実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

実戦教師塾通信百六十二号

2012-05-04 17:57:28 | 子ども/学校
 <学校>と<子ども> その17
       ~こどもの日~


 子ども(女の子)の将来


 男の子 一位 サッカー選手   二位 野球選手
 女の子 一位食べ物屋さん    二位 保育園・幼稚園の先生

 第一生命が全国の未就学児と小学生13万人を対象に調査した「子どもたちの将来の夢」の結果だ(5月2日・朝日)。この一、二位の結果は昨年と同じであるそうだ。そして女の子の四位は昨年六位からアップした「歌手、タレント」となっている。AKB48などアイドルグループは、小さい女の子を大いに刺激し続けているわけである。
 40代の仲間が「なるんだったら公務員が一番だ」と娘たちに言っているという話は面白かった。それをもっともだと彼女たちが同意してしまうわけもなく、父親は大いに顰蹙をかったという。彼女たちは小中学生である。あえてこの「公務員」を認めたとしても、そのままではいかにも夢がない。私はせめて、この父親に「都庁に入って石原さんと共に尖閣列島を守りなさい!」と檄を飛ばすくらいのものが欲しかったと思うのだ。
 さて、日本中に「笑顔と元気を送っている」AKBのことを書きたかった。だいぶ前だが「今、気になって仕方がないふたつのニュース」のもう一つがこれだった。「前田敦子電撃卒業!」ってやつ。
 もうずいぶんと前のことになってしまったが、あのニュースに接した時私たちはどう思っただろう。団塊世代の我々は、「頂点での卒業」って、すわ山口百恵の「寿退職」の再来か? って色めいたり。いや「普通の女の子になりたい!」と叫んだ第二の「キャンディーズ」か、と中年連中が思ったか。といって「加齢」を原因とする「モー娘」の「卒業」に10代の前田が追随するとは思えなかったはずだ。まさか、AKBとして生きる時間・空間の愛憎が、前田の口から出てくるのだろうか、と半分期待し半分不安に思った、と言ったら笑われるだろうか。今となってはお笑い草だが、そんなどろどろしたものを私たちは「AKB戦略」の中に見ていたはずだ。
 あの秋元御大の「まったく寝耳に水」という、言ってみれば考え抜いた「作戦」上の発言に始まり、後出しの「茶髪を黒に?全然OKですよ」という映画制作上の「俳優になりたい」エピソード。案の定、新車情報の定石のごとく、思わせぶりにちょっとずつ情報を流しては視聴者の反応を点検・打診していたわけである。そして、明らかになってきた前田の今後は「栄転」だった。
 実は私はこの「前田電撃卒業」に期待していた。ご存知の通り、AKBを取り巻くファン層は女の子が多いのも事実ではあるが、実に若い男が多い。それは結構なのだが、そのファンたる男連中が今までと様相が違うわけである。分かっていると思うが、そのファンが「胸を張っていない」ことだ。自信なさそうに並んで「握手」を待つこの連中は、帽子を目深にかぶって、下を向いている。これもご存知の通り、この連中の押し入れには「握手券」(投票券もあったっけ?)を手に入れるために購入したAKBのCDがどっさり詰まっているのだ。
 「付き合いたいなら付き合ったげる、金さえ出せばね」という「出会い系」のソフト版と言えるこの醜悪な秋元戦略は、今のご時世にドンピシャとはまった。傷つくのが怖い、自信を持てない、失恋もできない若者が踏み出す「小さな一歩」が、おんなじCD!を買い込む姿だというのは! ウオォオォ~
 さて、女の子(AKB)の話に戻ろう。この当事者たちはもちろん「タレント」であるからして、外側(ファンやらメディア)に笑顔は絶やせない。そうしなければ生きられない場所にいる。実はこれは今の時代に特徴的な現象だ。いや、もう少しはっきり言おう。これは「今の女の子の世界」に特徴的な現象である。今の女の子は、10人いれば8人、このことで悩んでいると言って間違いない。一定のルールに基づいた「付き合い方」が、女の子の世界では顕著なのだ。不思議なことだが、女の子の「場所」をめぐるルールは厳しい。
 もうひとつ、紛れもない「激烈な競争」をAKBの女の子たちは闘っている。「45」とか言っちゃって、実数がどれくらいのものか私は知らない。ステージに立つ、CMに出る、何列目に出る、端になってしまう、セリフがある/ない等々。その結果を得るために、彼女らはヒリヒリするような毎日を過ごしつつ、ライバルとの「勝敗」に笑い、そして泣く。いや、涙と憎しみの方がどれほど多いだろうか。しかしもちろん、テレビにでれば「みんな仲良しです!」と振る舞う。なんということだ。
 「仮面を被る」ことを私は悪いことだとは思っていない。「演じる」ことの大切さと必要を私は認めるものだ。しかし、この「仮面」は一定の種類・量が必要である。ある限られた「仮面」が、どの場面でも必要とされる、押し付けられるというのではその人の「個性」は喪失するのだ。ペルソナ(persona)=仮面である。これは後にパーソナリティ(personality)という拡がりを持つ。パーソナリティとは今で言う「個性」のことだ。「仮面」を自在に操れることこそが、個性なのだという事実を私たち大人は知らないといけない。

