側は明らかにしたと思うから、被告の車が昼間今市方面に向い、夕刻に帰ってきた記録はないんだろうと思う。それは何故だろう。たまたまNシステムがなかったのだろうか。検察側が「死体遺棄」に向かうと見なした深夜のドライブは5回も記録されている。だから、Nシステムに引っかからないように小さな道しか通らなかったという可能性はない。

 茨城方面への深夜ドライブ(かどうかも不明だが)も重要だが、一番大切なのは「今市方面への昼間のドライブ」だと思う。それがないと、そもそも犯罪が起こせない。どうしてNシステムに記録がないのか。Nシステムをどこに設置してあるかを明らかにしないと、それが「行ってないのか」「記録がないのか」が判らない。さらに、被告はときどき深夜のドライブをしていたという供述もあるようだ。それが本当かどうか、他の日の記録も全部出すべきだ。地図をここで示さないけど、行方不明現場と死体発見現場は、宇都宮市内を通らずに行ける。県境の山の中には、もちろんNシステムはなかっただろうが、他にはどこにあるのか。それが判らない限り、被告のNシステム通行記録を有罪立証に使うのは慎重でないといけないように思う。

 僕の批判は、上記のようにまず「証拠の扱い方」に問題ありというものである。だけど、一応「自白」の任意性と信用性の問題について書く。この事件の捜査は典型的な「別件逮捕」である。2014年1月29日に、まず母とともに「商標法違反」で逮捕される。(偽ブランド品所持)その事件は2月18日に起訴されるも、拘置が続き、続いて5月30日に銃刀法違反で起訴される。その間に殺人への関与をほのめかしていたというが、6月3日に殺人容疑で再逮捕され、24日に起訴された。つまり、殺人事件として逮捕される前に、すでに4カ月以上も身柄を拘束されていた。そのうえでの「自白」なんだから、そもそも「任意性」を認めるべきかどうか、僕にはそれも疑問がある。

 だから「信用性」の判断には慎重にならないといけない。「自白」は鑑定結果と合わないという証言もあったのに、マスコミに載っている「判決要旨」ではどう判断したのか判らない。「運転席を通して被害者を助手席に引き込んだなどといった、想像にしては特異とも言える内容が含まれている」などと出ているが、これは何だろう。それが果して真実かどうかも判らないし、この程度を「想像」するのは「特異」でも何でもないと僕は思う。全体的にいって、録画記録に寄りかかった判断にように思う。控訴審では、ぜひ弁護側に録画記録を全面的に開示するべきである。それなしで有罪判決を出したのは、おかしいという判例を作って欲しいと思う。(なお、当時の今市(いまいち)は日光、鬼怒川温泉などとともに大合併して日光市になっている。市庁舎は旧日光市ではなはく、今市にあるのだが。湯西川温泉や奥鬼怒温泉郷、それどころか山の反対側の足尾まで日光市である。日光では広すぎるので、「今市事件」と書いた。「栃木…」と言うと、栃木市が別にあるので間違えないようにするべきだと思う。)
コメント
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