クリント・イーストウッド監督がイラク戦争時の伝説的スナイパーを描いた「アメリカン・スナイパー」を見た。イーストウッドだから、いずれ見るんだけど、IS問題にも関わるし早く見ておいた方がいいかなと思ったわけである。でも、正直言って、こういう映画は書きにくい。出来は非常に良い。まあ、今のクリント・イーストウッドは何でも撮れるということである。どこにも淀みがない。内容は戦争映画だから、戦争そのものの問題、あるいは主人公の性格付けなどには議論があるだろうが、映画の流れそのものは非常にうまく出来ていて、冒頭からラストまで一気に見られる。ファンタジーではないから見る者に緊張感は強いられるが、「すごい映画を見た」という感じは十分に伝わる。でも、映画(に限らずアート全般)はどこか不器用で淀む部分があった方がいいのではないかと思ったりするのである。
この映画は、実在のクリス・カイルという海軍特殊部隊(ネイビーシールズ)員を描いている。彼は4回イラクに派遣され、160人を超える狙撃に成功した。帰還後に自伝を書きベストセラーになった。それが原作で邦訳もある。帰国後、PTSDの症状にも苦しむが、傷痍軍人との交流活動を続けて回復して行った。だが、退役軍人の射撃訓練に付き合っているときに、その相手に銃撃され2013年に38歳で死亡した。犯人の裁判は先月行われて、仮釈放なしの終身刑になったとの報道があった。彼の遺族などに綿密な取材をし、ジェイソン・ホールという脚本家がシナリオを書いた。この出来がいい。(アカデミー賞脚色賞ノミネート。)主人公はブラッドリー・クーパーが入魂の演技で、アカデミー賞主演男優賞ノミネート。「世界でひとつのプレイブック」「アメリカン・ハッスル」に続き、3年連続の主演男優賞ノミネート。
イラク戦争に関しては、2010年にアカデミー賞作品賞を受賞した「ハート・ロッカー」が緊迫感に満ちた傑作だったと思う。「アメリカン・スナイパー」(ちなみに、原題には「The」も「An」もつかない)は、スナイパーという職務の特殊性と実話ということから、緊迫感は多少薄くなる。むしろ家庭生活がうまくいくかどうかの方がスリリングである。主人公は戦争で敵を殺したことには、何の自責も感じていない。女性や子どもを撃った経験もあるが、この映画で見る限りでは、明らかに米軍を攻撃する意思を持って武器を所持している事例である。兵士は戦争そのものを自分で判断するべき存在ではないから、主人公が自己の戦闘体験を肯定するのは当然で、僕もそこをどうこう言う気はない。イラクの反体制組織(ザルカウィの作ったアル・カイダ系の組織)にも、優れたスナイパーがいて、彼はシリアの元五輪選手だというのだが、この敵スナイパーを仕留められるかが後半の見所となる。この映画を見て思い出すのは、ジャン・ジャック・アノー監督の2001年作品「スターリングラード」だろう。
最近のクリント・イーストウッドは本当に何でも自在に撮れてしまう感じである。硫黄島2部作の後は、「チェンジリング」「グラン・トリノ」「インビクタス」「ヒアアフター」「J・エドガー」「ジャージー・ボーイズ」と続いているのだから、その幅広さには驚くばかり。自分で脚本を書くわけではないので、企画のどの段階で加わるかは映画次第だと思うが、長い映画人生で会得してきた映画のリズムが備わっている。今回もクローズアップとカット割りの妙には感心させられた。時々相手側の描写も加えながら、心理描写は行わず、ひたすら戦場の現場に密着する。その意味では、この映画で「イラク戦争を考える」ということはできない。むしろ「兵士とは何か」を考える映画だろう。先にイーストウッドはなんでも撮れると書いたけど、ではすべての映画が素晴らしいかは別の問題である。「ヒアアフター」は津波の後の超常現象のところが付いてけない。「ジャージー・ボーイズ」は楽しかったからいいんだけど、ではベストワンなのかと思ってしまう。「アメリカン・スナイパー」も後味はあまり良くないと思う。
