実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

ひっくり返ってるよ 実戦教師塾通信二百七号

2012-09-15 10:41:50 | 子ども/学校
                    (写真と本文は関係ありません)
 
 謝れよ


 大人はなんの為にいるんだよ


 連日いじめ事件がニュースを賑わしている。この風を吹かせているメディアが、必ずこの風を止めることは間違いないが、大津の事件がきっかけでいじめの数々が明るみに出ることは悪いことではない。
 この間の多くのいじめニュースの中でも、この13日に報道された埼玉県川越市のニュースには少し触れたい。
 「正しい結論」から言ってしまおう。「いじめだったかどうか」ではない。この8カ月間、意識不明の重体となった少年と直接関係のあった3人の少年は謝り続けるしかなかった。取り返しのつかない結果を生んでしまったその責任を引き受けるしかない。とんでもない事態なのだから、子どもの彼らは何としてもと言い逃れや言い訳をしたいだろう。
「悪いのはオレ(たち)だけじゃない」
という場所にしがみつく。
 しかし、責任ある周囲の大人はそこに乗ってはだめだって。当たり前だろ。
「相手が悪いと言っても、相手の今の状態を分かってるのか」
「どんな理由があってあそこまでやる必要があったのだ」
と、当然のことを言ってあげるのが大人の役割だ。
 わずかなニュースの断片を拾いながらだが、それでも様々なことが浮かび上がる。この事件が起こったのは1月5日。そして、保護者(母親)の要請で学校がアンケートを実施したのが6日後の11日。この事件をメディアが「分かった」とするのが9月12日だ。その間8カ月、この間に謝罪も含めた当事者間の話し合いや調停が失敗に終わった、あるいはそれらが「無かった」ことをこの経過が示している。3人が「少年院収容」とあるから、その8カ月は
「逮捕(現場の公園だ)・勾留→家裁送致→検察庁送り(逆送)→裁判」
があったくらいだ。
 現行犯の逮捕だったというので、3人とは勾留先での面会だったはずだ。事件のグレードで面会出来ない期間もあるが、面会出来なかったはずはない。分別あるはずの大人(保護者や先生)はそこで一体なにを少年たちに訴えたというのだ。彼らときちんと話ができていれば、被害者の保護者となんとか向き合えたはずだ。逮捕当初「タイマン(1対1のケンカ)だった」(あとの調べでは3人が取り囲むようにした疑いがでている)と少年たちが言ったというが、大人たちは、
「なにをバカなことを言ってるんだ」
「だったらなんだというのか」
とたしなめることだって出来た。起こしてしまった現実に、子どもたちをしっかり向き合わせることがまず分別ある周囲の大人の役割だ。それが出来たら、被害者の母親がしびれを切らすこともなかったはずだ。学校側の被害保護者に対する説明や報告が、3人の言い分を伝達するというバカな事態になっていたことは疑いがない。アンケート実施の要請は、ちっとも相手の誠意が見えないから出てくる。学校の説明がちっとも要領を得ないから出てくる。チャンスが残っていたと思われる事件のあとの6日間、周囲はなにをしていたのだ。
 被害に遭ったこの子は「昨年4~12月の計8回…からかわれたことで…授業中にけんかするなど」があったという。このニュース内容が正しいという限定つきでだが、もしかしたら複数の人間の嫌がらせに、この子は敢然と立ち向かったのかも知れない。その姿が「自分は断じていじめられてはいない」と映ったかも知れない。それで「教諭は、生徒が一方的にいじめられているとは思わ」なかったのかも知れない。この教諭の言い分が、現実的に「見守っていた」のか、取り返しのつかない結果を前にした「言い訳」かどうかは、この悲惨な事態を前にした態度で露呈する。
「オマエたち、ちゃんと謝れよ」
と面会の窓口で言い、また3人の保護者には、
「彼のお母さんと彼に謝りましょう」
と訴え、報告していないことがあるなら、
「今まであったことをすべて話します」
と両者の親や管理職・市教委に言うことがこの教諭に出来たのだろうか。ニュースからその態度は窺えない。
 昨日のニュースでは、昨年秋、池に投げたボールを被害生徒に取りにいかせ、写真にとることをしていた、とあった。また、教育長が「深刻ないじめはなかったと言ったが『今年度は』という限定つきだった。誤解を与えた」なるふざけた会見をしている。事件は今年の1月に起こっているのだ。「この悲惨な事件以降は深刻な事件はない」とでも言いたいのか、メチャクチャだ。そして、13日のニュースで市教委は「再発防止に努める」とかいうドブネズミ発言をしている。まだ「一体なにが起こったのか」把握もしていない段階で「再発防止」だと!? そんな極楽仙人みたいなこと言ってないで、とりあえず「どうしてこんなに長い間『隠して』いたのか」くらい言いなさいよ。
 しかし、メディアも学校も、そして私たちもひっくり返っている。なぜ「いじめだったかどうか」が問われるのだ。そんなことは後でいいよ。事件・事故対応がどうだったのか、とりあえずそっからだ。「前兆があったかどうか」はそれからだ。取り返しのつかない、そして重大な出来事があったら、出来ることをすぐに行動に移すこと、それが肝要だ。それが重大な事件である場合、おそらく出来ることはちっぽけなものだ。それで解決出来るなどというものではない。しかし、それはどうしてもやらないといけないことのはずだ。歩行者が飛び出して、車ではねてしまった。どう考えても悪いのは自分ではない。けれどはねてしまったのは車を運転する自分だ。大丈夫ですかと呼びかけ、救急車を呼ぶのが当たり前のことだ。そのあとに事故の原因解明の作業となる。普通の大人だったら「悪いのはあいつの方だ」とはなかなか言えまい。車ではねたんだから。そして、病院に足繁くお見舞いに行くだろう。そんな当たり前のことが出来ない、出来なかったと、多くの学校事故・事件、いじめ事件が訴えている。誠意の前に「正確な把握」で慌ただしい。そうしてまた、世間からは「学校は世間知らず」と言われ続ける。いや、今は世間も我が身のことばかりで、世間も学校化しているのだが。


 ☆☆
冒頭写真、分かると思います。「ニイダヤ水産」オープンのことは、地元の新聞(写真は『福島民友』)や全国紙の地方版、またテレビのローカル版でニュースとなりました。開店の賑わいや干物への反応など、次回に書きたいと思います。干物のことをきちんと『文化』として捉えている人とそうでない人との反応は違うものですねえ。

 ☆☆
この5日にいわき市議会議員の選挙がありました。震災以降、真摯に活動してきた議員さん(佐藤(和)、福嶋、大友)諸氏は全員当選。福嶋さんは「ニイダヤ」とも縁があることを知り、嬉しい思いでした。「逃げた」「何もしない」と、被災者から非難ごうごうの市長選挙は来年の春だといいます。「市長はまだ、怖くて自宅には戻れないんだとよ」とは、第一仮設の皆さんの話です。

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1 コメント

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忘れてはならないもの (リーガルハイ)
2013-07-23 09:06:17
末法の始めに一閻浮提に弘まらせていく瑞相として、今、日蓮が魁したのである。
わが一党の者、二陣三陣と日蓮に続いて大法を弘通して、迦葉・阿難・にも勝れ、天台・伝教にも
超えていきなさい

繰り返す

末法の始めに一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に
日蓮さきがけしたり、わたうども二陣三陣つづきて
迦葉・阿難にも勝れ天台・伝教にもこへよかし
(種種御振舞御書)
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