実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

『夕空はれて』  実戦教師塾通信四百二十号

2014-12-19 11:47:31 | エンターテインメント
 『夕空はれて~よくかきくうきゃく~』
     ~人は旅をしている~


 1 『トロッコ』

 別役実原作『夕空はれて~よくかきくうきゃく~』を、ありがたく観賞させていただいた(特別な思いで「させていただく」を使った)。
            
文学やマンガのいくつかのシーンがすぐ頭に浮かんだ。芥川の『トロッコ』が最初に思い出された。
 小田原熱海間を走る、憬(あこが)れのトロッコに乗るチャンスを得た少年の良平のことを、だ。はしゃいだ良平が、トロッコを上り坂で押す/下り坂で乗るを繰り返して遠くまで来たあげく、土工から突然発せられた、いやこの場合「浴びせられた」と言った方がいいのかも知れない、

「われはもう帰んな」

というぶっきらぼうな声。
 土工は優しい人たちだったのだ。怒ることもなくトロッコに乗せてくれた。しかし、景色が次々と入れ代わり、向こうに海が開けた時、良平は「遠くに来過ぎた」ことを、そして「何かが違っていた」ことを知った。自分の住んでいるところから海までが遠かったのではない。土工たちは日々トロッコを住まいにしている。資材を積んで毎日、陸地から海へ延びたレールの上をトロッコで走る。竹藪や雑木林の間をいくつも通り抜け、茶店のある休憩場所でお茶とタバコで一服する。そして海が向こうへ開けてくる。こんな土工たちの当たり前の毎日を、良平は知らなかった。もしかしたらトロッコは、今日中にもとの場所に戻らないのかも知れない。土工と自分とはまったく違った人間なのだ、と良平は初めて知った。引き返すことの出来なくなった場所で、良平の恐怖は膨(ふく)れ上がった。
「われはもう帰んな」
とは、良平には、

○ここはオマエの場所ではないよ
○子どもが来る所ではないよ

ということを意味した。良平にとってこれは、

○いつまでついて来る気なんだ
○だいたいがオマエは誰なんだ

と聞こえても不思議ではない。良平はこのトロッコを率(ひき)いるものたちの中で、たったひとりだった。

 「人は旅をしている」。「旅に出る」とか「旅をする」というのではない。人は旅をしている。良平の旅は無残な結末を迎える。生活者が続ける、生業(なりわい)という旅に自分はうまく入り込んだと思った。しかし結局、自分はひとりの「よそ者」でしかなかった。暗くなった中をいっさんに走り、家に戻った良平は、母親の胸に飛び込んで叫び、泣きじゃくるのだ。


 2 『ねじ式』
 『夕空はれて』のラストは強烈だ。「女1」(町の住民だ)が、

「取調官に聞かれたら、あなたはこう言うのです。『この女はトラに噛(か)まれて死にました』とね」

しかし、「本当のこと」は違っている。町の人々がライオンだのトラだの、そして熊だのと言っている、実は人間(男?)が殺したのだ。
 通りすがりの「男1」(旅人だ)が、ある町を通り掛かる。なんでもない町のなんでもない人たちは、いい人たち、いや「普通の人たち」だと思った。だから少しばかり発生した違和感を、どうにかしたいと思った。当たり前と思えることが分かってもらえなかったのだ。しかし、そのずれは解決するどころかどんどん大きくなった。私はつげ義春の『ねじ式』(1968年)を思い出さないわけには行かなかった。
            