それはイラク戦争の意味付けにあるのではない。イーストウッドはハリウッドでは少数派の共和党支持だけど、イラク戦争には反対である。しかし、そういう政治的な問題をこの映画では持ち出さない。あくまでも「現場主義」に徹していて、その意味では参考になる部分はある。(ちなみに、都市景観のシーンはモロッコの首都ラバトで撮影し、戦闘シーンはカリフォルニアに作った大規模なイラク市街地のセットで撮影したという。)むしろ、この映画を見て考えさせられるのは、小さなころから銃に接し、「やられたら、やり返せ」的な教えを叩き込まれた主人公の生き方である。テキサスでロデオに熱中していたクリスは、ケニアとタンザニアの米大使館爆破事件をきっかけにして海軍に志願する。そこから米軍屈指のスナイパーとなったのは、もともとの射撃能力の高さ、情勢判断の的確さと何よりも幸運に恵まれたことなどだと思う。戦場ではほんの小さな出来事が死につながる。実際、仲間たちが死んでいき、彼が死ななかったのは偶然とも言える。しかし、その時彼は自分がもっと多くの敵を狙撃していれば仲間は助かったのに…と思うのである。その「自責」が彼を苦しめる。
小さなころに、弟がいじめにあい、兄のクリスが反撃したことがある。その後で父親が「世の中には三つの存在がある」と教える。「羊」と「狼」と「番犬」だという。羊が野蛮な狼に襲われたら、闘って撃退する番犬になれというのである。しかし、このたとえはどうなんだろうか。羊は野生動物ではない。牧場で飼われている存在ではないか。だから、世の中には「牧場主」という存在があって、その後に「羊」「狼」「番犬」があるわけである。しかし、父親は子どもに、牧場主になれと教えるのではなく、番犬になれと教えるのである。だから、クリスは軍人となると言えば短絡かもしれないが。でも、命令に従って行動する軍人ではなく、軍人に命令できる大統領を目指せと子どもには教えた方がいいのではないか。実際になれるかどうかはともかく。僕が一番感じたのはそのことで、軍人が国を守っていると信じていても、世の中には「間違った戦争」というものもある。その部分を自分で判断することを切り捨ててしまったら、自分が苦しむだけだと思うのである。
この映画は、実在のクリス・カイルという海軍特殊部隊(ネイビーシールズ)員を描いている。彼は4回イラクに派遣され、160人を超える狙撃に成功した。帰還後に自伝を書きベストセラーになった。それが原作で邦訳もある。帰国後、PTSDの症状にも苦しむが、傷痍軍人との交流活動を続けて回復して行った。だが、退役軍人の射撃訓練に付き合っているときに、その相手に銃撃され2013年に38歳で死亡した。犯人の裁判は先月行われて、仮釈放なしの終身刑になったとの報道があった。彼の遺族などに綿密な取材をし、ジェイソン・ホールという脚本家がシナリオを書いた。この出来がいい。(アカデミー賞脚色賞ノミネート。)主人公はブラッドリー・クーパーが入魂の演技で、アカデミー賞主演男優賞ノミネート。「世界でひとつのプレイブック」「アメリカン・ハッスル」に続き、3年連続の主演男優賞ノミネート。
イラク戦争に関しては、2010年にアカデミー賞作品賞を受賞した「ハート・ロッカー」が緊迫感に満ちた傑作だったと思う。「アメリカン・スナイパー」(ちなみに、原題には「The」も「An」もつかない)は、スナイパーという職務の特殊性と実話ということから、緊迫感は多少薄くなる。むしろ家庭生活がうまくいくかどうかの方がスリリングである。主人公は戦争で敵を殺したことには、何の自責も感じていない。女性や子どもを撃った経験もあるが、この映画で見る限りでは、明らかに米軍を攻撃する意思を持って武器を所持している事例である。兵士は戦争そのものを自分で判断するべき存在ではないから、主人公が自己の戦闘体験を肯定するのは当然で、僕もそこをどうこう言う気はない。イラクの反体制組織(ザルカウィの作ったアル・カイダ系の組織)にも、優れたスナイパーがいて、彼はシリアの元五輪選手だというのだが、この敵スナイパーを仕留められるかが後半の見所となる。この映画を見て思い出すのは、ジャン・ジャック・アノー監督の2001年作品「スターリングラード」だろう。
