チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

私って健康なんだなあー

2020年04月17日 10時44分50秒 | 日記

ここ40年病院に行ったことがない(歯医者はよく行く)

ここ40年薬を飲ん仇ことがない

何十年ぶりかの大学の同級会で「薬飲んでない」といったらみんなが唖然としていた

こちらの方が唖然とした

 

前にも書いたが「ご臨終です」を二回経験している(6歳と7歳)

その後玄関に爆弾が落ち、庭に作っていた防空壕に爆風が当たりその爆風のためか腎臓をやられた

母はあの敗戦後の物のない時代に必死になって私を腎臓病から救い上げようと漢方で私の体を変えてしまった(そのため色黒になった!フン)

敗戦後みんなはおいもだけ食べたとかお芋の茎だけだったとかイナゴだったとかいろいろ聞いたけど

チャ子ちゃん先生はトーモロコシのひげを煎じたもの、干し柿、スイカ、白身の魚、豆腐という食材を毎日口にしていた(豆腐も母の手作りだったな)

世の中が少し落ち着いて母も自分の漢方知識だけではと思ったのか私を医者に見せた。当然のこと薬を処方された。医者は偉い先生という思いがあったので母は食後薬を飲ませようとした。でも私が嫌がるので、母は自分で作ったパウンドケーキをご褒美にするという。そのケーキにつられて薬を飲んだがむかむかして吐いてしまった(そのころケーキなんて珍しいんだわ)

 

母を落胆させてはいけないと思い黙っていた。そうしたら兄がやってきて(病人の部屋に入ってはいけないといわれているのに家庭教師を装ってやってくる)

「俺が薬飲むからそのケーキくれるか?」というのでいそいそとその提案に乗った10歳の時だ(薬を飲んだ兄は秀才の誉れ高かったにもかかわらず、その後普通の男になった薬のせいだよきっと)

食事は相変わらず塩抜きでトーモロコシのひげスープは毎日、そうだそれに梅エキスというのがあった。それも母が作っていた。2年で完治し元気溌剌の子に変身、運動量が増えたとたん成績は減速。両親は健康が一番という考えだったのでいい気になって遊び狂った。

あれは昭和30年の初めだったと思う、インフルエンザが大流行、大学の寮にいたチャ子ちゃん先生200人くらいの寮生がみんなひっくり返っていて、かからないのはなんと私一人。みんなの介護に回っていたけど、叔母が心配して私をひきとり、自粛などないので叔母の好きな歌舞伎鑑賞に明け暮れた

その後母の目から離れたら暴飲暴食を繰り返し大きな病気をした、気づかされたのが母の食事内容。旬のものを食べる、身土不二、油物は避ける、買い食いはダメ、消化の良いものを心掛ける。そのため変なものを口に入れるとすぐ吐く、また自然素材以外の布を身にまとうと発疹がでる。体の声に耳を傾ける習慣が出来た。治癒能力が高まったのだ

 

今地球の声に耳を傾けないといけない時だ。そのためのコロナの猛威だ。宗教家も政治家も何もできなかったのでコロナがやってきた。人間が悔い改め地球にもっと愛を持つことでこの騒ぎはおさまる

今日は母の食生活に感謝してこういうブログを書いた。そして母なる地球に感謝!

#⃣腎臓病 #チャ子ちゃん先生 #とーモロコシのスープ #治癒能力 #身土不二 #暴飲暴食 #漢方知識 ##母なる地球に感謝

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