尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

若狭明美『六本木少女地獄』をめぐって①

2011年09月01日 22時25分49秒 | アート
 自分が直接知っている人が書いた本を、これから何冊か断続的に取りあげて行きたい。
 まずは、ひとつ前の記事、「六本木少女地獄」を書いた、若狭明美さん(以下敬称略)のこと。筆名で出版したけど、ここに本名で書く。昨日の記事では、「作者は現役女子高生で」なんて書いてるけど、実は昨日会ってる。今「若狭をプロデュース」作戦決行中で、新聞社の取材に立ち会ったのだが、記事では本名も出る予定。僕が現役教師だったら、管理職の許可、保護者の了解などと面倒なことを言われてやっていなかっただろう。しかし、今は僕自身が「一人の表現者」(評論家)で「市民運動家」として、「若狭明美という一人の表現者」の出発を伝えたいと思う。

 週刊金曜日の僕の記事を読んで、「これからどう反撃するのか?」とか、「やっぱり辞めずに不登校の生徒に関わって欲しかった」という意見も聞いたけど、僕は自分がこのブログを書いて、そこでこうして若狭を紹介することは、その反撃の一環だと思っている。個人的に僕が学校現場にいて救える子供たちもいるだろうが、こうして「若狭明美と言う物語」を伝えることを通して、もっと多くの子供たちを救えるかもしれないのだから。

 彼女が中学や私立高校でどのような「傷」を負ったかは、前の記事に紹介したインタビューに譲る。「高校中退」で「チャレンジスクール」と出会い、まさにここでしか得られない学習環境と友人を得て、演劇部で「作家性のある物語」を作り大きな評価を得た。ここまで自己表現できる生徒は少ないと思うが、それでもこのような高校(三部制の単位制定時制高校)を知ることで、学び直し、生き直し、自分の足で歩み始める若い人々がきっといる。もちろん、他の三部制高校や夜間定時制、通信制高校でもいい。いや、高卒認定試験に合格して直接大学や専門学校に進学してもいい。個別的にどこの高校ということではなく、「いつでもやり直せる」というメッセージの身体性が、僕の言う「若狭明美という物語」なのである。実際、渾身の力作である「六本木少女地獄」には、「不登校」「中退」というか、生き難きこの世で傷つき傷つけあう同世代の多くの魂が憑依(ひょうい)しているのではないかと思われる節がある。

 「若狭明美と言う物語」はまだ完結していない。卒業と進学先が決まったとき、ようやく第1幕の終わりが見えてくるだろう。だから出版を機に広めたいとは思うが、この後しばらくは「沈潜」も必要だし、不必要に騒がれない方がいい時期がある。でも、「表現者」であることを宿命づけられた(自分で選んだ)若狭の進路選択がある種の象徴性を持つのもやむを得まい。今、知的関心の深まり、大学での自己表現活動への夢などから、文科系大学への推薦での進学を考えるだろうと思うが、欠席数などはかなり多いかと思われる。(入学当初は心の状況がまだ登校が難しい時期だったのだろうと思う。今年になっても入院したし。)もしこのブログを志望する大学の関係者が見ることがあったら、是非じっくり話は聞いてあげて欲しいと思う。大学側にとっても大切なチャンスなのだと思うから。自分の思想や哲学をここまできちんと語れる生徒もいまどき珍しいと思う。そして大人ともおしゃべりを楽しめるタイプなのだから。もちろん、自己の見方へのこだわりの強さもあり、一見「小生意気」に感じるかもしれない。実際そうなんだから仕方ない。でも、そういう生徒とどう向き合えるかは、オトナの制度の側でも試金石であるのですよ、と強調しておきたい。 
 (もちろん、今年若狭のほかに何人もが卒業をめざし、進学・就職を目指している。できるだけたくさん卒業できるといいし、心理や演劇の大学を目指しているみんなが成功することを祈っています。しかし、本を出してしまった若狭の行く末は、ある意味多くの「不登校生」にも象徴的な意味を持ってしまう。)

 僕は若狭を授業で教えたことはない。「六本木少女地獄」をめぐって彼女と話す機会があり、それ以後ある程度若狭と言う人を理解していくようになった。むしろ退職後の方がよく話しているかもしれない。今は、アートシネマに関して一番話ができる年若き友人なのかもしれない。
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