実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

実戦教師塾通信百七十五号

2012-06-11 11:23:05 | 子ども/学校
 <学校>と<子ども> Ⅱ

        <技術>使用の実際 (上)
               「自立と依存」あるいは「アメとムチ」①


 「甘やかせばうまくいく」か


 若い頃よく言われた。
「子どもを甘やかしてはいけない。
それは道筋を示す教師としてやってはいけないことだ。
甘やかせば子どもは喜ぶ。
そんな楽なことはない」
てな感じである。小学校にいた時は、
・体育でもないのにやたらに外で授業をしたがる
・体育の時間が長い
・整列が汚い
・うるさい
などだ。中学校に入って言われたことは、
・オマエのクラスの女子のヘアピンの色、どうにかならないのか
・靴(上履き)のかかとをつぶさないように言ってるか
・遅刻に対する指導をやっているのか
・いつも笑い声でうるさい。ちゃんと授業をやってるのか
などだ。子どもは当時とはすっかり様変わりしたが、指導心情の方はこれらのどれも石器時代のあの頃とあんまり変わらんものである。
 小学校に関して言えば「自分の好み(嗜好)」でやっていた。のかな。中学校では「気がつかなかった」のが一番大きいと思える。そう指摘されて「なるほど、ホントにヘアピンに色がついてる」などと思うことがよくあった。そして、そう言ってくださった方に「よく気がつきますね」と、思わず言ってしまうこともしばしばだった。そんな時私に、上記の「甘やかせば子どもは喜ぶ」というお経を唱えられた。これが次第に変化する。
 小学校の場合は学期を追うに従い、中学校の場合は学年があがるに連れ、それらのお経(苦情)が大体において消えていくのだった。小学校の場合、私のクラスの整列や騒音、そして掃除などが整然としていったこともある。しかしそればかりではない。私がこれで口うるさく子どもに言い聞かせている姿を見ていたからだろう。実は「楽しくやるのも楽ではない」のだ。やがては雪合戦を一日中していても「一年に一度だし」という極めてありがたいはからいなどもあったことを思い出す。
 中学校の場合が面白い。厳しさを一番に売り物にして、私を「甘やかしている」とあげつらっていた教師のクラスが、私のクラスを次第に「追い越していく」からだ。例えばそのクラスの子どもたちの髪が段々と「赤く」染まり、制服も「戦闘的に」なっていく。また、受験期を終えると遅刻が解禁となっていく。というか、生徒が登校時間を社長バージョンにする。私が一番厳しさを守り、それを訴える立場になっていくのは、不思議な快感と不快感を覚えたものだった。だから、私に対する「甘やかすな」をもう言わせておくことはないと、いつの頃からか思うこととなった。
「少し見ていてくれませんか」
「『指導すべき』ことが『指導出来る』と思ったら間違いですよ」
「最後(卒業)まで指導出来もしないことを、一年生だから出来る、みたいなデタラメをやってたらダメなんですよ」
「自分で(指導)やってみなよ。出来ゃしないから」
こんな感じで対することになった。


