チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

着物が繋ぐもの 502

2022年09月29日 10時23分51秒 | 日記
この時期着る物に頭を使う
昨夜は「絹縮」を着て「チャコちゅうぶ」を発信していた
始めてこの絹縮が出来たときのことを思い出して書いておこうとおもう

33歳のとき「若い人のための着物の本」というのを主婦と生活社から出していただいた。昭和42年(1967年)
敗戦後の20年日本は元気いっぱいで未来に向かって突進していた
その頃4大誌という婦人誌があった
「主婦と生活」・主婦と生活社 「婦人生活」・婦人生活社 「婦人倶楽部」・講談社 「主婦の友」・主婦の友社
この雑誌がそのまま社名になっているところが多く、いかに主婦たちに購読されていたかが分か

正月号はにはそれぞれ100万部くらい売れた時期もある
それは付録が目当て、家計簿、そして教育費とか食糧費、娯楽費、交際費、衣服費貯金とかに分かれた袋もついていて、主婦にとってはその内容で経済を学ぶことが出来た

今YouTubeなどで梅干しの漬け方、布団の作り方、衣服の製図と縫い方、洗濯とかの家事のいろいろ、家具の配置などを発信している方も多いけど、これらの雑誌にはそのほとんどが掲載されていて、主婦の先生であった

その中の着物の口絵は当時売れっ子の女優さんが出演、女優さんの取り合いも
熾烈なものがあった

そういう着物のページつくりに参画していて、着物のことを若い目でまとめたのが「若い人の着物の本」
本を出したことで先輩たちからの風当たりも強くなったので、では毎日着物を着て、そのきものの素材と着た感覚をさらに伝えて行こうと、それからなんと20年間着物を毎日着続けた

そういう毎日の中で、端境期の気候にあう着物の素材を見つけることにした
当時は端境期には絽縮緬、絽紬、紗合わせというのがあったが、「透けない着物」というのが欲しくって
「そうだ麻の縮みを絹にしたらいいかも」
と思いついた。当時はこういう思いツキを受け止めてくれるメーカーや問屋もいた
小千谷の「樋口織物」で実験、出来上がったら京都の問屋「米原」が買い上げ販売するという企画が成立、イヤー気持ちのいいものが出来上がった

6月から7月9月から10月季節の端境期にもってこいだ
いまでも生産しているが、販売するお店が少ない。いいのになあー-
コメント
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