尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

卒業式の時期と大阪のある卒業式-卒業式③

2012年03月19日 23時23分19秒 |  〃 (教師論)
 大阪府立高校で17人の教員が国家斉唱時に不起立だったとして、9日に戒告処分が発令された。このニュースを聞いて、「エっ、大阪はもう終わっちゃったんだ」というのが最初の感想だった。卒業式の日取りのことである。2月中には終わってるらしい。東京では、2月中の卒業式は許されない。年間行事計画が都教委に受理されない。今年の卒業式一覧を見ると、1日から23日に及んでいる。全日制普通科高校は大体10日前後が多い。職業高校ではひとケタの日付が多い感じ。でもさすがに大体は終わっていて、この段階で終わっていないのは6校である。春分の日に卒業式を行う学校もある。

 まだ終わってないところは「単位制高校」だからである。学年制高校なら、進学校はもちろん夜間定時制高校でも2月上旬には授業を終えてしまう。早めに年間の成績を出して卒業の可否を判断するためである。でも、完全な単位制高校では、各年次の生徒が混ざって授業を受けている。卒業予定生徒と1年が一緒に受けている授業がある。卒業生だけ早めに終えることができない。卒業生を3月にテストするんじゃいくらなんでも遅すぎるということで、なんとか工夫を考えて見たけれど、どうもうまくできない。「単位制」というのは、不登校生徒が学校になじんでいくにはふさわしいけれど、世の中にはこれが絶対という仕組みはないものだ。他の学校の生徒がもう授業がない期間に、よりによって不登校生徒向けの高校が生徒を延々と登校させ続けなければならない。

 高校を出ると、就職や進学で実家を離れて下宿する人も多い。また、職場によっては4月1日入社までに自動車免許を取っておいてほしいという会社もある。早生まれだと夏休みには教習所に通えないから、冬休みから2月、3月に取得することになる。それどころか、3月中に入社式をやってしまうとか、研修と称して実質働かせてしまう会社も多い。そういえば、プロ野球の高卒ルーキーなんかも、2月中にキャンプインしている。本来は3月31日までが年度だから、卒業式を終えても学校の指導はありうる期間に働かせていいのか。でもアルバイトすると思えば同じなわけだけど。こういう社会実態があるので、特に大都市に進学、就職する生徒が多い学校では早めに卒業式を終えるんだろう。東京が2月中の卒業式をやらないのも、ほとんどの生徒が自宅から進学、就職するという現実によるのだと思う。

 さて、大阪の事態だけど、いろいろの派生事態が起こった。例えば、大阪府議会議員の西田薫(維新の会)という人が母校の卒業式に参列して、不起立教員を目撃、来賓挨拶で生徒に向け、「皆さん、ごめんなさい」と発言し、自分のブログに「残念な卒業式」という記事を掲載した。これに対し、生徒や保護者と思われる人から「おめでとうの言葉もないなんて。非常識な挨拶だ」といったコメントが殺到した。この件は一部で報道されたが、知らない人も多いと思うので簡単に紹介しておく。

 本人のブログでは、「いつもなら『卒業生の皆さん、卒業おめでとう~』っと大きな声で一言話しますが、本日は『皆さん、ごめんなさい』。『社会の常識、社会のルールを教えるのも学校なのに、そのルールうを守れない教員がいることをお詫びします。ほんとうにごめんなさい。』と…。」と書かれている。

 これに対して現在1000件以上のコメントがあるのできちんと読んでいられないが、最初の方にある「卒業生」と名乗るコメント。一部省略。行を詰めた。
 「この度は、私たちの卒業式にご来賓賜りまして誠にありがとうございました。ただ、申し訳ございませんがはっきり言わせていただきます。あの場での「ごめんなさい」という挨拶。なぜ、あそこであのような自己主張をされたのですか?いくら条例で決まっているからとはいえ、あたしたち卒業生におめでとうの挨拶もなしなのですね。

