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震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

日大闘争 実戦教師塾通信六百二号

2018-06-01 11:38:06 | 戦後/昭和
 日大闘争
     ~一縷(いちる)の望み~


 1 絶望に抗して
 日大監督たちの厚かましく醜(みにく)い姿の一方、ひとり決断し登壇したフットボール選手の姿が、私たちの胸を打ちました。しかし、ようやく顔を出した学長が言ったことは「混乱への謝罪」であって、監督指導への明言ではなかった。
 方(かた)や森友問題は、廃棄(はいき)したはずの分厚い文書が出て来るという新展開を見せた。
 首相の「謝罪」は、文書改竄(かいざん)の時と同じ、
「行政全体の信頼を揺るがしかねない原因を作った」
だった。改竄と廃棄で有利を得るご本人が、何を言ってるのだろう。問題は野党が言うような、
「公文書管理が問われている」
ではないし、
「財務相が辞職すればいい」
のでもない。もう国会は品性まで問われ、ポテンシャルの劣化(れっか)は無残なほどだ。一連の事態に対し、
「対応が後手後手(ごてごて)に回っている」
なる、どっちつかずの批判?が飛び交っている。しかし、
「何としても認めたくない」
からこうなる、というのが本当のところだ。加計学園のここ数日の常軌(じょうき)を逸(いっ)した動きは、まさに、
「ウソは重ねるしかなくなる」
ことを絵に描いたように示している。
 そんな中での日大選手の会見だった。やり切れない出来事の連続に、うんざりしていた私たちだ。
「あきらめちゃいけない」
彼が必死で、私たちに言っているように見えました。

 2 50年前
 今回の事件は、日大で歴史的な闘争があってから、ちょうど50年である。
 この日大闘争を振り返ることは、意味のあることと思われる。森友問題と今回の事件をからめると、ちっとも変わっていない日本(日大も)の姿が見えてくる。
 1968年、日大で34億円の使途不明金が発覚する。事件の発端(ほったん)は、裏口入学斡旋(あっせん)による5000万円の着服。その後、芋づる式に大学の使途不明金が明らかになる。これを国税局が発表したのは1968年の5月5日。今回のフットボール事件の発生は、5月6日だ。もう偶然とは思えない。
国税局は、この金が大学理事たちに流れた「ヤミ給与」だったことを二カ月後に発表。その頃、大学の会計・経理担当が自殺をしていた。
 「ポン大」とバカにされていた日大生が立ち上がる。その時、学内で集会の自由はなく、学生大会の代議員さえ大学が指名するという中、学生たちの抗議や異議の声がかき消された。学生は校舎を封鎖して、当局の誠意ある対応を迫(せま)った。

学ランの学生がいます。でも、右翼学生ではありません。全国どこの大学でも始まりはこんな風だった。間もなく、みかけは過激なものをまとうようになるのですが、私たちのやった闘争は、どう考えても「民主化闘争」でした。軽はずみに「革命」を口にしたこともありました。でも、やったことは、学費値上げ反対、教授の横暴(今で言う「パワハラ」)告発、そして日大のような、使途不明金の解明等々、というものでした。
 各学部で、この問題を解明する「共闘委員会」が発足(ほっそく)。この学部の連合体が「全学共闘会議=全共闘」となったのです。

日大が特徴的だったのは、学生たちが占拠(せんきょ)した校舎を襲ったのが体育会系、そして応援団の学生だったこと。彼らが使ったのは消火器や塩酸、上からスチールのロッカーや砲丸を落とすという、凄惨(せいさん)なものだった。それに対し共闘系の学生が、ヘルメットと角材で「武装」する。
 両者がぶつかったところへ警察がやって来る。共闘系の学生は拍手で迎(むか)えたそうです。ところが、警察が検挙したのは体育会系・応援団ではなかった。
「東大の学生なんて、みんな坊ちゃんです」
「日大の学生には頭が下がります」
当時を振り返り、東大の助手共闘だった藤原信先生がこう言っていた。多くの東大全共闘のメンバーもそう言った。
 そして、あの9月30日(1968年)を迎える。再三無視を決め込んでいた古田会頭が、大衆団交の場所「日大講堂(旧国技館)」に、ついに姿を見せる。

似ているが、これは内田監督ではない。当時、日大の代表をつとめていた古田重二良会頭である。会頭とは「理事会のトップ」を意味する。


講堂に結集した日大生は、一万とも三万とも言われる。その場で、古田は「退陣」の約束をする。しかし、辞職はついに実現しなかった。
 翌日(よくじつ)の10月1日、
「政府の介入すべき時が来た」
と、大衆団交での確認書無効が表明されたからだ。記者会見でそれを言ったのは、当時の内閣総理大臣・佐藤栄作だった。再び、体育会系と機動隊による学生の弾圧が始まった。

 50年後の今、すでにあちこちから日大闘争に関する本が出版されている。今回のフットボール事件も含め、この時の全共闘議長である秋田明大からコメントが出るのを待ちたい。



 ☆後記☆
読者には、当時の書籍、『叛逆のバリケード』(三一書房)をお薦(すす)めします。特に、9月30日の大衆団交場面の記録は圧巻です。学生たちが声を枯らし、必死に訴(うった)えぶつかる姿は、無責任な評論を粉々にする迫力があるのです。

当時を振り返り、言うに事欠いて、
「当時の全共闘には、学生がついていけなかった」
「何も意味ない『ごっこ』をしていただけだ」
などと評論家どもがのたまっています。学生だったこいつらは、当時、
「言ってることは正しいが『方法』が間違ってる」
なんぞと言ってたのは間違いない。ではどんな『方法』があったのかを指し示すこともなく、この連中は見ていただけです。
「力のあるものは平気でウソをつく」
「力のあるものは本当のことを言わない」
ことを、確かに「民主化闘争」だったけれど、全共闘運動は示しました。それは大変な思いをして示したと思っています。
 ☆ ☆
先日、「与党」の議員さんと話す機会がありました。国会運営に不満があるというのです。たとえば、佐川の、
「刑事訴追(そつい)の恐れがありますので」
という逃げ口上(こうじょう)に対し、野党側は沈黙した。でも、
「あなたは自分の仕事への自信がないのですか」
ぐらい言えないのか、と怒るのでした。
今回の一連の出来事で一番怖いのは、力を持つ側が、
「ウソは突き通せる」
自信を持ってしまい、非力な側は、
「何をしても無駄」
という虚脱感を抱いてしまうことだと、私には思えます。
日大の宮川選手の決断を、私たちは大切にしないといけません。
 ☆ ☆
29日の新聞(千葉版)で、千葉県の読者は「館山いじめ事件」が大詰めに来ていることを知ったと思います。ぜひ、今一度の注目をお願いしたいです。

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