尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

火のようにさみしい姉がいて

2014年09月20日 23時40分48秒 | 演劇
 渋谷Bunnkamuraのシアター・コクーンでやっている「火のようにさみしい姉がいて」を見た。(30日まで。)清水邦夫の1978年の戯曲で、蜷川幸雄の演出。大竹しのぶ宮沢りえの初の共演だという。演劇はチケットを取っておかないといけないので、しばらくあまり見てなかったけど、秋になって幾つかは行きたいと思っている。今回はやはり、両女優の競演を見たかったのである。
 
 清水邦夫、蜷川幸雄のコンビは、60年代末から70年代にかけ、櫻社の新宿文化での伝説的公演で有名になった。その頃は中高生だから見に行ってないけど、新聞の演劇評で気になって本を買ったのである。だから、「真情あふるる軽薄さ」「狂人なおもて往生をとぐ」「僕らが非情の大河をくだる時」「泣かないのか、泣かないのか、一九七三年のために?」とか、一度聞いたら忘れることのできない題名の戯曲を、僕は本で読んで知ったのである。あの時代の熱をはらんだ圧倒的なドラマの噴出を読んで、僕はなんだか圧倒されてしまい、清水邦夫戯曲の上演をほとんど見ていない。別役実や井上ひさしのように、ものすごくいっぱい見た劇作家と違っているのである。

 だから、1978年の初演も見てないし、全く記憶にもない。70年代後半になると蜷川は商業演劇で大成功し、清水邦夫は「楽屋」(1977)を書き、80年代に入ると、「雨の夏、三十人のジュリエットが還ってきた」とか「タンゴ、冬の終りに」などの代表作を連発する。その間にこの美しき狂気のドラマ、「火のようにさみしい姉がいて」という戯曲を書いていたわけだけど、案外上演時間も短く(休憩抜きで、110分)、不思議なドラマである。

 「オセロ」を演じながら、精神の均衡を崩していく俳優の男(段田安則)が、(宮沢りえ)とともに郷里に転地療養しようとやってくる。この雪国の町は「東京から5時間もかけて」やってくるところである。うーん、そうだったなあ。清水邦夫の出身地は新潟県新井市(現・妙高市)だから、その辺をイメージしているんだろう。1982年11月に上越新幹線が大宮ー新潟間で開業するが、それまでは特急「とき」に乗って上野から新潟市まで4時間かかったのである。つまり、彼らは特急「とき」に乗ってきたわけだ。どうでもいいことだけど、妻の実家が新潟市なんで、そんなことを考えながら見たわけ。

 ところが、故郷の町へ行くバスの出る途中の町で、とある床屋に入ってバス停の場所を聞こうとするところから、訳の分からない不条理劇風な展開になる。誰もいない床屋で、妻はトイレを借りようとし、その間に男は「オセロ」を演じて、うっかり店の備品のカップを割ってしまう。そこに女主人と周辺の人々がやってきて、男は事件をおこしてしまう。そこで、男の姉と弟が呼ばれてくるのだが、現れた「」(大竹しのぶ)は床屋の女主人と同一人物だった。しかし、男は姉を否認し、誰が誰だか、真実はどこにあるのか?と、様々に錯綜した関係性のドラマが進行する。年上の妻も俳優だったけど、結婚で引退したらしい。男と姉も秘密の過去があったらしい。この「二人の姉」の間で精神のバランスが崩れていく様を、「オセロ」をなぞるように描いて行く。

 このドラマが今もなお、人を引き付ける熱気をはらんでいるかの判定は難しい。床屋には必ず「鏡」があり、実際に前席の観客の姿が映っているが、その前で静かに大竹しのぶがナイフを研いでいる姿は、なんだかとても恐ろしい。蜷川の演出も、鏡をうまく使い印象的だけど、僕にはどうもドラマの魅力が失せている部分もあるように思った。主役の3人以外の、特に床屋に集まる人々の役割が僕には判らなかった。セットは、劇場の楽屋と床屋の二つで、交互に出てくる。この劇は、演劇内世界と外部、妻と姉、東京と郷里など、2つが対比されて進行する。その「図式性」を超える表現の豊かさがあるかどうか。長い時間が経ち、僕には少し古い感じも否めない感じを抱いた。もっとも遠くから見ていて、最近は耳が悪いうえ、例によって蜷川演出はスピーディなので、理解が付いて行かなかったのかもしれない。大竹しのぶは出るだけで貫録だが、僕は宮沢りえの安定した演技が良かったと思う。
コメント
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