チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

模様替え

2022年09月07日 09時01分24秒 | 日記
ほんの少し机のまわりの模様替え
風水では家具を動かすのもいい日悪い日がある
チャ子ちゃん先生は何でも実験してみたい人なので、いい日悪い日の境目の日に、家具をすこーし動かしてみた

来たたねえ、来た
厳しいメールが届いた
やはり来たか?という思いで穏やかに対応した。もちろん相手の文面にはカチンときた、しかし今日はこういう日、ということが分かっているので、受け入れて肚で反応

泣き言を言ってきた人がいた。それに対しても丁寧に対応、元気付けることが出来た

家具を動かしたことで、その隙間にたまったほこりが凄い、それらをきれいに掃き出し拭いて清潔にすると、そこの部分が清らかになった
その場が風水で言うと「援助」の場所
「こんなに詰まっていれば援助なんかないわね」
と独り言言いながら雑巾がけ

するといきなりピンポーン
夏野菜が届き、続いて果物が届き、続いて月見にどうぞと月見菓子が届く
もうすごいわ

全てを神棚にいったん備え、お茶の時間に果物を頂く、月見菓子は10日の満月に

風水に導かれたのも「きもの」から
「黎明」という大島紬が出来て、その大島紬をもって主要都市で着物フアッションショーを行っていた、とその時広告会社の方が
「黎明さんという風水師がいるんですよ、ちょうどいい明日会があるのでご一緒しましょう
と誘われ紀尾井町のホテルに 行った

「風水」というのは初めてで怪しげと思っていたが、天文学であり、易学でもあり、環境を整えるものなのだと理解、着物の左前右前もここで謎が解け、終わって風水師鮑黎明さんと親しく話をさせていただき、その場で弟子入りした

それから40年
疑問を抱きながらも、時々実験しては「風水は整える」ということが一番大事なのだなあ、と納得する。それは宇宙の法則に準ずるということでもある
昔の日本人が日常でやっていたことだけどネ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

着物が繋ぐもの 499

2022年09月06日 09時56分11秒 | 日記
着物の柄は着る人の心を表している
今日は午前中祝いの席に招かれている
着る着物を選んでいると
ありました祝いの席にピッタリ
火炎宝珠に五色の葉そして水の流れ
火と水か・みつまり神

神様より宝珠を頂き五色の木火土金水宇宙のエネルギーを与えられる
この様な意味の着物の柄
昔の人は本当にすごいと思う
祝いの席でこれから変化する人生に大自然のエネルギーがしっかりあなたを守りますよ

言葉に出さずとも着物の柄で思いが相手に伝わっていく
これが本来の日本人

自分自身を飾りたい目立ちたいという思いは野暮とされる

話は全く違うけど
染織のドキュメンタリーが映画やテレヴィで放映されることが多くなったけど、本当にしっかりと自分の仕事に向き合ってる方は取材されていない

あるドキュメントを見たが世にいう有名人が出ていて、真実を追求すいている人は皆無。やはり「きものという農業」の続編に取り掛かろう
いまこそ土が大事な時代はない
その土と共に生きている人たちを取材したい

今日の着物は立て絽、昭和の初期までは夏の祝い着の生地として重宝されていたらしい。然も薄物と単衣の間の微妙な季節に着るもの
着物の柄もやはり本来の柄の意味をしっかりと伝えてほしいと思う
日本人の季節との関わり方は芸術だもの。それだけ自然を尊いと信じていたのだ、自然に生かされている人間という感覚もあったのだろうか
行ってきます


先輩たちに学んだこときちんとつたえていかないといけないなあ、とつくづく思う



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

税務署に呼び出された

2022年09月05日 11時58分01秒 | 日記
税務署での話し合いが終わり建物を出た瞬間胸が込み上げてきた
自分自身が愛おしくなったのだ
「よく頑張ってるよね」
と思いを声に出したら涙がとめどなく流れてきた

