尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映画「裁かれるのは善人のみ」

2015年11月18日 23時48分06秒 |  〃  (新作外国映画)
 ロシア映画「裁かれるのは善人のみ」が公開されている。日本でも評価が高かった「父、帰る」(2003)のアンドレイ・ズビャギンツェフ(1964~)の第4作で、カンヌ映画祭脚本賞他各国で高評価を得た。原題は英語読みで「リヴァイアサン」(LEVIATHAN)。圧倒的な風景絶望的な物語に打ちのめされるような傑作である。前から見たかったけど、一見して忘れがたい映画である。
 
 ロシア北方の海に面した町。その風景は荒涼としていて、この町には太陽が照る日がないのだろうかと思うほどである。でも、日が照っているシーンもあるので、物語にふさわしいように、あえて沈鬱な画面が続くのだろうか。調べてみると、映画はバレンツ海に面した町でロケされたという。バレンツ海とはどこだとさらに調べると、ノルウェー国境に接するあたりのロシア最北地である。北極海の一部だが、北大西洋海流の影響でその辺りの港は不凍港なんだという。

 その田舎町で自動車修理工をしているコーリャは、亡妻との子ロマと美しい後妻リリアと暮らしているが、大きな問題を抱えていた。海辺の見える家が、強権的な市長ヴァディムに見込まれ、安い補償金で土地収用を命じられているのである。取り消しを求める裁判をしていて、軍隊時代の部下である友人の弁護士ディーマをモスクワから呼んでいる。控訴審判決があり、完敗だったが、ディーマはモスクワで市長に関する重大な調査報告を持参していた。その証拠をもとに市長に補償金増額を認めさせようというのだ。実際、市長は一時は支払に同意したのだが…。

 この市長がとんでもない人物で、いつもウォッカで酔っ払って、権力で押し通そうとする。市の警察や裁判所も彼の影響下にあるかのような状況。デスクの向こうにはプーチンの写真が掲げられ、人々はスマホを駆使しているから、紛れもなく現代ロシアの物語なのである。市長はロシア正教の司祭に相談したりして、今や教会も権力と近いことが示されている。

 一方、コーリャの側も単なる「善人」ではない。妻と子の間はうまくいってないし、妻は弁護士と親しくなっていく。いつも酒を飲んでいるのは市長と同じで、市長ほどではないがパワハラ的な感じである。息子も家にはいつかず、遅くまで友人たちとたむろっている。どこでも世界共通である。警官の友人がいるが、いつもタダで車の修理をさせられている。その友人たちと誕生パーティと称して、車で遠出するシーンは興味深い。湖のほとりにでかけ、皆で銃を撃って遊ぶ。初めは缶やビンを撃っているが、その後は昔の指導者の写真を持ってきているのである。ブレジネフ、レーニン、ゴルバチョフ…。

 その後のパーティで起こった「ある事件」をきっかけに、コーリャ一家の運命は大きな悲劇に見舞われる。その事件そのものは語られないが、ここでコーリャと弁護士ディーマの関係が終わってしまう。一方、市長はディーマを拉致して脅し、彼はモスクワに帰る。金を払う気などなかったのだ。一方、コーリャと妻の関係は難しくなり、そのことから思いもかけぬ成り行きが彼に降りかかるのだった。彼の家が壊されていくシーンが悲劇のすさまじさを見せつけて映画は終わる。

 映画の最後の方は悲惨な成り行きに言葉もない感じだが、これはもともとはアメリカでおきた事件が基になっているという。コロラド州で起きた「キルドーザー事件」と言って、自動車修理工が再開発に反対して孤立、市長の抜き打ち検査で工場が業務停止となった。父が死んで孤独になった修理工は、ブルドーザーを改造して市役所や市長自宅などを襲撃して破壊し、内側から溶接されたブルドーザー内で自殺したという。2004年に起こった事件である。これにクライストの「ミヒャエル・コールハースの運命」という小説も影響を与えているという。だが、ロシアやアメリカに限定された物語ではなく、一方的な権力の横暴により個人の生活が破壊されてしまうのというのは、日本を初め全世界の物語と言える。(例えば沖縄を見よ。)

 暗くて陰鬱で、楽しんで見られる映画では全くない。だけど、このような圧倒的な物語と忘れがたい映像こそ、映画を見たという体験ではないか。家を飛び出した息子がさまよい、クジラの骨が残る海辺を見つけるシーン。その風景は非常に印象的で、チラシやポスターに使われている。まさか作ったものではないと思うが、こういう骨が海岸に残っているのか。いたるところに廃船がたなざらしされている荒涼たる風景は、現代人の心の象徴だ。そんな北の風土の中でこそ、この悲劇的な物語が生きている。

 ズビャギンツェフ監督は、「父、帰る」の後で、名前を聞かないなと思っていたら、「ヴェラの祈り」(2007)と「エレナの惑い」(2011)がカンヌで受賞した。この2作は去年公開されたけど見逃している。今回の映画が4作目。原題の「リヴァイアサン」は17世紀の政治学者ホッブズの著作ではなく、もともとは旧約聖書のヨブの物語から来ているという。海に住む怪物の名前だが、むしろホッブズの使った「個人が抵抗できないほどの国家」という意味に近い感じもする。俳優も好演しているが、まあ日本では知名度がない人ばかりだから、ここでは省略。音楽はフィリップ・グラスのものだが、映画音楽ではなくオペラの楽曲を使っているという。東京では新宿武蔵野館のみで公開。
コメント (1)
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