実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

木戸ダム  実戦教師塾通信四百四十四号

2015-05-29 12:41:33 | 福島からの報告
 木戸ダム
     ~楢葉のいま~


 1 木戸ダム

 サケの放流がニュースとなったことは、前に書いたが、木戸川は楢葉町役場のすぐ近くを流れる。そして「木戸ダム」は、町の水源地である。
「水は大丈夫なのか」
という住民の不安が、政府が主催する、先日の説明会で繰り返された。以前からダムの汚染は問題になっていた。セシウムで汚染されたダムの底の泥は、2万ベクレル近い値が測定されている。環境省の説明によれば、
「放流しているのは上澄(うわず)みだから」
大丈夫という説明だった。しかし、台風などの荒天時に、それが攪拌(かくはん)されて上昇するのではないか。
「それがよ、環境省が言うには、上からの水圧が高いから平気だってよ」
と、私は楢葉の人たちに教えられた。汚れたものを放っておけと言うのだ。火は消えていないが、離れているから安全だ、と近隣の人たちに言ってるようなものだ。楢葉の皆さんが町に出向く時は、ペットボトル持参だという。
 私が木戸ダムに向かったのは、汗ばむような青空の日だった。竜田駅先の交差点を、天神岬と反対の、左方向に曲がると、木戸川沿いにダムへと進む。
 初め、何台ものマイクロバスとすれ違う。朝だったが、満席のバスでみんな眠っていた。窓に「IPC」という張り紙。あとで教えてもらったところでは、石川島プラントのバスらしい。
「第一原発の作業員だよ」
「Jビレッジの宿舎が解体されて、あちこちに分散したからな」
説明は不要と思うが、Jビレッジは広野町にある広大なサッカー施設。スタジアムのピッチに建てられていたプレハブの宿舎は、いまはなくなった。
 バス内の作業員の顔は、みんな疲れ切っていた。しかし、その眠った顔は険(けわ)しかった。
 川沿いの道に、まったく車の影が見えなくなった。すれ違ったのは、たった一台、パトカーだけである。ときおり茂(しげ)みに見え隠れする民家は、放置されたのも、住んでいる空気を見せるものもあった。鶏舎か豚舎か、荒れ果てたままの屋根。こんな風景と不釣り合いな緑と立派な峠道。途中、木戸川渓谷(けいこく)遊歩道の入口駐車場で休憩した。立派なトイレがあったが、すべてロックしてあった。「電源三法による設置施設」という看板がここにもある。そして、遊歩道入口はチェーンが張ってあるのだった。
 やがて、爽(さわ)やかな新緑と青空の向こうに、ダムが開けてくる。
      
不安と抱き合わせの水をたたえて、と言っていいのかどうか、ダムは五月の薫風(くんぷう)に吹かれていた。
      

 2 政府事故調
 政府事故調(福島第一原発事故政府事故調査検証委員会)の報告は、2年前に講談社から発行されているが、もちろん略式である。『福島民友』では、折りを見て県内版とも言えるものを発表している。知らせておきたい。当時の恐怖の記憶が蘇(よみがえ)る。
 今月の17日付けの記事、17頁目の全面を割(さ)いているのは、福島県環境部長と事故調との間でされた二つのやりとりである。

