実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

実戦教師塾通信百六十三号

2012-05-08 17:01:58 | 福島からの報告
 筍/ビーフストロガノフ/お金



 筍


 先だっての約束通り、東京の先輩から筍が届いた。隠すこともないので言えば、東京は檜原村に、先輩が都心から住民票を移したのはずいぶん昔のことだ。趣味の活動が本職となって久しい先輩の仕事は、山林や山道の管理である。
 ちょうど私がいわきから帰ってくるのを待っていたかのように筍は届いた。私の中では疲労が塊のようになっていたが「朝掘り」と聞いては大変だ。そばが一分を争うように、筍も同様刻々と味を変える。荷物を降ろす間もなく、急いで梱包を解き、皮をむいて茹でた。あとからの先輩の便りによれば、とれたては「生のまま」スライスして鉄板で焼いてもいけるという。「とれたて」とか「素材」だとかいう世界を久しぶりに聞いた思いだ。どっかのバカヤロウが、地中に熱線を張って筍の「栽培」を試み、失敗したという。筍は自然のままに生きる。
 この柏近辺では筍も放射能が検出されて、出荷が「自粛」の憂き目となり、スーパーにも道の駅にもまだでていない。スーパーに置かれているのは熊本産だの、京都だのと、値段は千円に近いもので、しかしいつ掘り出したものやらどうせ信じ難い。私のところに届いた大きい三本の筍。皮をむいたらその皮はごみ袋を優にひと袋だった。中味はその分量の四分の一ほどだろうか。そう言えば先輩に放射能のことを聞かなかった。私はごみ袋に一杯の皮と、そこからでてきた筍に改めて感謝するのだ。ニュースでいう放射能の検出だが、その筍、皮をむいた状態で計ったのかどうか、どうせそうではあるまい。「中味は大丈夫」といったところで売れるだろうか、というのが「自粛」だ。福島の樹木が「木材として使う幹の部分は数値が低く、問題はない」とあっても取引が滞っていることを思い出した。
 さて調理だ。野菜炒めもいいが、やはり筍は「筍ご飯」ではないか。私は筍を油揚げと共にご飯を炊き合わせる。調味料は醤油と酒と、私のいつもの隠し味を入れる。それだけ。鰹だしや昆布はいらない気がする。そして食べて思う。この時期のでない筍がいかに味気ないかということや、この時期に食べる筍しか持っていない味わいを毎年思うのだ。若竹の優しい香りが、ご飯の湯気を包み、口の中に確かな食感と共に拡がっていく。シンプルイズベストとかいう決まり文句だが、おいしい。
 

 ビーフストロガノフ

 次の日のことだ。友だちがデパートの北海道展でビーフストロガノフのパック(弁当)を買ってきてくれた。一流の店の一流の味、というそのパックは容器がみっつに区切られていた。ひとつはご飯。少し黄色がかっているのはバターで炒めたためだろう、乾燥バジルかなにかがふりかけられているそれらは、香りを出してはいなかったが、米の形をしっかりと見せていた。「米がおいしい」そう思った。そして、小さなコーナーにはちゃんと作っていると思われるピクルスが二片。メインのコーナーにビーフストロガノフ。丹念に煮込んでいても柔らかい肉と、タマネギと生クリームの甘味が作り出す温かさ。十九世紀ロシアの食通、ストロガノフ伯爵がある日、予想以上の来客の饗応に困り果て、ステーキで出すはずの肉を細かく切ってクリームで溶いて出したところ、大好評だったという。その伯爵の名前をあやかったビーフ・ストロガノフ(ホテルオークラ編『味な話を召し上がれ』より)。
 しかし、二口三口と食べているうちに私の中に拡がるあじけなさをどうしようも出来なかった。こぶりのプラスチックの先割れスプーンは、同じくプラスチック製の容器に、ビーフストロガノフを探るのだが、その度にコツコツという洗面器を叩くような音を容器がはね返して来る。当然のことのようにスプーンはその都度弓なりに曲がるのだ! この醜悪な感覚は何なのだろう。小さなスプーンの凹みに辛うじて乗っているご飯とビーフストロガノフ。確かにそれで用が足りるように、容器は分割されていて、容器の縁に向けてスプーンを操作すれば確実にご飯(ルー)は確保される。しかし、おいしさとそういうこととは別だ。それらが白い無地の平坦な陶器の皿に乗った時、私たちはでご飯とルーの頃合いを楽しむため、ある時は混ぜ、ある時は一方だけを食べたりする。そんな演出をするために、あの硬質なステンレスのスプーンが不可欠の小道具なのだ、ということがこんな貧困な食事をしてよく分かった。
 「ぼろぉは着ぃてても~心は錦ぃ~」
昔、水前寺清子の歌(ホントに昔でスミマセン)でこんなのがあったが、こういう事態をどう表現したらいいのだろう。分量は決して少なくはないのだ。別な飢餓感が襲ってくる。味な店の一流のビーフストロガノフが、ガストは735キロカロリー830円のキノコのオムライスと同じ境遇でいいのだろうか。
 せっかくの贅沢がこんなことでいいのか、手の込んだ贅沢と、筍のような素材の贅沢。どっちの贅沢も「やっつけ仕事」のようなことをしていては台無しということだ。


