実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

大相撲 実戦教師塾通信六百九十九号

2020-04-10 11:34:23 | 思想/哲学

 大相撲

 ~改めて「神事」「芸能」を考える~

 

☆初めに☆

コロナの勢いが止まりません。ここは注意深く対処しないといけませんね。重症患者が少ない「風邪の一種」であること、しかしながら「新種/未知」であることの両方を忘れてはならないのだと思います。買い物も散歩も「必要がある」なら、そして無理がないのだったらするがいいのです。

こんな時なので、コロナ騒動でお疲れの皆さんには、お相撲さんから少しでもパワーをもらえればいいと思います。

☆ ☆

異例尽くしの春場所は、自宅待機のお父さんも、休校措置の子どもたちと一緒に相撲を見たことと思います。私は白鵬と円鵬、そして隆の勝の相撲に張りついていました。

 この笑顔が人気。喜びの敢闘賞 隆の勝。

☆ ☆

異例の春場所ではありましたが、発見したことも多かったはず。予定されていた巡業「柏場所」が中止となったのは残念ですが、相撲を振り返る機会といたします。

 

 1 大衆芸能

 力士が土俵下の地面に、大きな音とともに叩きつけられる場面をたびたび見た。今場所は、土手のように高い土俵から落ちれば、そこがクッションとなるお客さんのいない地面だった。

 昔、相撲は土俵などない平坦な地面で行われた。これは鎌倉~戦国時代まで続く。野次馬と変わらない人垣(「人方屋(かたや)」と呼ばれた)が、力士を囲んで行った。ケンカ見物と思えば分かりやすい。昔、「相撲48手」に「押し出し」「寄り切り」がなかったのは、そのせいだと推測できる。

 分かるはずだ。おそらくは酒や何かをつまみながら騒ぐ連中が、戦いを黙って見ていることはなかった。どちらかの力士に力を貸す、という事態が頻発(ひんぱつ)する。それで、土俵が一段高くなったところに作られる。それは室町末期から江戸になってからのようだ。

 吉本隆明が相撲を観戦した時のレポート(94年・産経新聞)には、お相撲さんが「一体何と戦っているのだろう」とある。下位の取組で客の少ない時は、誰も相撲を見ようもとせず出歩いたり酒を飲んだり騒いだりなんだとか。そんな中、力士が相撲を取っている。それは、まるで「芝居小屋」のようだったという。なるほど、大衆芸能としての相撲は今も健在なのだ。ついでに言えば、昨年の五月場所にトランプが観戦した時、さじき席をぶち壊したことによる違和感を、私たちはしっかり目にしたのである。

 

 2 「神送りの儀」

 無観客で行われた表彰式のあと、私たちは「神送りの儀」なるセレモニーを見る幸運に恵まれた。これを見ることが出来るとは思わなかった。私は「神送りの儀」を、白鵬の書『相撲よ!』で初めて知った。

押し入れから引っ張りだした、白鵬とともに朝青龍の名前も記された昔の番付表。

土俵祭で神を迎え、場所を終えるまでの毎日、横綱を初めとする力士たちの土俵入と、結びのあとの弓取によって土中の邪気と鬼を抑え込むことは知っていても、千秋楽の「神送り」によってこれらが締めくくられるとは知らなかった。今回、そのことを確認できて良かった。

 昔、矢が的(まと)に当たったとか石が持ち上げられたとかで、村の人々はその年の幸せを祈った。人々の願い・祈りのひとつが相撲だ。相撲は宮廷行事としても行われたが、前項で書いた通り地方で誕生した。いわゆる田舎相撲があり、そこで各地の猛者(もさ)たちが力を競った。それで人々は、幸せや豊作を予測し祝った。代表の力持ちは村の名を借り、力士名とした。豊作を占う行事として定着すると、土俵は神社の中に移動する。その後、寺社を修復・新築するため「勧進(かんじん)」の役割を相撲が請け負うのは、当然の成り行きだ。「芸能」と「神事」が合流する。

  『別冊ぴあ』より

 

 3 能力(のうりき)

 「のうりょく」でなく「のうりき」と読むと言えば、気がつくのではないか。「能・力」とは、簡単に言えば「神のご加護による力」。神々からのサポートは、村の幸せを願う人々の気持ちで呼び込まれる。人々の応援は、力士に神の力が乗り移ることを願ったものでもあった。力士と人々に「信心が厚いかどうか」が、勝利のポイントだった。

 相撲は神社で行われたのだ。だから勝った力士には、「オマエは村に幸せをもたらした」「オマエは神を信じて力を得た」という名誉がもたらされ、村は「神を降臨させた」ということとなる。今もあるかどうかは分からないが、少なくとも江戸時代まで会津や佐渡には「能力村」が残っている(「万力村」もある)。

 多くの場合、勝利者は「自分だけではこういう結果は出せなかった」と言う。今風にはそれを「チームや家族、ファン」のお蔭だと言う。一方、「相撲(土俵)の神様が力を貸してくれた」という言葉を、今でも私たちは耳にすることが出来る。

 さて、千葉県柏市出身隆の勝は、兄・姉・弟・妹、そして両親の「厳しい」応援があって敢闘賞を獲得したのだろうか。それとも柏の弁天・諏訪・八幡神々のご加護があったのだろうか。

 

 ☆後記☆

柏ですが、教員も勤務を調整することが検討されているようです。在宅勤務の日を設定するかどうか、ということです。「濃厚接触」を避ける観点からです。市役所の方は分かりませんが、教育委員会の方もそうなるようです。大変なことです。

☆ ☆

ネットカフェまで営業自粛するといいますが、利用者がどうなるのでしょう。こんな時だからこそ避難する場所となっているはずなのに、心配です。

それでですが、全国で中断している「子ども食堂」のことです。それでいいのかという声をたくさんいただいてます。いま出来ることがないかと、検討中です。

 庭の花です。気持ちを休めましょう。


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