イチロー
~ロストではなく~
☆初めに☆
「重圧から解放されてホッとしています」
こう言ったのは、体操全日本選手権で11連覇を逃した内村航平選手です。2011年のイチローを思い出しました。この年、年間200安打の記録が途絶えたイチローが、この言葉を言ったのです。
そして、内村コメントの4日後に「生涯契約」発表があった。
「引退しないって言いませんでしたっけ」
イチローの言葉です。記者はもう一度確認しないとすまなかったのです。おそらく私たちも同じ気持ちだった。
イチローとは何だったのか、いや何なのかという現在形とすべきなのか、私たちは考えているのです。
確かなことは、イチローの残してきた足跡と、その歩みがまだ続くに違いない、続きますようにという私たちの気持ちです。
どのように続くのでしょうか。
1 ずっとユニフォームで
「僕はアメリカで野球人生を終えるという覚悟をもとに決断をした」
イチローは、その決断を神戸の『牛や たん平』の壁に、
「九年間ごっちゃんでした」
と記した。
2001年初めてのキャンプで、とてもスタメン入りは無理だと思うようなメジャーの「底の広さを感じた」イチローは、しかし、その年のMVP・首位打者・新人王・盗塁王をすべてもぎ取った。実際、シーズン開幕直前に、
そしてシーズン終了後、メジャーの魅力を語った。選手のプレーへの思い入れ、見かけでは分からない練習への熱意、また「球団ごとに何百人という選手の厚い層」。ピッチャーが投げる瞬間のスタジアムの観客が、日本とはこんなにも違うと、イチローはメジャーの静けさを絶賛した。アメリカから帰るのは野球人生を終える時だ、というイチローの予定は、現実のものとなっていたのだ。
先日、
「帰国するなら背広で来い」
と張本が言ったという(本当ですか?)。そうやって海外の選手を引き連れて来いとは、おそらく、世界的選手への最大のエールなのだ。
しかしそうではない。
「ずっとユニフォームで、大好きな野球をやってください」
イチローは、この王の言葉がよく似合う。
2 「それを僕に訊(き)きますか」
「応援するかどうかは、見る側が決めることです」
これは2015年の言葉ではない、2003年の言葉だ。同じ年、「アジャストするのが大変です」とこぼした松井に、
「野球の面白さは、うまくいかないことが多いから」
と言うイチローだった。
そして翌年、メジャーリーグ、シスラーの最多安打記録を破る。
「応援よろしくお願いします。とは絶対言いません」
今度は2015年のマーリンズ入団会見である。でも私たちには分かっていた。
この年の開幕戦、イチローはスターティングラインナップに名前を連ねていない。その理由を、誰も聞くこともなくなった。マーリンズへの入団もぎりぎりにもつれ込んだ。この期間、イチローは、
「それを僕に訊きますか」
何かが出来なくなった時、それを年齢のせいだと思ってしまったことはありますか、と記者から投げかけられた時のイチローの答である。同じく2015年の開幕前インタビューだ。そんなことがあるはずがないだろ、というイチローの答なのだ。
悩み苦しむイチローだが、修行僧のような姿は変わらなかった。
3 研究発表の場
間違いなくイチローは、孤高な「求道者」だった。他のものを寄せつけず、ひたすら自分の納得できるものを追い求めた。それがチームからの反撥も呼び、
マリナーズに電撃復帰したイチローは、笑みが絶えず、
「この二カ月は、毎日がギフトでハッピー」
と言った。もう昔のイチローではない。「間違いなく歳を重ねた」のだ。ではイチローの「余生」は、指導者(伝道者)なのか。違う。
「野球の研究者でいたい」
イチローが、その研究(求道)の成果を発表したい気持ちを、抑(おさ)えられないことは間違いない。
私たちはその発表の場に立ち会えるのだ。
☆後記☆
電撃的発表の日、夕方、コンビニまでスポーツ紙を買いに行きました。でも、スポーツ紙のコーナーはすべて売り切れ。今更ながらイチローの存在に驚き、感動もしました。やっとこさ手に入れましたよ。関係者のコメントがたくさん載ってました。その中で、
☆ ☆
雨はしつこかったし、寒かったですねえ。体調いかがですか。寒くてあったかいうどんを食べましたよ。日本酒が美味しい。銘酒『佐久の花』を飲んでました。この寒さで、全部飲んでしまった。
明日からはビールです!
