千の天使がバスケットボールする

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ハンガリー人のおおいなる夢の実現

2006-08-10 00:14:11 | Nonsense
1975年ジョンズ・ホプキンズ大学(経済学博士課程)卒業。その後プリンストン大学助教授(経済学)に就任という華麗なる経歴を更新しながら、貧困解消の現場に憧れて世界銀行経済開発研究所を飛び出し、後に世界銀行副総裁まで登りつめた女性がいる。西水美恵子さんである。
西水さんが連載されている「思い出の国 忘れえぬ人々」を読むと、これまでいかに信念に基づいて発展途上国に尽くしてきた熱い女性だということが伝わってくる。

その連載の中で、ハンガリーでの世界銀行支援にこぎつけた話が、映画『ハンガリアン』を思い出させて、なかなか感慨深いものがある。
ハンガリーは、ソ連の抑圧と共産党独裁から逃れるために1956年にハンガリー動乱を起こしたが、ソ連軍に鎮圧されながらも、したたかに粘り強く降伏条件を交渉し、外交はソ連と完全協調路線を歩むかわりに、社会主義的市場経済をとった。83年、ハンガリー政府は世界銀行に産業構造調整プロジェクト案を提出した。当時にハンガリーでは、国営企業の独占体質により儲かる会社ほど損、勤勉な労働も損となる税制に問題があった。西水さんは、いならぶ官僚たちを前に、ハッガリー政府のプロジェクト案を無駄と徹底的に批判した。その帰り道、人通りの少ないブタペストの裏道を歩いていると、石畳に響く自分の足音に重なる音が気になり振り替えると、黒いスーツ姿がサッと路地に隠れた。なるほど、目を輝して彼女の批評を聞いていた官僚たちが、ひと言のコメントも発しなかった理由を理解した。

翌日、盗聴されない館に会議場を移すと、保険・銀行業の近代化、労働法改正と労働市場の育成、国営企業の民営化や株・債券市場の設立と、彼らは熱く経済構造大改革を語り始めた。しかし、どれもこれも社会主義のイデオロギーにひっかかる。そして計画省、大蔵省、中央銀行の高官3人は世界銀行の支援を求めた。そこから西水さんのハンガリー通勤は2年間続き、改革同士は100人以上に膨れ上がった。電話・FAXは、盗聴されることを逆手におおいに利用し、逆に聞かれたくない内容は、ピクニックの青空会議。85年春、そんな青空会議の席でゴルバチョフ政権内定の速報が入る。彼を学友と呼ぶ”同志”は、ペロストロイカの春の訪れを喜び、ハンガリー民謡を歌い踊り続けたという。
そして世界銀行の1億ドル融資が決まった。

89年、鉄のカーテンを自ら破って東ドイツ人の亡命目的の入国を許し、オーストリア国境での政治集会を認め、約1000人の亡命を実現させるという「汎ヨーロッパ・ピクニック事件」を起こす。この事件をきっかけに、ベルリンの壁が崩壊していった。ブタペストは美しい街だと西水さんは語る。建築物、音楽、エコノミスト官僚らの才能に、広くて深いヨーロッパ文明に圧倒されたとも。ハンガリー動乱の時に勝ち取った条件は、ハンガリー人の優秀な頭脳と愛国心が密かに賭けた、母国解放運動の戦略だった。
あの時、たった3人の高官が描いた究極の夢は、EEC(当時の欧州経済共同体)の加盟に尽きる。21年後の2004年5月、ハンガリーは欧州連合加盟国になった。

映画「ハンガリアン」は

「愚かで食い意地が張っていることを除けば
我々ハンガリー人は全く純情な国民だ
希望よ 我らに扉を開け」

という詩で始まる。
ブラームス編曲の「ハンガリー舞曲集」は、ほの暗い情熱がゆらめきに心がとらわれ、誰もが一度聴いたら忘れることができないだろう。そこには重い歴史からたちあがる民族の魂が感じられる。
ハンガリー人の母国を愛する情熱は、国民性だ。そして夢を実現するねばり強さ。ハンガリーが夢を叶えた時、西水さんは嬉し涙が止まらなかった。