お世話になった方の命日で縁の近い人が集まった
「命日」という言葉はどうしてついたのだろう
とお経を聞きながら考える
考えても分からないのだがそういうことに気が行く自分に
あきれてもいる
人は死に向かって毎日生きているのだが
誰でも必ず死ぬと思うと
どんなに憎らしいことを言っている人も
権力を振りかざしている人も
死の直前にどんな顔をするのだろうと想像すると
その人が可愛くなってくる
死を命じられた日を「命日」と呼ぶのかな
などと考える
いやそこから別の命が始まるのかもしれない
そう肉体を脱いだ魂だけの命がーーー
そうすると
「魂」は永遠に続くといわれているので
その永遠の命にはきっと悦びしかないのであろう
喜ぶと喜びことが嬉しがり喜びを連れて遊びにくる
と夢に出る空海に教えてもらったことがある
しち難しい事も悦びとすれば
其れが喜びとなってくるんだな
とすると「死」は恐れなくても良い
なにはともあれ
死を向かえるために生きていて
それは肉体を脱ぐだけだから
僧侶のお経を聞きながらこんなことを考えていた
その人の命日はみんなでお祝いした方がいい
命日は大切だと思った
中谷比佐子を知る→中谷比佐子の粋モダン
お買い物はこちら→KOSMOS屋
自然素材のオリジナル商品
湯文字、絹の帯まくらなど
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とお経を聞きながら考える
考えても分からないのだがそういうことに気が行く自分に
あきれてもいる
人は死に向かって毎日生きているのだが
誰でも必ず死ぬと思うと
どんなに憎らしいことを言っている人も
権力を振りかざしている人も
死の直前にどんな顔をするのだろうと想像すると
その人が可愛くなってくる
死を命じられた日を「命日」と呼ぶのかな
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いやそこから別の命が始まるのかもしれない
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そうすると
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その永遠の命にはきっと悦びしかないのであろう
喜ぶと喜びことが嬉しがり喜びを連れて遊びにくる
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しち難しい事も悦びとすれば
其れが喜びとなってくるんだな
とすると「死」は恐れなくても良い
なにはともあれ
死を向かえるために生きていて
それは肉体を脱ぐだけだから
僧侶のお経を聞きながらこんなことを考えていた
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