      
海でクラゲに刺されて瀕死(ひんし)状態となった旅人が、村で医者を探す。しかし村ではちっとも言葉が通じない。
 さて、『夕空はれて』の方でも旅人は必死だった。ライオンに噛まれたくないという当たり前のことを言っている人たちが、「本当」は違うんだよ、とでもいうような空気を漂(ただよ)わせる。ある時はそんなバカなと思い、ある時はさっきと違っている、と驚く旅人(仲村トオル)の表情は、もう見事というしかない。円形劇場は、私たちの笑いで渦(うず)になるのだ。
 旅人が町の人たちに弄(もてあそ)ばれているとしか思えない展開に、私たちは少しばかり「もういい加減にすればいいのに」「さっさとこの場を立ち去ればいい」と思う。しかしその頃、もう旅人は町の人々とのずれを受けいれるようになっており、いきおい「秘密」の共有さえすることとなった。なんと旅人は、自分の思うことを言えなくなったのである。そうして、それまで笑っていた人々の顔から優しさが消えて、最後に放り出された言葉。それはまるで、

「あなたはもう引き返せませんよ。もうあなたも、ここのやり方でやってもらいます」

とでも言われたかのようだ。

 「人は旅をしている」。「旅に出る」とか「旅をする」というのではない。人は旅をしている。この『夕空はれて』は旅先で、または生きている中で、そんな言葉の通じないもどかしさを語っているかのようだ。作品は1985年のものだ。しかしこれは、自分が行ったこともない外国にいるような、今現在のもどかしさを語っていて、人々がよそ者の前に壁となって立ちふさがる様子は、腑(ふ)に落ちる心地よさがあった。
 そして、旅人が「本当のこと」を言わなかったら悲劇は起こらなかった。すべてがその瞬間崩(くず)れ落ちたのである。吉本隆明の、

「ぼくが真実を口にするとほとんど全世界を凍らせる」(『転位のための十篇』より)

を誰でも思い出すに違いない。

 体調は最悪の私だったが、公演後、身体の中を爽(さわ)やかな風がふいていた。別役実、そして教え子に感謝するばかりだ。


 3 思うこと
 別役実の演劇についてはまったく知らない私だが、別役作品のモチーフとして必ず「電柱/旅行カバン/傘」が登場することは、そういえば聞いていた。わずかばかりの荷物と道具をたずさえて、人は「旅をしている」。
 舞台を取り囲むように立っている6本の電柱は、オレンジ色のわずかな光を、電灯の傘から落としていた。電柱。夏の夜は、蛾やかぶと虫の群がった場所。昼間はかたわらの電線に雀たちが並んだ場所。母から叱(しか)られ家を追い出され、夕闇に泣いてすがった電柱。父の所在を確かめるため、公安警察がたたずんだ電柱。電柱はいつも茶色くすすけた、変わらない姿で私たちのそばにあった。

 母は映画で感動すると、決まったように「この映画は何を言いたかったんだろうね」と言ったものである。『老人と海』(1958年)の時も、『千と千尋の神隠し』の時もそうだった。この『夕空はれて~よくかきくうきゃく~』を見たら、やっぱりそう言ったような気がする。


 ☆☆
励まされました。思い返せば震災翌年の春だったか、再開したいわきの吉野家の窓いっぱいに、コピーは「新たな味へ」だったか、仲村トオルのポスターが貼(は)られました。毎日、6号バイパスを支援活動に向かう私に、
「先生、ぼくも頑張ってます」
といつも言われているような気がして嬉しかった。今回もまた励まされた、そんな気分です。ありがとう!

 ☆☆
選挙、予想通りでもあり、予想外でもありました。「自民圧勝」の見出しで飾ったメディアは、唯一、毎日だけが「自民微減」だったそうですね。その通りなんですよね。でも、共産党の躍進には驚きました。両親が生きていたらなんと言ったでしょう。
骨と皮の姿になりながら、村や集落を自転車で回って人々の相談に乗っていた父。それでも陰で、ホントに武装の準備をしていたのでしょうか。信じられない思いです。そして、父の死後はレッドパージの頃、近所から口をきいてもらえなかった母。私は大嫌いな共産党ですが、迷わず言います。父さん母さん、おめでとう!

 ☆☆
これから今年最後の支援に行ってきます。と言ってもこれが発行される頃は、支援のお味噌は配ったあとなのです。なわけで、予約の投稿です。

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