 まず第一に、昨日の卒業式での主役はあたしたち卒業生です。たくさんの方々に感謝して抱えきれない思い出を持ってとても良い学校だったと胸を張って言い切れます。その最後の最後の思い出となる卒業式を、あのような形で雰囲気をぶち壊したのは西田さん、あなたです。

 答辞をきちんと聞いていただけたでしょうか。あの答辞は、私たち生徒自身で考え出来上がったものです。あれを聞いても、私たち生徒が、どれだけ先生方に感謝しているか、どれだけ学校の友達や先生すべての方を大好きなのか、西田さんには、伝わっていなかったのですね。とても残念です。(後略)」

 一方、「保護者」のコメント
 「今日の卒業式に参加した保護者です。こんな失礼な挨拶をされた人を見たのは、初めてです。あなたの意見は、式後、校長に言えばいいのではありませんか。

卒業生は三年間、先生方にお世話になり、今日感謝の気持ちでいっぱいだったと思います。充実した学校生活を送れたのではないでしょうか。答辞での卒業生の涙でも明らかです。

あなたは、子供たちの三年間、先生たちほど関わったのですか。「皆さん、ごめんなさい」とあなたに謝っていただく筋合いはありません。(中略)子供たちを直接教育された人を公の場で辱めていいんですか。祝いの席で言うべき言葉だったのでしょうか。」

 PTAからの正式な抗議があったようだが、その後ブログには「卒業生の皆さんへ」と題する文章を書いている。それよりも「不起立はマネジメントの問題」などという発想とまったく無関係に、学校が教師と生徒の「協働」によって生き生きと活発に活動している様子がよく伝わるではないか。これが全国のほとんどの高校の実際の姿だと思う。それは前回書いたように、卒業式が「謝恩の日」として生徒の心の中で昔以上に大きな意味を持っている現実を証している。こういう「教師と生徒の協働性」というものこそ、今まさに崩されていこうとしているものである。学校現場のジャマばかりする教育行政によって。
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「謝恩の日」-卒業式②

2012年03月19日 00時12分14秒 |  〃 (教師論)
 卒業式というもの、あるいは学校そのものも時代とともに少しずつ意味が変わっていく。僕が最後にいた単位制高校では、生徒がバラバラに卒業していく。原則4年の定時制だが、3分の1くらいの生徒は3年で卒業して大学などへ主に推薦制度を利用して進学する。4年で出られず、5年、6年と掛けて卒業する生徒もいる。ついに卒業まで至らず、退学、転学していく生徒も多い。ほとんどの生徒が中学不登校、高校中退経験生徒で、単位制で1科目ずつ積み上げて行って卒業に到達する。全日制の進学校などと全然違う、「卒業の重み」というものを僕は教員生活最後で痛感することになった。

 教師は卒業式の日に卒業生や保護者から「お世話になりました」と挨拶をうける。どの学校の卒業担任の時もまあ確かに「お世話した」のは間違いないが、5年、6年かかった生徒などは、確かに自分でも「お世話しました!」と言いたい感じがする。このような「教師に感謝の意を伝える日」というのが、卒業式の持つ機能の一つだけど、最近では特に東京ではこの側面が強まっているのではないか。僕が生徒だった頃は、それほど教師にお世話になったという感じを持たなかった。高校も大学も「一般受験」という形式しかなかった。大学の説明会などというものもなかった。(もちろん都立高校にあるわけない。)高校卒業後は「大学浪人」なので、卒業式の日に教師に格別の謝恩の気持ちがあるわけない。受けたいところを受けて受かったり落ちたりするだけで、書類を作ってもらう以外には進路指導は特にない。むしろ授業で刺激を受けた先生への感謝の気持ちの方が大きかった。