税務署で嫌な思いをしたわけではない
むしろお互いにお互いの仕事を思いやり、おだやかな中で書類の説明、これから私が支払わなくてはいけない額面、何故未納になっていたかの説明も淡々と話し、係の方も心から耳を傾け聞いてくださった
消費税で苦しむことも理解していらした
しかし数字は現実、義務も現実これは動かしようがない
だから嫌な思いは全くなく、むしろ話し合いは非常に気持ちがよく笑顔でエレヴェーターまで送ってくださった

コロナ騒動で家賃が払えなくなり狭い所に引っ越し、そして会社も一人に小さくした、その時の膨大な荷物の処理、書類の整理、様々な支払いが山とあり、肝心の収入の方はぴたりとやんだ
その日を必死で生きて行くので税金のことなど頭からきれいさっぱり消えていた。銀行はしっかり追いかけてくるので、その返済は、応援してくださる方が現れとどこおりなく支払っているがー-その恩を思うとまた涙

38期と言う株式会社の年数だけど、チャ子ちゃん先生は「経営者」としては何もできていなかった、自分がやりたいことをするために稼いで使う、その為のスタッフを雇う、つまり会社経営が丸きし出来ていなかった。など今更臍を噛んでも取り返しはつかない
税務署では未来の収入予測の数字を書くようにと書類を渡されているが、白紙で出したい

「それでも比佐子さん頑張ったじゃあないの」
と思ったらまたまた泣けてきた
バスが見えた、涙をふきふき走っていたら運転手さんがじっと待っていてくれた、こんな優しさにまたまた泣けてくる

何処かで景色のいいところでお茶をして落ち着こうと思っていたが見当たらず、ご褒美だわと言いながらマリアージュのマルコポーロを購入し、事務所のベランダで静かに紅茶を味わっている


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シルク時空を超えて

2022年09月03日 07時48分05秒 | 日記
「シルク時空を超えて」90分映画の上映を10月25日火曜日、14時から開催する運びとなった
場所は日比谷図書文化館の大ホール
日比谷公園内になる日比谷公会堂と野外音楽堂の中間の位置にある
主催は「㈱秋櫻舎」300人入るので多くの方に見ていただきたい
映画が終わった後、熊谷友幸監督と中谷比佐子のトークショーもある
気になる入場料は 前売り2500円、当日売り3000円 自由席
申し込みは 三井住友銀行 飯田橋支店 普通 0862073 ㈱コスモスシャ

昨日
制作者で監督の熊谷友幸さんと会場内であれこれ話し合った
監督は石井ふく子さんのところにいて日曜劇場のカメラを担当していらした
その後山岳写真、更に石仏写真そしてその取材の中から養蚕農家の現状を見て、絹の過去と現在そして未来に対して危惧を抱き、「絹」を追いかけた

明治維新後日本の近代国家を担った生糸の輸出に関して、今自分たちはあまりにも知らなすぎる、又悲話として映画にもなった「野麦峠」は、ほんとうのところどうだったのだろうか?という思いに駆られ、今まだ高齢だけど健在な「もと工女」さんにインタビュうーをした時、その工女さんは
「楽しかった!上手に糸を取れるようになっていく過程がとても嬉しかった」
その一言で「日本の絹」が世界に強く受け止められていた事が分かるような気がして、取材を始めた

フランスの養蚕の地セヴぇンヌ、日本の絹をこよなく愛したアメリカのマンチェスターや他の国など海外に日本の絹の価値を求めての取材に五年、もちろん日本の地も
内容はもとより、映像の美しさが見ごたえある。そして音楽の清らかさ

チャ子ちゃん先生はこの映画を観たとき「多くの人に絹のこと知らせたい」という欲求に駆られすぐに上映の許可を申し出た
自分の集客の実力など全く考えず「蚕」に突き動かされている感じ

京都、大阪、金沢の知人たちに声をかけて上映が決まった
東京はまず日比谷から、ぜひ見ていただきたい、日本の誇り絹産業
上映したいと思う方ぜひ連絡ください
090-3223-0341


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

よちよち歩き

2022年09月02日 09時58分06秒 | 日記
歩き始めた幼児が靴を履いて公園をママと散歩
歩けることがうれしい
ただそれがうれしい。高揚した気持ちがこちらにも伝わってくる
そしてふと気が付いたら
右足を上げると右手も上がる。つまりなんば歩きをしているのだ!