 AKBの行く末は女の子の未来の姿だ。その不安定で危機的な姿は、今の女の子を象徴している。どうなるのか注目していきたい。


 夢は追いかけないと逃げていくんだ

 ゴールデンウィークの骨休めにと、前から乗ってみたかったSLに乗った。真岡鉄道は「下館~茂木」間である。切符購入時「座れるかどうか」と、みどりの窓口の職員は言った。いまどき、ネットで購入出来ないSLの切符は指定席ではなく、どうもJRは「大体」の目安で発売している感じだった。
 雨模様のこの日、楽勝で座れると思いつつ着いた下館駅には、なんと鉄道マニアと親子連れが一杯だった。傘を差して、あるいは雨に濡れながらカメラのシャッターを切るのは、男女、年齢を問わない人たちだった。確かに、「C11」堂々の鋼鉄の車輪、漆黒の身体から灰色の煙を吐き出すその姿に、私たちはうっとりとするしかなかった。
 なんとか確保できた座席。出発した汽車の、濡れた窓の外を眺める。すると道路の端に車を置いてこのSLを待って並んでいる人たちがカメラを三脚に据え、あるいは構えて手を振っている。水を張った田んぼの中からは子どもが同じく手を振っている。新緑の木々や、汽車の吐き出す煙を演出するかのような雨の中を、次々にそういう人たちが現れては消えていく。時折流れる長~い汽笛は、私の胸や心にある記憶を甦らせ、誇りも屈辱も、笑いも涙も全部運んでいく。すごい、そう思えた。お世辞にも若いとは言えない車内販売の女の人たちが、これはマグネット、これはストラップ、とひとつひとつ説明・宣伝しながら進むものでちっとも先に進まない。そうしてみんな、嬉しそうにポストカードや定規を、あるいはビールを買うのだった。のんびりした柔らかい車内。
 終点の茂木に着いて汽車を降りても乗客は駅を出ない。汽車がそこで一回転、ぐるりと向きを変える「ショー」があるからだ。改札を出てしまうのは「そんなの珍しくもない」地元の高校生だけである。汽車が向きを変えるその間は、場違いとも思える『汽笛一声新橋を…』の音楽が流れるのだが、これは「近づいてはいけない」という合図にもなっているらしい。みんなが見守るなかで一回転する「C11」。いいな、いいぞ、頑張れよ、頑張るぞ。

 さて、茂木に来た私がこれで帰るわけはない。ここ茂木には国際Aクラスのサーキット「ツィンリンクもてぎ」があるのだ。下の道でいわきに行く時すぐそばを通っているのだが、どうしてどうして寄れないものだ。不思議なものだ。「ついで」とは行かないのだろう。
 10年ぶりぐらいだろうか。ホンダのコレクションホールに着く。ホールからサーキットが臨める。この日レースはない。それはいい。子どもたちで一杯のイベントホールでアシモが、時速6キロの脚力を披露。二階にはセナのマシン。でも私は、この「ツィンリンク」創業以来ずっと入り口を飾っている栄光のみっつ(スーパーカブもあるので正確には四つなのだが)のマシン、まずはこのブログでも登場した「ホンダスポーツ」、次に「時計のように精巧なエンジン」と世界を驚かせ、1960年代前半を制覇した2輪のレーシングマシン「RC146」、そして1965年、ついに4輪のグランプリを制した「RA272」。このみっつの前にたたずむ(冒頭写真)。
 その傍ら、直立不動で本田宗一郎のメッセージをスーツ姿の中年の男の人が見ていた。
「夢ってのは追いかけねえと逃げてくんだ」
私もつぶやく。オヤジさん、ありがとう。
 時間がゆっくりと流れていく。
 子どもたちの夢も豊かでありますように。
 

 ☆☆
実はこのあと、車を置いた下館まで戻る電車(帰りは電車です)が、「降雨量超過のため」ストップしました! いや驚いた。乗っていた客のほとんどは地元の高校生で、いつの間にか消えていましたが、残された数名の私たちはなんと!終点の下館までタクシーという代替措置をとってもらえました。さびれた下館は、今は人の流れを宇都宮に持っていかれたというような話で、大いに運転手さんと盛り上がりました。

 ☆☆
「はなまるマーケット」を見たよ、という連絡をいくつか受けました。昨年2月以来、改めて「オレはホントに恩師なんだ」と感心した次第です。仲村トオル、ありがたいです。頑張れ、頑張ろうな、です。