鳥瞰(ちょうかん)がやらかす事
~「幸福」と関係ない世界~
☆初めに☆
色々な先生から、この間の苦労や工夫の話を聞きました。「時間はたっぷりあったはずだ」「子どもたちに不安や不備があってはいけない」という声は、腹立たしいかな、行政の声です。現場がのんびりしていたはずはないのです。校長会の動画を、現場が見たかチェックしているとは、冗談でしょうか。もっと工夫をもっと報告をという無責任な風を、現場は浴び続けていたのです。
コロナ騒ぎの中、様々な工夫や試みがされています。会食できない状況下で、弁当を宅配する子ども食堂や、学習支援を行う学生団体のことなど、励みになります。気になるのが、リモートやユーチューブの活用による「新しい学習様式」です。子どもの実態とかけ離れた発想と実験は、問いただされないといけません。
1 十年遅れている日本
AIが変える学校現場とは、コロナ騒ぎの中でこそ進んだという報告については、以前も触れた。授業はリモートで出来る、資料の活用はもちろん、師範(しはん)もユーチューブで自由自在、不登校の生徒も学習に参加できる等々。集会など必要ない、教室で始業式も出来る。実際そうだった。コロナ騒ぎの中、学校はバラ色なのだそうだ。
アメリカで視察をしてきたという先生の話から。生徒一人一人がタブレットを与えられ、休み時間には廊下や校庭でそれを楽しんでいる。日本でも生徒が全員タブレットを持つ時代はもうすぐだ、でも、それを使いこなせる力量を教員が持ち合わせていない、アメリカより十年遅れている、という話だ。
半畳を入れよう。視察そのものは、日本においても「先進校」が対象だ。ここまで出来ます的実績公開とメディアによる拡散は、今まで現場に多忙と苦労をもたらして来た。ちなみに視察で行ったアメリカ、どこの学校? ルイジアナのニューオーリンズじゃないだろうし、ニューヨークのダウンタウンでもないだろう。マサチューセッツのボストンあたりか。なに不自由ない生徒たちが、何をか言わんや、である。フランスだったら、大統領にならって、生徒たちが「私たちは、他者を冒涜(ぼうとく)する自由がある」と、タブレットから容赦ない誹謗と中傷をぶつけている、なんてのはどう? カッコいい話の陰に隠れている現実がある。
鳥瞰とは高い空から眺めること。こいつがしでかす罪は軽くない。
2 私たちの実際行為
機械が人間という領域を手に入れるのは、もう時間の問題らしい。それを利用しないことはない。しかし、その手前の「自分が何を手に入れたいのか」という問題は考えていいはずだ。スポーツの興奮は、ゲーム世界で十分可能だという。いま取り上げられているe-スポーツなら、する方見る方に密集が要らない。さらに、コロナが収まれば大観衆前での興奮が実現する。格闘技系だったら、相手も自分も怪我しない。両者はともにコントローラーを操る親指で対決するのだ。それでいい。しかし、勝利するための修練をしても、脚・跳躍・均衡等の力、筋肉は全くつかない。添加物満載のスナック菓子を食べながらの「鍛練」は、自分のお腹にたっぷり脂(あぶら)をつけたりする。それで(又は「それが」)いいという人たちがやるものだ。どちらかに軍配をあげるというわけではない。両者ともに代替は出来ない。ある種の人間にとって、機械は「自分が手に入れたいもの」を用意するわけではない。面倒な手続きを「無駄」と思わない人間世界もあるのだ。
レジでは今や、ほぼ自動的に品物とお金のやり取りがされている。お札も小銭も全部入れてしまえば、客の出した金額が表示され釣りが出てくる。この機械を信じれば、お札と小銭を全部レジに渡せば、余分なものは機械が返却し運が良ければ小銭は全部消える(セルフレジで私はそうしている)。しかし私たちはそうせず、お金を数えてレジのトレイに入れ、多い足りないのやり取りをする。会計が2045円の時に5035円を出せば、おつり2990円が渡されるのでなく、店員さんは「十円足りないです」と、親切に言う。これらのやり取りに、無駄なものは全くない。私たちはそこで、お金以外のやり取りをしている。カード決済にはない世界だ。
教室には、元気な子もいれば元気でない子もいる。家が原因で/一週間前の友だちとのケンカが原因で/理由もなく動悸が高鳴るのが原因で等、元気でない理由は様々だ。落ち着けず怒鳴ったり、友だちに甘えたり熱が出たり等と、その対処も様々だ。そこに先生が、何らかの関与をして行く。子どもの表情を読んだり目に入らなかったり、心配だったり迷惑だったりする。そこに数々の風景や人生が刻まれていく。子どもたちは注がれる愛を感じたり、投げやりになったりする。これらのあれこれに、無駄なものはひとつもない。「生きる力」がどうでこうで、という話ではない。子どもたちは紛れもなく、その中で「生きている」。その中でオンライン授業やリモートの行事が「必要なら」やればいいだけだ。しかし、必要ない邪魔だという子どもたちも必ずいる。AIは「目的」ではない。苦労してリモートの集会をやったのに音声や映像が乱れて、というグチは山ほど届いている。技術がいつか向上すれば、という話ではない。子どもの様子を見る余裕をなくしてまでしてやることなのかという共通理解がされないまま、「コロナが呼び寄せた新しい時代/生活様式」に「追い付き/追い越せ」という気分に支配されているのは間違いない。
「すぐ目の前にいるんだから、メールじゃないだろ。声かけろよ」
という、会社や子どもの間で多少は出来ていたやり取り。このグレードが、また下がる気がする。
☆後記☆
連絡遅れましたが、子ども食堂「うさぎとカメ」、明日です。お近くの方、都合がよろしかったらどうぞ。
☆☆
ニュース、全く見る気にならないので、スポーツニュースだけ見てます。大阪なおみ選手のアメイジングな活躍に、ただただリスペクトしてます。が………日本の文化人というか、レベル低いっすね~。「ぼくなんかは『黙ってた方が楽だな』と思ってしまって、そうして来た」という複合ジャンプの萩原選手、これは良かった。そうじゃないのが、スポーツに政治を持ち込むのは考えないといけない、だって? 情けない「文化人」の意見がテレビに横行してる。なんか恥ずかしい。「ちゃんと話を聞いて欲しい」って大阪選手、言ってなかったっけ。
さあさあ、気分変えよう。手賀沼近くの稲刈り風景。収穫の秋で~す。
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