尻もちを搗く
思わず「ああー」と出たこちらの声にこたえて「にっ」と笑う。歯の見えない口元がなんともかわいい
先日田んぼの畔道で出会った老婦人の笑い顔と一緒だなあ
「ご精が出ますね」
「いやー」と笑った口元には歯が見えずそれがかえって愛しいと思えた
老いるとということは生まれた姿に戻っていく

幼子とママの歩調は合わない
低い目線で花や道路の砂などを見ていて、何もかもが生まれて初めて目に映るのだから不思議で仕方がない

しゃがんで指さす
「なーに?」
5ミリくらいの虫の屍、瑠璃色に光っている。蟲の名前はわからない、光っていて美しいので目に留まる
「美しい色が好きなのね?」
と話しかけると、頷いて立ち上がり、またぴょこたんぴょこたんと足を交互にあげて歩く、まるで自分の舞台を歩いているように、歩くことに集中
その姿を見てママと笑い合う

あの子の目線で見て見ると、すべての物が大きくさらに息をしていることもわかる。大人の目線は「見下ろす」幼子の視線は「見上げる」そこには見えるものの本質が違ってくる。

一二三神事には「生まれ赤子の心になって」という文言がよく出てくるが、私はいつの間にか大人視線でしかものを見ていなかったなあ、と幼子に教えられる。いろんな自分の時代の視線をもう一度振り返ってみるのも必要だなあと思いながら公園を歩く

今日は台風模様
台風は海を底から混ぜ返して、海に新しい命を与えてくれるのだそうだ。台風の多い日本は常に命が再生されている、まさしく常に生まれ赤子の心に戻れるのが日本人なのだなあ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

集団の中の個人

2022年09月01日 10時23分50秒 | 日記
日本中が「マスク」を中心に集団の中の個人を生きている
集団から外れたときの怖さを考えているのだと思うが
「個人の中の集団」
に切り替えないと苦しい

集団の中の個人という感覚は本来日本人の魂の中にはない
日本人はいつからこういう人種になったのだろう
歴史を振り返ると「明治からだよね」

チャ子ちゃん先生いつも不思議に思っているのは
あの明治維新でちょんまげからすぐ断髪して洋髪に
強固なお城だって数年で明け渡して、町は洋風建築

なんば歩きをしてた人達が「おいっちにおいっちに」と左右交互に歩くようになった。そして陸軍海軍の団体統一生活

小学校の時「いっちにいっちに」と運動場を行進させられた。足並みがそろっていないと軍服着た兵隊さんが鞭を打って強制していた、「いっちに」という掛け声は「一致に」ということだったのだと今わかる
明治時代から脈々と「集団の中の個人」に育てられ、今や集団マスク、集団液体で大成功を収めている

「個人の中の集団」というのは各々が自分らしい個性をいかしながら、集団を作り、みんなでその集団を高め合っていく、武士は個人個人で競い合う集団だった。志が同じでない限り集団にはなれなかったのだ

野良猫を数年観察したことが在る
野良猫はトップを決めるとき強さと優しさを求める、だから命を懸けてお互いにトップの座を争う
トップが決まるとそのトップと志が合わないネコは去っていく、残った猫たちは7匹が指導部になり、ねぐらである公園の見回りをし、その結果報告をトップに告げる、その時の会議が一時間くらい、それぞれテレパシーで行われているので、いろんな姿態でいるのも自由

みんなあちこちに散らばり、人に甘えて餌をねだったり、カラスを脅して餌を奪ったりそれぞれ持ち味を生かしながら集団生活をしている
トップ猫はすべての猫が餌を食べた後に自分が食べる
自由で開放されそして安全が保たれている

自分自身を強制しない、自由で開放される日々もあなたがが作れる

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする