尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

藤本(菊池)事件・死刑執行後再審をめざして

2011年09月20日 23時34分53秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 今回熊本へ行ったのは、藤本(菊池)事件の再審をめざす集会に行くためです。この事件はハンセン病あるいは冤罪事件の歴史の中ではかなり知られています。しかし、一般的にはまだほとんど知られていないと思います。ハンセン病差別により無実の人が殺人犯とされ、療養所の中に作られた特別法廷で差別的な裁判(具体的な内容は例えばウィキペディア、あるいは国賠訴訟後に厚労省で行われた検証会議の報告を参照)を受け、死刑が確定しました。その後再審に向けた取組のさなかに、1962年9月14日突然死刑が執行されました。そんなひどいことが日本であったのかと思うかもしれないけど、あったんですよ。では、なぜ知らない人がいるんだろう?今回の「50回忌」、来年の「処刑50周年」を機に、再審への機運が高まっていますが、東京ではほとんど報道されていません。地元の熊本ではかなり報道されていましたが
 (なお、この事件は今まで「藤本事件」と呼ばれてきましたが、弁護団から「菊池事件」への呼称変更が呼びかけられています。しかし、そうすると「藤本事件」での検索にかからなくなってしまいます。当面は両方の呼称が必要と考え、表題をそうしました。


 僕は冤罪やハンセン病に関して長く関心を持ってきたので、むろん「藤本事件」も30数年前から知っていて、気にかかってきました。この世の中で何が「一番あってはならないこと」でしょうか。戦争や犯罪で何の責任もない幼児が殺されてしまうこと。しかしその場合でも「それが良いこと」とは誰も言いませんし、犯罪をすべて防ぐ方法はないでしょう。「無実の罪で死刑判決が下り死刑が執行されてしまうこと」はどうでしょう。僕はこれはこの世で一番あってはならないことだと思います。なぜならそれは国家から理由なく殺され、しかも「この世を良くするためにお前を抹殺する」とレッテルを貼られた上での死だからです。国家権力による権力犯罪の極致です。

 では、日本では「無実の死刑囚への執行」はあったのでしょうか。執行前に再審で無罪になり釈放されたのが4件(免田、財田川、松山、島田)、再審請求中の死刑囚が獄中で死亡した例が数件(帝銀、牟礼、波崎、三鷹、三崎など)。これに対し、無実なのに死刑が執行されてしまったと訴えがある事件は、藤本事件、福岡事件、飯塚事件でいずれも九州の事件。福岡事件の西武雄死刑囚は獄中で「叫びたし 寒満月の割れるほど」という句を作っています。他にも疑われている事件はあるようですが、この3事件は具体的に再審の動きがあるのです。(なお、飯塚事件の執行は2009年。)

 さて、集会が開かれたのは、ハンセン病療養所菊池恵楓園(きくち・けいふうえん)。熊本市から北へ1時間程度、もっと遠くかと思っていましたが、案外近い所にありました。園の会館で開かれた集会には約130人が参加、再審への可能性を考えました。自治会副会長の志村康さん(国賠訴訟を始めた人です)から、当時の面会での様子などが語られ、読み書きがよくできないまま有罪にされたという話がありました。続いて八尋光秀弁護士から再審への説明がありました

 この事件への取り組みは東京でも必要だと思います。なぜなら、事件と裁判、死刑執行は九州で起こりましたが、一番の問題である死刑執行は、東京で法務大臣が執行命令に署名したことによるものだからです。中垣國男法務大臣による執行命令は、1962年9月11日付でした。この「日本の9・11」から来年で半世紀。私たちはそれを忘れないという意志表明がなされるべきだと思っています。
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若狭明美、「六本木少女地獄」が新聞で紹介

2011年09月20日 00時01分00秒 | アート
 かねて紹介中の若狭明美(筆名原くくる)「六本木少女地獄」(星海社)が新聞に載りました。「若狭をプロデュース作戦」第1期の成果。一つは共同通信配信(14日)の「ひと紹介」欄(新聞により少しずつ名称が違う)の記事。通信社というのは地方紙を中心に記事を配信する会社で、掲載されるかどうか、またいつ掲載されるかは配信を受けた会社で違ってきます。現在判っているところでは、東奥日報(青森)、茨城新聞、福島民報、新潟日報、静岡新聞、岐阜新聞、京都新聞、神戸新聞、日本海新聞(鳥取)、山陰中央新報(島根)、宮崎日日新聞、東京新聞(19日)、産経新聞(25日)などに掲載されています。多くは15日付で掲載ですが、東京新聞は19日の紙面にカラー写真で載っていました。その後産経新聞にも掲載されています。
 もう一つは、16日付の朝日新聞東京版でかなり大きく掲載されました。しかし、都内版や地方紙中心なので見ていない方も多いと思うので、ここに紹介しておきます。
(朝日新聞2011.9.16)(東京新聞2011.9.19)

言葉
・「絶望的に見えても希望は必ずあると信じてる」
・「自分のいるところだけを世界だと思っている人に、違う見方を提示したいです」
「六本木高校」と出会う
・「約2カ月で高校を退学。しばらくは家を出られず、人と会うことができない状態が続いた」
・「目標を失い翌年春まで自宅で悩み続けた」
・「中学時代の恩師の勧めで六本木高校を受験し、また大好きな演劇を始めた」
・「再入学したのが「チャレンジスクール」と呼ばれる、六本木ヒルズの足元にある高校だった」
・「入学の日に同級生二人と友達になり一緒に演劇部へ」

 僕は、この「ドラマ」はもっと知られるべきだし、もしかして中学不登校や高校中退の、誰か今悩んでる人の目に留まるためにも新聞に載って欲しいなと思った。新聞を見ないかもしれないから記事そのものをブログで紹介する。若狭本人にもそうだけど、六本木高校で出会った多くの悩み多き若者たちに対しても、少し「恩返し」ができたのではないかと思っている。僕に多くのことを教えてくれた生徒がいる。あなたたちの同窓生に、自分の「挫折」体験を通し自分の世界を発信する人が現れましたよ、と伝えたい。

 なお、東京新聞の最後に「池谷孝司」さんの署名がある。共同通信の池谷さんは『死刑でいいです』というドキュメントで評判を呼んだ人。これは現実に母親を殺してしまい、後に再び殺人を犯し死刑でいいですと言った青年を追ったものである。「六本木少女地獄」はイマジネーションの世界における「親殺し」=「王殺し」=「神殺し」の物語とも解釈できるが、果たして現実の殺人者に対峙できるほどの想像力を構築できているか。このようなテーマをたてることも可能で、いろいろな読み方の一つとして提示しておきたい。

 ところで青森の東奥日報にも載ったということなので、寺山修司記念館の人も見てくれたかな。僕も一度行ったことがありますが、三沢の中でもなかなか遠い。下北半島の方です。

 なお、この「六本木少女地獄」に関しては、今までに次の記事がある。
原くくる『六本木少女地獄』、出版」(9.1)
若狭明美『六本木少女地獄』をめぐって①」(9.1)
六本木少女地獄について私が知っている二、三の事柄」(9.3)
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