家庭の環境で着物を着る種類が違うがみんなが着物中心であったため
戦後にはこの着物を売ってお米や野菜に変えた家庭も多い
ということは農家の婦人たちは作業着は持っていても通常は着物を着ることもなく冠婚葬祭用の着物を準備していただけだから日常着は美しく見ると欲しくなったのであろう
折から不在地主は小作人だった農家の人に土地を渡すことになり
領主よりも土地を使っていた農民の土地になったので農家の人達の生活は楽になった
その時農家に集まった着物もいづれは闇市に売り出されていくが
この時代は着物のおかげで命をつないだ国民は多かった
戦後も10年位立つと社会も落ち着き新しい職業も生み出されまた知恵のある人達はお金儲けもうまく戦前の階級は吹き飛んでしまう
成金と言われる金持ちは夜の街を徘徊そこに集まる女たちの着物は暗闇に目立つ白い着物が人気
そうすると裏地も薄くしなければならないので「ぼかし八卦」が銀座の呉服やから登場し全国的に流行
白い着物というのは花嫁衣装としてまた死に装束としての観念だったが
拍車をかけたのが世紀の華麗なる婚礼現上皇陛下の結婚
前代未聞の民間からのお妃で美智子様の一挙手一投足が逐一マスコミに発表されここでも白地の着物が注目された
后も花柳界の女も同じような白地の置物を着ることあ許された時代を日本は迎え、このときからどういう階級立場にいても何を着てもいいという傾向になった
職業や育ちなど関係なくお金さえあればどんな装いもできる
礼装と普段着しかない時代から「おしゃれ着」というのもできて「付下げ」などはその筆頭かもしれない
訪問着より柄を少なくしていつでも気楽に着られるしかも訪問着より値段も手頃
お座敷遊びも盛んで地方のおねえさん方が胸と袖にある模様は座っているときになかなか良いというので一気に流行った
お茶会でも柄付けの見せ所がうまくいき好まれた
当時は訪問着より軽い着物として小紋より人気があったようだ
付下げはきっと戦後のヒット商品であろうしそれに伴ったぼかし八掛の登場も同じようにスターさん
今度はその付下げをきたい素人の方に浸透したのが「黒羽織」お母さんの制服として入学卒業の子どもたちのそばで君臨していた
それをマスコミは「カラスの集団」と揶揄していた若いお母さんは黒羽織の下に付下げ、年配のお母さんは色無地か江戸小紋という合わせ方で威儀を正して学校行事に参加していた
ほとんどの女性が外で働くようになると着物姿は街から消えて洋服姿の女性が闊歩する
着物を着ることはお稽古ごとをしているか着物の道にはたらく人そして冠婚葬祭用
そうすると着物の本質も変わってくる
たかがか70年で着物はどこへ向かうのか (この項続く)
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