チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

着物が繋ぐもの 420

2021年04月10日 08時27分47秒 | 日記
若い人達
30,40代の女性たちがそれぞれの想いの中で着物のコミニテイーを作って活動をしている
着物を着て女子会
着物を着て小旅行
着物を着て散歩
着物を着て観劇
着物を着て美術館
着物を着てお稽古事
着物を着て食事
きものをきてZoom

彼女たちの祖母が亡くなり、その遺品にある着物のすばらしさに感動して、何とかそのものを残さねばという気概のある人
ただひたすら着物が好きという人
着物を着ると自分が変わると信じている 
着物を着ると丁寧に扱われる
着物を着るきっかけも様々
しかし一様に着物を通して分かってくる日本の文化に心惹かれている

世界が沈滞し、日本の先行きも暗澹たる思いの中で、着物を着ることで何か自分自身の根底を安心させるものをつかんでいるようだ

戦前の女性たちが衣服として当たり前に着ていた時代から、戦後の女たちがステータスと着ていた時代を通りすぎ、全く違った着物への憧憬が彼女たちにあるようだ。それは日本への想いといっていいかもしれない。
日本を感じたい
日本人でいたい
日本を好きでいたい
日本を誇りにおもいたい
彼女たちを見ているとそういう思いが伝わってくる

戦後着物がお米や野菜に替わり、家族の命を助けたように、いまは着物が人の心を潤す役目をしているのかもしれない
恐怖からの逃避にも着物に包まれる自分が安心と思えるのだろう

戦後の様々な日本文化の禁止令の中で、着物を着ることが禁止にならなかったことに感謝する
お米と日本語、着物が存在すれば、日本は日本らしい国に戻れる
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着物が繋ぐもの 420

2021年04月10日 08時15分17秒 | 日記
若い人達、30代、40代の女性たちが着物に目覚め、着物好きのコミニテいーを自ら構築し、着物について語り合っている
着物が好きという気持ちを正直に表して着物を楽しんでいる
それぞれの人たちが自分流の着方をしながら、それをみんなでお互いに受け入れ着物を着て集う
着物を楽しんでいるという感覚だ

着物を着て女子会
着物を着て観劇
着物を着てお散歩
着物を着て食事

きものをきて銀座を歩くというのが一時はやっていた
毎日曜日銀座に集まり、歩行者天国を着物を着て闊歩する
一時は300人くらい集まったのではないかと思う

きものはこうやって有志の間で脈々と着るということが続けられている
若手経営者の呉服屋がその志をうまくくみ取って、彼女たちを導いている店もある
そういう店は大体家業だ。家業だから


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高校生活

2021年04月09日 10時51分21秒 | 日記
日本に来ている高校の留学生が自分の一日をFBにあげたのを見た
世界中の子供たちが「うわー楽しそう日本に行きたい」というコメントが殺到したのだという
何が興味を呼んだかと言えば
集団登校や自転車登校、ホームルームだったり、部活だったり、お昼休みの団欒、修学旅行だったりという団体での交わりのようだ。制服があるのも新鮮だったらしい

チャ子ちゃん先生の高校時代から見ると、随分規制があり、戒律に身動きならないように思うが、それでもよその国から見ると、人との交わり方がうらやましい。ということのようだ

いろんな世代の人たちが様々な高校時代を過ごしていると思う
戦後すぐ新制高校というのが出来、女学校と中学校が一緒になり、男女共学となった。
小学校の上が女学校だったり、中学校だったので6,3,3制という学校教育はなじみがなかった。
日教組が確立するまでは、教える側も右往左往していたと思う。一番その嵐を被ったのは昭和一桁までの世代だ

義務教育が中学までとなり(それまでは小学校)教える材料もそれぞれまちまちだったのだろう
そんな中、全校生の朝礼、運動会、学芸会、ハイキング、修学旅行など、人との交わりの中で人間形成をしていくという方針が根付いたようだ
それが今でもかすかに残っているので、他国の子供たちにとってみると、珍しいし、他の思想と映るのだろう。いい方向に行けばワンネスだが、間違うと一方方向という、今のようなマスク人間、ワクチン人間に育っていく

チャ子ちゃん先生の高校時代は、ちょうど端境期にいて、自由にのびのびと過ごすことが出来た
とにかく毎日、知恵を振り絞って歓喜できることに集中していた
面白くない授業は全員でボイコットなど当たり前
それが「漢文」だった。何年も同じ内容のノートをただ読んで、黒板に長々と書くという授業。教師が書き始めると勇士は窓から逃げていく

テストもずっと同じなので、兄に聞いて丸暗記していくと100点が取れる。しかもこういう問題が出るらしいと仲間に教える
(この時、変に中国思想を植え付けられないでよかったと今は思う)

国立の大学に行く生徒、私立の大学に行く生徒、短大や職業校に行く、家庭に入る、職人になる。というような将来の目標を定めて、クラスが分かれていた。特殊なクラスは、女子大希望者とまだ進路の決まらない女の子は一組にまとめられていた(私はその組にいた)県立なのにこういうクラス編成が出来たのはよかったかもしれない