 「分かって欲しい」という「甘え」

 さてその一方で、確かにこれではまずいと思える「厳しくない」対処をたくさん見た。私に言わせれば、その教師たちは子どもを「甘やかす」のでなく、子どもの「言いなりになって」いた。いや、もっと正確に言えばその教師たちは、子どもたちに「分かって欲しい」と「甘えて」いた。忘れ物や子どもの犯した過ちを、その人たちは過度に「サポート」してしまっている。子どもたちはある時点から「これでいいものだ」と思う、のでなく、その教師に対してある不信感を持ち始める。それは「なんだか分からない」気持ちだと言えるが、感覚的には「押しつけがましさ」に支えられた不信感だ。それを教師が気付かないで、自分の「分かって欲しい」気持ちを押し付け続けると、ついに子どもたちは「荒れ」た、ように私には見えた。
 犯したミスは、子どもが自分で背負わないといけないのは当たり前のことだ。それなのに「次はいかんぞ」「仕方がないな」などとやっていれば、子どもの方は「これでいいのだ」と思うのではない。「こんなことでいいのか」と思うのだ。子どもをなめてはいけない。小学校の息子がタバコを吸ったとか、隠れて水割り飲んでた(すみません、オヤジ趣味で)とかいう時、
「生意気やりゃがって」
と言える親は今いないだろう。「身体に悪い」とか「まだ早い」などと言って、アルコールや喫煙の青少年の身体に及ぼす影響をパソコンのデータで見せるとかいうバカをやるのだ。今の子どもたちは、指針を失った大人(社会)の前で自分の道を見いだせないでいる。「身体に良くない」などという言葉が、子どものどこに入っていけるというのだ。子どもたちに「はっきり言う」ことの意味を私たちはもう忘れている。かつて「はっきり言われた」子どもたちは、かくも大人と自分たちとは違うものだと思い知らされた。子どもは自分の非力に落ち込むものの、同時にそこに「明日」を見いだしていた。
 「分かって欲しい」教師の日常は、実はふんだんにある。以前、雑誌から「授業に携帯を持ち込む生徒に困ってます」なる(中)学校教師の相談に応える、という内容で原稿を頼まれた。「取り上げるしかないですよ」と応えた。「理由はいらない。そんなことを言えば余計こじれる」。「次はダメだよ。今回は初めてだから見逃しとこう」というバカをやらないこと。また「うちの人には今回は黙っておこう」という大バカをやらないこと、という付け足しもした。こういうバカをすることで子どもに貸しを作っているつもりなのだろう。「弱み」を握ったつもりが、こういうやり口が小賢しい「取引」だということを子どもは分かってる。次の時は「そんなの関係ねえ」と子どもが言うのは見えてる。
 雑誌のこの相談に応えたのは、私だけでなくもうひとりいた。そいつ(同じく中学校の先生だったと記憶している)は、バカなことに「子どもたち同士で持ち込みのルールを決めさせてはどうでしょう」と言っていたと思う。ナニこれ? どうせ自分(教師)は中途半端に介入して「これならOK」「これはやりすぎ」とか言ってニコニコ笑うくせに、バカだよ。こいつも結局「私は頭ごなしではない」というフニャフニャ野郎で「自分の気持ちを分かって欲しい」と思ってる。
 タバコや携帯が絶対的に良くないというのではない。戦後の混乱期、子どもたちのタバコは公然とやられていた。そんな必要があったのか、その時期子どもたちがそれだけ「大人」だったのかはよく分からない。そんなことは時代や地域(国)で違ってくることだ。中学校でも休み時間、友だちと廊下・教室でおしゃべりすることや、トイレで「会議」することより、携帯で隣の学校のやつと話すことの方が楽しい、みたいな時も来るのかもしれない。今はちっと待てよ、ということだ。幼稚園の砂場で、園児が携帯で話し込む様子を想像しろよ。ゾッとしないか。なにやってんだバカヤロウ、でいいのだ。
 絶望的な思いで付け足すが「オマエに今大切なのは砂場で遊ぶことなんだ」なんて説明するバカ、いるんだよなあ。
 多くの大人は子どもを「甘やかして」いるのではない。自分の気持ちを「分かって欲しい」と、子どもに「甘えて」いるのだ。それで子どもは混乱する。か、または「憤慨する」のだ。男女だって同じなんだぞ。「分かって欲しい」んなら「言う」しかないのに、「分かっているはずだ」だの「分からないのか」だのと言う。それを「甘え」というのだ。


 ☆☆
子どもをいとおしいと思って頑張っているお父さん・お母さん、そして先生たち、頑張れ! という気持ちです。子どもは可愛がっていればいいのです。でも、そのことの大変さを皆さんは分かっています。だからエールを送るんです。

 ☆☆
佐藤琢磨、先日のインディ500はあと少しで優勝!だったのにクラッシュ。残念です。それにしてもちっともニュースにならない。ホントにモータースポーツは斜陽です。
シャラポワ優勝おめでとう。

 ☆☆
皆さんからのお味噌を配布する週です。明日からは福島も雨のようで、車で行ってきます。次回の通信投稿は金曜か土曜になります。

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1 コメント

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忘れてはならないもの (リーガルハイ)
2013-07-20 08:06:46
我ならびに我が弟子は、諸難があっても疑う心が
なければ、必ず、自然に仏界にいたる。
諸天の加護がないからといって、疑ってはならない。現世が安穏でないことを嘆いてはならない。
我が弟子に朝に夕に、この事を教えてきたけれども、疑いを起こして皆(信心を)捨ててしまったのであろう。愚かなものの習いは、約束した事を肝心の
時に忘れるのである。

繰り返す

我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば
自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、
我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆
すてけんつたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし(開目抄)
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