尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

東住吉冤罪事件の再審開始決定!

2012年03月09日 00時55分38秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 旅行中のラジオで、「大阪の女児放火殺人事件」で、「再審開始の決定が出た」というニュースを聞いた。え、もうそんな段階に来てたのか、それは知らなかった。先ほど確認したら、支援関係のサイトにはこの日に決定があるという告示が緊急に出てたけど、裁判所からの通知も一週間前の2月28日だったということで僕は確認してなかった。この「事件」は再審どころか、原審、いや「事件」そのものが東京の報道機関ではほとんど報じられてきていない。多分ほとんどの人は知らなかったと思うし、東京のマスコミ関係者もよく知らないのではないか。(関西では違うかもしれない。)

 だからだと思うんだけど、報道の仕方について困った点が多い。そこを指摘するために簡単に書いておきたい。まず、報道する側が知らないから、「事件の名前」がない。各紙は「大阪の放火殺人」と書いている。そうじゃない、でしょ。「放火殺人じゃない」っていうことで再審開始決定が出たのである。「放火殺人事件」自体がなかった。「放火殺人」は起こっているけど、犯人が違うという事件ではない。それなのに「放火殺人」とカギカッコもつけずに見出しで報じる。これでは本質を間違って伝えることになる。せめて「女児焼死事件」というのなら、まだましかもしれない。しかし、そもそもは「事故」であり、「事件」ではないという「事件性そのものが争われている」というケースなのである。

 ではなんと呼ぶべきか。はっきりしている。10年以上も前、2000年という控訴審段階から支援のウェブサイトがあって、「東住吉冤罪事件」と自ら表現しているのである。「冤罪」というのは主張の部分だからマスコミ的には取ってもいいかもしれないが、明らかに事件名としては「東住吉事件」と呼ぶべきなのではないかと思う。10年以上も前からウェブ上で活発に更新されていたし、国民救援会系の「再審・えん罪事件全国連絡会」にも参加している。冤罪問題に関心を持つ人には、知られている事件だった。

 この再審開始決定の意義は大きい。その理由の第一は、再審請求人が現在服役中だからだ。今まで服役中に再審開始決定が出た重大事件はないはずである。もちろん死刑再審の4事件は、拘禁中の請求人が判決によって釈放されたというケースである。でも、死刑という刑罰は「絞首」が刑の執行であり、それまでの拘禁は刑の執行そのものではない。また、足利事件の菅家さんは無期懲役刑の執行中に、検察側によるDNA鑑定で無実の新証拠が出たため検察官によって刑の執行が停止されて釈放されて、その後に再審が決まった。昨年の布川事件の他、戦前発生事件の吉田岩窟王事件や加藤老事件、戦後に起きた梅田事件など無期懲役刑の再審開始もあるが、「仮釈放」以後に再審開始決定が出たというケースである。死刑や無期の事件でも再審はありうるけど、長い長い時間を経たのちに出るものだという、今までの通念を破る決定である。これは東電OL殺人事件、筋弛緩剤えん罪事件などに希望を与える決定である。

 理由の第二。今までともすると、冤罪は「昔の事件」で、科学的捜査が弱かった60年代頃までの話だということが多かった。富山県の氷見事件を見るだけでもそれは間違いなのだが、1995年の事件で再審開始決定が出たということは、冤罪は過去の問題ではないことをはっきり示すものである。

 理由の第三。最高裁で確定したのが2006年。11年裁判で争った。しかし、確定からはまだ5年ちょっとしか経ってない。こんなに最高裁での確定から早い再審開始決定も聞いたことがない。担当した裁判官は退官しているようだけど、これは最高裁のあり方を考えさせる事例であると思う。

 理由の第四。「自白」に頼る捜査、それを追認する裁判という、日本の刑事司法の「悪弊」を科学的鑑定で打ち破るという、刑事司法の流れを加速するのは間違いない。

 だからこそ、検察側は直ちに即時抗告して争う姿勢を見せている。これはおかしい。そして、すでに16年拘束されている二人の請求人はただちに「仮釈放」するべきである。(争う「法的権利」が検察に与えられている現在の法制度では、「刑の執行停止」をせよと言っても実現しないだろう。しかし、拘束されて16年。刑の確定は2006年で、そこだけ考えると「まだ早い」かもしれないが、時間の長さはもう仮釈放に十分ではないか。)
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