尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「六本木少女地獄」について私が知っている二、三の事柄

2011年09月03日 23時34分53秒 | アート
 表題はゴダールのもじりですね。「六本木少女地獄をめぐって2」は来週以後、作品論として。もしかして買ってくれた人がいたら、「何だ、これ、全然わからん、どうなってるの、難しいかも」という人がいるのではないか。それはそれでいい。そういう状態を楽しむのも、この作品の狙いだと思うから。

 一昨年、都教委が主任教諭制度を導入した時から、僕の心の中で都教委との縁は完全に切れたので、最後の2年間、自己申告書と週案を不提出。自己申告書不提出だから、どうせ強制異動だと思ってたから、若狭たち新1年生が入ってきたとき、あまり関係を作りたくなかった。でも、僕の教員人生を振り返ってみると、異動かなと思って、それで残ったときには、何かボーナスがあるものなのだ。「六本木少女地獄」は、だから僕にとっては、教員生活最後の年にもらったものすごくビッグなボーナス。だから、演劇部の現3年(と6年目の生徒)には、気持ちが残ってしまった。ホントのホントのところは、あと1年六本木高校にいたかったかな。

 あるとき、若狭が自販機で飲み物を買ってた時に、僕は全然気づかず、直後に「あれ、若狭じゃない。フツーの子みたいでわからなかったよ」と言ったら、「私、フツーの子ですよー」、「あんな劇書いて、どこがフツーなんだよ」と。むろん「日常の若狭さん」は生活面も学習面も熱心な感じのいい生徒だ。しかし、心の底を探っていけば、そこには「才能」が、もしくは「魔の領域」が隠されている。もちろん、多かれ少なかれ誰でもそれは同じだと思うけど。でも、彼女には今までドラマを書き続けてきたことによる「技術」がある。この技術をうまく生かしたのが「少女地獄」で、テーマや題材ばかりがよく言われてしまうが、むしろテクニシャンぶりこそすごいと僕は思っている。そして、そこの部分が若狭を支えている。自信にもなっていると思う。つぶれずにこれからもやっていけるだろう部分だ。(人間は身体化された「技術」が日常を支えるのだ。)

 六本木高校の部活はみんな「秘密結社」みたいなもんで、夕休みはいつも会議だから生徒の動向はよくつかめないし、メンバーは揃わないし。もう部活はいいから授業には来いよ的世界。演劇部には毎年のように書ける生徒が出てくるけど、若狭が書いたものもそれまではウェルメイドプレイが多く、こんな作家性全開の芝居を作っているとは判らなかった。演技のアンサンブルも抜群だったし、「都大会」の成績は嬉しかったが、僕は予想はできなかった。(事前に、何か賞は来るかなとは彼女に言ってた。僕は「創作戯曲賞」をイメージしていた。実際その賞も受賞した。)たった4人で作った「小さな前衛劇」である。これが評価されると、若狭は大変なことになるのではないかとも危惧した。「チャレンジスクール」で、「やり直し」の生徒が大活躍!!である。都教委もマスコミも大きく報道するかもしれない。しかし、それは全然なかった。まあ、別に都教委に誉められたいわけではないんだけど、それはないだろ的な気持ちもあるな。

 もう一つは書いた若狭自身の問題で、自分の切実なモチーフや、自己の体験そのものをどのくらい盛り込んでいるのかがわからないから、これを書いて評価され注目されると、その重さに耐えられるだろうか、いわば自重で滅びないかという心配もあった。それが若狭に「一回ちゃんと話そうよ」と声かけた理由だったのだったが、こういう時に生徒を支えられなくてはチャレンジスクールではないという思いもあった。僕は彼女と話して「腹のくくり具合」を計測したわけだが、その様子はここで書かない。結論的には、僕は「ああ、この子はきっと大丈夫」と思ったように記憶する。そして、お互いに「コアな映画ファン」であることを発見した。その日話したことは、若狭にとっても自分を整理するために良かったのではないかと勝手に思っている。すごく大げさにいえば、「作家と批評家の邂逅」。僕は教師としてというより、「作家若狭」を守るために活動したのだから。

 六本木高校は「ガラスの動物園」(テネシー・ウィリアムズの戯曲です)で、1期生、2期生は今に倍して気を遣うべき生徒がいたと思う。(若狭たちは5期生。)外でタレント活動してる生徒もいっぱいいて、担任した生徒がテレビの連ドラに出たりするのに驚いた。そこまで行くと、学校で継続的に演劇部やダンス部で活動はできない。なかなか難しい状況の中、クラスに演劇部3人がそろって活動できたことは、奇跡に近い確率ではないかと思う。まあ、僕が「六本木少女地獄」に貢献したことがあるとしたら、関東大会、校内クリスマス公演に向け頑張っていた時に、差し入れしたくらいでしょ。(短期集中講座の社会科見学で行った銀座アンテナショップめぐりで買ってきた北海道銘菓「わかさいも」を。)
コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 若狭明美『六本木少女地獄』... | トップ | 追悼・大塚一男さん »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (呉一郎)
2011-09-04 00:05:09
同期だったら面白かったんですが、残念。しかし、六本木から凄いのが出て、今後が楽しみですね。近いうち紀伊国屋行って見てみます。
返信する

コメントを投稿

アート」カテゴリの最新記事