最近のクリント・イーストウッドは本当に何でも自在に撮れてしまう感じである。硫黄島2部作の後は、「チェンジリング」「グラン・トリノ」「インビクタス」「ヒアアフター」「J・エドガー」「ジャージー・ボーイズ」と続いているのだから、その幅広さには驚くばかり。自分で脚本を書くわけではないので、企画のどの段階で加わるかは映画次第だと思うが、長い映画人生で会得してきた映画のリズムが備わっている。今回もクローズアップとカット割りの妙には感心させられた。時々相手側の描写も加えながら、心理描写は行わず、ひたすら戦場の現場に密着する。その意味では、この映画で「イラク戦争を考える」ということはできない。むしろ「兵士とは何か」を考える映画だろう。先にイーストウッドはなんでも撮れると書いたけど、ではすべての映画が素晴らしいかは別の問題である。「ヒアアフター」は津波の後の超常現象のところが付いてけない。「ジャージー・ボーイズ」は楽しかったからいいんだけど、ではベストワンなのかと思ってしまう。「アメリカン・スナイパー」も後味はあまり良くないと思う。
それはイラク戦争の意味付けにあるのではない。イーストウッドはハリウッドでは少数派の共和党支持だけど、イラク戦争には反対である。しかし、そういう政治的な問題をこの映画では持ち出さない。あくまでも「現場主義」に徹していて、その意味では参考になる部分はある。(ちなみに、都市景観のシーンはモロッコの首都ラバトで撮影し、戦闘シーンはカリフォルニアに作った大規模なイラク市街地のセットで撮影したという。)むしろ、この映画を見て考えさせられるのは、小さなころから銃に接し、「やられたら、やり返せ」的な教えを叩き込まれた主人公の生き方である。テキサスでロデオに熱中していたクリスは、ケニアとタンザニアの米大使館爆破事件をきっかけにして海軍に志願する。そこから米軍屈指のスナイパーとなったのは、もともとの射撃能力の高さ、情勢判断の的確さと何よりも幸運に恵まれたことなどだと思う。戦場ではほんの小さな出来事が死につながる。実際、仲間たちが死んでいき、彼が死ななかったのは偶然とも言える。しかし、その時彼は自分がもっと多くの敵を狙撃していれば仲間は助かったのに…と思うのである。その「自責」が彼を苦しめる。
小さなころに、弟がいじめにあい、兄のクリスが反撃したことがある。その後で父親が「世の中には三つの存在がある」と教える。「羊」と「狼」と「番犬」だという。羊が野蛮な狼に襲われたら、闘って撃退する番犬になれというのである。しかし、このたとえはどうなんだろうか。羊は野生動物ではない。牧場で飼われている存在ではないか。だから、世の中には「牧場主」という存在があって、その後に「羊」「狼」「番犬」があるわけである。しかし、父親は子どもに、牧場主になれと教えるのではなく、番犬になれと教えるのである。だから、クリスは軍人となると言えば短絡かもしれないが。でも、命令に従って行動する軍人ではなく、軍人に命令できる大統領を目指せと子どもには教えた方がいいのではないか。実際になれるかどうかはともかく。僕が一番感じたのはそのことで、軍人が国を守っていると信じていても、世の中には「間違った戦争」というものもある。その部分を自分で判断することを切り捨ててしまったら、自分が苦しむだけだと思うのである。