尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

人形町散歩②-玄冶店と甘酒横丁

2015年03月17日 22時54分43秒 | 東京関東散歩
 人形町界隈には古い地名がいろいろ残るが、「玄冶店」がこのあたりで、碑もあると知った。読み方が判らない人がいるだろうが「げんやだな」である。一体、何のことだか判らないながら、春日八郎の大ヒット曲「お富さん」の歌詞で知った。小さい時のことで、歌詞の意味が不明である。耳で聞きとった歌詞は、「いきなくろべえ みこしのまーつに、あだな姿の洗い髪 死んだはずだよ おとみさん 生きていたとは おしゃかさまでも 知らぬほとけの おとみさん エーサオー げんやだな」で、何の意味だか不明であった。だけど、リズムがいいから、何となく口ずさんでしまう。もう少し漢字に直すと、

 粋な黒塀 見越しの松に 仇な姿の 洗い髪 
 死んだ筈だよ お富さん 生きていたとは
 お釈迦さまでも 知らぬ仏の お富さん 
 エーサオー 玄治店(げんやだな)
  
 この碑は、人形町交差点の東北角(A4出口方面)の道路にある。字が道路側になってるので、ドラッグストアの前に車が停まってると見えない((案内板は歩行者側に書いてある。)「玄冶店」というのは何だろうと思うと、江戸時代初期の幕府医官・岡本玄冶の拝領した屋敷跡の地名のことで、人形町3丁目あたりのこと。「与話情浮名横櫛」(よわなさけうきなのよこぐし)なる歌舞伎の演目に「源氏店」と出てくる。「お富さん」の歌詞では、元の通りの字になっている。

 歌舞伎の筋を知らないと歌詞はよく判らないが、確かに「死んだ筈だよお富さん」というような話なのである。最近「お富さん」という中編歌謡映画を見る機会があったが、映画はどうってことないけど、春日八郎が出てきて、僕の世代ではよく知らないので面白かった。碑のあるところから裏へ入ると、今では人形町唯一の料亭という「玄冶店 濱田屋」がある。築地あたりにあるのと同じく、いかにも料亭っぽいつくり。大通りに戻り、少し行くと「うぶけや」という天明3年(1783年)創業という刃物屋がある。包丁、はさみの他、毛抜き、カミソリ、「諸流生花鋏各種」と何でも刃物がそろってるらしい。なにより店が古くて風情がある。
   
 大通りの向かい側、スターバックスの前の道に、「堺町・葺屋町(ふきやまち)芝居町跡」というパネルが建てられている。このあたりは、江戸三座と言われた中村座市村座があった。(もう一つは守田座で今の銀座にあった。)1841年に大火で焼失し、折からの天保の改革で同じ場所での再建が認められず、浅草の猿若町に移転を余儀なくされた。人形劇の結城座もここにあり、一帯に人形遣いが多く住んでいたから「人形町」という地名になったというのが定説らしい。

 芝居小屋は自由には作れない。この地域に作られたのは幕府の政策によるもので、江戸時代当初の1650年前後の成立である。当時は実は「吉原」(遊郭)もここにあったという。日本橋の芳町とは、葦(よし)の生える湿地で、そういう新開地にフーゾク街ができる。それが「葦原」と呼ばれ、時代とともに吉原となる。しかし、1657年の明暦の大火で焼失し、幕府は日本橋での再建を認めず、浅草の裏に「新吉原」を移したという。この地域は江戸時代には遊郭地帯だったり、歌舞伎や人形の芝居小屋の集まる娯楽地帯だった歴史がある。
  
 さて、人形町には施設的な場所(博物館、記念館等)がないし、お休み所みたいな場所もない。人形町だからか、辻村寿三郎のジュサブロー館というのがあるけど、今は人形教室としてしか利用していないと出ている。ということで、後の有名な場所は「甘酒横丁」なのかなあと思って、戻って交差点を渡る。「玉ひで」のある通りの向かい側に「甘酒横丁」とある。横丁だから、狭い通りに飲食店が密集してるのかと思ったら、そうではなくて結構広い通り。

 入るとほうじ茶の香りがしてくる。ほうじ茶カフェとか出てる。少し行くと、「鳥忠」というお店。鶏肉や卵焼きで有名らしい。向かいの方に鯛焼きの「柳家」という店。店の中に客がズラッと並んでる。どうも入りにくい店が多いんだけど、少し行くと「亀井堂」が見えてきた。ここは前から知っている。人形焼が有名だというけど、深焼きとある煎餅がうまい。でも、店頭のポスターに首相の顔があって「再挑戦べい」なんて大々的に出てくる。買う気失せたな。
   
 甘酒横丁をずっと歩くと弁慶像があった。解説板があるけど、読めないぐらい黒くなってる。歌舞伎で有名な町だからだと思うけど。その先に明治座があるが、そっちは別に隅田川沿いの「浜町散歩」をしたいと思う。戻る途中に「人形町志乃多寿司総本店」を見つける。いなりずし発祥の店だというけど、外見が寿司屋っぽくなくて行きには見逃した。最後に「水天宮」。水天宮というのは安産祈願で有名なところだが、現在は建替え中で仮社殿に移ってる。明治座の隣あたりにあるようだが、今回は行ってない。
 
 工事中の写真なんか意味ないんだけど、神社の建設工事というのも珍しいかなと思って。この地域には、人形町だけでなく、地下鉄駅が小伝馬町、水天宮前、浜町、東日本橋、馬喰横山などいっぱい集中している。地下を走ってる分には関係ないから、地上の地図が全然頭に浮かばないんだけど、今回歩いて少し判った。また近辺を歩いてみたい。けっこういろいろあるようだ。
 
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人形町散歩①

2015年03月17日 00時02分52秒 | 東京関東散歩
 冬は寒くて散歩シリーズもしばらく休んでいたけれど、一雨ごとに春も近づいてきた感じで、町歩きを再開したい。まず「日本橋人形町」を散歩。現在の23区体制になる前の、旧日本橋区の町名には「日本橋」が付けられている。東京メトロ日比谷線都営地下鉄浅草線が通っていて、日比谷線秋葉原駅から2つ目である。JR山手線では、神田駅の東方になる。東京の移動には地下鉄を使うことが多く、地上のようすがわからない。日比谷線は日常的に使うので、昔から数千回は通り過ぎていると思うけど、降りたことは数回しかない。僕に限らず、映画館・劇場・デパートなどがある駅以外は、たまたま通勤通学に使わない限り利用しないだろう。この町には、1970年まで人形町末廣という寄席があったというが、もちろん知らない。日本橋小学校の上にある日本橋社会教育会館で落語を聞いたことが何回かあり、その時に人形町駅を利用している。今は、けっこう古い情緒をウリにしているところもあるようだけど、地下鉄から上に出ると、「からくり時計」が二つある。ちょうど2時に火消しのからくりを見た。
   
 人形町は今ではチェーン店ばかりが目立つ感じだけど、少し歩くと古い感じも残っている。元々なんでここを散歩しようかと思ったかというと、永井荷風の「すみだ川」を読んだからである。幼なじみの女の子が芸者になることとなり、辛い別れがやってくる。「芳町」(よしちょう)に出るんだという。これがよく判らない。芸者のいるような町を花街(かがい)というが、昔から「東京六花街」というのがあるんだという。柳橋という場所は今では一つも料亭がないので、代わりに向島が入って、芳町・新橋・赤坂・神楽坂・浅草・向島を言う。花街にはなじみがないけど、芳町以外の街の名前はどこも有名で知っている。芳町だけ知らないんだけど、調べると「日本橋芳町」という地名がかつてあり、今は人形町なのである。地下鉄を出てすぐ「大観音寺」という寺がある。その寺に入る路地が何だか古そうな情緒を感じられる道だった。防火用井戸まで現存して使われている。
   
 大観音寺はこんなお寺。
  
 その路地を通り抜けて、左へ曲がって、さらに曲がって大通りの人形町通りに向かうと、そこに「谷崎潤一郎生誕の地」という碑が出てくる。ビルの半地下みたいなとこにあるから、大きな車が停まってると気付きにくい。上に「にんぎょう町谷崎」というお店が出来ている。ここで生まれていたのか。漱石、荷風、龍之介など東京生まれの近代作家の中でも、下町ど真ん中である。震災以後、関西に移住し、近代東京のモダン青年のイメージが薄くなってしまっているかもしれない。生誕の地の字は松子夫人のもの。上に「細雪」というお菓子の広告がある。
   
 谷崎生誕地のビルから道を隔てて、「玉ひで」がある。「親子丼」発祥の店で、1760年創業だというから長い。11時30分から13時まで並ぶと、ランチで特製親子丼が1500円。昔たまたま昼に通った時、ズラッと並んでいて、ここが「玉ひで」かあと感心した。入ったことはない。食べずに死にそうな気がするけど、まあそんなに悔いはない。近くにも古そうな店があって、そういうところが面白い。
  
 写真ばかりで長くなるので、2回に分けようかと思うけど、大観音寺や「玉ひで」の一角にあるものを少し。大観音寺の隣の路地をもっと通り過ぎていくと、初めて見ると何だろうという大きな建物がある。それが「日本橋小学校」で、上に「日本橋図書館」「社会教育会館」があるのである。複合施設になっている。ここの一角に「西郷隆盛屋敷跡」という案内がある。こんなとこに住んでたのか。でも、まあ案内板一枚ではなにも情緒を感じるわけではない。ところが、向きを変えると、後ろに都心にこんな建物が残ってるのかというトンデモ物件があった。
    
 さて、一回目の最後に。小学校から少し行った角に、「鯨と海と人形町」というパネルがあり、鯨の彫刻が置かれている。なんで鯨かは写真を拡大して読んでください。人形町の由来とも関わる話なのだが、それは2回目に書きたい。
  
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