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読書特集 '24(1) 実戦教師塾通信九百二十三号

2024-08-02 11:31:11 | 思想/哲学

読書特集 '24(1)

 

 ☆初めに☆

今年も読書特集の季節となりました。今年は字数を気にせず書くことにします。二回に分けて書きます。発行年に古いものが今年もありますが、それぞれに理由があります。あと、ずい分芥川賞を紹介してない気がします。一応読んでるのですが、石原慎太郎を気どるわけではないけど、どんどんつまらなくなってませんか? 全部は読んでないので、中には面白いものもあるかもしれませんし、自分の嗜好のせいでもあるのでしょう。とにかく、「売れてる本」と「読まれてる本」は違います。最近(でもないけど)の芥川賞で今も面白かったと思うのは、又吉の『火花』。それも前半。ぐらいしか思い出せません。とりあえず、今年のお勧め本。字数多いですが、ゆっくり読んでください。

 

☆『腹を空かせた勇者ども』金原ひとみ 2023年 河出書房新社☆

その芥川賞作家である金原ひとみに、相変わらず手こずっている、というか取りつかれている。「どうせ殺されるなら、母としての生きにくさではなく、幼い頃から慣れ親しんだ……生きにくさから殺されたかった」(朝日新聞インタビュー)と言って、育児と母親らしさの悶絶の中、金原は「小説を読むことと書くこと」(同)で、ようやく生き延びている。昨年の読書特集の『アタラクシア』に続き『パリの砂漠、東京の蜃気楼』をやっとの思いで読み終えた。と思う間もなく、本書が出された。実はこれが、今までの金原の作品と様子が違う。もともと金原の小説には、持て余し気味の自分自身を誰かに、あるいは登場人物全員のどこかに設定している。対談(月刊『ユリイカ』)でも、今回の『腹を空かせた……』子どもたちの設定上に、我が子がいることを示唆している。「子どもに向いてない子っているんだよ」(同)と父親(金原瑞人)から言われて覚醒した?金原の別なペルソナが、長女との色も中身も濃い会話を成立させている。不可解さでは際限のない夫婦の下で、長女はたくましい。また、長女を取り巻く友人たちの豪快さは、古くは「親はいなくとも子は育つ」を思い出させるし、同じく、「子どもはみんな分かってる」ことを再確認させる。

ウチのお母さんババアオブババア、とか、お父さんの寝起きの臭いまじこの世の終わり……お母さんはお父さんとお姉ちゃんに対する怒りをまとめて潰して団子にして私に「勉強しろ」って言葉にして投げつけてるんだよまあ私そんなん美味しく食っちゃうけどね、とか……感心してしまう/「てか、会えないよ。……私は陰性だったけど、コロナ陽性の人の濃厚接触者……だよ?」……「私はベンチにも入んないから……私ら失うものはないわけ」「だからって……。もし何かあっても責任取れないし」「責任って、お前は大人か! 早くおいで! マックね!」/人って皆同じ考え方だったら楽なのになー、とめんどくさくなって言ったら「そうしたら恋愛も友情もなくなって、自己愛と自己嫌悪しかなくなるね」とママはちょっと愉快そうに言った。……別にそんな極端な話をしたかったわけじゃないんだけどとムッとしながら、私はママの言葉を無視した。

 

☆『九条の大罪』真鍋昌平 2021年~ 小学館☆

漫画です。本屋のコミックコーナーに並んでいた。憲法九条がいかに罪深いものか、という趣味の悪い本かと思った。でも、そういう本でも読まないといけないと思って買った。全く違った。正体不明の「九条」という弁護士の話だった。絶望と出口の見えない展開に、次でもう買うのはやめようと思いつつ、8巻まで読んでしまった(現在11巻刊行中)。酒酔い運転でゲームをして人をひいて逃げた男の弁護を引き受けるところから物語は始まる。

スマホは証拠の宝庫だ置いていけ/警察にスマホ出すように言われたらなくしたと言う/酒が抜けてから出頭する/弁護士と出頭なので自首は成立する/何かにぶつかったことは認めるがその他はお話しできませんと言う 。

こんな弁護士なのだが、この巻の最後に「法律は人の権利を守る。だが、命までは守れない」とも言う。一体どっちなのかと思えて難解である。しかし、裏社会と、それを取り巻く人間模様のリアリティはあなどれない。

「延命してる残りの人生なんだから、黙って冷やしカレー食っとけよな」(2巻)/「絶叫しても誰も助けに来ない。また朝が来た。昨日よりたまったゴミで身動きできない」(3巻)/「しずくちゃんは純粋だからいい。不幸な生い立ちで居場所も将来の目標もないのが素晴らしい」(4巻)/「こんなみすぼらしい私がここにいてごめんなさい」(5巻)/「親に褒められたことないから……相手の都合に合わせて恋愛関係を求めてしまう」(6巻)/「歳をとっただけの……ガキばかりで……自分より優れた人間の失敗が大好物で」(7巻)

「奪っちゃいけないものを買う守銭奴と、売っちゃいけないものを金で売るバカ女。奴らには芯がない」とは、半グレのセリフ。そして、思いがけない九条の言葉もやって来る。「1日、1日、日常を愛おしいと思えたら、それが貴方の居場所です」と、『モモ』(ミヒャエル・エンデ)『星の王子さま』(サンテグジュペリ)を差し入れる。「私は貴方に寄り添います」とも言う。読み進む中での疲弊は、こんな人物たちのこんな言葉たちに押し戻される。

 

☆『スターリン言語学 精読』田中克彦 2000年 岩波現代文庫☆

この本をずっと前から読んでいる。ブログでも何度か使わせてもらってもいる。読了したのが最近なもので、紹介が遅れた。何度も前に戻りながら読み返し、その都度新しく傍線を引いた結果だと思っている。当初、スターリンの言語学・民族問題への視点は積極的なものだったらしい。では、この本が独裁者/大粛清執行者の名を欲しいままにしたスターリンを擁護するものなのか。違う。大切なことは、冒頭部分で示される視点だ。

「言語のあり方は……どこでも同じというわけではない。西ヨーロッパの知的伝統の中には、言語は多様であるはずはなく、また多様であってはならないのだとする強い信念がある」(第1章「2 文明語の普遍性」)

私たちには慣れ親しんだ生活や習慣がある。普段から使い、手放せないものを「新しいものにしなさい」と、一方的に言われた時に違和感や憤りを感じるのは、そこに自分たちの場所があったからだ。ついこの間、新札発行に際し「日本は世界に後れを取っている」と熱く批判される方と対面した。ちなみに日本では、現金での支払いを10代で60%、20代でさえ30%の若者がやっているらしい。「中国では現金で物が買えないほど成長している」というのにと、この方は腹を立てるわけである。現金が本物かどうか信用できない国の状態はおくとしても、慣れ親しんだ習慣をないがしろに出来るものだろうか。大きな流れに自ら追随する姿勢は問われていい。ここでは言語の問題である。

 言語は人間が伝達する時の手段であり社会に奉仕するものだという「言語=道具」説は、スターリンの十八番である。しかし、異なる言語を持つ民族との間では、言語は道具として成り立たない。こんな初歩的な課題に対応できない、凡庸でありきたりな物言いを「言語学」としていたスターリンは、革命初期、少数民族の言語使用を認めていたのである。それが「国家語を否定し各民族の言語を権利とする」レーニンへの忠誠だったとしても、

「少数民族は……母語を使う権利がないのに不満なのだ/自分自身の学校がないことに不満なのだ」

と主張したのは、スターリンなのだ。しかし、革命後の「ソ連」が出す「各共和国は……(ソ連から)自由に脱退する権利を保有する」(「スターリン憲法」)とされた「権利」は、決して「行使」されなかった。スターリンが、結局は西欧の「言語はひとつ」という道に行きつくまでの紆余曲折には、学ぶものが多くある。

 

☆『豆腐屋の四季』松下竜一 1983年 講談社文庫☆

現役の先生だった時、教科書の『潮風の町』を読んで、この作者を知った。歌人である。教科書は、魚の行商をする酒飲みの母と、それを気遣う純真な中学生の息子の話だった。その美しい情景にひかれ、この本を購入した。読んだのは大昔だが、前に言ったある「理由」のせいで、二度目を経験することになった。一体オレは何を読んでいたのだ、と思った。そして同時に、幼少時の事件が鮮やかによみがえった。冬だったと思う。小学校はまだ低学年の頃合いだったろうか。学校に向かう集団の中に私もいた。近くにいた男の子が、所在なく道端の空き缶を蹴った。すると空き缶は音を立てながら道を横切り、荷台に豆腐を載せた自転車を直撃した。恐らく、自転車は一番悪い角度で空き缶に乗り上げた。もんどりうって自転車は転倒し、荷台から白い豆腐が飛び散った。道は沈黙し、息をのんだ。若い豆腐屋だったと思うが、自転車を起こし白く砕けた豆腐をそのままに姿を消した。豆腐屋のうつ向いて恥ずかしそうに去っていく姿を私(たち)は忘れない。やがて歩き出す私たちの足取りが重かったことと、歩き出さない「犯人」の子を思い出す。この『豆腐屋の四季』を読んで、転んだ豆腐屋が怒りもせず去って行った謎が解けた気がしている。

 松下は、生後間もない急性肺炎によって右目を失明。母は「竜一ちゃんの心が優しいから、お星さまが流れて来てとまって下さった」物語を作って、悲しみを「愛(かな)しみ」に変えた。高校まで進むが、大学進学の夢は母の急逝で断念。父が営む零細な豆腐屋の手伝いを始める。19歳のことだ。しかし、豆腐の出来のいいはずはなく、深夜に悲しみと怒りをぶつける。実は松下家は6人姉弟で構成される。竜一の下に4人の弟。この6人がわが身の不幸を恨む。誰も悪くないのに、みんな精一杯生きているのに不満と不幸が積もっていく。ひとり、またひとりと、家族は離散する。しかし、お互い憎悪をぶつけつつも、出口を見出そうと始めた「ふるさと通信」など、数々の手立てを続けた。そして、それぞれが自分の小さな幸福をつかんでいく。松下の結婚も不思議な始まりとゴールだった。姉弟の幸福、それぞれのひとひらが輝きを放って美しい。……転んだ豆腐屋さんの屈辱に満ちた顔、どこへ行っただろう。

雪ごもる作業場したし豆乳の湯気におぼろの妻と働く

 

 ☆後記☆

アッツイですね~🌞 体力も少し回復したので、早朝トレーニングを再開し、エアコン運転の時間も短縮しました。でも、室内温度計が「36」を示したのは初めて見ました。皆さん、共に身体に気を付けましょう👊

さて、去年から8月の子ども食堂「うさぎとカメ」は、二回開催です。明日は、さっそく一回目。牛丼です🍚 40人分より少し多めにお願いしましたが、どうなることでしょう。おいで下さ~い👪

 ☆☆

大相撲名古屋場所、あれよあれよのうちに、興奮のるつぼとなりました。照ノ富士はおくとして、隆の勝、いよいよ本物です。確かな「型(形)」を手にいれつつあります。真面目な武道家・武術家なら見えたはず。「やることはひとつなので」という、勝ち越しの時のインタビューだったか、それが語っている。相手が、その型にはまらないようにしていても、はまるのが型なのです。この型に磨きをかけることが、今後の課題です。結婚おめでとう💐 そして、精進あれ🚀


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