実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

実戦教師塾通信百六十七号

2012-05-22 16:10:22 | 武道
 武道の心得 その3
             ~健康法~


 身体の状態


 まだ古流の空手を本格的に始める前で、十年くらい前の話だ。持病の腰痛が悪化して歩行が困難になった。暮れに浅草に出掛けたとき、しびれる腰を交差点ごとに屈伸してなんとか歩いた。どうか交差点で信号が赤になりますように、などと願いながら歩いた。本業の学校の方では、授業中に屈伸などしていたわけである。なぜか部活(空手)は続けることが出来た。ジョギングは違和感程度で痛みは少なかった。歩くのがすこぶる辛かったのだ。
 行きつけの整形外科の医者は、レントゲンの写真を見せ、椎間板の「異様にすり減った状態」を説明した。今も思うしその時も思ったが、空手の「騎馬立ち」「回し蹴り」がてきめんに良くなかったと思える。また、ドスンバッタンというスポーツ空手特有の組み手(試合)もそうだったはずだ。
 もうその腰は「時間の問題」で、その時が来たら「積極的治療」は考えましょう、ということだった。普段どんなことに注意したらいいですかという私の質問に、医者は、椎間板が無くなりそうになっている背中側を伸ばすために「前かがみに歩くといい」と言われた。私はこの医者とは長い付き合いで、空手やバイクでの骨折・怪我の時ずいぶんお世話になった。病院が閉まったあとでも、いいよ、と開けてくれたりもした。しかし、この「前かがみでの歩行」を勧められた瞬間、あ、お手上げなんだ、と思った。いつも通り湿布と痛み止めの処方しかできないこの医者とは、もう終わったのかと思った。
 折も折、整体医院を始めた弟子に身体を診てもらった。腰痛の原因かどうかは分かりませんが、と断ったうえで、
「先生の両足の外側の筋肉が驚くほど張っています」
と言う。驚いたのは私も同じだ。まったく気付かなかったからだ。しかし、走る時に足の裏側のその外側を使うものだと思っていたのは確かだ。歩く(走る)時、足裏は内側を、脚全体も内側の筋肉を使うようにしてみてください、と言われた。腰痛での生活習慣対策としては、床に(胡座で)座る生活から、椅子に座る生活(正座でもいい)にするといいと思います、ということだった。どのぐらい経ったあとか、気がつくと私の腰の痛みは和らぎ、歩行も普通にできるようになってしまっていた。歩行での注意をしたからか、正座の効用か、それとも「いつの間にか」なのかは分からないが、未だにあの時のようなしびれはぶり返していない。「時間の問題」と断定された椎間板は手術の憂き目を見ずにすんだ。
 このことがあって私は、以前にも増して「治す」ことを考えるようになった。母は80代の半ばまで颯爽と4キロの道のりを、毎日お使いだ選挙だと歩いた。しかしその後、足は一気に悪くなった。気がついた時は遅く、おそらくは外反母趾から来る痛みを庇おうと、歩き方に無理が行き、バランスを崩しながら歩いたそのことが状態を一気に悪くさせたようだ。最近私が始めた「草履の生活」を早くに勧めたら、母はもう少し楽な老後を過ごせたかも知れないなどと思う。母は腰を痛めたあとはそれでも、
「まだこれがあるから」
と、気丈に手押し車を使った。
 「切る」「取る」は天寿(寿命)に逆らうことだ、という思いはいやましに強くなったが、同時に、自分の身体の状態を知ることは天寿に逆らうものではない、という思いがこの経験で生まれた。例えばおしっこの成分とかいうものより、また、そのPSA(前立腺検査)とかいうものより、おしっこが気持ちよいかどうか、だ。そういうことが「自分の状態」と思える。トレーニングでよく出向く手賀沼のジョギングロードに、いろいろな歩く・走る・ボードの人が来ている。見ていると、この人はトレーニングを積めば積むほど自分の身体を壊すよなあ、と思える人が結構いる。走れば心肺機能は確かに維持(強化)される。しかし、どんどん身体を歪めていく走り方(歩き方)が分かるのだ。
 せっかく当方は気持ちよく走っているのに、野暮ったいことはしたくない。ここで登場したことのある(初代)ロスインディオスのMさんと、たまにこのジョギングロードで遭遇しては、そんなコメントを交わしている。


 アシモ

 ゴールデンウィークに「ツィンリンクもてぎ」で、アシモに会ったことを言ったと思う。改めてアシモの可愛らしさに出会えてそれだけでもハッピーだった。そして、改めてその「人間的」な動きに感心した次第である。時速6キロで早歩きする「進化」を遂げたアシモは、見事に「ナンバ式(同側歩行)」に歩き、走っていた。一瞬だが地面から両足が離れる。前も言ったが、アシモの腰と膝に注目してほしい。緩みがあるのだ。従ってかかとの部分も少し曲がっている。これが大切で、身体が伸びきった状態というのは衝撃を吸収出来ないのみならず、発生した出来事に対応出来ない。危険だということだ。
 まだ言ってないと思うが、空手の基本中の基本の「騎馬立ち」での突きは、琉球(沖縄)の唐手(空手)にはなかった稽古である。すべての緩みを拒絶し、全身の筋肉を緊張させ続けるという修養の仕方は、短期間での鍛練を目的としたものだった。多分に内側の腸陽筋を駆使したと思われる、沖縄唐手独特の「ガマク」なるものは、内地では無視され、沖縄でもいつの間にか衰弱していく。
 陸軍大佐によって「戦後に於ける整頓の事業中最大なるものは国民教化の問題なり」と、沖縄の唐手(空手)が掲げられたのは日露戦争の十数年後である。それまで沖縄において、唐手は王族・士族防衛と、健康を維持・形成するものとしてあった。地球、また大気と交感する人間のあり方をつかさどるものとしての「唐手」を書き継ぎ、修行して行きたい。


 ☆☆
その「もてぎ」のトイレで、ちっちゃな子が「早くしないと、アシモが始まっちゃう」と、叫んでいたのを思い出します。アシモはいいな、子どもはいいなと思ったものです。

 ☆☆
旭天鵬優勝しましたね。決定戦見なかったのですが、見れば良かった。ニュースを見て思いました。ずいぶん「涙」を見た夏場所でした。優勝パレードでのオープンカーでの「旗持ち」を白鵬が志願したとは! そして「自分のことのように嬉しい」「涙がでた」とはばからずに言う横綱です。次の日の新聞のくだらないスポーツ「ジャーナリスト」の場所への「批判的」コメント! 引っ込めグズども! です。

 ☆☆
やはり「金環日食」も触れましょうね。偶然ですが、昔の白黒ネガが見つかりまして、それで「金環」を見ました。テレビで見たとかいう人の感性を信じられません。環が閉じられるなんて、それを直に見ることが出来るなんて思いもしませんでした。
 半世紀も前に、日食(部分)に備えて地域や学校中が透明ガラスをろうそくであぶったことを思い出します。あの時、近隣の犬たちが吠えて吠えて、ということを覚えています。犬、今回は吠えたのかな。朝方で曇りがちということも関係あったのかもしれません。