尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

感動的な「ヒトラーに抵抗した人々」(中公新書)

2015年11月28日 00時23分33秒 |  〃 (歴史・地理)
 映画「ヒトラー暗殺、13分の誤算」の記事で、中公新書新刊、對馬達雄「ヒトラーに抵抗した人々」に触れた。この新書は今年のベスト級の本だ。多くのことを教えられたし、実に感動的なエピソードが詰まっている。映画の主人公ゲオルク・エルザーに関しても、映画に描かれていないことがいっぱい出ている。全篇を通し、人間とはこのように気高くありうるのかと、この本に出てきた人々が時間を超えて我々に訴えかけてくる。単に現代ドイツ史の本を超えて、多くの人に読んで欲しい本だ。

 まず、ビックリしたのは、あの残虐なナチス体制下のベルリンで、ユダヤ人救援運動に献身する人々がかなりいたことである。多くのドイツ人はヒトラー支持で、ユダヤ人を匿っている人々を密告する人々だった。そのうえ、ベルリンは連合軍の空襲にさらされ、反ナチスの活動家も亡くなっている。それでもベルリンでは数千人のユダヤ人が戦争終結まで匿われていた。あるいは東部戦線(対ソ戦)からの脱走兵を匿う運動もあった。それらの活動のネットワークも存在した

 単にヒトラー一人を除くだけでなく、戦後ドイツをどうするべきかの構想も検討されていた。「ヒトラー暗殺」運動は、単なるテロリズムではなく、また連合国のスパイ活動でもなく、真に愛国的な「もう一つのドイツ」を世界に示した「野党勢力」だった。僕は今まで、ヒトラー暗殺未遂事件(1944年7月20日)は、軍隊内の高級将校による「失敗したテロ」だと思っていた。

 ミュンヘンの学生たちの「白バラ抵抗運動」(1944年2月に発覚し、ショル兄妹らが死刑執行)も、「純真な学生による孤立した反体制活動」と思っていた。全く間違いではないが、「白バラ」はベルリンのグループとも緩いつながりがあり、彼らのビラは厳重な監視の目を逃れて海外に持ち出された。スイスやノルウェ-を通して、イギリスやアメリカに渡り、ニューヨーク・タイムズにも転載された。BBC放送ではトーマス・マンが「世界がいたく感動した」と伝えた。イギリス空軍機によって、白バラのビラがベルリン他のドイツの都市にまかれた。世界にドイツ人は全員がヒトラー支持ではないと伝えたのである。
(ゾフィー・ショル)
 「白バラ」グループが戦後に神話化されながら、「7月20日運動」(軍隊内外を通してネットワーク化されたベルリンの反ナチス運動のこと)は、連合軍によって過小評価された。むしろ隠蔽されたという方が正しいかもしれない。もし、ナチスに代わってドイツを統治する能力と構想を持つグループがドイツにあったなら…。米ソ英仏による「ドイツの分割占領」は必要ないし、そして東西両ドイツの分裂もなかったということである。だから、占領時代には彼らは正当に評価されなかったのである。

 そういうバイアスは長いこと残り続け、早すぎた単独行動者、ゲオルク・エルザーの完全な無視につながってきた。彼が復権し、故郷に銅像と記念館ができたのは20世紀も終わろうとする頃だった。日本でも「大逆事件」の被告たちの存在が、なかなか故郷に入れられなかったのと似た事情が戦後ドイツにもずっと存在してきたのである。
(ゲオルク・エルザー)
 「7月20日運動」の人々に対するヒトラーの報復は、実に過酷なものだった。一時は7千人もの人々が逮捕、拘禁された。主要なリーダー層の人々は、家族もとらわれ収容所に送られるなど「連座」させられた。結局、国家反逆罪で200人もが死刑となり、それに止まらず全財産の没収、服喪の禁止が課せられ、遺族には何も残されなかった。遺族には「処刑料」と「埋葬料」の支払いが求められたという。20世紀に起きたとは信じがたいほどの残虐ぶりである。だが、彼らは仲間を売ることはせず、家族にあてた心を打つ手紙を残している。残された家族たちも、戦後になって彼らを記憶する運動を続け、平和と民主主義のために献身し続けた。

 1944年7月段階では、東部戦線では敗北が続き、西部戦線でもノルマンディーに連合軍が上陸して、やがてドイツが敗北することは誰の目にも明らかだった。連合軍は「無条件降伏」を求めていて、ドイツに反ヒトラー政権ができても和平は難しくなっていた。ヒトラーは警戒を厳しくしていて、近づくことも難しくなっていた。成功の可能性が低く、仮に暗殺が成功してもその後の展開が見通せない。失敗したら過酷な復讐が待っているのは明白だった。それなのに、なぜ彼らは決起したのか。それは「何の抵抗運動もせずに、ドイツが敗北する」ということは「歴史に対する無責任」と考えたのである。未来の人々に、自己の命をかけて、ヒトラーに反対したドイツ人がいたことを示すことこそ、ドイツ人の責任だと考えたのだ。彼らの残した言葉が心を打つのは、こうした「歴史に対する無私の献身」にある。

 僕が一番驚き、心に残ったのは、ニッケル夫人という無名の一市民の行動である。敬虔なカトリック信者である主婦マリア・ネッケルはナチスのユダヤ人迫害に心を痛めていた。1942年秋になると、東部地域でユダヤ人に恐ろしい運命が待っていることを確信し、その中の一人だけでも助けようと心に決めたのである。しかし、彼女にはユダヤ人の知り合いはなかった。強制労働をさせられているユダヤ人たちの中に身ごもっている女性がいることに気付き、作業所に彼女(ルート・アブラハム)を訪ね援助を申し出て、1943年1月に出産するのを助けた。強制移送が迫った時には、自分の郵便証明書の写真を張り替えてルートに渡し、彼女の夫ヴァルターには自分の夫の運転免許証を渡した。彼らはそのニセの証明書を使って無事に逃げられた。その後ニッケル夫人にはゲシュタポから出頭命令があり尋問されたが、彼女は書類は盗まれたものだと言い張り続けて無事だったのである。

 戦後になっても彼女は名乗り出ることもなく、無名のままである。その後どうなったかは出ていない。このケースをわれわれが知るのは、助かった側が明らかにしたからだろうという。人間はこういうことができるのである。ほんのちょっとした勇気と、どんな時にもなくしてはならない「まともな感性」がありさえすれば。ナチス体制下でさえ、そういうことができるのだと知っていれば、我々はずいぶん勇気づけられるではないか。歴史を学ぶということはどういうことなのか、この本は示してくれる。過去は変えられないが、過去の人々の遺産をわれわれは受け継ぎ伝えていかなくてはいけない。
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