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実戦教師塾通信百六十八号

2012-05-25 12:17:54 | 武道
 武道の心得その4

          ~健康法②~


 膝抜き


 ちょうど一年前、『季刊iichiko』で新陰流の前田英樹氏と同席する機会をいただいた。理論的なこともだが、身のこなしや武道家としての流儀など、参考になることが数多くあってありがたかった。
 文字(記録)に残らなかったが、歩行のことが話題に上った。特に階段昇降において顕著なのだが、一般の人の様子を横から見ると、身体がその階段の形に沿っているかのように段々を描いている。これは特に降りる時にだが、腰にかなりの負担がかかっている。階段の一段ごとに、腰にドスンドスンという衝撃を与えているのだ。階段の立場になって言えば、階段は人にその都度「蹴られて」いる。
「武道をやっている人は階段を降りる様子を見ているとすぐ分かりますね」
と前田氏が言った通り、武道を心得ている人(「格闘技をやっている人」とはまた違うわけだが)を横から見ると、頭のラインが斜めに真っ直ぐ降りていく。膝を抜くからである。
 この膝抜きは、実は明治大正、そして昭和初期までは多分に健在だった。下駄と草履の生活がまだあったからだ。明治は、服装が洋式を全面に開始し、徴兵制によって徹底した身体操法の西欧化がなされた。「ナンバ式歩行」はここで矯正される。しかし、国民全員が靴の生活となるまでにはまだ時間を要した。普段の生活での下駄・草履愛用の習慣は昭和まで続く。その下駄・草履を履いて歩くと、身体が自然に足面と地面との平行移動を保とうとする。その時に、膝が「抜かれる」。しかし私たちが今下駄を使用すると、靴歩行に慣れきっているため、初めはそうならない。何せ散歩専用の街路にある「正しい歩き方」なる注意書きには、「つま先で蹴り、かかとで着地」なんていうことが書いてある。このような通常の歩行をしてきた者は、間違いなく下駄の後の歯だけを減らして行く。しかし、下駄は徐々に膝を抜くように私たちを「矯正する」。自信がある人は「一本歯」の下駄を購入してやってみるといい。「膝抜き歩行」でないと、あっと言う間に転倒する。いや、吹っ飛ぶ。そんな重力の力を再確認出来るので、身体に自信がある人にはお勧めなのだ。いわゆる「ピッチ走法」という表現ではまずいが、この膝抜き歩行は、下駄・草履によって守られていた。その後、靴と舗装道路の普及によって、かかとが「膝より前」に伸びる「ストライド走法・歩行」へと矯正されていったということだ。
 もうストライドな生活になれ親しんでいる私たちとしては、あの武蔵と小次郎の闘いを振り返っておくといいかも知れない。「最後の闘い」巌流島の二人だ。太陽を背にした武蔵の姿をはっきり捉えたい小次郎が浜を小走りに横へと走る、しかし、汀で膝まで海に浸かった武蔵は、その小次郎にあわせて走り太陽を背後に抱え続ける、というあのシーンだ。優に6尺(180㎝)を超えていたといわれる、当時としては「巨人」の二人(武蔵も大きかった)はしかし、まったく頭を水平に保ったまま走っていた。って見てきたかのように言ってるが、もちろん映画の話だ。しかし、多分この通り腰から上が上下しない、膝を抜いた走法だったはずだ。ブルースリーがピョンピョンと身体を跳ねさせていたのとはまったく違う。まぁリーの場合は、映画人としての演出があるわけだが、パワー空手であったことは紛れもない。
 我々は切り合いをするわけではない、と抗議をされるかな。いや、ここで大切なことは上体を持ち上げては落としていく今の歩行・走法が身体に負担になっている、ということだ。「流れるような」移動(歩き)ということをよく言われる。それは日本古来の技術から来ている。ついでに切り合いの話ではあるが、あの足元まで覆った武士たちの邪魔くさい袴の意味をお分かりだろうか。イロハのイで言えば「足の動きを敵にさとられない」ように、しているからだ。
 この膝抜きが人類にとって、その健康に大切なものなのだ。あのアシモが膝を抜いているのは言ったが、あの膝の緩みが身体のバランスを保つ上で大切だ。
 ここでテスト。

1 目をつぶって両手を拡げ、片足で立ってみよう。何秒出来るでしょう。
2 同じく目をつぶって両手を大きく振って、その場で一分間足踏みしてみよう。

テレビなどで「1」の平衡テストを、ものの2、3秒でリタイアするのを見かける。宇宙飛行士の「バランス」チェック項目にあるそうだ。これも見ていると、平気で膝を直に伸ばしてやっている。これでバランスが取れるはずがない。膝を緩ませた場合と比べるといい。
 「2」はバランス感覚と関係もあるが、それより「身体の歪み」を自分で確かめられる。ひとりでやるのはお勧め出来ない。一分後にとんでもないところまで移動する人は、あられもない衝突の危険があるからだ。間違っても駅のホームでやったりしないことだ。ニュースになってしまう。一分後目を開いた時、きっと驚く。
 さて、アシモの歩き方がカッコ悪いと思う人は「ナンバ式歩行」をお勧め出来ない、とはだいぶ以前に言った。しかし、腰・膝を抜いて「ナンバ式」に歩いている田村正和は、実に違和感なくスマートである。「身につく」とはそういうことだ。いつかアシモの進化版に、田村正和的バージョンが出てくる。


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『現代詩手帖』5月号(吉本隆明追悼特集)、ようやく手に入れました。あちこちのネットで「売り切れ」で、ひどいのは予約を「承った」あとに「売り切れ」を通告してきたり、と。実はなんと、版元には「充分」あったのです。だから直接注文しました。そしてそのあとまたひどいことを知りました。ネットでこの本の中古が4000円という倍の価格で売りに出されていたのです。まだ版元に追加注文すればあるというのに、です。しかも「売り切れ」を通告している、その同じネットの会社が倍の価格で中古本を斡旋している。いやあ、ネット社会のあり方を少し見たような気がしました。

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先日、ファミレスやスーパーが一緒になった近くの本屋に行きました。すると、陳列がすっかり変わっていて、新刊本のコーナー周辺に以前はなかったというか、ありえないミニカーのコーナーが出来ていました。私はそこに飾ってあったトミカミニのGT-Rを見ていたのですが、近くを通りかかったまだ小さい男の子が「あ…クルマだ」とつぶやいて立ち止まりました。その子の父親がそれに気付いて、渋い困った顔をして「あ、なんだよ。なんでこんなところにクルマ置くんだよ」と言うのです。私はホントにその通りだと思って笑ってしまいました。私に救いを求めるような顔をする父親、そばで「さっき買ったでしょ」という母親、黙ってそばで見ている妹。「幸せな家族」の一瞬を見た思いでした。