 お金で出来ねえことがあるんだよ

 第一仮設集会所には七人、ここで私がずいぶん助けていただいた職員さんが変わるということで、仕事の引き継ぎをしていた。住人の方は四人いた。「本当の常連」さんはどうやら二人らしい。
「毎日ここで暇つぶししてるってばれっちまう」
と二人は言う。とっくにばれてますよ、という言葉が私の口から危うく出そうになる。
 この日は私が色々と聞かれた日で、子どもがひとりという私に、
「かわいそうに」「一人っ子はねえ」
と、常連のお二人さんは声をあげた。思わず身を固くした私だが、二人はマシンガンのように構わずに続ける。
「うちの孫もそうだ/何をやるにもひとりだ/可哀そうに」
お二人は、全くの赤の他人の私を責めているつもりなどない。孫を目の前で見ている率直な感想を言っているだけだ。しかし、昔の嫁と姑の絵に描いたような現実が目の前に拡がった。大きなお世話だが、この祖母たちと母親が同居でないことを私は願ったりもした。
 さて、同じ率直さでみなさんが声を揃えて私に言う。

「お金で出来ねえことがあるんだよ」

六月再開に向けて工事が始まった「ニイダヤ水産」の支援していることを少し話した。その支援を私は資金面でやっているわけではない。少しでも販路拡張になればと、宣伝や声かけをしているだけなんです、と私が言った時だ。
「金も大切だけどさ、金じゃねえって」
とそう言う。いや、その強い語調に私は感動してしまった。いままでの生活を全部流されて、明日をも知れぬ日々を送った人たちが得た実感なのか。そんな人たちからエールをいただいた気分だった。彼女たちは「ありがとね」「よろしくね」と、まるで自分のことのように私に言うのだ。嬉しかった。そして、さっきの話と合わせて思う。女の人は強い。


 ☆☆
その「ニイダヤ水産」の工事なかなか進みませんが、写真を冒頭に載せました。コンテナのように見えるのがもらい受けた冷凍庫。こちら側に基礎が作られてます。向こう側の建物は「みちの駅」関連のものです。

 ☆☆
夏場所始まりましたね。白鵬まさかの初日黒星。「右を差しに行く」良くない取り口、先場所は四番もありました。これで安美錦に左に回られながら実に冷静にやられました。六人の大関が全員白星という歴史的な日に、かえって固くなったのかも知れません。もちろん本人はその悪い癖を分かっているはずです。「差す」と「差しに行く」はまったくちがう。「勝つ」と「勝ちに行く」くらいの違いがあります。そういう動きになってしまう自分のことを考えに考えていると思います。そしてどうなるのか、きちんと見ておきたいと思います。

 ☆☆
久しぶりに山口先生の呼吸のレッスンを受けました。私は「呼吸」と「技」の見極め/選択がまだまだ分かってない、そう思いました。「あなたは武道家なんだ、きっとその辺は分かって来るとおもうよ」という先生の言葉がたまらなく嬉しく、また幸せでした。