実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

実戦教師塾通信百六十四号

2012-05-12 11:41:35 | 子ども/学校
 シリーズⅡ <子ども>の現在

      その1  < メ >




 「子どもたち、目を見ないのよ」と言ったのは我が塾生である。それも中学校勤務ではない、幼稚園勤務の塾生だ。「だから私は、先生(私)の目を見てって子どもに言うのよ」と言う。以前の子どもはこうではなかった、というくらいに幼稚園に長く勤務する保母さん(保育士)はいない。この塾生は自分がいつも人と話す時とってきた習慣と、今の子どもたちの表情に違和感を感じたのだ。そして、ちゃんと聞いてほしい、聞かせたいと思って子ども(幼児)に言っている。一方、子どもの方はおそらく、先生(保母さん)になにか後ろめたいことがあるのではない、人と対する時にそういう習慣がないだけだ。そんな風に普段の生活を送っているということだ。
 ごくごくたまにだが、今でも公園などで母親が自分の子どもの目の高さまで屈んで、
「メェー!」
と、叱っている(諭している)のを見かけることがある。いい眺めである。この子どもは母親からちゃんと愛されているのだ。母親の方は自分が我が子より「年長」で分別があるということを分かっていて、落ち着いて我が子に自分の感じたことを理解させたいと思っている。だからそれは有無を言わさず畳みかけるものではない。「慎重」という愛情をバックにしている。つまり、我が子にどう説明したものか、と思慮する間が「メェー!」という声だ。この制止の声は我が子にばかりでなく、自分自身にも向いている。「待ちなさい」というわけだ。そして、母親は我が子に屈み込みながら、さあどうしたらいいものか、とその思慮をまとめあげていく。そんな場面だ。こんな母親のもとで育った子はちゃんと相手の目を見る。
 映画でもなんでもいいが、英語圏の話で、これも母親が幼児の目の高さまで屈んで、
「Sir!」(あえて訳せば「閣下!/だんなさま!」等)
と言っている場面を見たことはないだろうか。そんなわけでこれは敬称なのだが、そんな風に言っている様子は、叱っている時だ。やっぱり愛する子どもへのあり方は似ている。「メェー!」は、言ってみれば「愛してる!」の別な表現だと言っていいはずだ。「メ(目)」が英語で「アイ(eye)」という音韻を持つのは多分偶然ではない。
 学者でない分、思い切り勝手に「メ」について考えてみよう。

~愛(メ)でる/目(メ)出度い~

 当然のことだが、発声音の「メ」より文字表記の「メ」の方が遅れる。歴史でいえば、人類誕生が100~200万年前なのに対して、文字の誕生は、ロゼッタストーンやらが2200年ぐらい前で、甲骨文字が頑張ってせいぜい3500年ほど前である。人類は100万年以上も音声だけで表現していた。「メ」に、顔の中心に位置する「目」やら、植物の生育の「芽」、そして穀物の「マメ(豆)」の「メ」や、繊維となる「メン(綿)」の「メ」があてられたのはさらにずっとあとだ。それまで人類は「メ」という音声で多くのことを言っていた。人びとは文字(漢字)で考えるでなく、音声で考え、そして表現していたということを私たちは胸に刻むべきだと思う。多くの「メ」が人びとの間で飛び交い、そして人びとはその「メ」を区別・識別していた。私はこの「メ」が、人びとに力を持つ音声として使われている気がしている。それで「メェー!」なのだという気がしている。
 例えば「愛でる」は「メ」が「でる」のだ。「メを出す」のでなく「出る」で、「メでる」となる。それで意味としては「愛する」となる。「出す」のでなく、「出る」を人びとは選択した。「むすこ」は男で「むすメ」は女だ。同じく「おい(甥)」は男で「メい(姪)」は女だ。「男はたくましく、女はかわいらしく」という人びとの思いだろうか。『となりのトトロ』の「メイ」は、姉の「さつき」と同じ五月のメイ(MAY)を採ったものだろう。しかし、同じ五月にちなんで「メイ」とつけた親は、おそらくもっと始原的な意味合いを妹に込めている。いや、英語のメイ(MAY)もまた、そんな幸福な意味合いを持っているのではないかと思えてくる。「メ」には多分そんな意味合いがある。
 「目」「愛」「雌」という漢字を「メ」にあてる前、文字を知らない古代人は、音声・音韻としての「メ」を、きっと積極的な場面で積極的に使っていた。だから例えばいい場面を「メでたい(目出度い)」と言うようになる。そして「メェー!」である。
 少し「目」だけ触れておこう。古代人が漢字を獲得し、数多い「メ」の中のひとつに「目」を選んで使うようになった。それは、
「中心としてのメ」…「かなメ(ホントは要)」「台風のメ」やら、
「能力としてのメ」…「メ利き」「メを光らせる」、
「判断するものとしてのメ」…「メがない」「メに狂いがない」
等に分けて使うようになった。こうして書いているだけでも、これらには「目」よりも「メ」をあてた方がしっくり来る感じがしてくる。
 すべては「メ」、あるいは「メェー!」から来ている。
 「メ」が少し長引いた。「マ」まで書きたかったが、次の機会に。


 ☆☆
「<学校>と<子ども>」シリーズ、いったん終了しました。ホルトのことや、いじめのことやらみんな中途半端になってしまいましたが、また別の機会があったら書きたいと思っています。私の中で別なものがだいぶたまってきているようで、このシリーズ「<子ども>の現在」を始めようという気になりました。また引き続きよろしくお願いします。

 ☆☆
WOWOWの『推定有罪』、みなさんは見ましたか。私は録画したものを第4話まで見たところです。人間には、もっともな傷のつき方つけられ方がこんなにもあるもんなんだな、という点でずいぶん勉強(変な言い方ですが)させてもらってます。それで、エンディングに流れるテーマ曲がプロコルハルムの『蒼い影』なんですよ。そこに劇中の人びとの愛憎シーンが重ねられていく。団塊の我々が聞けば、もう鳥肌のたつ曲です。仰天しましたね。

 ☆☆
『ちい散歩』、私も週に一、二回愛聴していました。終わってなんと『ゆうゆう散歩』は加山雄三で…。少し見ましたが…いやあ…無理ですよねえ、あの人には。芸能界を背負ってきたという顔つきがむき出しで、まぁスタッフの案内で出向くという印象でしかなく、どこが散歩?です。そして、いった先では自分の人生を語る…。 ちいさん、ホントの散歩が出来るくらいは回復したらしいですが、番組に復帰して欲しいですね。