 昔は卒業式という日は、「クラスメートに最後に会える日」という「クラス解体式」という性格が強かった。自分の中学の時はなかなか団結力があるクラスだったので、式後にお別れ会を開いたり、よく集まったりした。2年から3年になるときにクラス替えがなかったので、2年間の思い出があった。(大卒後に赴任した新採教員が担任で、卒業をもって退職して英国留学をするという事情も大きかった。)しかし今時の高校生は今後も会いそうな友人なら全員、携帯電話にアドレスが登録してある。やがて仕事や勉強が忙しくなってしまうけど、最初のうちは一斉メールで来れる人を集めて「ミニ同窓会」をよくやってる。昔は一人ひとり家に電話したことを思えば、大きな変化である。

 今は進学指導が複雑怪奇で、特に推薦で進学を考える生徒などは「担任のお世話」になる度合いが昔の比ではないと思う。就職などは昔も学校の世話という側面が強かったけど、今のような「就職氷河期」が続くと就職希望生徒と担任、進路部は、ハローワークの担当者も加えて、いわば「同志関係」で闘っている感じになってくる。今年は特に被災地の就職希望生徒などは本当に大変だったと思うけど、報道等で見ても教員側の苦労も例年に数倍して大変だっただろう。生徒の方でも大変感謝しているに違いない。今は進学も就職も情報はほとんどWEB上で公開される。だから家でインターネットを見られる生徒は自分でここに決めましたというケースもあるけど、家で見られない生徒は大変である。学校の進路部やパソコン室あっての進路活動なのである。そういうような事情があるので、推薦進学生徒や就職生徒にとって「学校にお世話になった感」は昔よりもはるかに大きいわけである。進学実績を競うことばかりが重要視される風潮が強い昨今、「学校は死んだ」などという人もいるけど、そういう人は現実が見えていない。日本の高校生の半分以上は、推薦で進学したり学校あっせんで就職しているのである。

 卒業式に関して昔と違う事情が他にもある。昔はクラスメイトが全員そろうのは二度とないという感じだったけど、一方教師にはいつでも母校を訪れれば会えるという感じを持っていた。もちろん昔も異動や退職はあったわけだけど、多くの先生は10年以上はいた。いられた。いわゆる「強制異動」制度そのものがなかった時代である。だから実際文化祭に行けば大体の先生に会えたし、数年後に教育実習で母校の高校に通った時も教えてもらった先生がたくさん残っていた。そういう先生を中心に飲み会を設定してくれたりしたものだった。今は、4月に行くと担任の先生には会えない確率が昔よりはるかに高い。卒業させてすぐの異動は今も少ないかもしれないが、教えてもらった先生のかなりが転勤する可能性は高い。卒業式では異動が発表にならない。20日過ぎに卒業式があるような高校では、卒業式後に先生と話しておかないともう二度と会えない可能性もある。

 別に会わなくてもいい、年賀状であいさつをすればいいと思うかもしれない。でも、今ではPTA会員名簿というものが作れない。(大体PTA自体が全員参加ではない。)生徒名簿というものを校内で作成することもできない。クラスごとに担任が作ることはあるが、生徒には配布できないし、教員も家には持ち帰れない。生徒の住所は「S1情報」(セキュリティ重要度第一位の情報)で校外持ち出し禁止である。校外行事の時だけ、持ち出し簿に書いて管理職の承認を受ける。だから生徒からの年賀状というものも、昔に比べてめっきり減ってしまったのである。担任の住所が判らないのだから。(それでも「年賀状出したいから教えて」という生徒はいるので年賀状ゼロにはならない。)この情報管理がどれだけ文面通り行われているかは知らないけど、僕は「もう家から保護者に電話しなくていい」という指令だと受け止めて、規定通りやっていた。でも担任が家から生徒宅に電話できなくていいんだろうか。バカらしいほど厳しくて、震災でも連絡網がなかったりしたので少し見直したかもしれない。

 ということで、卒業式という日が生徒どうしの別れの日であるとともに、教師に謝恩の意を伝える日という意味が昔より大きくなってきたと僕は思っているのである。卒業式後に暴れるなんて昔の話で、今は親子でやってきて教師に感謝して一緒に写真を撮って帰る。
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