① 原発事故当時、自衛官が「100㎞以上の避難」を現地住民に訴えた
② 原災法(原発事故災害対策法)は、現地対策本部に権限を何も与えていない

ことであった。
 一つ目は、原発の1号機が爆発して二日後の夜、南相馬市役所で、自衛官が、
「原発が爆発します。退避してください」
と言い、各階で、
「100㎞以上離れて」
と言ったという。それが本当だったかどうかの確認。この避難指示は国や県からはなかった。県にことの真偽(しんぎ)を確かめて、そうした動きはないと確認が取れたのはその25分後だったという。しかし実際は、原発の3号機が、この日の午前に爆発している。「爆発していない」が意味することは、それが格納器ではなく、建屋だったということなのだろうか。
 しかし、この2日後、米軍は原発から80㎞圏内に入ることを禁じられる。誰がこのアクシデントを自衛官のミスだと言えるだろう。この事故調と部長のやりとりでは、自衛隊の中堅幹部が情報を取り違え、避難指示を出したのだろうという結論だった。
 一体なにを信じればいいのか、と緊迫した思いで過ごしたあの頃のことが、鮮明に思い出される。避難しなくても大丈夫と言われたところで、また「ただちに健康に支障を来すものではない」と言われたところで、あの時、私たちの不安と不信は膨(ふく)らむばかりだった。二日前、国は朝に出した「10㎞圏内避難指示」を、夕方には「20㎞」に拡大していた。その都度「○○㎞の外に出ていただいていれば『大丈夫』」が繰り返された。逃げようと思わない方が不思議だ。
 そして二つ目でも、驚きあきれることが確認される。
 ここでは田村市の20~30㎞圏内の人たちの扱いが話し合われる。
 つまり「避難しなくても大丈夫」と言われた人たちの扱いである。住民の気持ちは、当然大きく揺れていた。市も県も対応に動く。ところが、避難用バスを出すだけでも大変なことだった。
「我々としては自主避難なので、バスは手配できても、金の用意は出来なかった」
そこでバスは国交省、避難先は総務省にお願いします、と。ところが、どこも「分かりました」と言わなかった。
「うちの管轄(かんかつ)ではない」
「うちにはその権限がありません」
と断ったのである。あとで問題が発生すると判断したのだ。何ということだ。これが一刻を争う、住民の命を左右する時にされていた対応なのである。私は、即刻九州に飛んだ海老蔵の判断を思い出す次第である。国や東電の発表を、誰も信じてやしなかった。
 読者は記憶してほしい。最近も良く聞く「自主避難住民への補償打ち切り」の「自主避難」とは、このことを指す。国が「避難指示」を出してない範囲で「避難した」住民のことだ。「避難しなくてもいいのに避難した」と言うのだ。自分の無能を差し置いて、一体なに言ってる、と思うのは私だけではないだろう。

 3 上荒川仮設住宅
 仮設の担当が上荒川に変わった、楢葉の渡部さんを訪ねた。地元が愛する、白水阿弥陀堂近くである。50世帯と幾ぶん小さめの仮設住宅は、私が今まで知る仮設の中で、一番立派だ。長屋作りの木造平屋はがっしりしており、天井も少し高い気がする。
 集会場に入ると、ちょうど朝のラジオ体操が終わったところだった。みんなでお茶を飲み、縁側では男の人たちが乗り出して、私のバイクについて感想を戦わせていた。渡部さんが私を招き入れた。
 あのバイクは、という入り方は、私にとって楽な導入だった。もちろん女の人たちは、バイクなぞ興味のひとかけらもないので、脇でおしゃべりしている。
 ここの「1」で書いたことは、この仮設で教えてもらったことだ。
            
            これが楢葉町役場入口にまだ立っている
 私が町役場と木戸ダムに行ってきたことを話すと、みんな聞きたがった。あまり行ってないようだ。昨年の7月にオープンした、町役場敷地内の仮設店舗「ここなら商店街」もそんなに知らない様子だ。
      
「どうだった?」
と、聞くのだ。お昼時に行った私は、すごい混みように目的を果たせなかった。駐車場には「仙台/三重/品川」など、全国津々浦々のナンバーの車が止まっていた。
「みんなゼネコンの下請けだよ」
と、笑って私に言うのだった。
      
八百人のホールを持つ、すっかり荒れ果てたコミュニティセンター

この人はずっといわきに来ててね、という渡部さんの説明に、
「じゃあ、ここのレポートも書くのかな」
と言って、また笑うのだった。


 ☆☆
今日の朝日で、池上彰が15歳少年のドローン事件を書いてました。私は40歳のドローン事件のその後が知りたいです。捜査の状況が全く表に出ない。福島から持ち帰ったという「危険のない」汚泥(おでい)だって、第一原発なのか、それとも民家の軒下のものなのか、都合の悪いことでもあるのかなあ。大体どんな法に触れたというのか、これは興味があります。池上氏も言ってましたが、「威力業務妨害」ってなんの妨害なのでしょう。警備を強化しないといけなくなったと言うけれど、ドローンが官邸の屋上で二週間も寝転んでるほうがおかしいですよね。裁判したら無罪になるんじゃないかって思ってます。

 ☆☆
大相撲、興奮しましたね。照の富士、浮世絵に出て来るような、たくましい、それでいてかわいらしいお相撲さんですねえ。白鵬がこれからどんな姿を見せるのか、が問われる場所ともなりました。きっと白鵬は応えてくれるでしょう。楽しみです。

 ☆☆
最後にもうひとつ、今年も新酒の鑑定は、福島県が一位でした。ほとんどが会津の酒だと思います。ホントに会津の酒は美味しい。金賞は『飛露喜』だったと言います。何度目の受賞なんだろう。私はここ廣木酒造の『緑川』が好きです。手に入らないのが残念ですが、大量に蔵出ししないという真面目さがいいのです。『花泉』『清川』と、小さい蔵元がまた美味しいんですよ。ちなみに前回に登場した『明鏡止水』は、長野です。

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