日教組が出来て教育が一律になって楽しくなくなったが、それでも今もなお、日本の教育にあこがれる海外の子供たちがいることに、何かほっとするものを感じる




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やはり異常

2021年04月08日 16時03分31秒 | 日記
ホテルの朝の食事
「お客様マスクを」
「お客様この手袋を」

ここまで洗脳が行き届いていると感嘆するしかない

日本人のお遺伝子は「みんな同じことをする、同じ方向を目指す」ということたらしいので、それに否を表す人は異端者として嫌われる

洗脳され唯々諾々としたがうのも
反抗し拒否をする人も
洗脳を駆使している人達にとっては同じエネルギー「思うつぼ」

洗脳の先にあるものが、だんだんはっきりと見えてきた
時間はかかるけど、人類は明るい方向に日々向かっているとチャ子ちゃん先生は信じている

そういう時自分の姿勢を崩さない、それも無理してやるのではなく、ひょうひょうといつもの通りに進める。こういうことのできる人が、今後の世界のリーダーになっていくのだろうなと思う

京都駅構内にいつもお邪魔する店がある。発車時間のある時にしか立ち寄らないけど
こういう時期、いつもと同じおもてなしに心休まった
さりげなく自分の想いの仕事をしている

店には白いフリージャーがテーブルの上に並び静かに人を待っている

最近の店には花はおろか、あっても造花であることが多く、経営者の姿勢がそういうところにあらわに表れて面白い

居心地がよく思わず長居して危うく乗り遅れるところであった
4泊5日関西で過ごした日々は、人々が二極に分かれていく様子が手に取るように分かった

これからまさに世界の中心になる大阪、京都、奈良、滋賀にこの時期に行けたことが意味深い

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公園が変わった

2021年04月03日 15時45分05秒 | 日記
午後から公園に友と出かけたら超満員
花は終わったが、みどりの風に吹かれたい人達が寄り集まっている
芝生は座るところもない
マスクをしていないグループがここかしこ
有名なユーチューバーのフアンたちがその方を取り囲んで大きな輪になって談笑をしている

公園に出来たコーヒーショップも待ち人であふれている
自転車と乳母車が駐車場にひしめいている
太陽がありがたい

友と語らいながらのんびりと人々の動きを目で追う

この公園にこんなに人が集まるのは久しぶり、芝生の場所が広くなったので、お弁当広げてピクニック気分を味わっている家族同士。ほとんどの人がマスクを外し、いい空気を存分に吸っている
こういいう景色こそが人間の世界

60匹の猫がいたころを思い出す
うつ病の少女が、土日に、ご自分のお気に入りの猫を抱いて、長いこと身動きもせずじっと目をつむっていた姿もあった
公園の住民が猫たちを集めて魚を焼いて食べさせていた

この公園には大学教授もいて
朝きちんとスーツを着てタクシーで某国立大学に通っていた
彼のテントの中には、読んで見たい哲学書が並んでいた
早朝いい香りを漂わせながらゆっくりコーヒーを入れている人もいた

今はコ―ヒーショップが二店舗もあり、この公園に集まる人達の年齢も下がった
時間が流れるように人も又変わっていく
見通しがよくなり、子供たちが安全な場所となった

緑が生い茂っていたころは茂みの中には、猫と人が仲良く節度を保っていて、お互いを気にし合っていた

人の世というのは誰かの意思によっても変化していくのだなあと感慨深い
誰かの統治の中では、人は安全だけど、自由はないねえと話し合う。みんな同じことをすることで安心というのは何か怖いねえ

さてチャ子ちゃん先生は此れから京都に向かう
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令和三年は覚醒の日々

2021年04月01日 10時15分41秒 | 日記
大筋では自分が何をしようとしているかは理解しているが
日々感情に起伏を見る
これは自分自身のことではなく社会に起きていることへのいら立ちかもしれない
毎日「ご機嫌さん」でいたいと思うが、そうでない日もある
呼吸をしていれば当たり前かもしれない、と自分自身を許す

呼吸といえば
マスクをしている方がたは、お肌が荒れている人が多い
チャ子ちゃん先生はいち早く細菌学者にしっかりとした知識を教わったので、絹の蛋白質を嫌うコロナの時は絹のマスクをしていたが、コロナの質が変化してからは、細菌は免疫さへ高めていれば安全とわかり、更に飛沫でうつるようなものではなく、さらに陽性患者のほとんどはたんなるインフルエンザだそうで、WHOも日本の厚生労働省もマスクは義務ではないとHPに記されて後、マスクをしていることの被害の方が多くなっている現状に、心痛めている

ワクチン接種の案内が来た
コロナの最終目標はこのワクチン接種であろうことはすぐ分かる
何のためのワクチンなのか、これもよくよく調べた結果、打たないことにした。たとえ其れで命を取られてもだ!死ぬまで人間でいたいから

こういいうことを書くと、このブログから去っていく人が多い
此れもまた世の人々の考え方であろう
真実はもう間もなく解き明かされると思うが、「?」と思えることは自分の足で情報を取り、自分の魂で判断するといい
その魂が曇っていればすべてが逆になる

その為には快食快便快眠、食も農薬は恐れず、日本には言霊がある。その言霊を浴びせて農薬や遺伝子組み換えの害を取る方法は、先人たちがやってきた知恵だ

一番の危険は「恐怖」恐れる感情を食べている悪魔がいることを私達は認識したい。悪魔を太らしてはいけない
かなり前、識者が「日本人はこのままいくと、あの大東和戦争のような悲惨な目に合うのではないか」と警告を鳴らしていたが、そういう方の発言も封じ込まれてしまった

1995年から日本の文明は世界の中心になり、その期間が1600年も続くという宇宙リズムの中に組み込まれている「定式」。それが生きるかどうかがこの令和三年にあるのだろうか

日本人は自分の中にこそ、そこに正解があることを知っている
それと同じように、日本のこの国のなかにこそ、宇宙法則に満ち満ちた正解がある。自分を信じ、日本の国民の聡明さを見せるときが今。とおもう


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