~ロストではなく~
☆初めに☆
「重圧から解放されてホッとしています」
こう言ったのは、体操全日本選手権で11連覇を逃した内村航平選手です。2011年のイチローを思い出しました。この年、年間200安打の記録が途絶えたイチローが、この言葉を言ったのです。
そして、内村コメントの4日後に「生涯契約」発表があった。
「引退しないって言いませんでしたっけ」
イチローの言葉です。記者はもう一度確認しないとすまなかったのです。おそらく私たちも同じ気持ちだった。
イチローとは何だったのか、いや何なのかという現在形とすべきなのか、私たちは考えているのです。
確かなことは、イチローの残してきた足跡と、その歩みがまだ続くに違いない、続きますようにという私たちの気持ちです。
どのように続くのでしょうか。
*今回の記事中「 」はすべて、雑誌『number』(2011~2018年)と単行本(ビートたけしとの対談『イチロー 北野武 キャッチボール』)、新聞からの引用です。
1 ずっとユニフォームで
「僕はアメリカで野球人生を終えるという覚悟をもとに決断をした」
イチローは、その決断を神戸の『牛や たん平』の壁に、
「九年間ごっちゃんでした」
と記した。
2001年初めてのキャンプで、とてもスタメン入りは無理だと思うようなメジャーの「底の広さを感じた」イチローは、しかし、その年のMVP・首位打者・新人王・盗塁王をすべてもぎ取った。実際、シーズン開幕直前に、
「野球そのもののレベルは高い。ただ、どうにもならないレベルではない」
とも言っていた。そしてシーズン終了後、メジャーの魅力を語った。選手のプレーへの思い入れ、見かけでは分からない練習への熱意、また「球団ごとに何百人という選手の厚い層」。ピッチャーが投げる瞬間のスタジアムの観客が、日本とはこんなにも違うと、イチローはメジャーの静けさを絶賛した。アメリカから帰るのは野球人生を終える時だ、というイチローの予定は、現実のものとなっていたのだ。
先日、
「帰国するなら背広で来い」
と張本が言ったという(本当ですか?)。そうやって海外の選手を引き連れて来いとは、おそらく、世界的選手への最大のエールなのだ。
しかしそうではない。
「ずっとユニフォームで、大好きな野球をやってください」
イチローは、この王の言葉がよく似合う。
2 「それを僕に訊(き)きますか」
「応援するかどうかは、見る側が決めることです」
これは2015年の言葉ではない、2003年の言葉だ。同じ年、「アジャストするのが大変です」とこぼした松井に、
「日本ではそんなことはなかったんだし、それが楽しいんだから」
と言っている。まさしく、「野球の面白さは、うまくいかないことが多いから」
と言うイチローだった。
そして翌年、メジャーリーグ、シスラーの最多安打記録を破る。
「応援よろしくお願いします。とは絶対言いません」
今度は2015年のマーリンズ入団会見である。でも私たちには分かっていた。
この年の開幕戦、イチローはスターティングラインナップに名前を連ねていない。その理由を、誰も聞くこともなくなった。マーリンズへの入団もぎりぎりにもつれ込んだ。この期間、イチローは、
「……チャンスがなければどうしようもない。だから、まずはチャンスさえあればいいと考える。」
と、日本行きさえにおわしていた。「アメリカから帰るのは、野球人生を終える時」だったイチローの野球人生は、間違いなく変わろうとしていた。「それを僕に訊きますか」
何かが出来なくなった時、それを年齢のせいだと思ってしまったことはありますか、と記者から投げかけられた時のイチローの答である。同じく2015年の開幕前インタビューだ。そんなことがあるはずがないだろ、というイチローの答なのだ。
悩み苦しむイチローだが、修行僧のような姿は変わらなかった。
3 研究発表の場
間違いなくイチローは、孤高な「求道者」だった。他のものを寄せつけず、ひたすら自分の納得できるものを追い求めた。それがチームからの反撥も呼び、
「がむしゃらに打とうとすることが、いけないことなんじゃないかと混乱した時期があった」
そんなイチローは、いつ「伝道者」になったのだろう。多分、マーリンズに入った頃からだったと思う。誰よりも早く球場入りし、念入りにストレッチ/ウォームアップするイチローの背後に、たくさんのチームメイトを見るようになった。そんな仲間たちを「かわいくて仕方ない子たち」と、イチローは言った。それはもう、昔のイチローではなかった。マリナーズに電撃復帰したイチローは、笑みが絶えず、
「この二カ月は、毎日がギフトでハッピー」
と言った。もう昔のイチローではない。「間違いなく歳を重ねた」のだ。ではイチローの「余生」は、指導者(伝道者)なのか。違う。
「野球の研究者でいたい」
イチローが、その研究(求道)の成果を発表したい気持ちを、抑(おさ)えられないことは間違いない。
私たちはその発表の場に立ち会えるのだ。
☆後記☆
電撃的発表の日、夕方、コンビニまでスポーツ紙を買いに行きました。でも、スポーツ紙のコーナーはすべて売り切れ。今更ながらイチローの存在に驚き、感動もしました。やっとこさ手に入れましたよ。関係者のコメントがたくさん載ってました。その中で、
(コメントを求められ)「出ていることが本当のことか、確認させてもらってからでもいい? 本当なら大きなことだから」
という、日本ハムの栗山監督が一番心に残りました。☆ ☆
雨はしつこかったし、寒かったですねえ。体調いかがですか。寒くてあったかいうどんを食べましたよ。日本酒が美味しい。銘酒『佐久の花』を飲んでました。この寒さで、全部飲んでしまった。
明日からはビールです!
こちらは前述した通り2か月遅れで、みなさんに支えてくださったお陰で
無事迎えることができました。
先生のお名前も掲載させていただいたので、ご報告しておきます。
またfreepage listも、追加したいHPアドレスがございましたら
今度御出版される新刊も併せて、ご遠慮なしにお申し出ください。
今後ともご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。